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PDFファイル⇒19年11月天秤棒No70

埼玉県参議院補選は誰に投票?
 今朝の駅立ちは、何時もの様に午前4時過ぎには起床して、妻の運転でせんげん台駅東口に午前5時前に到着。直ぐに街宣用具の設置の後、駅前清掃の作業を終えて市政レポートの配布を開始した。
今朝から一心太助の天秤棒“駅頭は小さなドラマの連続だ”の最新号第69号の配布をスタートした。
掃除の後マイクのスイッチを入れようとした午前5時過ぎに、馴染みの中年女性から今回の選挙(10月27日投票の参議院埼玉県選挙区の補欠選挙)は誰に投票したらいいですか、と尋ねられた。はい、勿論上田候補にお願いします、と返答。やっぱりそうですよね、N国党ではダメですね、と応答されエスカレーターに向かわれた。
同じお話を午前8時40分過ぎ駅頭を終了して街宣用具を片付けていたら、旧知の客待ちのタクシー運転手さんから、声が掛かった。
上田さんをお願いします。恐らく低投票率になりそうですから、必ず投票に行って下さいね、投票をするという行動がないと、選挙後の政治状況に対して無関心になり、当事者意識が希薄になりますから、と返事をした。
すると、分かりました、うちは5票あるから、皆投票するようにするから、との応答だった。
えー5票もあるんですか、しっかりお願いします、と付言した。
午前6時30分過ぎ、馴染みの中年女性から小さなのし袋に入った1000円のカンパを頂いた。この女性は毎回同額をキチンとのし袋の入れて頂いているので、本当に毎回感謝している。
同じ様に春日部市に在住されている30代のサラリーマンの方からも、毎回1000円のカンパをカンパ箱に投入して頂いている。
各駅には、必ず定期的にカンパを頂く市民の方がおられるが、その気持ちに十分応えきっているのだろうか、と何時も自問自答している。
午前7時過ぎには、やはり馴染みの30代のサラリーマンの方からペットボトルを差し入れて頂いた。この男性も毎回の事だ。
ペットボトルの差し入れに関しては、早朝からせんげん台駅東口周辺の掃除を毎日続けておられる高齢男性から、これも毎回しかも2本も頂いている。
時には気づかない内に近くに置いて帰宅される事もあり、恐縮している。
午前7時40分頃ピンクのビプスを着た6人の女性が駅前に集まって何やら盛んに打ち合せをしておられたので、何をしているのかその内のお一人に聞いてみた。すると北陽中学校のPTAの方で、今日は北陽中学校の合唱発表会を南越谷のサンシティのホールで開催するため、生徒達の誘導をしている、との事だった。
あーそうか、それで先ほどから集団で男女の中学生が階段を昇って行くのはそのためか、と納得した。
この中学校は私の子ども達の母校でもあり、全校生徒による合唱に力を注いでおり、毎年入学式や卒業式ではすばらしい合唱を聞かせて頂いている。
その後、先生がお二人引率のため近づいて来られたので、大変ですね、ご苦労様です、と声を掛けたら、迷惑をかけてすみません、と頭を下げられた。いえいえ、迷惑だなんで、頑張って下さい、と応答した。
            (10月21日)

3日間連続で駅立ちは中止、県外出張のため
23日から5日間連続して、愛知県への行政調査と大阪での研修会参加のため、この間の駅立ちは中止した。
越谷市議会建設常任委員会の行政調査は、23日と24日の二日間で、議員8名と建設部長と都市整備部長、議会事務局2名の合計12名が参加した。まず初日は愛知県岡崎市の「乙川リバーフロント地区公民連携まちづくり基本計画」と「下水道事業の公営企業会計移行」の2つのテーマを。二日目は、静岡県沼津市の「沼津駅周辺総合整備事業」を調査して来た。
23日は、午前9時に東京駅新幹線中央乗降口に集合のため、午前7時30分過ぎにはせんげん台駅を出発した。ところが西新井駅手前まで来て、電車が停止した。車内アナウンスによれば事故のための停車だと、何度もお知らせがあったものの一向に動く気配がない。
なんと30分近くたってやっと動き出した。
後程分かったのだが、通勤客のカバンが列車に引っ掛かり死亡されたとの事。このためやっと北千住駅から上野駅にJRで到着したら、今度はJRが都内の地震のため運行が乱れており時間通りに出発せずこれまた、幾つものホームをうろうろして、東京駅の集合時間ギリギリに間に合うことになった。
なんとも朝からひやひやする初日となった。
24日夕方帰宅したが、25日早朝から3日間大阪府堺市で開催された「大阪で考える健康で文化的な最低限度の生活」をメインテーマとする講演会と分科会に参加した。会場は大阪府立大学 中百舌鳥キャンパス。主催は全国公的扶助研究会で、毎年1度の全国の都市で開催されており、毎回参加して来た。
1日目が終わり、大阪地下鉄御堂筋線の公園前駅で下車して徒歩5分で予約していたホテルに午後6時過ぎに到着した。
夕食を採るためホテルを出で驚いてしまった。広い歩道には、アジア系の観光客がひしめき、大阪名物串揚げやお好み焼きや居酒屋が密集している歓楽街で、通天閣が目の前に見える場所だった。大阪には何度か訪れていたが、あの通天閣を見るのは初めて。興味が湧いてきて周辺を歩き回ったのだが、大きな声で大阪弁が飛び交い、泥酔したおっちゃんが安酒屋でたむろしている様にイメージしていた大阪の印象とは全く違っていた。賑やかしい居酒屋から少し離れたもつ焼きの店に入って食事をしたが、実に静かで店主と奥様で対応してくれたが、大阪弁ではなく、所謂標準語で話し掛けて頂いた。
客引きもいないし、どの店も飲み客であふれており、24時間営業のお好み焼きや焼きそば
店の100人も入るのではないか、と思えるほどの大きな店も散見された。路上にごみもない。
また、立飲みの10席もない小さな居酒屋が何軒もあり、確かに高齢男性がビールを飲んではいたが、喧噪的な雰囲気はなく、実にフレンンドリーな空気感が漂っていた。中には一人で飲んでいる若い女性も見受けられた。
次の日朝食を採るため、午前8時前から昨日と同じ様に歓楽街を散策してみたが、土曜日なのに午前6時から開店している喫茶店(モーニングを注文したがコーヒーとパンとゆで卵がついて350円)やこの時間帯に開店準備のため、掃除や商品を陳列する小さな洋品店の高齢店主を見かけた。(懐かしいレスカや冷コーの表示もあり、サンパツ屋の看板も)
その中で、うどん店が2軒営業しており、何と、かけうどんが1杯170円、きつねうどんが230円と激安。このためモーニングを食べたにも拘わらずうどんも食べてみた。安いだけでなく美味しい。最終日(日曜日)にはもう一軒のうどん店(ここは立ち食いで席は7席位しかなく、男性店主一人で切り盛りしていた)でやはりかけうどん(同じ様に170円)を注文したが、日曜日のこの時間帯なのに並んで順番を外で待ってからの注文となった。
値段は東京よりも2割以上も安く、人々の会話や雰囲気は、東京で言えば浅草を彷彿させるような町であり、この町で暮らす庶民の気風やエネルギーを十分感じるとる事が出来た事は、講演会受講以上の収穫となった。
その大学での分科会で大阪からの参加者の方から、大阪では様々な施設がボランティアで食事を必要とする市民に無料で提供することが当たり前となっている。提供する側もされる側も上下の関係がないフラットな付き合いが普通に出来る地域であり、特に通天閣の近くには西成地区(低所得者の方が暮らすドヤ街とかつて呼ばれた地域)があり、そんな雰囲気が強い土地柄です、と教えて頂いた。
生活保護や社会的な支援の制度や担い手の重要性が増々必要とされてはいるが、そんな制度や組織がなくても、そこで暮らす人々が地域の中で自然に助け合い、フラットな関係を持続出来て行く生き方こそが、原点なのだと感じさせられるものだった。    (10月27日)


メルマガ♯がんばろう、日本! №255(19.11.1)
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Index
□ 安倍政治の〝終わりの始まり〟を、民主主義のイノベーションの糸口へと転轍するために

● 低投票率の構造が招く「静かな全体主義」と「ポスト安倍政治」の問題設定
● 消費者民主主義の破局から、どこに向かうのか
● 民主主義のイノベーションへの糸口として安倍政治を検証するために

□囲む会&望年会のお知らせ
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安倍政治の〝終わりの始まり〟を、民主主義のイノベーションの糸口へと転轍するために
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【低投票率の構造が招く「静かな全体主義」と「ポスト安倍政治」の問題設定】

10月27日投開票の参院埼玉選挙区補選。七月の参院選で議席を得たものの、辞職して立候補したNHKから国民を守る党(N国)の立花氏が、16万8千票あまりを獲得した。当選した上田前知事の得票にははるかに及ばないものの、8月に行われた埼玉県知事選でN国候補が獲得した6万4千票を大きく上回る。ちなみに投票率は県知事選が33パーセント、補選が20パーセント。
立花氏は選挙戦の最中から、次は11月に行われる海老名市長選に立候補すると公言、その後も各地(都市部)の首長選に立候補するとしている。立花氏は、当落にかかわらず選挙に出ること自体を絶好のビジネスチャンスととらえているようだが、五人に四人が棄権するという選挙にもかかわらず、投票所に足を運んで「あえて」こうした候補に投票する有権者がこれだけいることを、どう見ればいいのか。無党派、政治不信と言われ続けてきたが、その底すら抜けつつあるのではないか。

