メルマガ♯がんばろう、日本!         №217(16.10.29)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

□民主主義は単なる政治のやり方ではない。

 すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、

 それが民主主義の根本精神である。

 ●衰退途上国か、課題先進国か

 ●「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」

  を当たり前に

□「囲む会」のご案内 

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民主主義は単なる政治のやり方ではない。

すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、

それが民主主義の根本精神である。

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【衰退途上国か、課題先進国か】

 10月26日に公表された2015年国勢調査の確定値は、われわれの社会がどうなっているかを否応なく示している。人口減少は前提として、75歳以上の人口が初めて14歳以下の子ども(1588万人)を上回り、外国人労働者は前回(2010年)より10万人増の175万人と過去最高を更新。

 85年から30年間で75歳以上の人口は3・4倍に増加、14歳以下は4割減と少子高齢化に歯止めがかかっていない。14歳以下は人口の12・6%、世界最低の水準まで低下している。

 ひとり暮らしの増加で、世帯数は5344万と過去最高を更新。単独世帯は34・6%を占め、男性では25~29歳、女性では80~84歳が最も多い。65歳以上の6人に1人がひとり暮らしだ。

 少子化や単独世帯の増加に端的に現れているのは、生活保障や福祉を「家族」と「企業」に委ねてきた社会が、もはや成り立たなくなっている現実だ。それはまた、こうした社会の変容に対応してこなかった「失われた20年」の帰結でもある。

 「失われた20年」がもたらす「衰退」の本質は、GDPの多寡よりもむしろ社会の変質(ぶ厚い中間層→格差社会)にある。その様相を、小熊英二氏はこう描く。

 「平均所得が減り、教育費が高騰するなかで、教育においても格差の再生産(≒世襲化)が目立つようになった。

 75年に比べて、国立大授業料は約15倍、私大授業料は約5倍となった。渡辺寛人によると、子供1人を大学まで通わせた場合の教育費の家計負担は、すべて公立でも総額1千万円以上、すべて私立だと2千万円以上となる(渡辺寛人「教育費負担の困難とファイナンシャルプランナー」 POSSE32号)。

 一方で子育て世帯の平均年収は、97年から12年に94万円減った。後藤道夫によれば、年収400万円で公立小中学生の子供2人がいる4人世帯では、年収から税金・保険料・教育費を除いた生活費が、生活保護基準を下回る。大都市の世帯で子供2人が大学に進学すると、年収600万円でも下回ってしまう(後藤道夫「『下流化』の諸相と社会保障制度のスキマ」 POSSE30号)。

 そのため少子化や「子供の貧困」が広がる一方、約半数の大学生が奨学金を借りている。その多くは返済が必要な貸与型で、学部卒の平均貸与金額は295万円だ。これだけの金額が、卒業時に借金としてのしかかる。在学中から就職活動やアルバイトで必死な者も多い。

 ~中略~教育の負担だけでも、年収600万円以下の世帯はぎりぎりだ。さらに家族が病気になったり、介護が生じたりすれば、家計が破綻(はたん)しかねない。00年から14年に、生活が「大変苦しい」と回答する世帯は21%から30%に増え、「やや苦しい」とあわせて64%となった(渡辺寛人 前出)。

 ではどうするか。経済成長は一つの回答ではある。だが経済が成長しても、年功賃金が復活することはない。教育や介護の負担が増える時期に、年功賃金が増えるのが過去の前提だったのだ。となれば、公的援助の充実は不可欠である。

     *

 しかし政府の方針は、それとは逆行さえしている。坂口一樹によると、この15年間の医療政策は、医療需要から介護需要へ、介護施設から在宅介護へ、負担を移転させるものだったという(坂口一樹「“自助”へと誘導されてきた医療・介護」 世界4月号)。つまり政府や事業主の医療費負担を、家族の在宅介護に転嫁してきたのだ。その代償は、年間約10万人の介護離職だ。目先の財政負担削減のために、家族と社会に重圧を強いた政策ともいえる。

