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Index
□ 安倍政治の〝終わりの始まり〟を、民主主義のイノベーションの糸口へと転轍するために

● 低投票率の構造が招く「静かな全体主義」と「ポスト安倍政治」の問題設定
● 消費者民主主義の破局から、どこに向かうのか
● 民主主義のイノベーションへの糸口として安倍政治を検証するために

□囲む会&望年会のお知らせ
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安倍政治の〝終わりの始まり〟を、民主主義のイノベーションの糸口へと転轍するために
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【低投票率の構造が招く「静かな全体主義」と「ポスト安倍政治」の問題設定】

10月27日投開票の参院埼玉選挙区補選。七月の参院選で議席を得たものの、辞職して立候補したNHKから国民を守る党(N国)の立花氏が、16万8千票あまりを獲得した。当選した上田前知事の得票にははるかに及ばないものの、8月に行われた埼玉県知事選でN国候補が獲得した6万4千票を大きく上回る。ちなみに投票率は県知事選が33パーセント、補選が20パーセント。
立花氏は選挙戦の最中から、次は11月に行われる海老名市長選に立候補すると公言、その後も各地(都市部)の首長選に立候補するとしている。立花氏は、当落にかかわらず選挙に出ること自体を絶好のビジネスチャンスととらえているようだが、五人に四人が棄権するという選挙にもかかわらず、投票所に足を運んで「あえて」こうした候補に投票する有権者がこれだけいることを、どう見ればいいのか。無党派、政治不信と言われ続けてきたが、その底すら抜けつつあるのではないか。

「むしろ、この選挙(参院選/引用者)の焦点は議席数ではなく、5割を切った投票率の低さにあるのではないか。そこに見え隠れするのは、令和の日本政治が陥りつつある危うい実情である。~中略~『政治不信』ならば、まだ回復の可能性がある。政治にマイナスの目を向けているとはいえ、政治に対する関心が残っているからである。が、事態がここまで来ると、政治不信という以上に『政治不在』と言わざるをえない」(宇野重規「日本で進行する『静かな全体主義』への危惧」 論座9/1)

かつて民主主義は独裁やクーデターによって破壊されたが、現代の民主主義は選挙を通じて死んでいく。民主主義の大前提は「自分たちのことを自分たちで決める」という共同体の自己決定だが、「政治不在」とは、その大前提が崩れつつあることを意味している。政治は自分や社会の問題を解決するためのものではなく(問題を解決するのは自己責任)、自分とは関係のない何かでしかない。それなら、選挙の一票もSNSでの「いいね」も同じではないかと。あるいは「みんな」が「いいね」をする多数派に身を置くほうが「安心」だと。

「もし多くの人が、社会の動きは個人の力の及ぶところではなく、残されているのは、社会の大勢のおもむくままに流されていくことだけだと考えているとすれば、それはトクヴィルの『民主的専制』や、ルゴフの『新たな全体主義』に近いのではなかろうか。危険なレベルにまで低下した投票率と『政党の座標軸』の融解は、私にそのような危惧を抱かせる。
換言すれば、『静かな全体主義』が日本で進行している。そして、それこそが特定の個人や組織の思惑を超えた、日本社会の趨勢(すうせい)である」(宇野重規 前出)

「安倍一強」は、こうした社会の趨勢の反映でもある。(空気とも称される)こうした社会の趨勢を転換する道すじにつながることなしに、「ポスト安倍政治」の展望は開けないということだ。

「いわゆる『安倍支持の空気』といわれるものが一部、新聞でも報道されるようになりました。これを象徴しているのが、就職氷河期世代の心象風景です。『政治は助けてくれない/だから変わらなくていい』、『だって自己責任でしょ』と。~中略~
消費者民主主義、依存と分配の完全なる挙国一致でポスト冷戦、グローバル化時代に入ったのは日本だけです。これでは時代が転換したときに―右肩上がりから縮退社会への転換―、とりあえず延命せなあかんという方(今だけ、金だけ、自分だけ)なのか、持続可能性―未来への責任なのかという争点設定はできません。~中略~
依存と分配、消費者民主主義とは違う問題設定、例えば今日の江藤さんの話で言えば、新シビル・ミニマムという問題設定をできるかどうか。これが『ポスト安倍政治』の課題だということです」(戸田代表「日本再生」484号 総会)

【消費者民主主義の破局から、どこに向かうのか】

ポスト安倍政治―安倍政治のたたみ方に問われるのは、消費者民主主義・依存と分配(今だけ、自分だけ)とは違う問題設定―争点設定と、その担い手をどう準備していくかということになる。

1990年代の政治改革のキーワードは「政権交代」と「首相主導」だが、その背景には「ポスト冷戦/グローバル化」「人口減・少子高齢化」「バブル崩壊と財政赤字」といった長期的構造的な変化と、そこから生じる課題に対応するための政治主導(政治の再起動)という問題設定があった(はずだった)。

しかし今のところ、「小選挙区制」を中心としたゲームのルールの変更は、むしろ二度と政権交代しないための延命政治のツールとして使われている。安倍政権は「衆院選のリセット効果をうまく利用して短い任期を積み重ねた『短期政権型の長期政権』」(牧原出 朝日7/23)にほかならない。こうした時間かせぎの政治を続ければ続けるほど、「時間切れ」が迫ってくる。
平成が「失われた30年」と言われる所以もここにあるが、一方で長い年月をかけて定着した社会の「習慣の束」(小熊英二「日本社会のしくみ」講談社現代新書)は、政策や制度を変えただけで簡単に変わるものではない。右肩上がりを前提とした政治経済社会のなかで醸成されてきた人々の認識や行動が変わるまでには、一世代が入れ替わるほどの時間がかかるともいわれる。(そのしわ寄せが集中した世代が「ロス・ジェネ」でもある。)

そこから見れば、平成は依存と分配・消費者民主主義の土台(「今だけ、自分だけ」)が全面的に露呈する一方で、消費者民主主義の土台からの新たな主体分解が始まった時代でもある。
「三点目に消費者民主主義とか依存と分配からの分解が、団塊ジュニア世代、就職氷河期世代のところから始まっているということ。
正規雇用は狭き門ですから、そっちは自分は生き残ったということで、東大なんかを出た部分もいい意味のエリート意識ではなくて、生き残るためには忖度すること以外にない、ということになってくるわけです。
また社会問題についても新自由主義の規制緩和で、マーケットで解決すればいいという社会的企業家になる。そこから『それって政治が必要ないということですよね。おかしいですよね』というところまで行っている人は、まだ少ないでしょう。むしろそこでうまみ(新たな社会的地位)を得ているんじゃないでしょうか」(戸田代表 前出)

「右肩上がりのときには基本的に与野党ともに依存と分配で、違いはどこに分配するか、だった。依存と分配という基本には違いがなかったから、消費者民主主義一色になるわけです。政治に社会性がないままだから、冷戦後は新自由主義一色になる。そしてこれではもう生きていけない、というのが就職氷河期から。そこで日本では初めて『自分の人生は自分で作っていかざるをえない』というレールなき時代になった。
レールのない時代、自分の人生は自分が切り開いていくしかない。親の世代は『根性がないんだ、耐えろ』とか『忍耐力も人生だ』と言うかもしれないが、自分の人生は自分で切り開かなくてはならないからこそ、人間としての尊厳や生存権は社会が、したがって政治がちゃんと保障せなあかんのじゃないかと」(戸田代表 前出)

「今だけ、自分だけ」の全面露呈―「静かな全体主義」の空気と、「少なくとも自分の人生は自分がオーナー」という小さき当事者性。安倍政治の下で可視化されはじめてきたこうした主体分岐を、民主主義のイノベーションの糸口へとどうつないでいくかが問われている。

【民主主義のイノベーションへの糸口として安倍政治を検証するために】

9月に発足した第四次安倍再改造内閣だが、さっそく初入閣したばかりの菅原経済産業大臣が、公設秘書が地元有権者に香典を手渡したという疑惑で辞任した。このような行為は、公職選挙法で禁じられる寄付行為にあたる。しかも秘書が香典を手渡したのは、菅原氏の地元での贈答品配りが追及されている最中である。公選法違反が常態化していたのではないかと疑われても仕方ない。氏名入りの線香セットを配った公選法違反容疑で書類送検された小野寺五典衆院議員は、議員を辞職。2000年に罰金と公民権停止三年の略式命令を受けている。
さらに菅原氏の大臣辞任に続いて、7月の参院選で当選した河井法務大臣の妻の陣営にも、運動員買収の疑いが報じられた。陣営を実質的に取り仕切っていたのは河井氏だとも言われているが、公選法で買収が確定すれば連座制の適用、当選無効もありうる。

菅原氏の地元支持者のなかには、「これは法律違反だから」と配られた贈答品を返した人もいたようだが、永田町では知っている人はいてもそうした声は出なかった。公民権停止や連座制、当選無効といった抑止さえ無視するほど、永田町では「今だけ、自分だけ」が肥大化している。公選法のスキをつく形で選挙を格好のビジネスチャンスにするN国・立花氏も、その別バージョンといえるだろう。

「今だけ、自分だけ」を「選挙で勝てば、何でもあり」へと肥大化させるような永田町の趨勢に対して、「これは法律違反だ」という声が有権者からどれだけ出るか。そして「憲法改正の発議権は国会にある。解散権は内閣にある。自分の権限の外にあるものを理由に自分の権限を行使するのは憲法上許されない(憲法改正を争点とした衆院解散は違憲)」(伊吹文明・元衆院議長)という声が、「これは法律違反だ」という有権者の声とどう響きあうのか。

「今だけ、自分だけ」「選挙で勝てば、何でもあり」をさらに肥大化させるのか、「自分たちのことを自分たちで決める」ための規律やルールを再構築するのか。安倍政治の〝終わりの始まり〟は、その分岐点でもある。

民主主義は「自分たちのことを自分たちで決める」共同体の自己決定であり、そのためのルールや仕組みを、自らの手で不断に作りこんでいくプロセスである。
安保法制のときには「立憲主義」という言葉が取り上げられ、多数決民主主義とは異なる立憲民主主義というものが見えてきた。モリカケや統計偽装問題では、公文書や統計が民主的政府の必要条件であることが、理解されるようになった。民主主義は単なる多数決ではない、合意形成のためのプロセスだ、という民主主義観の〝始まりの始まり〟を、民主主義のイノベーションの糸口へとつないでいく。安倍政治の検証を、そのための舞台としようではないか。