「むしろ、この選挙(参院選/引用者)の焦点は議席数ではなく、5割を切った投票率の低さにあるのではないか。そこに見え隠れするのは、令和の日本政治が陥りつつある危うい実情である。~中略~『政治不信』ならば、まだ回復の可能性がある。政治にマイナスの目を向けているとはいえ、政治に対する関心が残っているからである。が、事態がここまで来ると、政治不信という以上に『政治不在』と言わざるをえない」(宇野重規「日本で進行する『静かな全体主義』への危惧」 論座9/1)

かつて民主主義は独裁やクーデターによって破壊されたが、現代の民主主義は選挙を通じて死んでいく。民主主義の大前提は「自分たちのことを自分たちで決める」という共同体の自己決定だが、「政治不在」とは、その大前提が崩れつつあることを意味している。政治は自分や社会の問題を解決するためのものではなく(問題を解決するのは自己責任)、自分とは関係のない何かでしかない。それなら、選挙の一票もSNSでの「いいね」も同じではないかと。あるいは「みんな」が「いいね」をする多数派に身を置くほうが「安心」だと。

「もし多くの人が、社会の動きは個人の力の及ぶところではなく、残されているのは、社会の大勢のおもむくままに流されていくことだけだと考えているとすれば、それはトクヴィルの『民主的専制』や、ルゴフの『新たな全体主義』に近いのではなかろうか。危険なレベルにまで低下した投票率と『政党の座標軸』の融解は、私にそのような危惧を抱かせる。
換言すれば、『静かな全体主義』が日本で進行している。そして、それこそが特定の個人や組織の思惑を超えた、日本社会の趨勢(すうせい)である」(宇野重規 前出)

「安倍一強」は、こうした社会の趨勢の反映でもある。(空気とも称される)こうした社会の趨勢を転換する道すじにつながることなしに、「ポスト安倍政治」の展望は開けないということだ。

「いわゆる『安倍支持の空気』といわれるものが一部、新聞でも報道されるようになりました。これを象徴しているのが、就職氷河期世代の心象風景です。『政治は助けてくれない/だから変わらなくていい』、『だって自己責任でしょ』と。~中略~
消費者民主主義、依存と分配の完全なる挙国一致でポスト冷戦、グローバル化時代に入ったのは日本だけです。これでは時代が転換したときに―右肩上がりから縮退社会への転換―、とりあえず延命せなあかんという方(今だけ、金だけ、自分だけ)なのか、持続可能性―未来への責任なのかという争点設定はできません。~中略~
依存と分配、消費者民主主義とは違う問題設定、例えば今日の江藤さんの話で言えば、新シビル・ミニマムという問題設定をできるかどうか。これが『ポスト安倍政治』の課題だということです」(戸田代表「日本再生」484号 総会)

【消費者民主主義の破局から、どこに向かうのか】

ポスト安倍政治―安倍政治のたたみ方に問われるのは、消費者民主主義・依存と分配(今だけ、自分だけ)とは違う問題設定―争点設定と、その担い手をどう準備していくかということになる。

1990年代の政治改革のキーワードは「政権交代」と「首相主導」だが、その背景には「ポスト冷戦/グローバル化」「人口減・少子高齢化」「バブル崩壊と財政赤字」といった長期的構造的な変化と、そこから生じる課題に対応するための政治主導(政治の再起動)という問題設定があった(はずだった)。

しかし今のところ、「小選挙区制」を中心としたゲームのルールの変更は、むしろ二度と政権交代しないための延命政治のツールとして使われている。安倍政権は「衆院選のリセット効果をうまく利用して短い任期を積み重ねた『短期政権型の長期政権』」(牧原出 朝日7/23)にほかならない。こうした時間かせぎの政治を続ければ続けるほど、「時間切れ」が迫ってくる。
平成が「失われた30年」と言われる所以もここにあるが、一方で長い年月をかけて定着した社会の「習慣の束」(小熊英二「日本社会のしくみ」講談社現代新書)は、政策や制度を変えただけで簡単に変わるものではない。右肩上がりを前提とした政治経済社会のなかで醸成されてきた人々の認識や行動が変わるまでには、一世代が入れ替わるほどの時間がかかるともいわれる。(そのしわ寄せが集中した世代が「ロス・ジェネ」でもある。)

そこから見れば、平成は依存と分配・消費者民主主義の土台(「今だけ、自分だけ」)が全面的に露呈する一方で、消費者民主主義の土台からの新たな主体分解が始まった時代でもある。
「三点目に消費者民主主義とか依存と分配からの分解が、団塊ジュニア世代、就職氷河期世代のところから始まっているということ。
正規雇用は狭き門ですから、そっちは自分は生き残ったということで、東大なんかを出た部分もいい意味のエリート意識ではなくて、生き残るためには忖度すること以外にない、ということになってくるわけです。
また社会問題についても新自由主義の規制緩和で、マーケットで解決すればいいという社会的企業家になる。そこから『それって政治が必要ないということですよね。おかしいですよね』というところまで行っている人は、まだ少ないでしょう。むしろそこでうまみ(新たな社会的地位)を得ているんじゃないでしょうか」(戸田代表 前出)

「右肩上がりのときには基本的に与野党ともに依存と分配で、違いはどこに分配するか、だった。依存と分配という基本には違いがなかったから、消費者民主主義一色になるわけです。政治に社会性がないままだから、冷戦後は新自由主義一色になる。そしてこれではもう生きていけない、というのが就職氷河期から。そこで日本では初めて『自分の人生は自分で作っていかざるをえない』というレールなき時代になった。
レールのない時代、自分の人生は自分が切り開いていくしかない。親の世代は『根性がないんだ、耐えろ』とか『忍耐力も人生だ』と言うかもしれないが、自分の人生は自分で切り開かなくてはならないからこそ、人間としての尊厳や生存権は社会が、したがって政治がちゃんと保障せなあかんのじゃないかと」(戸田代表 前出)

「今だけ、自分だけ」の全面露呈―「静かな全体主義」の空気と、「少なくとも自分の人生は自分がオーナー」という小さき当事者性。安倍政治の下で可視化されはじめてきたこうした主体分岐を、民主主義のイノベーションの糸口へとどうつないでいくかが問われている。

【民主主義のイノベーションへの糸口として安倍政治を検証するために】

9月に発足した第四次安倍再改造内閣だが、さっそく初入閣したばかりの菅原経済産業大臣が、公設秘書が地元有権者に香典を手渡したという疑惑で辞任した。このような行為は、公職選挙法で禁じられる寄付行為にあたる。しかも秘書が香典を手渡したのは、菅原氏の地元での贈答品配りが追及されている最中である。公選法違反が常態化していたのではないかと疑われても仕方ない。氏名入りの線香セットを配った公選法違反容疑で書類送検された小野寺五典衆院議員は、議員を辞職。2000年に罰金と公民権停止三年の略式命令を受けている。
さらに菅原氏の大臣辞任に続いて、7月の参院選で当選した河井法務大臣の妻の陣営にも、運動員買収の疑いが報じられた。陣営を実質的に取り仕切っていたのは河井氏だとも言われているが、公選法で買収が確定すれば連座制の適用、当選無効もありうる。

菅原氏の地元支持者のなかには、「これは法律違反だから」と配られた贈答品を返した人もいたようだが、永田町では知っている人はいてもそうした声は出なかった。公民権停止や連座制、当選無効といった抑止さえ無視するほど、永田町では「今だけ、自分だけ」が肥大化している。公選法のスキをつく形で選挙を格好のビジネスチャンスにするN国・立花氏も、その別バージョンといえるだろう。

「今だけ、自分だけ」を「選挙で勝てば、何でもあり」へと肥大化させるような永田町の趨勢に対して、「これは法律違反だ」という声が有権者からどれだけ出るか。そして「憲法改正の発議権は国会にある。解散権は内閣にある。自分の権限の外にあるものを理由に自分の権限を行使するのは憲法上許されない(憲法改正を争点とした衆院解散は違憲)」(伊吹文明・元衆院議長)という声が、「これは法律違反だ」という有権者の声とどう響きあうのか。

「今だけ、自分だけ」「選挙で勝てば、何でもあり」をさらに肥大化させるのか、「自分たちのことを自分たちで決める」ための規律やルールを再構築するのか。安倍政治の〝終わりの始まり〟は、その分岐点でもある。

民主主義は「自分たちのことを自分たちで決める」共同体の自己決定であり、そのためのルールや仕組みを、自らの手で不断に作りこんでいくプロセスである。
安保法制のときには「立憲主義」という言葉が取り上げられ、多数決民主主義とは異なる立憲民主主義というものが見えてきた。モリカケや統計偽装問題では、公文書や統計が民主的政府の必要条件であることが、理解されるようになった。民主主義は単なる多数決ではない、合意形成のためのプロセスだ、という民主主義観の〝始まりの始まり〟を、民主主義のイノベーションの糸口へとつないでいく。安倍政治の検証を、そのための舞台としようではないか。

例えばアベノミクス。失業率やGDPなどの基礎的な数値は(データ改ざんの問題はあるものの)小康状態にあることから、安倍政権の経済運営は「安定している」と評価されることが少なくない。もちろん実質賃金の低下など、「効果」や「安定」の中身について検証することは必要だ。しかしここで考えたいのは、民主主義の観点からの検証だ。

「まず筆者の問題意識を明らかにしておくことにしよう。それは、日銀の金融政策、とりわけ現在の量的緩和政策を『財政民主主義』という視点から見るとどうなるのかということである。日銀は、量的緩和というわれわれの生活に大きな影響を及ぼす政策を決定・実行しているにもかかわらず、それが民主主義的なチェック・アンド・バランスの外に置かれているのではないかという疑いが存在しているのである」(諸富徹 「政策をみる眼をやしなう」東洋経済新報社)
財政民主主義は近代議会制の成立と密接に関わっている。財政は王の権力や施しではなく、人々が社会を維持するために税を納め、代表である議会を通じてそれをコントロールするということ、「すなわち、議会という場で、市民社会が予算を通じて国家の活動をコントロールすることが『財政民主主義』なのである」(同前)