 恐ろしいのは、こうした政策の原因が意図的な悪意というより、ヴィジョンの不在であることだ。「社会保障と税の一体改革」に関わった駒村康平は、「年金、医療、介護、子育ての各制度『ごと』に議論が行われ、制度横断的な議論は行われなかった」と述べている(駒村康平「政府は『一体改革』というダイエットをやめ『副作用のある健康法』に飛びつくのか」 Journalism10月号)。

 これでは、医療費を削減すれば介護費が増え、介護費を削減すれば離職が増え、年金を削減すれば生活保護が増えるといった連関は論じられない。結果として、社会の再設計という総合的ヴィジョンは欠落し、個別の制度をどう延命するかという目先の議論が多くなる。こうして無自覚のうちに、家族と社会に負担を転嫁する政策が実現してしまう。それは結果として、格差の再生産や世襲化、介護離職や税収低下を招いている」(小熊英二「論壇時評」朝日10/27)。

 少子化や、グローバル化の下での「やせ細る中間層」→格差社会といった課題は先進各国に共通したものだ。問題はそれと向き合って「課題先進国」への道を開こうとするのか、それとも目先の「時間かせぎ」に明け暮れて「衰退途上国」への道を、このまま進んでいくのか。2015年国勢調査の確定値は改めて、私たちがその岐路に立っていることを示している。

【「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」を当たり前に】

 衰退途上国と課題先進国、その分岐はなにか。社会を再設計するビジョンや理念は確かに必要だろう。「家族」と「企業」によって支えられることを基本に、そこから「こぼれ落ちた」人を救済するという、旧来の制度設計と政策思想―選別主義―に代わる、普遍主義の政策思想は構築されつつある(本号「囲む会」小川衆院議員、449号藤田氏インタビューを参照)。

「これからの時代は、社会に助けられるべき人と助けるべき人がいるんじゃなくて、みんなが一定の生活保障―最低限の尊厳ある生活保障―を求めているという前提に立ちます。したがって最低限の尊厳ある暮らしを成り立たせる教育、保育、子育て、そして医療、介護、年金については、全ての人々に対して、現物を中心に普遍的な給付を行っていく。そのための負担については、全ての国民が合意形成のもとに負担を拠出していく。そういう社会像を目指すべきである。これが経済社会の変化をとらえた時の唯一の道筋である、という考え方を、これから訴え、浸透させていきたいと思います」(「囲む会」小川衆院議員)。

 「みんなで支えるみんなの社会」という普遍主義的な制度設計のキモは、負担についての国民的合意形成である。そのためには、税は「とられるもの」ではなく、自分たちで社会を作るためだ、という当事者性の回復または創出が不可欠となる。

 税の歴史は立憲主義の歴史とパラレルであり、財政民主主義の主体性は、民主主義や自治の当事者性、主権者性と密接にかかわる。言い換えれば、「税はとられるもの」という感覚は、民主主義や自治に対する消費者的態度と一体のものといえる。ここをどう越えるのか。昨年来語られてきた立憲主義という感性を、憲法や安全保障だけではなく、地べたでの暮らしや自治、身の回りのあんなこと、こんなことからも話し合い、考え続けていく持続的なうねりにする、ということでもある。

 民主主義は出来がいいとはいえない仕組みだが、それでも最悪を避けるためには、今のところ唯一の知恵である。すべてを変える〝魔法の杖〟ではないが(そんなものはない)、現実を少しでもましなものに近づける努力はできる。そんな民主主義を高めるために必要なのは「物申す」行動であり、低めるのは「忖度」だ。

 忖度がはびこれば、「国策に反対するなら国から出て行くべき」、「俺は国のやることに反対しない。だから国が俺の人権を守るのは当たり前だ。だが国に反対している奴らの人権を、なぜ国が守らなければならないんだ」ということが「当たり前」になってしまう。