例えばアベノミクス。失業率やGDPなどの基礎的な数値は(データ改ざんの問題はあるものの)小康状態にあることから、安倍政権の経済運営は「安定している」と評価されることが少なくない。もちろん実質賃金の低下など、「効果」や「安定」の中身について検証することは必要だ。しかしここで考えたいのは、民主主義の観点からの検証だ。

「まず筆者の問題意識を明らかにしておくことにしよう。それは、日銀の金融政策、とりわけ現在の量的緩和政策を『財政民主主義』という視点から見るとどうなるのかということである。日銀は、量的緩和というわれわれの生活に大きな影響を及ぼす政策を決定・実行しているにもかかわらず、それが民主主義的なチェック・アンド・バランスの外に置かれているのではないかという疑いが存在しているのである」(諸富徹 「政策をみる眼をやしなう」東洋経済新報社)
財政民主主義は近代議会制の成立と密接に関わっている。財政は王の権力や施しではなく、人々が社会を維持するために税を納め、代表である議会を通じてそれをコントロールするということ、「すなわち、議会という場で、市民社会が予算を通じて国家の活動をコントロールすることが『財政民主主義』なのである」(同前)

この視点から、アベノミクスにおける日銀の量的緩和の何が問題なのか。「政権を運営している側からすれば、財政を国債に頼るのは容易な道である。国民に痛みが生じる増税を、有権者を説得し、納得させ、実現するより、日銀の国債ファイナンスに頼るほうがずっと楽で安易なのである。こうした理由により、租税ファイナンスと比べ国債ファイナンスに大幅に依存することは、財政民主主義を掘り崩す恐れがある。現在の日銀の量的緩和政策は、伝統的な金融政策の枠組みには入りきらない、財政政策の一つの手段と化してしまっていると見るべきである」(同前)

同書によれば、日銀の国債保有率は、アベノミクス以前は20パーセント弱だったのが約45パーセントに膨れ上がり、一般会計の歳入に占める公債費の割合は35パーセントと、税収の比率は三分の二を切っている。歳出に占める国債費(利払い)の割合は、低金利のおかげで24パーセントにとどまっているものの、金利上昇局面に入れば顕著に増大することになり、一般の政策経費を圧迫することになるだろう。いまや日銀による国債ファイナンスなしに、日本の財政は成り立たない。こうした状況が、民主主義的なチェック・アンド・バランスの外で起きているということだ。

こうした状況は、さらに別の問題を引き起こす。金利上昇による財政危機や財政破綻を避けるため、日銀は低金利を維持する役割を求められる。こうした「財政従属」(同書)は「いつか来た道」であり、「かつてと異なるのは、政府に強制されてではなく、日銀が自発的にこうした状態に入ろうとする点であろう」(同前)。財政の民主主義的な統制が緩められた挙句のツケは、結局国民が払うことになる。(戦費調達で膨れ上がった財政赤字は、敗戦後の超インフレという形でチャラにされた。)

もうひとつ注目されるのは、「量的緩和政策は、富裕層の富を増大させる効果を持つ点で『逆進的』な帰結をもたらしている可能性がある。ただ、これは租税のように負担が目に見えず…その影響が人々に感知されにくい…ために、公論に付されることはない」(同前)ということも、財政民主主義の観点から見て問題が大きいといえるだろう。

「中央銀行の独立性」や「財政・金融政策は誰のためにあるのか」といった、これらの公共性にかかわる問題を視野に入れずして、民主主義をまっとうに機能させることはできない。
「入りを図って出るを制する」という財政均衡論では、財政民主主義の肝心なものは見えてこない。

「日本政府が高齢の有権者の反発を恐れて社会保障制度の改革を先送りしていることから、最近、高齢化が進む国では民主主義政治と健全な財政管理が両立しえないと主張する人が増えている。しかし今日の日本において持続性のない政策が行われている根本的な原因は『シルバー民主主義』ではなく、国民がそうした政策を許していることにある。その意味で、日本の財政危機は民主主義の行きすぎによるものではなく、むしろ日本の民主政治の未熟さを示すものである」(熊倉正修「日本のマクロ経済政策」 岩波新書)

「こうしたなかで、ともすれば社会保障あるいは福祉が、財政赤字の『犯人』扱いされてしまいます。今見たように、社会保障の経費が膨張していく中で、公債費―いわゆる財政赤字が膨らんでいく、つまり財政赤字が社会保障によって作られていくという見方をされる。
そうなってくると政府や財務省、あるいは国民世論の少なからぬ部分も、『財政が苦しいから社会保障費を抑制しなければ』という話になっていくわけです。ところがこれは本末転倒なんですね。『そもそも論』を言えば、財政というのは私たちに共通して必要な事柄を満たしていくために存在するのであって、財政の赤字を抑えるために私たちのニーズを切り捨てるというのは、本末転倒な話のはずです。

つまり、『財政が苦しいから社会保障を抑制しよう』という『無い袖は振れない』論ではなくて、生きづらさが深まるなかで、私たちが必要とすることを満たしていく、それこそが財政に求められることであり、そこで財政赤字が問題だというのであれば、税の負担を増やせばいいんじゃないですか、ということです」(高端正幸・埼玉大学准教授 3―7面「囲む会」)

「財政は必要を満たすためにある。それに対して市場は主に欲望を満たすためにある。税や財政は私たちみんなで必要をまかなうためにある、と整理することができます。
ちなみに、何が生存と人間的な生活のために必ず要するモノやコト、つまり必要なのか、ということは誰が決めるのか。これは私たちが決めることです。必要を最小限に解釈して、本当に必要なものを満たさない財政もありえるし、幅広く認めてそれを満たしていく財政もありうる。民主主義体制である以上、それは私たちが決めることです」(同前)

民主主義は「自分たちのことを自分たちで決める」という共同体の自己決定であり、そのためのルールや仕組みを、自らの手で不断に作りこんでいくプロセスである。財政や税と社会保障についても、こうした視点から「自分たちで決める」「自分たちの代表を通じてコントロールする」ためのルールや仕組みを不断に作りこんでいくことによってこそ、民主主義は機能する。憲法改正は、そうした営みの集積を反映するものであるべきだ。

安倍政治の〝終わりの始まり〟を、民主主義のイノベーションの糸口へと転轍しよう。

(「日本再生」486号 一面より)
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囲む会&望年会のお知らせ
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●東京

□第204回 東京・戸田代表を囲む会
「人口減・縮退時代のまちづくりにむけて」(仮)
11月26日(火) 1845から
ゲストスピーカー 松本武洋・和光市長
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

□望年会
12月14日(土) 1600から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
会費 1500円

□第205回 東京・戸田代表を囲む会
「パリとカメルーンで考えたこと」(仮)
1月10日(金) 1845から
ゲストスピーカー 坂井真紀子・東京外国語大学准教授
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

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●京都

□第39回 戸田代表を囲む会in京都
「財政民主主義ってなに? ~アベノミクス(量的緩和策)の検証から」
11月14日(木) 1830から
ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学教授
コープイン京都201会議室
参加費 1000円(学生 500円)回 東京・戸田代表を囲む会

□望年会
12月20日(金) コープイン京都
第一部 1800より 講演 「憲法をどう議論するか」(仮)
ゲストスピーカー 井上武史・関西学院大学教授
参加費 1000円

第二部 1900より 懇親会
参加費 3500円

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お薦め!!

「政策をみる眼をやしなう」 東洋経済新報社
佐和隆光 諸富徹 ほか
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2019年3月2日に行われた京都大学経済研究所のシンポジウムを書籍化
政策をみるためのよりどころとなる座標軸とはどのようなものか、という問題設定から
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政策の質と民主主義の質について考える材料が、豊富に提示されている。

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石津美知子
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□ 囲む会 望年会のご案内

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●東京
□第203回 東京・戸田代表を囲む会
「平成外交を振り返りながら、これからの日本外交を考える~沖縄を糸口に」(仮)
10月23日(水) 1845から
ゲストスピーカー 宮城大蔵・上智大学教授
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

□第204回 東京・戸田代表を囲む会
「人口減・縮退時代のまちづくりにむけて」(仮)
11月26日(火) 1845から
ゲストスピーカー 松本武洋・和光市長
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

□望年会
12月14日(土) 1600から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
会費 1500円

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●京都

□第39回 戸田代表を囲む会in京都
「財政民主主義ってなに? ~アベノミクス(量的緩和策)の検証から」
11月14日(木) 1830から
ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学教授
コープイン京都201会議室
参加費 1000円(学生 500円)回 東京・戸田代表を囲む会

□望年会
12月20日(金)
第一部 1800より 講演 「憲法をどう議論するか」(仮)
ゲストスピーカー 井上武史・関西学院大学教授
参加費 1000円

第二部 1900より 懇親会
参加費 3500円

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Index
□ 消費者民主主義の破局からどこへ向かうのか
「静かな全体主義」か、多様性と自由に支えられる民主主義のイノベーションか

●「表現することの自由」と
無関心・自発的隷従が招き入れる「静かな全体主義」

● 自己決定権だからこそ必要な支えあいの社会

□囲む会(東京10/23)のお知らせ
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消費者民主主義の破局からどこへ向かうのか
「静かな全体主義」か、多様性と自由に支えられる民主主義のイノベーションか
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【「表現することの自由」と
無関心・自発的隷従が招き入れる「静かな全体主義」】

「あいちトリエンナーレ」に対して、文化庁はいったん決定した補助金を不交付とした。これに抗議して、参加アーティストによるプロジェクトReFreedom_Aichiが、不交付決定の撤回を求めるネット署名を開始。半日で5万を超えた署名は、さらに日を追って増え続けている。

同プロジェクトは、「展示中止を迫った中には市長などの公人も含み、そして過熱したのはテロ予告や恐喝を含む電凸など。作品の取り下げを公人が迫り、それによって公金のあり方が左右されるなど、この一連の流れは、明白な検閲として非難されるべきもの」だと批判。「これまで先人たちが作りあげてきた日本の文化政策、公的助成制度の根幹を揺るがす暴挙」だとしている。