この視点から、アベノミクスにおける日銀の量的緩和の何が問題なのか。「政権を運営している側からすれば、財政を国債に頼るのは容易な道である。国民に痛みが生じる増税を、有権者を説得し、納得させ、実現するより、日銀の国債ファイナンスに頼るほうがずっと楽で安易なのである。こうした理由により、租税ファイナンスと比べ国債ファイナンスに大幅に依存することは、財政民主主義を掘り崩す恐れがある。現在の日銀の量的緩和政策は、伝統的な金融政策の枠組みには入りきらない、財政政策の一つの手段と化してしまっていると見るべきである」(同前)

同書によれば、日銀の国債保有率は、アベノミクス以前は20パーセント弱だったのが約45パーセントに膨れ上がり、一般会計の歳入に占める公債費の割合は35パーセントと、税収の比率は三分の二を切っている。歳出に占める国債費(利払い)の割合は、低金利のおかげで24パーセントにとどまっているものの、金利上昇局面に入れば顕著に増大することになり、一般の政策経費を圧迫することになるだろう。いまや日銀による国債ファイナンスなしに、日本の財政は成り立たない。こうした状況が、民主主義的なチェック・アンド・バランスの外で起きているということだ。

こうした状況は、さらに別の問題を引き起こす。金利上昇による財政危機や財政破綻を避けるため、日銀は低金利を維持する役割を求められる。こうした「財政従属」(同書)は「いつか来た道」であり、「かつてと異なるのは、政府に強制されてではなく、日銀が自発的にこうした状態に入ろうとする点であろう」(同前)。財政の民主主義的な統制が緩められた挙句のツケは、結局国民が払うことになる。(戦費調達で膨れ上がった財政赤字は、敗戦後の超インフレという形でチャラにされた。)

もうひとつ注目されるのは、「量的緩和政策は、富裕層の富を増大させる効果を持つ点で『逆進的』な帰結をもたらしている可能性がある。ただ、これは租税のように負担が目に見えず…その影響が人々に感知されにくい…ために、公論に付されることはない」(同前)ということも、財政民主主義の観点から見て問題が大きいといえるだろう。

「中央銀行の独立性」や「財政・金融政策は誰のためにあるのか」といった、これらの公共性にかかわる問題を視野に入れずして、民主主義をまっとうに機能させることはできない。
「入りを図って出るを制する」という財政均衡論では、財政民主主義の肝心なものは見えてこない。

「日本政府が高齢の有権者の反発を恐れて社会保障制度の改革を先送りしていることから、最近、高齢化が進む国では民主主義政治と健全な財政管理が両立しえないと主張する人が増えている。しかし今日の日本において持続性のない政策が行われている根本的な原因は『シルバー民主主義』ではなく、国民がそうした政策を許していることにある。その意味で、日本の財政危機は民主主義の行きすぎによるものではなく、むしろ日本の民主政治の未熟さを示すものである」(熊倉正修「日本のマクロ経済政策」 岩波新書)

「こうしたなかで、ともすれば社会保障あるいは福祉が、財政赤字の『犯人』扱いされてしまいます。今見たように、社会保障の経費が膨張していく中で、公債費―いわゆる財政赤字が膨らんでいく、つまり財政赤字が社会保障によって作られていくという見方をされる。
そうなってくると政府や財務省、あるいは国民世論の少なからぬ部分も、『財政が苦しいから社会保障費を抑制しなければ』という話になっていくわけです。ところがこれは本末転倒なんですね。『そもそも論』を言えば、財政というのは私たちに共通して必要な事柄を満たしていくために存在するのであって、財政の赤字を抑えるために私たちのニーズを切り捨てるというのは、本末転倒な話のはずです。

つまり、『財政が苦しいから社会保障を抑制しよう』という『無い袖は振れない』論ではなくて、生きづらさが深まるなかで、私たちが必要とすることを満たしていく、それこそが財政に求められることであり、そこで財政赤字が問題だというのであれば、税の負担を増やせばいいんじゃないですか、ということです」(高端正幸・埼玉大学准教授 3―7面「囲む会」)

「財政は必要を満たすためにある。それに対して市場は主に欲望を満たすためにある。税や財政は私たちみんなで必要をまかなうためにある、と整理することができます。
ちなみに、何が生存と人間的な生活のために必ず要するモノやコト、つまり必要なのか、ということは誰が決めるのか。これは私たちが決めることです。必要を最小限に解釈して、本当に必要なものを満たさない財政もありえるし、幅広く認めてそれを満たしていく財政もありうる。民主主義体制である以上、それは私たちが決めることです」(同前)

民主主義は「自分たちのことを自分たちで決める」という共同体の自己決定であり、そのためのルールや仕組みを、自らの手で不断に作りこんでいくプロセスである。財政や税と社会保障についても、こうした視点から「自分たちで決める」「自分たちの代表を通じてコントロールする」ためのルールや仕組みを不断に作りこんでいくことによってこそ、民主主義は機能する。憲法改正は、そうした営みの集積を反映するものであるべきだ。

安倍政治の〝終わりの始まり〟を、民主主義のイノベーションの糸口へと転轍しよう。

(「日本再生」486号 一面より)
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囲む会&望年会のお知らせ
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●東京

□第204回 東京・戸田代表を囲む会
「人口減・縮退時代のまちづくりにむけて」(仮)
11月26日(火) 1845から
ゲストスピーカー 松本武洋・和光市長
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

□望年会
12月14日(土) 1600から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
会費 1500円

□第205回 東京・戸田代表を囲む会
「パリとカメルーンで考えたこと」(仮)
1月10日(金) 1845から
ゲストスピーカー 坂井真紀子・東京外国語大学准教授
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

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●京都

□第39回 戸田代表を囲む会in京都
「財政民主主義ってなに? ~アベノミクス(量的緩和策)の検証から」
11月14日(木) 1830から
ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学教授
コープイン京都201会議室
参加費 1000円(学生 500円)回 東京・戸田代表を囲む会

□望年会
12月20日(金) コープイン京都
第一部 1800より 講演 「憲法をどう議論するか」(仮)
ゲストスピーカー 井上武史・関西学院大学教授
参加費 1000円

第二部 1900より 懇親会
参加費 3500円

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「政策をみる眼をやしなう」 東洋経済新報社
佐和隆光 諸富徹 ほか
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2019年3月2日に行われた京都大学経済研究所のシンポジウムを書籍化
政策をみるためのよりどころとなる座標軸とはどのようなものか、という問題設定から
行われた学者、ジャーナリスト、官僚による講演、ディスカッション。
政策の質と民主主義の質について考える材料が、豊富に提示されている。

定価1500円(税別)のところ、著者割引にて1350円(税込み)にて(数に限りがあります)。


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


PDFファイル⇒19年8月天秤棒No69

せんげん台駅東口の停車場の完成
 今朝の駅立ちは、せんげん台駅東口で何時もの様に午前5時過ぎから開始した。
自宅を午前4時40分過ぎに、音を立てずに玄関ドアを開け自家用車で駅に向かった。先週から娘と子どもが帰省しており、まだ当然だが二人ともグッスリ睡眠中であり、妻からもくれぐれも静かに出かける様に“厳命”されていた。
また娘たちの世話のため妻が時間が取られており、自家用車の運転は私がハンドルを握る事になった。
そのため午前5時前には駅に到着して街宣用具を車から降ろし設置した後、最寄りの有料駐車場に一旦駐車した後、徒歩で駅前に戻って来たのが午前5時過ぎとなった。
到着後直ぐに恒例のホウキと塵取りを持って駅前清掃をした後、市政レポートの配布をスタートして午前8時30分過ぎまでの行動となった。
終了して今度は徒歩で駐車場に向かい車を駅前に移動させて街宣用具を積み込んで帰宅したのが午前9時頃。
今日から、配布する宣伝物は、11月4日(月・祝)に開催する第1回市政報告会の案内チラシ。本年4月の市議選挙で当選した32名の議員を対象に市政報告会の開催主体に参加して頂くようにこの間呼びかけていた。そのため6月議会の市政報告会を7月31日に大袋地区センターで開催したが、その時の主催者は仮称3地区有志議員の会として取り組み、より多くの超党派の議員参加に向けて門を広げて来た。
この様な経過を通して、今回は7人の会派や党派の枠組みを超えた超党派の「議員有志の会」が結成され、第1回目の市政報告会の主催者となり、私は案内チラシの作成担当で、印刷されたチラシ1000枚の配布を引き受け、この日から配布開始となった。
この駅に車で移動し、(運転手は奥様)停車した後、盲導犬を伴って電車に乗降されている高齢の男性から1年以上も前に障がい者用の停車スペースを設置して欲しいと陳情を受けていた。
何時も停車している場所はバス停の間際であり、停車中に他の自動車運転手から移動するように注意を何度も受けている。
しかし盲目のため出来うる限りエスカレーターの近くに停車する必要があるにも拘わらず、障がい者用の場所が駅周辺の何処にも設置されていない。このため、ご自身でも市役所に陳情したが、なかなか実現しないので、何とか善処して欲しい、との陳情を1年も前に受けていた。
当時直ぐに、市役所の道路総務課長さんに実情の報告と改善をお願いした。東武鉄道の他の駅は、すでに設置されていることもあり、また障がい者に限らず妊産婦や子連れの親子など利用対象者が広いことも設置目的に合致しているとも強調してお話した。
ただ、現在停車しているバスの停車の場所は困難が予想されるが、タクシーが客待ちをして繋がっている一角にこのスペース1台分を確保出来るのではないか、勿論その場合はタクシー運転手さんの同意が必ず必要となるので、大変だと推測するが、善処をお願いしていた。
しかし、その後進展がなく本年4月の市議選挙前となり、課長さんだけでなく、建設部長さんにもお願いした。(私は陳情だけでなく、資料の提出など担当の課長さんにお話しする時は陳情に限らず、事情の説明を受ける場合でも課長さんとの対応を原則としており、滅多に部長さんに陳情しないのだが、今回の件は珍しいケースだ。勿論担当課長さんとのやり取り等を報告することは時々あるが)
選挙が終了して、それでも実現の目途が立たないようなので、5月にも再度善処をお願いした。その結果今回駐車スペースの場所を確保すとの事を知ったため、当該の高齢者に経緯の説明と実現の日程を説明していた。
工事が終了した後、設置のお礼を道路総務課長さんにしたところ、いや設置しましたが、あまり目立たないので、看板等を新たに設置して対処をする様に検討している、との有難いご返事を頂いた。
(9月30日)