 面倒を避け、忖度でやり過ごす。そうした消費者民主主義的態度は、今や習慣ともなっている。だからこそ、「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」「民主主義のためには、質のよい悪口を言う人が必要だ」(「デモクラシーは仁義である」岡田憲治 角川新書)ということを、暮らしの現場、自治の現場でこそ「当たり前」のものにしていかなければならない。

 そんな民主主義のための立ち振る舞いは、例えばこういうことだろう。

 「通販生活」という買物雑誌がある。この夏号で表紙に「今回ばかりは野党に一票、考えていただけませんか」と掲載した。これに対する読者からの批判に、冬号でこう答えている。批判は大きく「買物カタログに政治を持ち込むな」「両論併記すべき」「左翼になったのか」という三点。

 一点目について、日々の暮らしは政治に直接、影響を受ける。お金儲けだけ考えて政治には口をつむぐ企業にはなりたくない。二点目について、両論併記はこれまでもやってきたが、安倍政権の決め方は両論併記以前の問題と考える。

 三点目。「戦争、まっぴら御免。原発、まっぴら御免。言論圧力、まっぴら御免。沖縄差別、まっぴら御免。通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな『まっぴら御免』を左翼だとおっしゃるなら、左翼でけっこうです」。そして最後に「『良質の商品を買いたいだけなのに、政治信条の違いで買えなくなるのが残念』と今後の購読を中止された方には、心からおわびいたします。永年のお買い物、本当にありがとうございました」と。

 忖度と、意見の異なる相手を尊重することとは全く違う。忖度では「強いもの」や「巨大な流れ」を増幅し、同調圧力をさらに強めることになる。その行き着く先は、例えばこういうことだ。
 「~困窮者の生活相談ボランティアに参加した。まるで支払い能力(税金、家賃、食費、ショッピング)のない人間は尊厳を認められていないのかのように力なく折れてしまった困窮者たちを目の前にし、日本の人権とは、払えない人間には認められない特殊な概念ではないかと思った。

 日本の教育の人権課題が知りたくて、法務省の「人権教育・啓発に関する基本計画」の「第4章 人権教育・啓発の推進方策」を読んでみると、ジェンダーや人種差別、高齢者、障害者などのいわゆる「アイデンティティ」課題は組み込まれていても、「貧困」という大項目が抜け落ちていた」(ブレイディみかこ シノドス 2016.9.17)。

 「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」という状態が奪われたところでは、「人権」は普遍的な尊厳ではなく、ある人には与えられ、ある人には与えられなくて当然というものになってしまう。ブラックバイトの現場では、ひどい扱いを受けても、自分に責任があると追い込まれた若者が、声を上げられずに泣き寝入りさせられる。過労死した新入社員に対して「残業100時間で過労死とは情けない」というバッシングが浴びせられる。消費者民主主義の忖度が生み出したのは、こういう社会ではないのか。私たちは、こんな社会を次世代に残すのか。

 1948年から53年に中学・高校の教科書として使われた「民主主義」(文部省)はこう述べている。「民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。~略~すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である」(西田亮介・編 幻冬舎新書)。

「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」ということが当たり前―そんな日常を暮らしの現場、自治の現場で作り出していこう。

(「日本再生」450号)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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◆第166回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「《2020年後》にむけて、小池都政とどう向き合うか」

 ゲストスピーカー 酒井大史・都議会議員、中村ひろし・都議会議員

 11月1日(火)午後6時45分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

◆第167回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「パリ協定とCOP22」(仮)

 ゲストスピーカー 明日香壽川・東北大学教授

 12月1日(木)午後6時45分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

 *温暖化防止の新たな国際条約、パリ協定が発効した。批准に出遅れた日本は今年のCOPに

締約国として参加できず。オブザーバーとして出られるかどうか…というありさま。

国連の核兵器禁止条約にも反対。こちらも条約が発効すれば「唯一の被爆国」とは何なのか

が厳しく問われることになる。日本の国際的な立場はどうなっているのかを考えるために。

◆第168回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「民進党がめざすもの」(仮)