文化庁は不交付の理由として(1)審査段階で具体的な計画がなかった(2)電凸や脅迫が続いた時点で報告がなかった(3)展覧会中止によって事業の継続が見込まれにくくなった、などをあげている。展示内容に言及することなく、(巧妙に?)「手続き」を理由にしているようにみえるが、いったん決定した補助金を後づけの理由で不交付にするのは前例がないと、文化庁も認めている。

今回の事態が「検閲」にあたるかについて、法律論上の議論はあるだろう。しかし「これがまかり通ると、補助金を盾にした、事実上の国家による検閲につながる。これからの申請団体は、自主規制(自己検閲)せざるを得なくなるから。そして、芸術に対して脅迫行為を行った者達に対して、国がその正当性を認めるかのようなメッセージとなりかねない」(日比嘉高 ツイッター)。

署名に賛同した為末大氏は、「茶色の朝を思い出す」とツイッターでつぶやいている。「茶色の朝」は、20年前にフランスで刊行されベストセラーとなった短編。「茶色以外のペットは処分するように」という法律を皮切りに、主人公と友人の身の回りで次々に「茶色」以外の存在が認められなくなっていく。「ごく普通の」国家が、日々の生活に知らぬ間に忍び込み、人々の行動や考え方を支配するようになるという寓話だ。

無関心・怠惰と、忖度・自発的隷従との間に確固たる境界はない。「見たいものしか見ない」「何をしてもムダ」という〝空気〟がどこへ向かうのか。私たちは大きな岐路に立っているのではないか。こうした状況は「民主主義」にも大きく関わる。

「『民主的』な選挙で選ばれた権力によって、立憲民主主義のルールや仕組みが死に追いやられていくプロセスが先進各国でも繰り広げられていますが、わが国におけるその起点は、低投票率にあるといってもいい。『安倍一強』を支えているのは、熱烈な支持というよりも、低投票率に表される『無関心』という『空気』です。この問題を外して統一地方選、参院選の総括はできません」(戸田代表 2―6面「囲む会」参照)

「(新たな全体主義は)かつての全体主義のように確固とした思想や理念を持つわけではないし、唯一絶対の党組織があるわけでもない。が、社会の既存の組織が力を失ってすべてが流動化するなかで、共通の意味が解体することで指針を失った個人は、メディアがたれ流す大量のパッチワーク的な情報の洪水に溺れてしまう。そこで個人は、政治参加を馬鹿にしながらも、相互に対立するイメージの断片に目を奪われ、踊らされる。~中略~
もし多くの人が、社会の動きは個人の力の及ぶところではなく、残されているのは、社会の大勢のおもむくままに流されていくことだけだと考えているとすれば、それはトクヴィルの「民主的専制」や、ルゴフの「新たな全体主義」に近いのではなかろうか。危険なレベルにまで低下した投票率と「政党の座標軸」の融解は、私にそのような危惧を抱かせる。
換言すれば、「静かな全体主義」が日本で進行している。そして、それこそが特定の個人や組織の思惑を超えた、日本社会の趨勢(すうせい)である。
とはいえ、そのような現状の(ママ)ただ追認するのであれば、それもまた「静かな全体主義」に対する従属に過ぎないだろう。諦観(ていかん)に身を委ねる余裕は、今の日本社会に残されていないように思われる。民主主義の立て直しのために、声を上げねばならない。「静か」になってはいけないのである」(宇野重規 論座 9/1)

あいちトリエンナーレを契機に始まった「表現の自由」をめぐる議論は、新たなステージに移りつつつあるのかもしれない。
「静かな全体主義」に身を任せるなら、アートに求めるのは「心地よさ」や教養、誰もが認めるような名作としての価値などだろう(ただし今日「名作」とされる作品でも発表当時は駄作とされたものは少なくない)。
「表現の不自由展・その後」に対しては、「税金を使うべきではない」「自由というなら補助金を頼るな」という非難もある。しかしアートに対する公的補助は表現者への援助というより、より多くの市民が自由な表現にふれることを可能にするためのものだ。「表現の自由」は民主的な社会のインフラのひとつなのだ。

今回のあいちトリエンナーレがモデルとしたのは、ドイツで行われているドクメンタという美術展だという。現代アートを退廃芸術として弾圧したナチスの歴史を踏まえた現代アートの世界的なイベントのひとつ。2017年のドクメンタをリポートした藤幡正樹(メディアアーティスト)は、フランス人の友人の「アートがなかったら、考える時間がなくなってしまうじゃないか」という言葉を紹介しながら、ドクメンタに通底している姿勢は、戦中と対比的に「表現することの自由について考える」ことだろうとしている。
そして政治的な匂いのする作品の展示が可能なのは、説明してもらうのではなく、自分自身で作品のコンテクストを読み解き、他の人とコミュニケーションすることができる観客との信頼関係―ドクメンタの集積の成果―があるからだろうとしている。
(http://realkyoto.jp/review/documenta14-2/?fb_comment_id=1445558558813387_1452996998069543)

表現の自由の担い手は、送り手と受け手の双方であり、両者による情報の伝達と交流の場が必要だということだ。「表現の自由」は、言いたいことを言い散らかすことではない。ReFreedom_Aichiに参加している小泉明郎(映像作家)は、こう述べている。「作家が、政治性を抜いた無菌状態で中立的な普遍性を見せるのがアートではなく、個人が矛盾を表現し、シェアすることにアートの意味がある。なぜ作家がこの作品を作ったんだろうと考える一歩を踏み出すことで、政治的立場を超えた、より豊かで普遍的なコミュニケーションが可能になる」(バズフィードジャパン 9/10)。

ReFreedom_Aichiは、アーティストと観客との協働による「表現の自由」の獲得をめざしている。「私たちの自由を自ら勝ち取るために、私たちは奇跡を起こさなければなりません。ボイコットを表明したキューバ人アーティスト、タニア・ブルゲラは、『これまで数々の検閲を受けてきたし、見てきたが、一度検閲された作品が再び再開された経験は一度もない』しかし日本の関係者と話すうちに、『今回はそれが可能なのではと感じている』と話しました」(https://www.refreedomaichi.net/blank)

「表現の不自由展・その後」を中止に追い込んだのは、シンボル化によって作品解釈の多義性を塞ぎ、単純化することで同質化しようとする社会の〝空気〟の暴走であるともいえる。そのきっかけを与えた政治家の発言(犬笛)は厳しく問われるべきだが、より本質的なことは、自分自身で作品のコンテクストを読み解き、他者とコミュニケーションできる観客との信頼関係という、民主主義の基盤ともいうべき社会関係資本への糸口をどう作り出すか、ということだ。

他者への想像力を欠き、違いを怖がり、「見たいものしか見ない」社会から、「静かな全体主義」と自発的隷従へと移行していくのか、あるいは表現の自由や民主主義を、自ら担い手として再構築していくか。私たちは歴史的な分岐点に立っているのではないか。

【自己決定権だからこそ必要な支えあいの社会】

文化庁の補助金不交付決定に対し、大村愛知県知事は、国・地方係争処理委員会をはじめとする法的な措置をとると発言した。この問題は「表現の自由」に対する侵害であると同時に、地方自治のあり方にも大きくかかわる。現行制度の下で、地方財政の少なくない部分が国からの補助金でまかなわれている。いったん決定された補助金が、政権や政治家の意向で取り消されることがまかり通るなら、現状でも多々制約を受けている地方自治は、さらに成り立たないことになる。

地方分権で国と地方は対等とされ、地域経営の自由度が高まったはずだ。しかし地方創生・地方版総合戦略をはじめ、補助金の要件としてさまざまな行政計画の策定を義務づけるような集権化の構造も強化されている。さらに言えば、基地問題で「ノー」の民意を示し続ける沖縄県や、「ふるさと納税」で意に沿わない泉佐野市などに対する制裁的な意味合いの措置も目立つ。

地方自治とは地域の自己決定権であり、その基本は住民・市民の議論を通じた合意形成だ。先の参院選での沖縄県や秋田県、新潟県、青森県などでは、地域の自治―自己決定権が争点化されたといっていいだろう。

「『地方からの課題を無視する国政』と、レジュメには書いてあります。石垣市に自衛隊の基地を作るというときに、まず住民投票をやりましょうと市民が提案しました。直接請求で出されたのですが、議員の多数が反対しました。その理由として、『基地問題は国政問題、防衛問題なんだから地方は発言できない』と議員の方々は言うわけです。
住民投票運動をした金城さんという方は、『国政だから、国防問題だから関われないということなら、思考停止になる』と。『国防』と言っておけば、あるいは『国の仕事なんだ』と言って地方が関われなかったら、自分たちは何もできなくなるんじゃないか。とりわけ生活に密接に関わる問題について、『国防』と言った途端に何も言えなくなったら思考停止でしょう、それが民主主義なんですか、ということなんですね。(石垣島の自衛隊基地建設予定地周辺は水源にあたるため、島民の生活や農業に大きく関わる/編集部)

私たちは地域や自分の生活に関することについて、発言する権利があると思います。基地問題は生活に関わることで、安全保障とか自衛隊について、いいとか悪いとか言っているわけではない。自分たちの生活にとって問題だと思うことについて提言しましょうよ、ということです。もちろん、自衛隊や日米安保について問題だという人たちもいるかもしれませんが、まずはその水準で議論しましょうということです」(江藤俊昭教授 484号参照)

自分たちの生活や地域に関わることについて、「国防だから」といった途端に思考停止になるところから「茶色の朝」までは、そう遠くない。自分たちの生活や地域に関わることについて発言し、議論することは民主主義の基本だ。当然そこには異なる立場、利害がある。その違いを怖がるのではなく、想像力を働かせることこそが、豊かな社会につながる。

アートと地域自治に共通するのは、異なる他者との「摩擦」に対する耐性―目先では損をするかもしれないコミュニケーションの力―を育む場となりうることではないか。そうしたコミュニケーションの担い手をうみだすことのできない社会は、「行政に頼っている田舎の限界集落は消えたほうがいい」という短絡的な思考が幅を利かせる貧しい社会だ。こうした「選択と集中」の価値観は、選択されない可能性を恐れるところからの画一化と自発的隷従へとつながる(7―11面 山下祐介教授「囲む会」参照)。
そこに、イノベーションを生み出すような創造性や活力は育まれるのか。

消費者民主主義の破局の果てに見えるものは何か。
「『くらしとせいじ』と言ってるのは、『自分の生活は自分でなんとかするしかない。政治って、それができない人のためのものでしょ』という感覚が当たり前になったところで、日々の生活で感じる問題を、個人で解決する問題ではなく社会の問題、そして政治の問題として争点化―再政治化することができなければならない、ということです。
~中略~今やみんながレールに乗れるわけではない。『依存と分配』が破局するなかで、もうレールはないんだ、自分の人生は自分で自己決定していくしかない、という分解が始まっている。そこから一方で『個の多様性』ということが体現され、自分の生きかたや自分の問題を、個人の問題ではなく社会の問題、政治の問題として語り始めている。今度の参院選では、その一端が可視化され始めたということでもあるわけです」(戸田代表 前出)

自己決定だからこそ、お互いの支えあいが不可欠なのだ。民主主義のイノベーションの担い手を!