N国党とは一体何なんですか!?
今朝の駅立ちは、蒲生駅東口で何時も様に午前6時前から開始して、午前8時30分過ぎまで2時間30分、市政レポートの配布と9月議会の市政報告会開催の案内をした。
この駅は、私の自宅から最も遠い場所に位置しており、最低でも30分位の時間を要するため午前5時20分過ぎには自宅を出発している。
まだこの時間帯では辺りは薄暗いものの、今夏の猛暑の影響も流石に弱まっている。
午前8時20分頃、馴染みの高齢女性と話になった。それは現在選挙運動期間中である参議院議員の埼玉補欠選挙に立候補しているNMKから国民を守る党の候補者の事だった。
この党は一体何がしたいのでしょうか。今年7月になったばかりの参議院議員なのに、直ぐに辞職してまた参議院選挙に立候補するなんて。しかも埼玉県全体をどうしたいのか、示さずNHKの料金集金の問題だけを主張するなんて、埼玉県民を馬鹿にしています、とのお話だった。
しごく、当然のお話だったが、私からもご返事をした。お話の通りですが、7月の参議院選挙では全国で約100万票を獲得しています。
しかも、既成政党への不信感を梃に、この不信感を煽り、逆手にとって政策やマニフュストをパッケージして一切提起出来ていない政党です。さらに市議選だろうが、市長選挙だろうが知事選挙だろうが、全く同じ政策しか訴えない。(訴えることが出来ない)
こんな党が地方議員を含め当選出来ているのは、益々貧困と格差が広がる中、既存政党が制度の外に広がる地域や市民の困りごとの解決策や市民の役割や責任を伝える事が出来ていない空間にスーット入り込んでいるためです。
令和新撰組もその点では同質です。決定的な問題はこの間一貫している国政、地方選挙の低投票率ですね、この低投票率こそ「静かなる全体主義」の温床となっています、と。
10分以上お話したが、何時もの様に1000円のカンパをされて改札口に向かわれた。
(10月8日)

台風被害は大丈夫?との心配の声が
今朝の駅立ちは、北越谷駅東口で午前6時前からスタートして午前8時30分までの行動となった。恒例の駅前清掃の作業の後、市政レポートの配布を始めた。
午前7時30分頃馴染みの中年サラリーマンの方から、台風は大丈夫でしたか、と心配の声を掛けて頂いた。
はい私に被害は出ませんでした。ただ越谷市内では、せんげん台駅が浸水した上、床上浸水(20件)、床下浸水(100件)が出ており、これから復旧や罹災証明書の発行等の事務作業が始まります。
全国では50名(この時点で)もの死者が出ましたが、幸いにして越谷市では軽症者が数名出ただけだったので、一安心です、と応答した。
近年の災害は、二つの要因で、対応を困難にしている。第一は、地球環境の激変による異常気候。(人類が人工的に作り出したものだが)
第ニに、右肩上がりの時の発想と視点による都市造りなので常に拡大基調しかなかった。だから人間や社会の持続性を無視したため、対策が後手、後手になるのは当然の結果だろう。       
(10月16日)


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Index
□ 囲む会 望年会のご案内

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●東京
□第203回 東京・戸田代表を囲む会
「平成外交を振り返りながら、これからの日本外交を考える~沖縄を糸口に」(仮)
10月23日(水) 1845から
ゲストスピーカー 宮城大蔵・上智大学教授
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

□第204回 東京・戸田代表を囲む会
「人口減・縮退時代のまちづくりにむけて」(仮)
11月26日(火) 1845から
ゲストスピーカー 松本武洋・和光市長
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

□望年会
12月14日(土) 1600から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
会費 1500円

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●京都

□第39回 戸田代表を囲む会in京都
「財政民主主義ってなに? ~アベノミクス(量的緩和策)の検証から」
11月14日(木) 1830から
ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学教授
コープイン京都201会議室
参加費 1000円(学生 500円)回 東京・戸田代表を囲む会

□望年会
12月20日(金)
第一部 1800より 講演 「憲法をどう議論するか」(仮)
ゲストスピーカー 井上武史・関西学院大学教授
参加費 1000円

第二部 1900より 懇親会
参加費 3500円

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石津美知子
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メルマガ♯がんばろう、日本! №254(19.10.1)
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Index
□ 消費者民主主義の破局からどこへ向かうのか
「静かな全体主義」か、多様性と自由に支えられる民主主義のイノベーションか

●「表現することの自由」と
無関心・自発的隷従が招き入れる「静かな全体主義」

● 自己決定権だからこそ必要な支えあいの社会

□囲む会(東京10/23)のお知らせ
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消費者民主主義の破局からどこへ向かうのか
「静かな全体主義」か、多様性と自由に支えられる民主主義のイノベーションか
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【「表現することの自由」と
無関心・自発的隷従が招き入れる「静かな全体主義」】

「あいちトリエンナーレ」に対して、文化庁はいったん決定した補助金を不交付とした。これに抗議して、参加アーティストによるプロジェクトReFreedom_Aichiが、不交付決定の撤回を求めるネット署名を開始。半日で5万を超えた署名は、さらに日を追って増え続けている。

同プロジェクトは、「展示中止を迫った中には市長などの公人も含み、そして過熱したのはテロ予告や恐喝を含む電凸など。作品の取り下げを公人が迫り、それによって公金のあり方が左右されるなど、この一連の流れは、明白な検閲として非難されるべきもの」だと批判。「これまで先人たちが作りあげてきた日本の文化政策、公的助成制度の根幹を揺るがす暴挙」だとしている。

文化庁は不交付の理由として(1)審査段階で具体的な計画がなかった(2)電凸や脅迫が続いた時点で報告がなかった(3)展覧会中止によって事業の継続が見込まれにくくなった、などをあげている。展示内容に言及することなく、(巧妙に?)「手続き」を理由にしているようにみえるが、いったん決定した補助金を後づけの理由で不交付にするのは前例がないと、文化庁も認めている。

今回の事態が「検閲」にあたるかについて、法律論上の議論はあるだろう。しかし「これがまかり通ると、補助金を盾にした、事実上の国家による検閲につながる。これからの申請団体は、自主規制(自己検閲)せざるを得なくなるから。そして、芸術に対して脅迫行為を行った者達に対して、国がその正当性を認めるかのようなメッセージとなりかねない」(日比嘉高 ツイッター)。

署名に賛同した為末大氏は、「茶色の朝を思い出す」とツイッターでつぶやいている。「茶色の朝」は、20年前にフランスで刊行されベストセラーとなった短編。「茶色以外のペットは処分するように」という法律を皮切りに、主人公と友人の身の回りで次々に「茶色」以外の存在が認められなくなっていく。「ごく普通の」国家が、日々の生活に知らぬ間に忍び込み、人々の行動や考え方を支配するようになるという寓話だ。

無関心・怠惰と、忖度・自発的隷従との間に確固たる境界はない。「見たいものしか見ない」「何をしてもムダ」という〝空気〟がどこへ向かうのか。私たちは大きな岐路に立っているのではないか。こうした状況は「民主主義」にも大きく関わる。

「『民主的』な選挙で選ばれた権力によって、立憲民主主義のルールや仕組みが死に追いやられていくプロセスが先進各国でも繰り広げられていますが、わが国におけるその起点は、低投票率にあるといってもいい。『安倍一強』を支えているのは、熱烈な支持というよりも、低投票率に表される『無関心』という『空気』です。この問題を外して統一地方選、参院選の総括はできません」(戸田代表 2―6面「囲む会」参照)

「(新たな全体主義は)かつての全体主義のように確固とした思想や理念を持つわけではないし、唯一絶対の党組織があるわけでもない。が、社会の既存の組織が力を失ってすべてが流動化するなかで、共通の意味が解体することで指針を失った個人は、メディアがたれ流す大量のパッチワーク的な情報の洪水に溺れてしまう。そこで個人は、政治参加を馬鹿にしながらも、相互に対立するイメージの断片に目を奪われ、踊らされる。~中略~
もし多くの人が、社会の動きは個人の力の及ぶところではなく、残されているのは、社会の大勢のおもむくままに流されていくことだけだと考えているとすれば、それはトクヴィルの「民主的専制」や、ルゴフの「新たな全体主義」に近いのではなかろうか。危険なレベルにまで低下した投票率と「政党の座標軸」の融解は、私にそのような危惧を抱かせる。
換言すれば、「静かな全体主義」が日本で進行している。そして、それこそが特定の個人や組織の思惑を超えた、日本社会の趨勢(すうせい)である。
とはいえ、そのような現状の(ママ)ただ追認するのであれば、それもまた「静かな全体主義」に対する従属に過ぎないだろう。諦観(ていかん)に身を委ねる余裕は、今の日本社会に残されていないように思われる。民主主義の立て直しのために、声を上げねばならない。「静か」になってはいけないのである」(宇野重規 論座 9/1)