 ゲストスピーカー 大島敦・衆議院議員

 12月6日(火)午後6時30分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

 *民進党代表選挙で前原氏の選対事務局長を務めた大島議員に、「民進党のこれから」について

  お話しいただく。

◆第八回大会 第三回総会

「『時間かせぎ』の政治に対抗しうる『未来への責任』をどう語るか

 ~立憲民主主義と主権者運動の役割」(仮)

 11月13日(日)午前10時より午後6時

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

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◆2016年望年会・東京

 12月23日(金・祝) 午後4時から

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 1500円(予定)

◆関西政経セミナー特別講演&望年会

 12月7日(水) コープイン京都

 ・特別講演会 午後6時より

 「地球環境×エネルギー×民主主義~私たちはどこまで来て、どこへ向かおうとしているか」

 諸富徹・京都大学教授

 会費 1000円

 ・望年会 午後7時より 

 会費 3500円


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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メルマガ♯がんばろう、日本!         №216(16.9.29)

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Index 

□ 暮らしのなか、自治の現場から、多様な政治的有用感を生み出し、

 「未来への責任」を分かち合う民主主義を育てていこう

  ~「時間かせぎ」の政治に向き合う主権者運動の役割とは

 ●あなたの民主主義はどんな民主主義ですか 

  反・非立憲空間を広げる「時間かせぎ」の政治に対抗するカウンターデモクラシー

 ●「未来への責任」を分かち合う生活者を主権者へ 

立憲民主主義の共有地・公共空間を暮らしのなかから

□「囲む会」のご案内 

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 暮らしのなか、自治の現場から、多様な政治的有用感を生み出し、

 「未来への責任」を分かち合う民主主義を育てていこう

  ~「時間かせぎ」の政治に向き合う主権者運動の役割とは

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【あなたの民主主義はどんな民主主義ですか 

 反・非立憲空間を広げる「時間かせぎ」の政治に対抗するカウンターデモクラシー】

 それは異様な光景だった。

 9月26日の衆院本会議。安倍総理は所信表明演説で、「現場では夜を徹し、今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている」、「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけ、これに呼応して自民党議員がいっせいに立ち上がって拍手、安倍総理も壇上で拍手をした。

 民主党政権が誕生した際も、鳩山総理の演説で民主党議員が起立、拍手したとの指摘もあるが、安倍総理は、自衛隊など国家機関への「感謝」を要求して起立を促した。鳩山総理の場合は演説終了後、政治改革への賛同を訴えたことに賛同する意味で民主党議員が起立した。前者は北朝鮮型、後者はアメリカ型。この違いが分からないと、立憲主義も民主主義も分かっていないことになる。

 さらにいえば、海上保安庁、警察、自衛隊が対峙しているのは、中国の挑発行為だけではない。辺野古や高江では沖縄の民意に対峙して、「銃剣とブルドーザー」といわれた時代と変わらないような自治権圧殺の最前線に立っている(日本国政府の命令の下)。

 立憲主義とは国家の権力行使を法で制約し、規律化することである。究極の国家権力というべき自衛隊をはじめとする国家機関は、こうした規律・制約をもっとも厳しく課されるべき存在であることは、立憲民主主義においては当然のことだ。このような国家権力の規律化、制約こそ、立法府である議会が担うべき機能と役割にほかならない。

 9月26日の衆院本会議の異様な光景は、立法府・議会がこうした役割を放棄した姿といえる。そこでは国会の「外」の民意は「ないもの」とされ、投票箱に収まった民意(投票率55%)でさえ、その一部(沖縄の民意)は切り捨てられている。「この道しかない」といって選挙で勝てば何でもできる―選挙だけの民主主義、多数決主義だけの民主主義、立法府が行政権力に追従する姿。これは民主主義といえるのか。

 「時間かせぎ」の政治(448号一面参照)は、こうした反・非立憲主義の空間を拡大させる。これに対抗する立憲民主主義の空間を、どのように創出し拡大していくか。

 そこで必要なのは、「公共性とは、閉鎖性と同一性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である」(448号「囲む会」参照)という視点だろう。「この道しかない」に対抗しうるのは、「この道はダメだ」という決め打ち、思考停止ではなく、〝凡庸の善〟で考え続けることであり、多様性の共存のなかで鍛えられる民主主義の胆力だ。