(「日本再生」485号 一面より)
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□第203回 東京・戸田代表を囲む会
「平成外交を振り返りながら、これからの日本外交を考える
~沖縄を糸口に」(仮)
10月23日(水) 1845から
ゲストスピーカー 宮城大蔵・上智大学教授
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人1000円 購読会員2000円

□第39回 戸田代表を囲む会in京都
「財政民主主義ってなに? ~アベノミクス(量的緩和策)の検証から」
11月14日(木) 1830から
ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学教授
コープイン京都201会議室
参加費 1000円(学生 500円)回 東京・戸田代表を囲む会
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石津美知子
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Index
□ 低投票率の構造のまま民主主義を衰退させるのか、
縮退時代の争点設定で、民主主義をバージョンアップさせることができるか

● 低投票率の構造にどう向き合うか
埼玉県知事選が示唆するもの

● 新たな争点設定と、その主体性が問われている

□囲む会(東京9/17)のお知らせ

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低投票率の構造のまま民主主義を衰退させるのか、
縮退時代の争点設定で民主主義をバージョンアップさせることができるか
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【低投票率の構造にどう向き合うか 埼玉県知事選が示唆するもの】

8月25日投開票の埼玉県知事選挙。当初は知名度で優勢とされていた自公推薦候補を破り、国民民主党を離党し「県民党」として戦った大野氏が当選を果たした。マスコミでは「与野党一騎打ち」と評されるが、大野氏は国政政党の推薦を要請せず(県連レベルでの支持)、草の根からの支持を積み上げて猛追した結果だ。既存政党の枠組みでは、埼玉県知事選の教訓は見えない。
「日本再生」482号のインタビューで大野氏は、「無所属県民党」として、永田町の力学や関係に左右されない勝手連的なネットワーク型の選挙に取り組むこと、これはある意味で「壮大な社会実験」ともいえるが、これまでどおりの選挙では十年後に向けた舵は切れない、との趣旨を述べている。

ポイントは、前回県知事選から5・68ポイント投票率がアップしたことだ。32・31という投票率は全国的にみれば「ワースト」の範疇だが、それでも統一地方選、参院選と続いた後の単独選挙で6ポイント弱投票率を上げるには、それだけの県民が投票所に足を運ぶ気になる選挙戦を展開できなければならない。
「投票に行こう」というキャンペーンだけでは―どんなに斬新なキャンペーンでも―、投票率は上がらない。低投票率は「争点の不在(争点隠し)」や「政治不信、無関心」の結果であり、その構造を変えるような争点設定や選挙戦の展開によって、いわゆる無党派層の数ポイントが動き投票率が上がる結果、組織票のウェイトが相対化されることになる。

今回の埼玉県知事選は、その典型だろう。自公推薦候補は参院選のときから参院選候補と二人三脚で活動し、知事選では官邸直結をアピール、業界団体や県議後援会などの組織固めに徹したという。大野氏は上田知事の応援を受け、連日朝から夜まで街頭に立ち、一人ひとりの有権者と目線を合わせて政策を訴え、対話することに徹した。

出口調査によれば、大野氏は▽立憲民主、共産支持層の8割▽国民民主の7割▽社民の6割を固めたほか、自民の3割▽公明の2割にも食い込み、無党派層からも6割の支持を集めた。一方の青島氏は推薦を受けた自民、公明支持層の7割、日本維新の会の6割の支持も集めたが、無党派層は3割にとどまった。

争点設定という側面でも、この出口調査によれば、大野氏に投票した人の6割が「政策・公約」を基準に投票、「支持政党や団体の推薦」が2割で続いたのに対し、青島氏は「政策・公約」「人柄・イメージ」が3割ずつ、「支持政党や団体の推薦」が2割だ。

争点設定というと、「○○に賛成か反対か」とイメージしがちだが、争点は「与えられる」ものではなく「有権者が作る」ものだ(総会 江藤先生提起など参照)。つまり「政策・公約」で判断しようとする有権者に、投票所に足を運んでもらうことができてこその争点設定だ。
その意味で、選挙直前に自民党が多数を占める県議会で急遽特別委を設置した「県庁建て替え」は、自公候補の「公共事業を増やす」公約とともに、「何のために、何に投資するのか」が、有権者からは争点化されたかもしれない。大野氏は「公共事業は必要かどうかであって、増やすことが目的ではない」「県庁建て替えより県民に必要なことがある」と訴えた。

低投票率という現象の背景にある構造――選挙や政治が、くらしの問題と乖離している――に、どう向き合うか。埼玉県知事選の教訓は、この視点から統一地方選、参院選を総括する必要があることを示している。

【新たな争点設定と、その主体性が問われている】

現代の民主主義の死は選挙から始まる、といっても過言ではない。「民主的」な選挙で選ばれた権力によって、立憲民主主義のルールや仕組みが死に追いやられていくプロセスは、先進各国でも繰り広げられている。わが国におけるその起点は、低投票率にあるといってもよいだろう。「安倍一強」を支えているのは、熱烈な支持というよりも、低投票率に表される「無関心」という「空気」だ。

いわゆる「安倍支持の空気」といわれる心象風景は、例えばこういうものだろう。「政治は助けてくれない/だから変わらなくていい」、「だって自己責任でしょ」。あるいは「自分の生活は自分でなんとかするしかない。政治って、それができない人のためのものでしょ」と。くらしの問題は私生活やマーケット・経済の領域で自力で解決することであり、そこに「政治」はかかわってこない。

こうした「無関心」の構造について、総会で江藤・山梨学院大学教授は〝シビル・ミニマム〟を手がかりに、以下のように述べている。(6―9面参照)
60年代、70年代の社会資本の充実(シビル・ミニマム)を求める市民運動は革新自治体を生みだし、投票率も保たれていたが、社会資本がある程度整備され「総与党化」の流れが始まるのと並行して、投票率は低下していく。その背景には、社会資本の適正水準は多様であることから、一定水準以上は個人の選択・責任であるとして「政治」より「私生活」や「経済」の領域が重視されるようになったことがある(脱シビル・ミニマム)。

この自己責任論が新自由主義の下でさらに肥大化し、今日の「無関心」の地層に連なっている。縮退社会に向かうなかで、ここにどのように「新シビル・ミニマム」を争点設定できるのか。そしてその担い手―主体をどうつくりだしていけるのか。これが「ポスト安倍政治」の問題設定である。

争点は自然発生的には浮上しない。例えば参院選で有権者がもっとも重視した政策は年金・社会保障だったが、与党は選挙前の国会審議に応じず、政府は本来なら選挙前に公表すべき、法律で義務付けられた五年に一度の年金財政の検証すら、選挙後に先送りした。権力側は争点を隠す。

また社会保障の財源として議論すべき財政についても、「財政民主主義という観点をあいまいにしているから、消費税も『今は増税する時期か』とか、何パーセントならいいのかという状況論に終始する。これでは争点化できません。
税金は金持ちや特権階級からとればいい、という時代ではなくなった、つまり財政民主主義というときにどうするか。自分たちの必要を支えるために政府を構成し、そのための財源を広く参加して支えるということです。そういうことが全部抜けて、『景気がいいかどうか』、『どの時期に増税するか』だけになっている。『金持ちから取れ』というのは、その裏返しです。増税不要論と先送り論がコインの裏表のようになって、社会の持続可能性という肝心な問題は争点化されないまま―非決定―になる」(戸田代表 総会 10-11面)。

争点は自然に浮上するものではないし、「与えられる」ものでもない。作り出すものだ。誰が? 市民が主権者として。

自己責任論は、一方に「自分の生活は自分でなんとかするしかない。政治って、それができない人のためでしょ」という「無関心」を生み出しているが、他方で「少なくとも自分の人生は自分がオーナーだ」という生き方も生まれている。
レールのない時代、自分の人生は自分が切り開いていくしかない。自分の人生は自分で切り開かなくてはならないからこそ、人間としての尊厳や生存権は社会が、したがって政治がちゃんと保障せなあかんのじゃないかと。

ここから新たな政治との向き合い方―「くらしとせいじ」という再政治化―争点設定をどのようにできるか。
こうした意味での「新シビル・ミニマム」について、高度成長期のシビル・ミニマムとの対比から、以下のようなことがいえるだろう。

ひとつは人口減・縮退社会という価値観の転換。経済も人口も右肩上がりで増えるときの「分配」をめぐるものとは、争点設定の軸がまったく違ってくる。結論を先取りして言えば、経済成長を前提にしたビジョンから、持続可能性を前提にしたビジョンへ、政策思想の軸の転換を伴うことなしに争点化はできない。この点で財政は重要なポイントになる。

もうひとつは多様性。シビル・ミニマムのニーズも適正水準も多様化している。同時に、その供給主体も公的部門だけではなくNPOや企業など多様化している。そのなかで「公的」な役割とはなにか、私的な領域、マーケットで解決できるものはなにか、人々の共同・協働の領域とはなにかを、再定義していくこと。その際には「課題を共有するところに公共は生まれる」ということが、基本的な指針となるはずだ。

そして「誰が」争点設定するのか。
シビル・ミニマムは、第三者が「これが適正だ」と決めるものではなく、市民参加や熟議によって達成されるものであるとされる。新シビル・ミニマムも、多様な市民が主権者として参画することで争点化される。そこでの市民参画は、行政や政治を市民が「下から」動かすというよりも、市民が主体的なアクターとしてかかわっていくことによって切り開かれるだろう。例えばこのように。