あいちトリエンナーレを契機に始まった「表現の自由」をめぐる議論は、新たなステージに移りつつつあるのかもしれない。
「静かな全体主義」に身を任せるなら、アートに求めるのは「心地よさ」や教養、誰もが認めるような名作としての価値などだろう(ただし今日「名作」とされる作品でも発表当時は駄作とされたものは少なくない)。
「表現の不自由展・その後」に対しては、「税金を使うべきではない」「自由というなら補助金を頼るな」という非難もある。しかしアートに対する公的補助は表現者への援助というより、より多くの市民が自由な表現にふれることを可能にするためのものだ。「表現の自由」は民主的な社会のインフラのひとつなのだ。

今回のあいちトリエンナーレがモデルとしたのは、ドイツで行われているドクメンタという美術展だという。現代アートを退廃芸術として弾圧したナチスの歴史を踏まえた現代アートの世界的なイベントのひとつ。2017年のドクメンタをリポートした藤幡正樹(メディアアーティスト)は、フランス人の友人の「アートがなかったら、考える時間がなくなってしまうじゃないか」という言葉を紹介しながら、ドクメンタに通底している姿勢は、戦中と対比的に「表現することの自由について考える」ことだろうとしている。
そして政治的な匂いのする作品の展示が可能なのは、説明してもらうのではなく、自分自身で作品のコンテクストを読み解き、他の人とコミュニケーションすることができる観客との信頼関係―ドクメンタの集積の成果―があるからだろうとしている。
(http://realkyoto.jp/review/documenta14-2/?fb_comment_id=1445558558813387_1452996998069543)

表現の自由の担い手は、送り手と受け手の双方であり、両者による情報の伝達と交流の場が必要だということだ。「表現の自由」は、言いたいことを言い散らかすことではない。ReFreedom_Aichiに参加している小泉明郎(映像作家)は、こう述べている。「作家が、政治性を抜いた無菌状態で中立的な普遍性を見せるのがアートではなく、個人が矛盾を表現し、シェアすることにアートの意味がある。なぜ作家がこの作品を作ったんだろうと考える一歩を踏み出すことで、政治的立場を超えた、より豊かで普遍的なコミュニケーションが可能になる」(バズフィードジャパン 9/10)。

ReFreedom_Aichiは、アーティストと観客との協働による「表現の自由」の獲得をめざしている。「私たちの自由を自ら勝ち取るために、私たちは奇跡を起こさなければなりません。ボイコットを表明したキューバ人アーティスト、タニア・ブルゲラは、『これまで数々の検閲を受けてきたし、見てきたが、一度検閲された作品が再び再開された経験は一度もない』しかし日本の関係者と話すうちに、『今回はそれが可能なのではと感じている』と話しました」(https://www.refreedomaichi.net/blank)

「表現の不自由展・その後」を中止に追い込んだのは、シンボル化によって作品解釈の多義性を塞ぎ、単純化することで同質化しようとする社会の〝空気〟の暴走であるともいえる。そのきっかけを与えた政治家の発言(犬笛)は厳しく問われるべきだが、より本質的なことは、自分自身で作品のコンテクストを読み解き、他者とコミュニケーションできる観客との信頼関係という、民主主義の基盤ともいうべき社会関係資本への糸口をどう作り出すか、ということだ。

他者への想像力を欠き、違いを怖がり、「見たいものしか見ない」社会から、「静かな全体主義」と自発的隷従へと移行していくのか、あるいは表現の自由や民主主義を、自ら担い手として再構築していくか。私たちは歴史的な分岐点に立っているのではないか。

【自己決定権だからこそ必要な支えあいの社会】

文化庁の補助金不交付決定に対し、大村愛知県知事は、国・地方係争処理委員会をはじめとする法的な措置をとると発言した。この問題は「表現の自由」に対する侵害であると同時に、地方自治のあり方にも大きくかかわる。現行制度の下で、地方財政の少なくない部分が国からの補助金でまかなわれている。いったん決定された補助金が、政権や政治家の意向で取り消されることがまかり通るなら、現状でも多々制約を受けている地方自治は、さらに成り立たないことになる。

地方分権で国と地方は対等とされ、地域経営の自由度が高まったはずだ。しかし地方創生・地方版総合戦略をはじめ、補助金の要件としてさまざまな行政計画の策定を義務づけるような集権化の構造も強化されている。さらに言えば、基地問題で「ノー」の民意を示し続ける沖縄県や、「ふるさと納税」で意に沿わない泉佐野市などに対する制裁的な意味合いの措置も目立つ。

地方自治とは地域の自己決定権であり、その基本は住民・市民の議論を通じた合意形成だ。先の参院選での沖縄県や秋田県、新潟県、青森県などでは、地域の自治―自己決定権が争点化されたといっていいだろう。

「『地方からの課題を無視する国政』と、レジュメには書いてあります。石垣市に自衛隊の基地を作るというときに、まず住民投票をやりましょうと市民が提案しました。直接請求で出されたのですが、議員の多数が反対しました。その理由として、『基地問題は国政問題、防衛問題なんだから地方は発言できない』と議員の方々は言うわけです。
住民投票運動をした金城さんという方は、『国政だから、国防問題だから関われないということなら、思考停止になる』と。『国防』と言っておけば、あるいは『国の仕事なんだ』と言って地方が関われなかったら、自分たちは何もできなくなるんじゃないか。とりわけ生活に密接に関わる問題について、『国防』と言った途端に何も言えなくなったら思考停止でしょう、それが民主主義なんですか、ということなんですね。(石垣島の自衛隊基地建設予定地周辺は水源にあたるため、島民の生活や農業に大きく関わる/編集部)

私たちは地域や自分の生活に関することについて、発言する権利があると思います。基地問題は生活に関わることで、安全保障とか自衛隊について、いいとか悪いとか言っているわけではない。自分たちの生活にとって問題だと思うことについて提言しましょうよ、ということです。もちろん、自衛隊や日米安保について問題だという人たちもいるかもしれませんが、まずはその水準で議論しましょうということです」(江藤俊昭教授 484号参照)

自分たちの生活や地域に関わることについて、「国防だから」といった途端に思考停止になるところから「茶色の朝」までは、そう遠くない。自分たちの生活や地域に関わることについて発言し、議論することは民主主義の基本だ。当然そこには異なる立場、利害がある。その違いを怖がるのではなく、想像力を働かせることこそが、豊かな社会につながる。

アートと地域自治に共通するのは、異なる他者との「摩擦」に対する耐性―目先では損をするかもしれないコミュニケーションの力―を育む場となりうることではないか。そうしたコミュニケーションの担い手をうみだすことのできない社会は、「行政に頼っている田舎の限界集落は消えたほうがいい」という短絡的な思考が幅を利かせる貧しい社会だ。こうした「選択と集中」の価値観は、選択されない可能性を恐れるところからの画一化と自発的隷従へとつながる(7―11面 山下祐介教授「囲む会」参照)。
そこに、イノベーションを生み出すような創造性や活力は育まれるのか。

消費者民主主義の破局の果てに見えるものは何か。
「『くらしとせいじ』と言ってるのは、『自分の生活は自分でなんとかするしかない。政治って、それができない人のためのものでしょ』という感覚が当たり前になったところで、日々の生活で感じる問題を、個人で解決する問題ではなく社会の問題、そして政治の問題として争点化―再政治化することができなければならない、ということです。
~中略~今やみんながレールに乗れるわけではない。『依存と分配』が破局するなかで、もうレールはないんだ、自分の人生は自分で自己決定していくしかない、という分解が始まっている。そこから一方で『個の多様性』ということが体現され、自分の生きかたや自分の問題を、個人の問題ではなく社会の問題、政治の問題として語り始めている。今度の参院選では、その一端が可視化され始めたということでもあるわけです」(戸田代表 前出)

自己決定だからこそ、お互いの支えあいが不可欠なのだ。民主主義のイノベーションの担い手を!

(「日本再生」485号 一面より)
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□第203回 東京・戸田代表を囲む会
「平成外交を振り返りながら、これからの日本外交を考える
~沖縄を糸口に」(仮)
10月23日(水) 1845から
ゲストスピーカー 宮城大蔵・上智大学教授
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□第39回 戸田代表を囲む会in京都
「財政民主主義ってなに? ~アベノミクス(量的緩和策)の検証から」
11月14日(木) 1830から
ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学教授
コープイン京都201会議室
参加費 1000円(学生 500円)回 東京・戸田代表を囲む会
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石津美知子
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Index
□ 低投票率の構造のまま民主主義を衰退させるのか、
縮退時代の争点設定で、民主主義をバージョンアップさせることができるか

● 低投票率の構造にどう向き合うか
埼玉県知事選が示唆するもの

● 新たな争点設定と、その主体性が問われている

□囲む会(東京9/17)のお知らせ

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低投票率の構造のまま民主主義を衰退させるのか、
縮退時代の争点設定で民主主義をバージョンアップさせることができるか
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【低投票率の構造にどう向き合うか 埼玉県知事選が示唆するもの】

8月25日投開票の埼玉県知事選挙。当初は知名度で優勢とされていた自公推薦候補を破り、国民民主党を離党し「県民党」として戦った大野氏が当選を果たした。マスコミでは「与野党一騎打ち」と評されるが、大野氏は国政政党の推薦を要請せず(県連レベルでの支持)、草の根からの支持を積み上げて猛追した結果だ。既存政党の枠組みでは、埼玉県知事選の教訓は見えない。
「日本再生」482号のインタビューで大野氏は、「無所属県民党」として、永田町の力学や関係に左右されない勝手連的なネットワーク型の選挙に取り組むこと、これはある意味で「壮大な社会実験」ともいえるが、これまでどおりの選挙では十年後に向けた舵は切れない、との趣旨を述べている。