 「国家・国民が、個別的現象に対する情動的反応から徒に『力』や『支配』を求めて狂奔することなく、広い長期的な視野に立って地道に課題に取り組んでいく必要がある。その際求められるのは、多様な人間の共生を可能とする基礎的条件である『寛容』と『知恵の交換』である。われわれは、立憲主義を侮蔑し、『力』への信仰に走った国々(日本もそのひとつ/引用者)によってあの第二次世界大戦という未曾有の悲劇が引き起こされたことを決して忘れてはならない」(佐藤幸治「立憲主義について」放送大学叢書)。

 「中国の脅威」「抑止力」「アベノミクスの成果が出ないのは、アベノミクスが足りないから」等は、思考停止のマジックワードだ。「原発を動かさないと電気が足りない」というのも同じこと。こうした近視眼的な執着や、個別的現象に対する情動的反応から離れてみれば、まったく別の「新しい現実」や多元的な視点が見える。例えばこうだ。

 「普天間・辺野古問題には、二一世紀の日本にとって、『抑止力』の虚実や政治による外交の統制、中国を筆頭とするアジアとの向き合い方、中央と地方との関係、そして何よりも民主主義とはいかなるものであるべきかといった重要問題が凝縮されている。~中略~後世、『なぜあのような愚策を』と指弾されることが避けがたい辺野古での『現行案』に対するあまりに近視眼的な執着から離れ、『辺野古新基地なき普天間問題の解決』を実現できるか否か。それは日本が二一世紀中葉に向けて、前途を切り開くに足りるだけの『政治』を持つことができるか否か、その『試金石』なのである」(「普天間・辺野古 歪められた二〇年」宮城大蔵・渡辺豪 集英社新書)

あなたの民主主義は、どんな民主主義ですか。選挙さえすれば民主主義? 民主主義の決め方は多数決だけ? 「憲法改正は最後は国民投票で決めるんだから、国会での議論が煮詰まっていなくても三分の二で発議すればいいんだ」という民主主義?

「これまでは、民主主義というのは選挙に行くかどうかだけだったんです。四十年間、デモや社会運動、カウンターデモクラシーがほとんどありませんでしたから。そうなると『選挙に行って、俺らの気持ちを反映する政党があるのか』、こう返って来ますね。『永田町の政党なんか、私欲でやっているんだ』とか、『政権交代したってダメだったじゃないか』とか。こういうところから民主主義は投票だけではない、民主主義観にはいろいろある、そういうふうにフォロワーシップのほうが変わりつつあるわけです」(戸田代表 7-11面「囲む会in京都」)

【「未来への責任」を分かち合う生活者を主権者へ 

 立憲民主主義の共有地・公共空間を暮らしのなかから】

野党とは議会制民主主義と普通選挙権に並ぶ、民主主義の三大発明の一つ(吉田徹「『野党』論」ちくま新書)と言われる。「野党には期待しない」ということは、民主主義が機能しなくてもいい、選択肢を持たなくてもいい、ということを意味する(前出「囲む会in京都」)。野党あるいは反対党、あるいはカウンターデモクラシー、こうしたものなしに民主主義は機能しない。これは既存の野党を支持する、しないとは別の次元の話だ。このような民主主義の空間、場をつくり、共有地として手入れしていくことが主権者運動の役割だろう。

 そのために、どのようなコミュニケーションをしていけばいいのか。例えばこのように。

 「『野党に期待しない』というのは禁句だというと、『じゃ、どう聞けばいいのか』となりますね。そういう時は、『野党、反対党の機能と役割をどう理解していますか』と聞くわけです。