「今日社会や地域で起きているさまざまな問題、市民の困りごとは、多岐にわたっています。空き家の問題、バス路線の廃止の問題、公共施設の縮小や維持の問題、ブラック企業や過労死や自死の問題、シングルマザー問題、子ども達の不登校やいじめや虐待など、新たな貧困と格差がますます広がっています。
これらの問題は、これまでの人口が増加して行く右肩上がりの時に制定された制度の外で起きている問題であり、市民が行政や政治にお願いするだけでは解決出来ない問題ばかりです。
私たち市民一人一人が当事者意識をもって、今自分が直面していない問題でも、私の問題ではなく、私たちの問題としてどこまで主体的に受け止め、社会参加して行けるかが、大きなポイントです」

これは埼玉県知事選における大野候補の越谷での個人演説会、司会あいさつの一部。この個人演説会は、従来とはまったく違う市民主導で行われ、六人の市民がそれぞれの当事者性から〝くらしとせいじ〟を訴えた。そこに込められているのは、私や私たちの困りごとは誰かに依存することで解決はできない、市民自身が当事者であり、これからの地域社会の主体的責任者であるということを、選挙という場を通じて可視化していこうという試みだ。

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp/diary/diary-now.html

低投票率の構造―消費者民主主義・自己責任・無関心―のまま、民主主義を衰退させていくのか、縮退時代の争点設定―再政治化から民主主義をバージョンアップさせることができるか。ポスト安倍政治の舞台は、このように設定されるだろう。

(「日本再生」484号 一面より)
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□第202回 東京・戸田代表を囲む会
「『支え合わない国』?私たちの税と社会保障」(仮)
ゲストスピーカー 高端正幸・埼玉大学准教授

9月17日(火) 1845から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円 会員 1000円
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□立川市長選
8月25日告示、9月1日投票。四選をめざす現職に、酒井大史・元都議が挑みます。

「つくる。新時代立川!の会」ホームページ

http://www.tachikawa.website/index.html

立川市にお住まいの方、また友人、知人へのお声かけを、ぜひ!
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Index
□「囲む会」のお知らせ
第201回 8月26日 「自治体の2040年問題」(仮)
山下祐介・首都大学東京教授

第202回 9月17日 「『支え合わない国』?私たちの税と社会保障」(仮)
高端正幸・埼玉大学准教授

□埼玉県知事選 立川市長選のお願い
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第201回 東京・戸田代表を囲む会
「自治体の2040年問題」(仮)
ゲストスピーカー 山下祐介・首都大学東京教授

8月26日(月) 1845から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円 会員 1000円
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□第202回 東京・戸田代表を囲む会
「『支え合わない国』?私たちの税と社会保障」(仮)
ゲストスピーカー 高端正幸・埼玉大学准教授

9月17日(火) 1845から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円 会員 1000円
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□第38回戸田代表を囲む会in京都
参院選を振り返る~『2020後』を生き抜く当事者性とは」
8月29日(木)1830~2100
コープイン京都201会議室
参加費1000円(学生500円)
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□埼玉県知事選挙
8月25日投票の埼玉県知事選挙。大野もとひろさんが激戦を繰り広げています。

https://oonomotohiro.jp/

低投票率が予想されるなか、組織票で有利な与党系候補を上回るためにも、
埼玉県内の友人、知人、お知り合いへのお声かけを、よろしくお願いします。

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□立川市長選
8月25日告示、9月1日投票。四選をめざす現職に、酒井大史・元都議が挑みます。

「つくる。新時代立川!の会」ホームページ

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Index
□ 「ポスト安倍政治」の問題設定と
その「担い手」(「2020後」を生き抜く当事者性)を
~参院選の総括視点にかえて

● 破局へのカウントダウンが始まった「時間かせぎの政治」
ポスト安倍政治(「2020後」)の課題設定へ

●制度の外からの問題提起
自己責任論の〝終わりの始まり〟になるか

□総会(8/4) 囲む会(東京8/26 京都8/29)のお知らせ

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「ポスト安倍政治」の問題設定と
その「担い手」(「2020後」を生き抜く当事者性)を
~参院選の総括視点にかえて
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● 破局へのカウントダウンが始まった「時間かせぎの政治」
ポスト安倍政治(「2020後」)の課題設定へ

参院選の投票率は48・80パーセント。前回2016年を5・90ポイント下回り、過去最低だった1995年の参院選(44・52%)に次ぐ低投票率となった。
「投票率が低かったのは、政権の『針小棒大』な成果の宣伝にしらける一方、あえて『反対票』を野党に入れるという気分にもならず、投票に行かなかった有権者が多かったためではないでしょうか」(藻谷浩介 朝日7/23)

「年金だけでは老後に2000万円不足」問題もあって、有権者が参院選でもっとも重視する政策として挙げていたのは社会保障だった。しかし「人生100年時代にどう備えるか」という国民の問いや不安に、与党が選挙戦を通じて向き合ったとはいえない。むしろ逆に本来なら選挙前に公表されるべき、法律で義務付けられた五年に一度の年金財政の検証すら、選挙後に先送りした。
「どうなっており、どうなりうるか」という、まともな議論の前提さえ成り立たなければ、選挙は政策論戦の場ですらなくなり、「争点」はただの「勝ち負け」でしかなくなる。低投票率はその結果にすぎない。国民にとって大事な課題や争点は、永田町の外にある。

「有権者に一体何が争点なのか、判然としないままに選挙が行われたことが低投票率のもう一つの原因でした。「政治の安定か、混乱か」「憲法の議論が必要か否か」と問われれば多くの人が「安定」「必要」を選択するに決まっているのですが、「安定した政治で何を目指すのか」「憲法のどこをどのように変えるのか」を語らないままに「国民の大きな支持を得た」と評価すれば、国民の意識との間に乖離があるように思えてなりません」(石破茂・衆院議員 ブログより)

議論を封じる・逃げる、都合の悪いデータは改ざんする、公文書は破棄する、さらには逆らう者には狙い撃ちのように報復するという政権運営は、二度と野党に政権を渡さないことを至上命題としてきた安倍政権の「守り」の姿勢が行き着いた姿だ。
この11月で安倍政権は憲政史上最長の長期政権となる見込みだが、その長期政権の源泉は「衆院選のリセット効果をうまく利用して短い任期を積み重ねた『短期政権型の長期政権』」(牧原出 朝日7/23)というところにある。長期政権にふさわしいレガシーが見当たらないのも、短期間にリセットを繰り返す「やっている」感の演出ゆえといえるだろう。

ただし「やっている」感を演出する材料も、次第に尽きつつある。今や政権末期の求心力を維持するために手札として残っているのは、「解散」カードと「改憲」カードくらいだろう。これに揺さぶられて、永田町のなかのゲームに右往左往するのか。参院選の世論調査でも、安倍政権に一番力を入れてほしい政策は「年金などの社会保障」が38%、「憲法改正」は3%(比例で自民党に投票した人のなかでも4%)(朝日 7/24)。「ポスト安倍政治」にむけた課題や争点は、永田町のゲームの外にあることは明らかだ。

アベノミクスの出口が見えないまま、世界経済の先行き不透明性もあいまって、日本の財政リスクは高まっている。本格的な人口減少社会を迎える「2020年後」は目前だし、その先には、団塊ジュニア世代が高齢者となり始め、人口減少社会がピークを迎えるといわれる「2040年問題」が見えている。長期政権の強みとされてきた外交においても、米中関係の戦略的構造変化をはじめ、これまでの延長にはない諸課題が「待ったなし」だ。いずれも「やっている」感の演出でなんとかなる局面ではない。
「やっている」感を演出する「時間かせぎの政治」は、いよいよ破局にむけたカウントダウンに入っている。その破局の向こうに何を準備するのか。それがこの参院選の総括にほかならない。そしてそのフィールドは永田町の外にある。

●制度の外からの問題提起 自己責任論の〝終わりの始まり〟になるか

今回の参院選では、「ポスト安倍政治」にむけた課題設定の芽も生まれつつある。「2000万円問題」が有権者の関心を集めたのは、それが単に高齢者の問題にとどまらず、日本社会全体に広がる「貧困」の問題と無縁ではないと、多くの人が感じているからだ。それを反映する形で、例えば「最低賃金の引き上げ」を与野党各党が公約に掲げたり、野党からは家賃補助などの住宅政策が訴えられた。住宅政策については、日本では市場を通じた自己責任=持ち家政策が中心で、後は低所得層への福祉対策という意味合い(選別主義)だった。家賃補助は、普遍主義の観点からの住宅政策への転換の糸口といえる。

あるいは選挙前の党首討論では、原発の新増設と並んで「選択的夫婦別姓」や「(同性婚など)性的少数者の法的権利」について、各党首の賛否が問われた。こうしたテーマが、選挙における政党間の争点として浮上したのは、今回がはじめてではないか。
永田町の外からの問題提起が、政治の課題設定につながりつつある。その動きを、より確実なものにしていけるか。

平成という時代は、家族と雇用の標準形が崩れていった時代だ。終身雇用を前提に家族と企業に支えられていた社会保障システムは、非正規労働者の拡大によって崩壊した。セーフティネットのないまま、自己責任論だけが肥大化していった。それに対する異議申し立てをすくい上げたのが、山本太郎氏率いる「れいわ」だったといえるだろう。
重い障害を持った人を議員として国会へ送り込むことで求められるのは、国会のバリアフリー化だけではない。生産性で人間を選別するという新自由主義の発想から「自己責任」とされてきたさまざまな理不尽を、国会のなかにおいても「可視化」することではないか。

一方で平成という時代は、個の多様性への入り口の時代でもあった。既存の制度の外に追いやられた問題が「自己責任」とされる一方で、レールなき時代に「少なくとも自分の人生は自分がオーナーだ」という自己決定の小さき主体性も生まれた。例えばそこでは同性婚と子育ては、こんなふうに「地続き」だ。
「同性婚を認めることによって増えるのは同性愛者ではなく、子どもを育てられる家庭である。そして、「マイノリティでも軽視されない社会に生きている」という安心感である。個を大切にするこの時代、必要なのは「今ある普通」に人を当てはめるよりも、「普通」の幅を広げていくことなのではないか」
(合田文 ポリタスhttps://politas.jp/features/15/article/659)