ポイントは、前回県知事選から5・68ポイント投票率がアップしたことだ。32・31という投票率は全国的にみれば「ワースト」の範疇だが、それでも統一地方選、参院選と続いた後の単独選挙で6ポイント弱投票率を上げるには、それだけの県民が投票所に足を運ぶ気になる選挙戦を展開できなければならない。
「投票に行こう」というキャンペーンだけでは―どんなに斬新なキャンペーンでも―、投票率は上がらない。低投票率は「争点の不在(争点隠し)」や「政治不信、無関心」の結果であり、その構造を変えるような争点設定や選挙戦の展開によって、いわゆる無党派層の数ポイントが動き投票率が上がる結果、組織票のウェイトが相対化されることになる。

今回の埼玉県知事選は、その典型だろう。自公推薦候補は参院選のときから参院選候補と二人三脚で活動し、知事選では官邸直結をアピール、業界団体や県議後援会などの組織固めに徹したという。大野氏は上田知事の応援を受け、連日朝から夜まで街頭に立ち、一人ひとりの有権者と目線を合わせて政策を訴え、対話することに徹した。

出口調査によれば、大野氏は▽立憲民主、共産支持層の8割▽国民民主の7割▽社民の6割を固めたほか、自民の3割▽公明の2割にも食い込み、無党派層からも6割の支持を集めた。一方の青島氏は推薦を受けた自民、公明支持層の7割、日本維新の会の6割の支持も集めたが、無党派層は3割にとどまった。

争点設定という側面でも、この出口調査によれば、大野氏に投票した人の6割が「政策・公約」を基準に投票、「支持政党や団体の推薦」が2割で続いたのに対し、青島氏は「政策・公約」「人柄・イメージ」が3割ずつ、「支持政党や団体の推薦」が2割だ。

争点設定というと、「○○に賛成か反対か」とイメージしがちだが、争点は「与えられる」ものではなく「有権者が作る」ものだ(総会 江藤先生提起など参照)。つまり「政策・公約」で判断しようとする有権者に、投票所に足を運んでもらうことができてこその争点設定だ。
その意味で、選挙直前に自民党が多数を占める県議会で急遽特別委を設置した「県庁建て替え」は、自公候補の「公共事業を増やす」公約とともに、「何のために、何に投資するのか」が、有権者からは争点化されたかもしれない。大野氏は「公共事業は必要かどうかであって、増やすことが目的ではない」「県庁建て替えより県民に必要なことがある」と訴えた。

低投票率という現象の背景にある構造――選挙や政治が、くらしの問題と乖離している――に、どう向き合うか。埼玉県知事選の教訓は、この視点から統一地方選、参院選を総括する必要があることを示している。

【新たな争点設定と、その主体性が問われている】

現代の民主主義の死は選挙から始まる、といっても過言ではない。「民主的」な選挙で選ばれた権力によって、立憲民主主義のルールや仕組みが死に追いやられていくプロセスは、先進各国でも繰り広げられている。わが国におけるその起点は、低投票率にあるといってもよいだろう。「安倍一強」を支えているのは、熱烈な支持というよりも、低投票率に表される「無関心」という「空気」だ。

いわゆる「安倍支持の空気」といわれる心象風景は、例えばこういうものだろう。「政治は助けてくれない/だから変わらなくていい」、「だって自己責任でしょ」。あるいは「自分の生活は自分でなんとかするしかない。政治って、それができない人のためのものでしょ」と。くらしの問題は私生活やマーケット・経済の領域で自力で解決することであり、そこに「政治」はかかわってこない。

こうした「無関心」の構造について、総会で江藤・山梨学院大学教授は〝シビル・ミニマム〟を手がかりに、以下のように述べている。(6―9面参照)
60年代、70年代の社会資本の充実(シビル・ミニマム)を求める市民運動は革新自治体を生みだし、投票率も保たれていたが、社会資本がある程度整備され「総与党化」の流れが始まるのと並行して、投票率は低下していく。その背景には、社会資本の適正水準は多様であることから、一定水準以上は個人の選択・責任であるとして「政治」より「私生活」や「経済」の領域が重視されるようになったことがある(脱シビル・ミニマム)。

この自己責任論が新自由主義の下でさらに肥大化し、今日の「無関心」の地層に連なっている。縮退社会に向かうなかで、ここにどのように「新シビル・ミニマム」を争点設定できるのか。そしてその担い手―主体をどうつくりだしていけるのか。これが「ポスト安倍政治」の問題設定である。

争点は自然発生的には浮上しない。例えば参院選で有権者がもっとも重視した政策は年金・社会保障だったが、与党は選挙前の国会審議に応じず、政府は本来なら選挙前に公表すべき、法律で義務付けられた五年に一度の年金財政の検証すら、選挙後に先送りした。権力側は争点を隠す。

また社会保障の財源として議論すべき財政についても、「財政民主主義という観点をあいまいにしているから、消費税も『今は増税する時期か』とか、何パーセントならいいのかという状況論に終始する。これでは争点化できません。
税金は金持ちや特権階級からとればいい、という時代ではなくなった、つまり財政民主主義というときにどうするか。自分たちの必要を支えるために政府を構成し、そのための財源を広く参加して支えるということです。そういうことが全部抜けて、『景気がいいかどうか』、『どの時期に増税するか』だけになっている。『金持ちから取れ』というのは、その裏返しです。増税不要論と先送り論がコインの裏表のようになって、社会の持続可能性という肝心な問題は争点化されないまま―非決定―になる」(戸田代表 総会 10-11面)。

争点は自然に浮上するものではないし、「与えられる」ものでもない。作り出すものだ。誰が? 市民が主権者として。

自己責任論は、一方に「自分の生活は自分でなんとかするしかない。政治って、それができない人のためでしょ」という「無関心」を生み出しているが、他方で「少なくとも自分の人生は自分がオーナーだ」という生き方も生まれている。
レールのない時代、自分の人生は自分が切り開いていくしかない。自分の人生は自分で切り開かなくてはならないからこそ、人間としての尊厳や生存権は社会が、したがって政治がちゃんと保障せなあかんのじゃないかと。

ここから新たな政治との向き合い方―「くらしとせいじ」という再政治化―争点設定をどのようにできるか。
こうした意味での「新シビル・ミニマム」について、高度成長期のシビル・ミニマムとの対比から、以下のようなことがいえるだろう。

ひとつは人口減・縮退社会という価値観の転換。経済も人口も右肩上がりで増えるときの「分配」をめぐるものとは、争点設定の軸がまったく違ってくる。結論を先取りして言えば、経済成長を前提にしたビジョンから、持続可能性を前提にしたビジョンへ、政策思想の軸の転換を伴うことなしに争点化はできない。この点で財政は重要なポイントになる。

もうひとつは多様性。シビル・ミニマムのニーズも適正水準も多様化している。同時に、その供給主体も公的部門だけではなくNPOや企業など多様化している。そのなかで「公的」な役割とはなにか、私的な領域、マーケットで解決できるものはなにか、人々の共同・協働の領域とはなにかを、再定義していくこと。その際には「課題を共有するところに公共は生まれる」ということが、基本的な指針となるはずだ。

そして「誰が」争点設定するのか。
シビル・ミニマムは、第三者が「これが適正だ」と決めるものではなく、市民参加や熟議によって達成されるものであるとされる。新シビル・ミニマムも、多様な市民が主権者として参画することで争点化される。そこでの市民参画は、行政や政治を市民が「下から」動かすというよりも、市民が主体的なアクターとしてかかわっていくことによって切り開かれるだろう。例えばこのように。

「今日社会や地域で起きているさまざまな問題、市民の困りごとは、多岐にわたっています。空き家の問題、バス路線の廃止の問題、公共施設の縮小や維持の問題、ブラック企業や過労死や自死の問題、シングルマザー問題、子ども達の不登校やいじめや虐待など、新たな貧困と格差がますます広がっています。
これらの問題は、これまでの人口が増加して行く右肩上がりの時に制定された制度の外で起きている問題であり、市民が行政や政治にお願いするだけでは解決出来ない問題ばかりです。
私たち市民一人一人が当事者意識をもって、今自分が直面していない問題でも、私の問題ではなく、私たちの問題としてどこまで主体的に受け止め、社会参加して行けるかが、大きなポイントです」

これは埼玉県知事選における大野候補の越谷での個人演説会、司会あいさつの一部。この個人演説会は、従来とはまったく違う市民主導で行われ、六人の市民がそれぞれの当事者性から〝くらしとせいじ〟を訴えた。そこに込められているのは、私や私たちの困りごとは誰かに依存することで解決はできない、市民自身が当事者であり、これからの地域社会の主体的責任者であるということを、選挙という場を通じて可視化していこうという試みだ。

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp/diary/diary-now.html

低投票率の構造―消費者民主主義・自己責任・無関心―のまま、民主主義を衰退させていくのか、縮退時代の争点設定―再政治化から民主主義をバージョンアップさせることができるか。ポスト安倍政治の舞台は、このように設定されるだろう。

(「日本再生」484号 一面より)
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□第202回 東京・戸田代表を囲む会
「『支え合わない国』?私たちの税と社会保障」(仮)
ゲストスピーカー 高端正幸・埼玉大学准教授

9月17日(火) 1845から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円 会員 1000円
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□立川市長選
8月25日告示、9月1日投票。四選をめざす現職に、酒井大史・元都議が挑みます。

「つくる。新時代立川!の会」ホームページ

http://www.tachikawa.website/index.html

立川市にお住まいの方、また友人、知人へのお声かけを、ぜひ!
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石津美知子
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Index
□「囲む会」のお知らせ
第201回 8月26日 「自治体の2040年問題」(仮)
山下祐介・首都大学東京教授