 反対党は与党、政権党に対して異議申し立てをすることが第一です。それが目先のチェックだけの異議申し立てか、それとも『三十年後の産業構造を考えたら、原発じゃなくて再エネでしょう』と、未来をどう変えるかというところからチェックする場合では、違ってきますね。だから『チェックしている』というなら、『目先のチェックだけじゃないですか、次の、未来の展望はどうなんですか』ということと、『争点を明確にできていますか』と。

 『補正予算でわれわれは子ども手当を二億増やす、安倍はそうでない』というだけの争点なら、子どもでもわかります。『私の争点の明確化は、必ず背景に立憲主義ということがある。その観点から、たとえば象徴天皇制はこう、緊急事態条項はこう、子ども手当はこう』と。そういう展開ができるかどうか。

三点目に、選挙の投票率が五割ということは、簡単にいえば『民意の残余』が五割程度残っているわけです。いわば投票箱の外の、既存の制度の恩恵を受けていない人たちの民意を、どのように吸い上げて政策化するのか、そこはどうですか? という会話になりますね。

『野党に期待しない』と言わない代わりに、今言ったような会話をしていくということです」(前出「囲む会in京都」)

「アベノミクスの成果が出ないのは、アベノミクスが足りないからだ」という「時間かせぎ」の政治に対して、「成果がでていない、国民の生活は苦しくなった」というだけでは、目先の異議申し立てにしかならない。政権党をチェックする野党の機能、役割は、近視眼的な執着や、個別的現象に対する情動的反応から離れた、まったく別の「新しい現実」や多元的な視点を提示すること―政策思想の軸の転換―だろう。

「次世代を意識してアベノミクスへの対立軸を打ち立てようとすれば、おのずと地道な結論にたどりつくはずだ。自民、公明、旧民主による『税と社会保障の一体改革』の3党合意は、少なくとも未来を見据えていた。民進党は原点に立ち返り、野心的なアベノミクスに対抗するのでなく、増税も視野に入れた財政再建と、家計に安心感をもたらす社会保障の充実を両立できる将来像を描いてほしい」(毎日7/28 「記者の目」)

 「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」(「分断された社会は乗り越えられるのか」今井貴子 世界9月号)という分断社会の到来を前に、「成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない」(井手英策 世界9月号)という合意形成の可能性は、暮らしの現場のなかに拡がりつつある。救済すべき弱者を選別するのではなく、みんなを底上げするためにみんなで負担する、そういう民主主義へ。

 自分(たち)の意見や行動が社会や政治に反映されているという実感を、政治的有用感という。暮らしのなかの困りごとや生きづらさ、不安について語り合い、政治に対して要求していくなかからうまれる政治的有用感を、「時間かせぎ」の政治に対抗しうる「未来への責任」を分かち合う民主主義へと育てていくことは、主権者運動の役割にほかならない。

(「日本再生」449号より)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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◆第165回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「民進党がめざすもの―民主主義における野党の機能と役割を考える」(仮)

 ゲストスピーカー 小川淳也・衆議院議員

 10月13日(木)午後6時45分より

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 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

◆第八回大会 第三回総会

「『時間かせぎ』の政治に対抗しうる『未来への責任』をどう語るか

 ~立憲民主主義と主権者運動の役割」(仮)

 11月13日(日)午前10時より午後6時

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石津美知子
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Index

 

◇ご案内

日本環境会議沖縄大会

環境・平和・自治・人権―沖縄から未来を拓く

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(大会案内より)

第33回日本環境会議沖縄大会は、環境・平和・自治・人権の問題が最も先鋭的に現れている沖縄から日本本土、米国、そして世界の人々へ問題提起を行い、そこでの世代間交流を含む人々の交流、意見交換を通じて未来を切り拓いていきたいとの趣旨で開催されます。ぜひ、多数の皆さまのご参加を期待いたします。

10月20日から23日

沖縄国際大学

詳細は下記より

http://www.einap.org/jec/article/jec/33/50

「囲む会」で話をしてくれた元山君(SEALDs RYUKYU)も登壇します。


石津美知子
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メルマガ♯がんばろう、日本!         №215(16.8.30)