セクハラサバイバーや聾唖者、保育士などと並んで同性婚を訴えて比例当選した石川大我氏(立憲)が代表しているのは、LGBT当事者だけではなく、「普通の幅」を広げていこうとしている多様な人々だろう。
今回の参院選を、「制度の外」からの当事者の声を政治の課題設定へとつなげていく〝始まりの始まり〟にできるか。

「~ただ、それが旧システムの終わりの始まりになるかは未知数です。投票率は低く、日本では自己責任論が広がり、社会としての連帯感は10年前より後退している印象さえあるからです」(稲葉剛氏 朝日7/23)

自己責任論からのバックラッシュは想定されるが、それ以上に課題となるのは「共同性」の再編/再構築だろう。多様な当事者の声が挙がれば、それがぶつかりあうこともある。「○○ファースト」なら消費者民主主義の延長でも可能だが、当事者の声を受け止めたうえで、「あなたの問題は私の問題でもあり、私たちみんなの問題でもありますね」という共同性へと再編していけるような公共空間を、どうつくっていけるか。

ポスト安倍政治の問題設定においても、共同性の再編/再構築は必要不可欠だ。税の議論がきちんとできない立憲民主主義はありえない。税は「とられる」ものではなく、私たちの必要を満たすために政府を構成する手段にほかならない(財政民主主義)。「私たち」という共同性を再編/再構築できなければ、一方に自己責任論が蔓延し、他方に増税不要論が繰り返され、「2020後」を生き抜く当事者性を失ったまま破局を迎えることになる。

社会的孤立(いわゆる「ひきこもり」)も、自己責任論の行き着いたひとつの姿だろう。最近の大きな事件の影響で、高齢の親が無収入の中高年の子どもを支える「8050問題』「7040問題」が注目されている。ただしここで注意したいのは、「ひきこもり当事者が犯罪に走る」というステレオタイプの俗論ではなく、社会的孤立を個人の自己責任とするのではなく、社会全体で向き合う問題とすることができるか、ということだ。(津田大介「論壇時評 6/27朝日より。)

言い換えれば共同性の再編/再構築という課題は、「2040年」を自己責任の破局のなれの果てとして迎えるのか、「私たちみんなの問題」という当事者性と共同性で向き合えるのか、ということを意味する。「2020後」という問題設定は、その分岐点にそろそろ差しかかりつつあるなかでの時間の使い方ということでもある。

参院選では当初の予想以上に、一人区での善戦がみられた。野党の候補者調整は、16年参院選から数えて二回目。長期政権で「動脈硬化」(牧原 前出)が進みつつある自民党に対し、野党統一なら勝てるという可能性が高まれば、有為な人材も集まってくる。そこで必要なことは、ポスト安倍政治の課題設定の共有とそのための合意形成だ。野党共闘がうまくいったところでは、選挙区の票が比例での政党票の合計を上回っている。

政党の足し算を越えた求心力を、どう作り出していくか。そのためにも個別政策の調整という範疇ではなく、永田町の外、制度の外からの問題提起に応えた、旧来の政治の枠組みに替わる政策思想の軸―共通の土俵を設定したうえでの合意形成が、その内容とプロセスともに求められる。参院選そして統一地方選の総括から、解散カード、改憲カードに右往左往しない軸足を。

(8月4日 総会の議論の方向性として)

(「日本再生」483号一面より 紙幅の関係で紙面ではタイトルの一部を変更しています。)
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第九回大会 第一回総会
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1月6日の第九回大会に基づいて、統一地方選、参院選の総括と、今後の方向について
共有するために、下記のように「総会」を開催します。

第九回大会 第一回総会
8月4日(日) 1000から1800
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 無料

戸田代表の提起
江藤俊昭先生(山梨学院大学教授)の問題提起 コメント
討議
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第201回 東京・戸田代表を囲む会
「自治体の2040年問題」(仮)
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8月26日(月) 1845から
ゲストスピーカー 山下祐介・首都大学東京教授
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円 会員 1000円
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第38回戸田代表を囲む会in京都
参院選を振り返る~『2020後』を生き抜く当事者性とは」
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8月29日(木)1830~2100
コープイン京都201会議室
参加費1000円(学生500円)

石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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メルマガ♯がんばろう、日本!         №251(19.7.1)

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Index 

□ 参院選を、安倍政治の終わりへの転轍としよう

「2020後」を生き抜くために

●破局を迎えつつある「時間かせぎの政治」 

「『2020後』を生き抜く当事者性を共有する場」としての選挙へ

●「2020後」を生き抜くために

自己責任―今だけ、カネだけ、自分だけ―なのか

「選択―責任―連帯」の社会をめざすのか

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参院選を、安倍政治の終わりへの転轍としよう

「2020後」を生き抜くために

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【破局を迎えつつある「時間かせぎの政治」 

「『2020後』を生き抜く当事者性を共有する場」としての選挙へ】

 7月4日公示、25日投票という参議院議員選挙の日程が、ようやく確定した。各地の選挙管理委員会が「見切り発車」で準備に入らざるをえないほど、選挙日程の決定が引き伸ばされたのは、安倍首相が解散権をもてあそんで「同日選」カードをちらつかせたからだが、逆に言えば、「やっている」感のネタもいよいよ底をつき、「同日選」カードしか手札は残っていなかったともいえる。

 そもそも議院内閣制の下では、衆院選が「政権選択」選挙であるのに対し、参院選は「中間評価」という位置づけになる。安倍政権はすでに六年あまり。「悪夢の民主党政権」との比較ではなく、本来なら与党の側こそが政権の実績を検証可能な形で提示し、評価を問うべきだ。しかし統計の改ざんや公文書の破棄、さらには政権の意に沿わない審議会報告を「なかったもの」にしてしまう政権では、政策の是非や検証以前に、その姿勢そのものを問わざるをえない。

 これは「野党に政権担当能力があるか」、「野党が頼りになるか」という問題ではない。「老後、年金だけでは2000万円不足」とする審議会報告の受け取りを拒否して、「なかったこと」にしても、人々の不安が消えてなくなるわけではない。必要なことは、年金財源をはじめとして現状がどうなっており、これからどうなりうるかについて、検証可能なデータや事実を示し、議論の共通の土台を作ることだ。年金のような、人々の人生設計にかかわる長期的な政策課題については政権選択の争点にしないという政治文化は、こうした共通の土台があってはじめて可能になる。

 しかし安倍政権では、法律で義務付けられている五年に一度の年金財政の検証の公表さえ、参院選後に見送られた。まさに「2000万円問題」の渦中だからこそ、議論の土台として提示されるべきであるにもかかわらず。しかも国会は衆院では3ヶ月、参院では2ヶ月、与党の拒否によって予算委員会が開かれないまま会期末を迎えた。

 議論を封じる・逃げる、都合の悪いデータは改ざんする、公文書は破棄する、さらには逆らう者には狙い撃ちのように報復するという政権運営は、二度と野党に政権を渡さないことを至上命題としてきた安倍政権の「守り」の姿勢が行き着いた姿だ。

 「老後、年金だけでは2000万円不足」とする審議会報告をなかったことにして、「全世代型・社会保障元年にふさわしい通常国会となりました」(安倍総理会見)と言ってみせる「やっている」感の演出は、「時間かせぎの政治」がいよいよ破局にむけたカウントダウンに入っていることを示している。

 問題は、その破局に備える意思や意欲、言い換えれば「2020後」を生き抜く力、当事者性をどうつくりだしていくかだ。安倍政権を支えているのは、50パーセントという投票率。「やっている」感でなんとなく支持されるためには、国民には無関心でいてもらうくらいがちょうどよい。この構造を変えていくためには、選挙を「当事者性を共有する」場にしていくことが必要だろう。

 「うちはそのことを『民意は制度の外、投票箱の外にある』と表現します。投票に行く意思が働かない、『自分事で考えなあかん』という問題提起をする候補者や政党がいないということです。『安倍反対』だけでは、投票に行く50%の中での勝負になる。『制度の外』の民意が見えないことになります」(戸田代表 四面 関西政経セミナー)。

 「武器としての世論調査」(三春充希 ちくま新書)によれば、国政選挙の投票率の崩壊は1990~94年に起きている。その背景として考えられるのが、冷戦崩壊→ソ連崩壊による左右イデオロギーの衰退と、バブル崩壊→日本型雇用を基礎とする社会構造の衰退だ。右肩上がりを前提とした社会の仕組み、それがモデルとしてきた家族や雇用の形態が次第に少数のものになり、「制度の外」にひろがる諸問題は「自己責任」とされるようになる。「無党派」は、こうして形成されてきたといえるだろう。

 「自分事で考えなあかん」という問題提起とは、この「制度の外」にひろがる生活実感と、どのように当事者性を共有できるかということだ。多様な当事者性、多様な生活実感を前提に「あなたの問題は、私の問題でもあり、みんなの問題でもありますね」という共有感や共感を、どうつくりだしていくかということだろう。

 「無党派層を動かすということを考える上で、~中略~強力な表現というのは、別に強い言葉を使ったり大声を上げるということではありません。そうではなくて、それは人の心を揺さぶる言葉や態度ということです。別の言い方をすれば無党派層の一人一人の心を揺さぶる言葉や態度です。~中略~どの党派にとっても自らの表現で無党派層に切り込んでいく候補者をどう活かしていくかはとても大きいです。本当は全ての政治家に自らの表現を放つ態度であってほしいです。借り物の表現は空虚に響くものであるからです。

 無党派層は漠然とした存在ではありません。その市の、その町の、一人一人の道行く無党派が、様々なことに思い悩んでいるはずです。彼ら彼女らと向き合っていますか。その言葉は響きますか。選挙に向けて刻一刻と無党派層が分解していく中、何をすべきだと思いますか? そういうことを自らに問い、自らの言葉を発信してほしいと思います」(三春充希)https://note.mu/miraisyakai/n/n45dd635b6ea7

 多くの民意が「投票箱の外」に置き去りにされたままでは、「2020後」を生き抜く力をつくりだすことはできない。この構造を変えるために、統一地方選に引き続いて、政党や候補者が一方的に政策を示したり、有権者を支持者としてだけ見るのではなく、「『2020後』を生き抜く当事者性を共有する場」として選挙をどうセットするか、という問題設定が必要になる。