第202回 9月17日 「『支え合わない国』?私たちの税と社会保障」(仮)
高端正幸・埼玉大学准教授

□埼玉県知事選 立川市長選のお願い
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第201回 東京・戸田代表を囲む会
「自治体の2040年問題」(仮)
ゲストスピーカー 山下祐介・首都大学東京教授

8月26日(月) 1845から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円 会員 1000円
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□第202回 東京・戸田代表を囲む会
「『支え合わない国』?私たちの税と社会保障」(仮)
ゲストスピーカー 高端正幸・埼玉大学准教授

9月17日(火) 1845から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円 会員 1000円
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□第38回戸田代表を囲む会in京都
参院選を振り返る~『2020後』を生き抜く当事者性とは」
8月29日(木)1830~2100
コープイン京都201会議室
参加費1000円(学生500円)
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□埼玉県知事選挙
8月25日投票の埼玉県知事選挙。大野もとひろさんが激戦を繰り広げています。

https://oonomotohiro.jp/

低投票率が予想されるなか、組織票で有利な与党系候補を上回るためにも、
埼玉県内の友人、知人、お知り合いへのお声かけを、よろしくお願いします。

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□立川市長選
8月25日告示、9月1日投票。四選をめざす現職に、酒井大史・元都議が挑みます。

「つくる。新時代立川!の会」ホームページ

http://www.tachikawa.website/index.html

立川市にお住まいの方、また友人、知人へのお声かけを、ぜひ!
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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


PDFファイル⇒19年8月天秤棒No68

「カラスを何とかしてよー」との受け止め方  
今朝の駅立ちは、新越谷駅西口の午前5時30分過ぎに到着して、通常通り街宣用具の設置の後、駅前清掃に取り掛かるが、この駅は毎回吸い殻は勿論、コンビニ等で販売しているファ-ストフードや弁当の食べかすやペットボトル等のごみが散乱しており、そのため時間をかけてホウキで作業をする。
しかし、集めて来たごみを目当てに今度はカラスが5匹ほど周辺から降りて来て、ごみをくちばしでつつき、また散乱させた。
中には、そのままくわえて飛んで行くカラスや場所取りで喧嘩状態のカラスなど、モー全く折角集めたのにー。
 午前6時過ぎからやっと市政レポートの配布を開始したところ、救急車がサイレンを鳴らし駅前に横づけとなった。越谷市の救急隊員が2人ストレッチャーを車から出して、駅構内に消えていった。
暫くして、通勤客だろうか、女性(よく顔が分からないので、多分そうだろうと推測したが)が運ばれて来た。
直ぐに、発車するのかと見ていたらなかなか出発せず、何と40分以上も停車している状態が続いた。
多分救急病院の受け入れ先が見つからず、次々と病院への問い合わせをしているのだろう。まま、良く見られる風景だったが、やっと目途が付いたのか、午前7時前に発車して行った。
午前7時過ぎに、30代の現場作業員風(非正規雇用か?)の男性がチラリと私を見て「カラスを何とかしてよー」と捨て台詞のまま立ち去って行かれた。
確かに、私こそつい先ほどカラスたちに腹がたったのだから、気持ちは同じかもしれないが、何の挨拶の言葉もなく、いきなり何とかしてよー、はないでしょう。人と話をする時には最低の礼儀があり、自分の言いたいことだけ言ったら、後は関係がないとの態度をまず改めて下さい、との言葉をかける間もなくすたすたと去って行かれた。
この手の市民が増えているが、私はどんな市民でも出来うる限り会話を試みているが、議員とはそんなもんだ、との認識や会話自身が出来ない市民なのだろう。    (6月25日)

参議院選挙は、どこに投票するのか?
今朝の駅立ちは、せんげん台駅東口で何時もの様に午前5時過ぎに到着して準備を始めた。
ただ、今長女と3歳の孫が帰省しており、そのため早朝からその世話に妻がかかりきりで、駅立ちの車での送迎が出来ず、私が一人運転を行う事になってしまい、自宅を出るのも何時もよりも早く出て、街宣用具の設置後は最寄りの駐車場へと車を移動させてからの市政レポートの配布を始めた。       (裏へ)
始めてすぐの午前5時30分過ぎ、何時もこの時間にお会いするなじみの中年女性から、今度の参議院選挙はどこに投票すればいいのですか、と尋ねられた。
各種選挙前にはよく尋ねられるのだが(勿論私の市議選挙だけはそんな質問は当然ないのだが)、安倍政権は6年以上も続いている。
自民党の党内でさえ、官邸主導により議論が出来にくい状態が続いており、この状態は社会全体にとっても自民党にとっても問題であり、野党第一党の躍進により与野党の国会での緊張関係を作り出す事が必要なので、野党第一党の立憲民主党を支持しています、と返事をした。
するとやっぱりそうですね、と笑顔で構内に歩いて行かれた。
午前6時時過ぎ、中学生の一団が次々と駅前に集合して来た。そのひとつのグループに尋ねてみたら、北陽中学校の3年生の修学旅行の一団で、これから京都、奈良へ3日間の旅行だと教えてもらった。
それぞれ事前にグループを編成して、訪問地やコースを調査して実行する方式をとっている。旧来の就学旅行とは取り組む方法が随分変わってしまったが、家庭の事情で参加を断念する生徒もいるのではないか、と心に引っ掛かりながらも、楽しんで来て下さい、と声をかけ送り出した。          (7月5日)

女子高校生に次々と出会った、夜の駅立ち
今朝の駅立ちは、午前6時前から蒲生駅東口で開始した。今回も車の運転は私なので午前5時過ぎには自宅を出て、蒲生駅へ。
午前7時30分頃、前にも紹介した築地の幼稚園に通園している母親と年長の娘さんと出会った。
今日から夏休みに入り、これから自宅に向かう途中での出会いとなった。
参議院選挙の低投票率が予想されることなど話し込んでいたら、あーカンパ箱があるんですね、と気づかれた後、直ぐに5000円ものカンパを頂いた。
(その2日後、“いつも木曜日の朝、蒲生駅でお目にかかれることを楽しみにしています。これからも応援させて頂きます。”とのメールまで頂いた。)
午後6時からせんげん台駅東口で、夜の駅立ちに取り組み午前0時近くまでの6時間、市政レポートを配布したので、朝を入れて合計8時間30分の活動となった。
午後7時頃、何時も大袋駅西口から久喜高校に通学する3年生の女子高生と会った。なんでも突然パフェを食べたくなったので、友人を呼びだして近くの喫茶店に行くとの事だった。
盛んにスマホをいじっていたが、いいお友達だね、と付言したが、満足したのだろうか。
別れたすぐ後、今度は高校生の時からせんげん台駅東口で良く出会っていた女子で、都内の大学に進学し、(大学生の時も、時々駅で挨拶をしたり、先の市議選中にも話した)そしてこの春卒業して就職した22歳の女性と話になった。都内のホテルに就職したとのことで、フロント業務を担当している、と。ホテルにはレストランも併設しているとの事なので、一度ランチを食べに行きます、と話は弾んだ。
午後8時過ぎ、これも朝大袋駅西口から通学している埼玉県羽生市にある誠和福祉高校の3年の女子と話になった。
せんげん台駅東口近くにある歯医者に週4日間、1日3時間程度でアルバイトをしていて、その帰り。福祉の国家試験の準備をしている、と前に聞いていたので時間がなくて大変だねー、と話したら、うーん大丈夫です、との返事だった。
午後8時30分過ぎ、制服姿の女子高校生がだれかと待ち合わせなのか、スマホを手に暫くエスカレーター前で話をしていたが、笑顔で近づいて来て、市政レポートを下さい、と話し掛けられたので直ぐに手渡した。
また、スマホで話ながら待ち続けていたので、私から話し掛けて見た。どうして市政レポートを受け取って頂いたのですか、と。
すると、今度参議院選挙で初めての投票をするので参考になるかと思って、との返事だった。
そうか、18歳まで投票年齢が引き下げられたのだから、現役高校生も有権者となり一票を投ずる責任と権利が発生した、と改めて思いを巡らせたが、果たして参考になったのだろうか。
午後11時30分過ぎに用意した市政レポートが全てなくなってしまった。
今回から午後7時開始ではなく、午後6時から開始したため、想定よりも多くの市民の方に市政レポートを受け取って頂いた結果だ。
そして、これまでポツポツを降っていた雨が本格的に降り出して来たので、本日はこれで終了し長い、長い1日が終わった。(7月18日) 


メルマガ♯がんばろう、日本! №252(19.7.28)
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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index
□ 「ポスト安倍政治」の問題設定と
その「担い手」(「2020後」を生き抜く当事者性)を
~参院選の総括視点にかえて

● 破局へのカウントダウンが始まった「時間かせぎの政治」
ポスト安倍政治(「2020後」)の課題設定へ

●制度の外からの問題提起
自己責任論の〝終わりの始まり〟になるか

□総会(8/4) 囲む会(東京8/26 京都8/29)のお知らせ

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「ポスト安倍政治」の問題設定と
その「担い手」(「2020後」を生き抜く当事者性)を
~参院選の総括視点にかえて
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● 破局へのカウントダウンが始まった「時間かせぎの政治」
ポスト安倍政治(「2020後」)の課題設定へ

参院選の投票率は48・80パーセント。前回2016年を5・90ポイント下回り、過去最低だった1995年の参院選(44・52%)に次ぐ低投票率となった。
「投票率が低かったのは、政権の『針小棒大』な成果の宣伝にしらける一方、あえて『反対票』を野党に入れるという気分にもならず、投票に行かなかった有権者が多かったためではないでしょうか」(藻谷浩介 朝日7/23)