【「2020後」を生き抜くために

自己責任―今だけ、カネだけ、自分だけ―なのか

「選択―責任―連帯」の社会をめざすのか】

 今回の参院選は、政治分野における男女共同参画推進法(候補者男女均等法)が成立してはじめての国政選挙となる。女性国会議員比率が世界193カ国中165位という日本の現状は、政治の場が社会の現実とかけ離れていることを端的に表している。この参院選を通じて、社会の多様性とかけ離れた国会の風景をどれだけ変えられるか。ここでも「2020後」を生き抜く当事者性を、どう共有することができるかが問われる。

 家族と雇用の標準形が崩れていった平成という時代は、個の多様性への入り口の時代でもあった。既存の制度の外に追いやられた問題が「自己責任」とされる一方で、レールなき時代に「少なくとも自分の人生は自分がオーナーだ」という自己決定の小さき主体性も生まれた。いいかえれば、消費者民主主義の主体基盤そのもののなかに、「2020後」を生き抜く当事者性をめぐる分岐が、走りはじめたということだ。

 最近、自民党の広告戦略が話題になった。女性ファッション誌とのコラボ、安倍総理と10代のアーティストたちとの共演PR動画、人気ゲームのキャラクターを手がけたデザイナーによるアート広告など。若者や女性にターゲットを絞った広告戦略は、「自分の人生は自分がオーナーだ」という個の時代感をかもしだしている。

 例えば女性誌とのコラボ広告記事には、「いろんな文化が共生できる社会に」「自分らしくいられる世界にしたい」など、漠然とした耳あたりのいいメッセージが並ぶが、現実の自民党は、選択的夫婦別姓や同性婚に反対している。あるいは筋ジストロフィー患者を描いた映画に「考えさせられた」と、出演俳優との自撮り写真を首相のツイッターにアップしているのに対して、「会う相手が違う(当事者に会うべき)」という批判が出るのも当然だろう。

 「自分の人生は自分がオーナーだ」という多様な個の主体性は、確かに生まれつつある。問題は、その「上澄み」のようなものを単なる一時のファッションとして消費して終わるのか、それともレールなき時代に自分のレールを敷くための模索や苦闘、「制度の外」から当事者として声をあげる主体性を伴った多様な個なのか、というところにある。

 前者は自己責任に帰結するだろう。後者は、当事者性も多様だからこそ、「あなたの問題は、私の問題でもあり、みんなの問題でもありますね」という共感を生み出すだろう。これはどんなにすぐれた広告であっても、広告戦略で共感をつくりだすことはできない。(生み出された共感を表現し、伝えることができるすぐれた広告はある。)

 参院選候補者の女性比率は、自民、公明が15パーセント、共産が55パーセント、立憲が45パーセント、国民が37パーセントとなっている(6/26現在)。女性比率だけではなく、「制度の外」からの声を届ける当事者性を持った候補を、各政党がどれだけ擁立しているかも重要だ。それは「時間かせぎの政治」に埋没した国会の風景を変えようとしているか、をはかる指針にもなる。

 そして当事者性が多様であればあるほど、そのなかに共感や連帯を生み出す力が求められることになる。それは、「2020後」の現実に向き合うために不可欠な力にほかならない。

「小泉改革以降いわゆる新自由主義という流れが、何の抵抗もなく入ってきた。そうなると貧困ということも、個人の努力と市場で解決するということになる。いわゆる「自己責任」論です。元々日本では、企業や家庭が社会保障の担い手とされてきたことから、ますます自己責任論が強化された。

最近、経団連が終身雇用は廃止するとか言っていますが、すでに企業は早々と非正規雇用に切り替えて、社会保障の担い手からは降りている。そうなると、貧困も老後の生活保障も子育ても介護も、家族や個人の責任でということが、ますます肥大化するわけです。一方で一人暮らしが多数派になるように、家族形態も多様化しているし、家族だけで暮らしの問題を支えることはできなくなっている。そうなると『自助』それも個人の責任で、ということがますます強調される。

それに対して『貧困は社会的な不正義だ』と言い切れるか。『いや、そうかもしれないが、やっぱり個人の努力が重要ですよね』となるか。『あの会社を選んだのも、自分が選んだのだから』となれば、経営責任は問われないことになる。『老後は個人の資産運用で』となれば、税にかかわる政府の責任は問われないことになる。

『自己責任? その前に自己決定権ではないか』『自治ではないか』という主体性が、どこまであるか。マーケットで解決できる問題もありますが、マーケットでは解決できない問題があるからこそ、政治があるわけです。これは単なる分配の問題ではなくて、租税国家の原則―なぜ私たちは税金によって政府を構成するのか、という問題でもあるわけです。そのためにも受益と負担を生活実感で可視化することが必要で、そこでは自治が決定的に重要だということ。中小路さんの報告にあったアメリカのタウンミーティングも、そのことです。

日本は薩長政権になって以降、中央集権でやってきて、近世まであった自治の主体性は消されてしまいましたが、日本をグローバル資本が一番活躍できる国にします、みたいなことのなかで、ぼつぼつ市場で解決できない問題があるからこそ政治の役割があるとか、決定的な問題は人間の尊厳だとか、そのためにどういう政治の旗を立てるのか、ということが浮上しつつあるわけです」(戸田代表 関西政経セミナー)

選択的夫婦別姓の法制化や沖縄の米軍基地問題の公正で民主的な解決を求める意見書などが、各地の地方議会で採択されはじめている。同性パートナーシップ条例を制定した自治体も増えつつある。

 「時間かせぎの政治」が破局を迎えつつあるなかで、参院選を「2020後」を生き抜く当事者性を共有する一歩としよう。「2020後」の現実に向き合うなかで、立憲民主主義をより鍛えよう。安倍政治を終わりにする転轍は、そこから始まる。

(「日本再生」482号 一面より)

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第九回大会 第一回総会

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1月6日の第九回大会に基づいて、統一地方選、参院選の総括と、今後の方向について

共有するために、下記のように「総会」を開催します。

第九回大会 第一回総会

8月4日(日) 1000から1800

戸田代表の提起

江藤俊昭先生(山梨学院大学教授)の問題提起 コメント

討議

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埼玉県知事選、大野参院議員が出馬を表明

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8月8日告示、25日投票の埼玉県知事選挙に、大野もとひろ参議院議員が出馬を表明しました。

「日本再生」482号(7/1)にインタビューを掲載。

7月4日から21日は参院選のため、県知事選の実質的な活動期間はきわめて短期間となります。

「制度のなか」にとどまらない選挙戦を展開するため、県民党として勝手連的な選挙に挑戦するとのこと。埼玉県内でポスター掲示などに協力いただける方は、下記にご連絡を。

大きな安心、もっとひろがる未来の埼玉の会

048-271-5252

さいたま市浦和区高砂3-17-21 高砂武蔵ビル7階

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お薦めの映画 2本

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■新聞記者

https://shimbunkisha.jp/

森友・カケ、伊藤詩織さん… 安倍官邸の下で実際に起きた出来事をほうふつとさせる

内閣官房vs女性記者の社会派ドラマ。マスコミの忖度が横行するなか、この時期(参院選!)に

この作品が公開される意義は大きい。

女性記者のモデルは、東京新聞・望月記者。内閣官房若手官僚(フィクション)を演じるのは松阪桃李。

6月28日から全国で公開

■存在のない子供たち

http://sonzai-movie.jp/

中東の過酷な貧困や移民の問題を、一人の少年を通じて描く。

3年間のリサーチですくい取った事実に基づく、リアルなフィクション。

誕生日も知らない、戸籍もない少年ゼインが、「僕を産んだ罪」で両親を告訴しようとするに至る

痛切な思いとは。

カンヌ国際映画祭などで高い評価を得た2018年のレバノン映画

7月20日から、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館などでロードショー

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第九回大会記念シンポジウム 報告集

1部700円 (送料300円)

お申し込みは 「がんばろう、日本!」国民協議会

郵便振替 00160-9-77459

ゆうちょ銀行 019店 当座0077459

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石津美知子
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Index 

□ 埼玉県知事選、大野参院議員が出馬を表明

□ 第九回大会 第一回総会のおしらせ

□ お薦めの映画

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埼玉県知事選、大野参院議員が出馬を表明

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8月8日告示、25日投票の埼玉県知事選挙に、大野もとひろ参議院議員が出馬を表明しました。

「日本再生」482号(7/1)にインタビューを掲載。

7月4日から21日は参院選のため、県知事選の実質的な活動期間はきわめて短期間となります。

「制度のなか」にとどまらない選挙戦を展開するため、県民党として勝手連的な選挙に挑戦するとのこと。埼玉県内でポスター掲示などに協力いただける方は、下記にご連絡を。

大きな安心、もっとひろがる未来の埼玉の会

048-271-5252

さいたま市浦和区高砂3-17-21 高砂武蔵ビル7階

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第九回大会 第一回総会

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1月6日の第九回大会に基づいて、統一地方選、参院選の総括と、今後の方向について

共有するために、下記のように「総会」を開催します。

第九回大会 第一回総会

8月4日(日) 1000から1800

戸田代表の提起

江藤俊昭先生(山梨学院大学教授)の問題提起 コメント

討議

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お薦めの映画 2本

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■新聞記者

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森友・カケ、伊藤詩織さん… 安倍官邸の下で実際に起きた出来事をほうふつとさせる

内閣官房vs女性記者の社会派ドラマ。マスコミの忖度が横行するなか、この時期(参院選!)に

この作品が公開される意義は大きい。

女性記者のモデルは、東京新聞・望月記者。内閣官房若手官僚(フィクション)を演じるのは松阪桃李。

6月28日から全国で公開

■存在のない子供たち

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中東の過酷な貧困や移民の問題を、一人の少年を通じて描く。

3年間のリサーチですくい取った事実に基づく、リアルなフィクション。

誕生日も知らない、戸籍もない少年ゼインが、「僕を産んだ罪」で両親を告訴しようとするに至る

痛切な思いとは。

カンヌ国際映画祭などで高い評価を得た2018年のレバノン映画

7月20日から、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館などでロードショー

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□ 第九回大会 第一回総会のおしらせ

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1月6日の第九回大会に基づいて、統一地方選、参院選の総括と、今後の方向について

共有するために、下記のように「総会」を開催します。

第九回大会 第一回総会

8月4日(日) 1000から1800

戸田代表の提起

江藤俊昭先生(山梨学院大学教授)の問題提起 コメント

討議

同日選はほぼなくなりましたが、

8月8日告示 25日投票の埼玉県知事選挙に、大野元裕さんが立候補します。

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Index 

□ 「2020後」を生き抜くために、私たちはどういう社会を望むのか

  ~人口減少時代の政策思想の軸の転換にむけて

●「制度の外」の声に、どのように近づき、とらえるか

「声をあげたから変わった」という政治的有用感へと、どう結びつけるか

●「2020後」を生き抜くために

 自己責任―今だけ、カネだけ、自分だけ―で逃げ切れるのか

 「選択―責任―連帯」の社会をめざすのか

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「2020後」を生き抜くために、私たちはどういう社会を望むのか

人口減少時代の政策思想の軸の転換にむけて

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●「制度の外」の声に、どのように近づき、とらえるか

 「声をあげたから変わった」という政治的有用感へと、どう結びつけるか

 この夏の参院選を控えて同日選も含めた永田町の駆け引きが始まっている。令和フィーバーやトランプ来日狂騒など、「パンとサーカス」ならぬ「パンなしのサーカス」が連日繰り広げられるのも、その一環ともいえる。この統一地方選で(も)浮き彫りになった事態を直視することなしには、こうした事態に浮き足立つことになる。

 私たちが直視すべき現実は、例えばこのように提起される。

「今日確認する必要があると思っていたことを、まずお話しします。

首都圏では、十名以上落選するような選挙がむしろ普通だったのではないか。場所によって違いますが、一・三倍から一・五倍くらいの競争率の選挙は、首都圏近郊にはざらにあった。そしてそれは特別なことではなくて、大都市とその近郊では激戦の選挙が普通の状態になりつつあると。~中略~

空前の競争率にもかかわらず、投票率は全然上がらなかったところが多いわけです。普通に考えれば、立候補する人が増えれば、その人たちはこれまでの立候補者が訴えてきた以外の人にも訴えているはずです。つまり新たな投票者を開拓できるはずなのに、それが効果をもたらしていない。立候補者数が増えても、票を開拓をする力―有権者に選挙にコミットしてもらう力は上がっていないということです。

立候補者が足りない地方の町村議会の方が、まだ原因――あんな報酬では生活できないなど――は分かりやすいかもしれない。地域によっては、女性が立候補すること自体「ありえない」という感覚がいまだに根強いので、余計に担い手不足になっている。そうなると、生業と議員活動の両立を考えるとか、女性が立候補しやすくするにはどうしたらいいかとか、対策を立てるべきポイントもそれなりには見える。

ところが都市部では専業議員として生活できる報酬はあるし、女性議員も―まだ課題は多いとはいえ―増えている。立候補者数は多いにもかかわらず、有権者に選挙に来てもらえない。これはなかなか深刻な問題だと思います。(意欲を持って出てきた人がいても、それが有権者に響かない構造でもある。)~中略~競争率が上がったにもかかわらず、投票率が上がっていないところの方が、実は難しい課題に直面しているのではないか、と感じます。

 個々の当落を超えて、選挙全体としてこういう深刻な課題に直面していることは、確認しておく必要があるだろうと思います」(廣瀬克哉・法政大学教授 2―6面「囲む会」)。

 今や投票率は国政選挙でも五割、都市部の地方選挙では三割台も珍しくない。過疎地だけではなく、都市部でも無投票選挙区が出現している。このように多くの民意が「投票箱の外」に置き去りにされたままでは、選挙を通じて地域の課題を表出することさえできない。

 選挙を変えるとは、この構造を変えることにほかならない。そのためには、候補者が一方的に政策を示したり、有権者市民を支持者として見るのではなく、「地域の課題を共有する」場として選挙をどうセットするか、という問題設定が必要になる。

 「言い換えれば、選挙を地域の利害や意見の違いを『数で決着つける』場ではなく、さまざな地域の課題が提起され、それらを共有していくための場へとつくりかえることです。公約やマニフェスト、審査員としての構えについても、市民との共同作業を通じて、課題を共有する当事者性を涵養しようではありませんか」(第9回大会 よびかけ)。

 問題の構造は、例えばこういうことだろう。選挙では多くの候補者、政党が「子育て支援」を掲げる。一方で子育て当事者たちは、「これは何とかならないか」「こうしたらいいのに」と思っていても、「言ってもしかたない(伝わらない)」と思っていたり、「どこにどう伝えれば物事が動くのか、ラインがみえない」とあきらめていたりする。しかも選挙の「公約」に並ぶ子育て支援は抽象的なスローガンばかりで、どれも同じにしか見えないので、選びたくても選べない。

 公的なサポートなしに子どもを育てることにはさまざまな困難が伴う、というのが子育て当事者の生活実感だが、その生活実感が選挙での選択―主権者としての一票―と結びつかないまま、「制度の外」に追いやられている。

 子育てに限らないが、こうした「制度の外」に追いやられた生活実感を、どのように社会の問題(自己責任ではなく社会で解決する課題)へと押し上げるか、そしてさらに「制度を変える」プロセスにのせていくか。こうした民主的プロセスの媒介、促進剤になることは、パブリックな存在としての政党や議員の役割だろう。選挙はそうした場のひとつにほかならない。

 多くの人は生活のなかの「困りごと」に直面したときに、政策の当事者としての実感を持つ。しかし政策決定の場が、そうした実感とかけ離れていればどうなるか。

 2016年、「保育園落ちた、日本死ね」という待機児童問題を訴えるブログが話題になった。制度の外に追いやられた声を女性議員が国会で取り上げたとき、制度の中の反応はどうだったか。首相の答弁は「匿名なので(事実かどうか)確認できない」。与党議員からは「本人を出せ」というヤジが飛んだ。

 公的なサポートなしに子どもを育てることにはさまざまな困難が伴う、という生活実感が分からない、分かろうともしない人たちが、選挙公約として打ち出したのが、消費増税と引き換えの幼保無償化。制度の外から上がった声は大きな反響を呼んだため、制度の中にも届いたかもしれないが、アウトプットとして出てきたのは、誰がこんなものを望んでいるのかという政策だった。

 無償化といっても、厳密には無償化の範囲には制約がある。しかも保育料は元々所得に応じて決まっているので、無償化の恩恵が相対的に大きいのは高い保育料を払っている(所得の高い)世帯である。そして何よりも子育て当事者が望んでいるのは、無償化ではなく全入であり、そのための保育士の確保・待遇改善などの施策だ。

 さらに子育て支援策の現場を担う自治体にとっては、国がおしつける無償化の財源を一部負担するために、自治体独自の施策の財源を削って、それに充てなければならないことになる。子育て支援と一口に言っても、地域によってニーズも課題も異なる。それに対応して工夫されてきたはずの自治体独自の施策が、国から押し付けられた全国一律の政策によって制約されることにもなりかねない。自治体によっては子育て支援よりも優先度の高い施策がありうるが、その財源を削らなければならないかもしれない。まさに地方自治―自己決定権の侵害にほかならない。(第九回大会 パネルデイスカッション 松本・和光市長 参照)

 そのうえ待機児童問題の反響に慌てて打ち出された支援策が、規制緩和による企業主導型保育事業(付け焼刃で箱だけ増やす)だったり、あろうことか「子連れ出勤」への補助金ときては、「何を言っても伝わらない」と絶望的な気持ちになるのも当たり前だろう。

 制度の外の声に反応する、あるいは政策の受け手(当事者)との関係性―実態とのズレも含めて―を実感を伴ってとらえることができるのは、国政ではなく地方自治の現場だ。ここでこそ、生活実感と政治・政策決定が絶望的に乖離している構造を変えなければならない。

「特に小学生や、もっと小さいお子さんを育てている世代では、政策によって支えられないと子育ては厳しい、というのは当たり前の現実ですが、それ以外の世代にはその切実感がない。現実がどうなっているかも見えていない。~社会を維持、再生産していくために不可欠な政策領域に、どれだけの資源をつぎ込まなければならないかという現実認識がないまま、やっているわけです。

小学校には待機児童はいません。義務教育だからです。では学童や保育所にはなぜ待機児童が出るのか。政策を判断する時の優先順位の高さ、(義務教育と同じ程度に)必要なだけ確保することがなぜ必然でなければならないのか、という認識がズレていたからです。

財源が云々と言いますが、ハッキリ言えば増税すればいいんです。日本社会の国民負担率は、先進国のなかでもアメリカを除けば圧倒的に低い。低い負担と必要なサービスとのギャップを、どうやって埋めているかといえば借金です。あえて言えば、もっと借金することもできる、それが望ましいかどうかは別として。借金してでもやるべきだという認識がなかっただけの話です。

政策による公のサポートが確保できなければ、個々人のレベルでは、子どもを産まないという選択をしてしまう。『産めよ、育てよ』と国が旗を振るのはおかしい、という感覚は分かりますが、じつは『産めない、育てられない』という風潮に向けて国が旗を振っているわけです、無意識のうちに。その結果、他の多くの国にはあった第三次ベビーブームを日本では起こさせなかった。

これが政策の結果なんだという反省へのとっかかりが、国政の中で出てくる可能性は低いと思います。他方で自治体は、政策の受け手とその政策の関係性についての切実さとか、何がないからこういう選択になるのか、ということを実感できる現場がある」(廣瀬先生 前出)

生活実感に根ざした優先度の高い政策領域をめぐって、候補者と支持者あるいはそのメッセージが伝わっている層(政策の当事者)との実感をめぐる相互関係を、どこまで作り出すことができるか。選挙を通じて、そうした「制度の外」の声をとらえることができるなら、選挙後は任期を通してその関係性どう持続し、再生産していけるか。議会審議への参画などを通じて、「声を上げればこう変えられる」という政治的有用感へとどう結び付けていけるか。市民の側も「私の困りごと」を議員を通じてなんとかする、ではなく「市の課題、社会の課題として提起し、解決にむけて合意形成するのが議員の仕事だ」というところへと押し上げていけるか。

 地域や社会を維持・再生産していくための、民主主義の持続可能性が問われている。

●「2020後」を生き抜くために

 自己責任―今だけ、カネだけ、自分だけ―で逃げ切れるのか

 「選択―責任―連帯」の社会をめざすのか

~以下「日本再生」481号一面へ続く

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