「年金だけでは老後に2000万円不足」問題もあって、有権者が参院選でもっとも重視する政策として挙げていたのは社会保障だった。しかし「人生100年時代にどう備えるか」という国民の問いや不安に、与党が選挙戦を通じて向き合ったとはいえない。むしろ逆に本来なら選挙前に公表されるべき、法律で義務付けられた五年に一度の年金財政の検証すら、選挙後に先送りした。
「どうなっており、どうなりうるか」という、まともな議論の前提さえ成り立たなければ、選挙は政策論戦の場ですらなくなり、「争点」はただの「勝ち負け」でしかなくなる。低投票率はその結果にすぎない。国民にとって大事な課題や争点は、永田町の外にある。

「有権者に一体何が争点なのか、判然としないままに選挙が行われたことが低投票率のもう一つの原因でした。「政治の安定か、混乱か」「憲法の議論が必要か否か」と問われれば多くの人が「安定」「必要」を選択するに決まっているのですが、「安定した政治で何を目指すのか」「憲法のどこをどのように変えるのか」を語らないままに「国民の大きな支持を得た」と評価すれば、国民の意識との間に乖離があるように思えてなりません」(石破茂・衆院議員 ブログより)

議論を封じる・逃げる、都合の悪いデータは改ざんする、公文書は破棄する、さらには逆らう者には狙い撃ちのように報復するという政権運営は、二度と野党に政権を渡さないことを至上命題としてきた安倍政権の「守り」の姿勢が行き着いた姿だ。
この11月で安倍政権は憲政史上最長の長期政権となる見込みだが、その長期政権の源泉は「衆院選のリセット効果をうまく利用して短い任期を積み重ねた『短期政権型の長期政権』」(牧原出 朝日7/23)というところにある。長期政権にふさわしいレガシーが見当たらないのも、短期間にリセットを繰り返す「やっている」感の演出ゆえといえるだろう。

ただし「やっている」感を演出する材料も、次第に尽きつつある。今や政権末期の求心力を維持するために手札として残っているのは、「解散」カードと「改憲」カードくらいだろう。これに揺さぶられて、永田町のなかのゲームに右往左往するのか。参院選の世論調査でも、安倍政権に一番力を入れてほしい政策は「年金などの社会保障」が38%、「憲法改正」は3%(比例で自民党に投票した人のなかでも4%)(朝日 7/24)。「ポスト安倍政治」にむけた課題や争点は、永田町のゲームの外にあることは明らかだ。

アベノミクスの出口が見えないまま、世界経済の先行き不透明性もあいまって、日本の財政リスクは高まっている。本格的な人口減少社会を迎える「2020年後」は目前だし、その先には、団塊ジュニア世代が高齢者となり始め、人口減少社会がピークを迎えるといわれる「2040年問題」が見えている。長期政権の強みとされてきた外交においても、米中関係の戦略的構造変化をはじめ、これまでの延長にはない諸課題が「待ったなし」だ。いずれも「やっている」感の演出でなんとかなる局面ではない。
「やっている」感を演出する「時間かせぎの政治」は、いよいよ破局にむけたカウントダウンに入っている。その破局の向こうに何を準備するのか。それがこの参院選の総括にほかならない。そしてそのフィールドは永田町の外にある。

●制度の外からの問題提起 自己責任論の〝終わりの始まり〟になるか

今回の参院選では、「ポスト安倍政治」にむけた課題設定の芽も生まれつつある。「2000万円問題」が有権者の関心を集めたのは、それが単に高齢者の問題にとどまらず、日本社会全体に広がる「貧困」の問題と無縁ではないと、多くの人が感じているからだ。それを反映する形で、例えば「最低賃金の引き上げ」を与野党各党が公約に掲げたり、野党からは家賃補助などの住宅政策が訴えられた。住宅政策については、日本では市場を通じた自己責任=持ち家政策が中心で、後は低所得層への福祉対策という意味合い(選別主義)だった。家賃補助は、普遍主義の観点からの住宅政策への転換の糸口といえる。

あるいは選挙前の党首討論では、原発の新増設と並んで「選択的夫婦別姓」や「(同性婚など)性的少数者の法的権利」について、各党首の賛否が問われた。こうしたテーマが、選挙における政党間の争点として浮上したのは、今回がはじめてではないか。
永田町の外からの問題提起が、政治の課題設定につながりつつある。その動きを、より確実なものにしていけるか。

平成という時代は、家族と雇用の標準形が崩れていった時代だ。終身雇用を前提に家族と企業に支えられていた社会保障システムは、非正規労働者の拡大によって崩壊した。セーフティネットのないまま、自己責任論だけが肥大化していった。それに対する異議申し立てをすくい上げたのが、山本太郎氏率いる「れいわ」だったといえるだろう。
重い障害を持った人を議員として国会へ送り込むことで求められるのは、国会のバリアフリー化だけではない。生産性で人間を選別するという新自由主義の発想から「自己責任」とされてきたさまざまな理不尽を、国会のなかにおいても「可視化」することではないか。

一方で平成という時代は、個の多様性への入り口の時代でもあった。既存の制度の外に追いやられた問題が「自己責任」とされる一方で、レールなき時代に「少なくとも自分の人生は自分がオーナーだ」という自己決定の小さき主体性も生まれた。例えばそこでは同性婚と子育ては、こんなふうに「地続き」だ。
「同性婚を認めることによって増えるのは同性愛者ではなく、子どもを育てられる家庭である。そして、「マイノリティでも軽視されない社会に生きている」という安心感である。個を大切にするこの時代、必要なのは「今ある普通」に人を当てはめるよりも、「普通」の幅を広げていくことなのではないか」
(合田文 ポリタスhttps://politas.jp/features/15/article/659)

セクハラサバイバーや聾唖者、保育士などと並んで同性婚を訴えて比例当選した石川大我氏(立憲)が代表しているのは、LGBT当事者だけではなく、「普通の幅」を広げていこうとしている多様な人々だろう。
今回の参院選を、「制度の外」からの当事者の声を政治の課題設定へとつなげていく〝始まりの始まり〟にできるか。

「~ただ、それが旧システムの終わりの始まりになるかは未知数です。投票率は低く、日本では自己責任論が広がり、社会としての連帯感は10年前より後退している印象さえあるからです」(稲葉剛氏 朝日7/23)

自己責任論からのバックラッシュは想定されるが、それ以上に課題となるのは「共同性」の再編/再構築だろう。多様な当事者の声が挙がれば、それがぶつかりあうこともある。「○○ファースト」なら消費者民主主義の延長でも可能だが、当事者の声を受け止めたうえで、「あなたの問題は私の問題でもあり、私たちみんなの問題でもありますね」という共同性へと再編していけるような公共空間を、どうつくっていけるか。

ポスト安倍政治の問題設定においても、共同性の再編/再構築は必要不可欠だ。税の議論がきちんとできない立憲民主主義はありえない。税は「とられる」ものではなく、私たちの必要を満たすために政府を構成する手段にほかならない(財政民主主義)。「私たち」という共同性を再編/再構築できなければ、一方に自己責任論が蔓延し、他方に増税不要論が繰り返され、「2020後」を生き抜く当事者性を失ったまま破局を迎えることになる。

社会的孤立(いわゆる「ひきこもり」)も、自己責任論の行き着いたひとつの姿だろう。最近の大きな事件の影響で、高齢の親が無収入の中高年の子どもを支える「8050問題』「7040問題」が注目されている。ただしここで注意したいのは、「ひきこもり当事者が犯罪に走る」というステレオタイプの俗論ではなく、社会的孤立を個人の自己責任とするのではなく、社会全体で向き合う問題とすることができるか、ということだ。(津田大介「論壇時評 6/27朝日より。)

言い換えれば共同性の再編/再構築という課題は、「2040年」を自己責任の破局のなれの果てとして迎えるのか、「私たちみんなの問題」という当事者性と共同性で向き合えるのか、ということを意味する。「2020後」という問題設定は、その分岐点にそろそろ差しかかりつつあるなかでの時間の使い方ということでもある。

参院選では当初の予想以上に、一人区での善戦がみられた。野党の候補者調整は、16年参院選から数えて二回目。長期政権で「動脈硬化」(牧原 前出)が進みつつある自民党に対し、野党統一なら勝てるという可能性が高まれば、有為な人材も集まってくる。そこで必要なことは、ポスト安倍政治の課題設定の共有とそのための合意形成だ。野党共闘がうまくいったところでは、選挙区の票が比例での政党票の合計を上回っている。

政党の足し算を越えた求心力を、どう作り出していくか。そのためにも個別政策の調整という範疇ではなく、永田町の外、制度の外からの問題提起に応えた、旧来の政治の枠組みに替わる政策思想の軸―共通の土俵を設定したうえでの合意形成が、その内容とプロセスともに求められる。参院選そして統一地方選の総括から、解散カード、改憲カードに右往左往しない軸足を。

(8月4日 総会の議論の方向性として)

(「日本再生」483号一面より 紙幅の関係で紙面ではタイトルの一部を変更しています。)
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第九回大会 第一回総会
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1月6日の第九回大会に基づいて、統一地方選、参院選の総括と、今後の方向について
共有するために、下記のように「総会」を開催します。

第九回大会 第一回総会
8月4日(日) 1000から1800
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 無料

戸田代表の提起
江藤俊昭先生(山梨学院大学教授)の問題提起 コメント
討議
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第201回 東京・戸田代表を囲む会
「自治体の2040年問題」(仮)
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8月26日(月) 1845から
ゲストスピーカー 山下祐介・首都大学東京教授
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円 会員 1000円
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第38回戸田代表を囲む会in京都
参院選を振り返る~『2020後』を生き抜く当事者性とは」
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8月29日(木)1830~2100
コープイン京都201会議室
参加費1000円(学生500円)

石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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