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Index 

□「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という

 〝未来の記憶〟を持つ生活者を、自ら未来を変えうる主権者へ

 ●さしせまる破局、それとどう向き合うか ~「時間かせぎの政治」に対抗する

□「囲む会」のご案内 

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「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という

〝未来の記憶〟を持つ生活者を、自ら未来を変えうる主権者へ

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【さしせまる破局、それとどう向き合うか 「時間かせぎの政治」に対抗する】

 「2050 近未来シミュレーション日本復活」(クライド・プレストウィッツ著 東洋経済新報社)という本が話題になっているらしい。イノベーション大国として台頭した2050年の日本のお話だ。

 「訪ねた企業では、ここは北欧かと見紛うばかり、女性が取締役会の過半を占めている。日本は、世界でも有数の女性が活躍する社会に生まれ変わったのだ。

 もっとも大きな変化は、人口動態だ。人口減少は2025年に上昇に転じ~中略~日本経済は年率4・5%で力強い拡大を続けるようになった。いったい2016年と2050年の間、日本に何が起きたのか。これこそが、本書の主題だ。

 2017年、危機が勃発する。アベノミクスは失敗、膨大な公債残高の償還可能性に不安を抱いた投資家が円建て資産を売却、資本逃避が始まる。窮した日本は、IMF管理下に入る。衝撃的なのは、サムスンによるソニーの吸収合併だ。~中略~国家の存立危機を前に、国会は『特命日本再生委員会』の創設を決める。(女性の就業率向上や計画的な移民の導入、再エネによるエネルギー独立、連邦制導入による徹底した分権など、同委員会の提言を実行に移すことにより)日本は明治、終戦後に続く3度目の経済的奇跡を自ら実現することに成功する」(朝日新聞8/28 書評/諸富徹・京都大学教授)

 著者は1980年代の日米貿易交渉にもあたった日本通。日本の経済社会システムの本質を突くような指摘も、多々ある。あの敗戦によってもなお生き延びた「1941年体制」(野口悠紀雄)が、IMFショック程度で改革できるのかとか、「特命委員会」の提言を「誰が」「どうやって」実現するのかなど、突っ込みどころもあるが、むしろそれらはわれわれの「宿題」と言うべきものだろう。

 この本に描かれる2050年の日本社会の姿は、「一億総活躍社会」や「同一労働同一賃金」、「働き方改革」などアベノミクスが掲げる目標とも、かなり重なるところがある。興味深いのは、このシミュレーションがアベノミクスの失敗→実質的デフォルトから始まっている点だ。

 アベノミクスとは何か。それは一言で言えば、破局に向かう「時間かせぎ」の政治だ。

「アベノミクスは三本の矢を矢継ぎ早に放つものの、それはリボルバー拳銃のように回転し続けるものである限り終わりはみえず、だから検証に晒されることもない。アベノミクスが成功しないのは、アベノミクスが不足しているからだという『リボルビング・アベノミクス』の論法がとられることになる。~中略~『道半ば』である限り、とりわけ景気上向きの実感が薄いとされる地方に、『いつかは』アベノミクスの波及が及ぶはず、という期待の操作ができるからだ。そして、その期待値は、政権持続と政策支持となって現れる。三期連続のマイナス成長、実質賃金の低下、消費水準指数の落ち込みといったマイナスの実感があってこそ、それらは期待値へと転換される」(吉田徹 世界9月号)

「そう考えたとき、アベノミクスを批判する野党が、景気回復への国民の『実感のなさ』を持ち出しても、その『実感』が待たれているものである以上、説得力を欠くのは当然である」(同前)

こうしたリボルビング・アベノミクスの「弱点」は、財政の持続可能性だ。アベノミクスの「三本の矢」は、金融政策、財政政策、構造改革というオーソドックスな経済政策を言い換えたにすぎない。特徴があるとすれば、金融政策を「ふかす」ことに特化した点だろう。

「1990年代初頭、バブル崩壊後の日本では、財政出動と減税で景気を刺激しさえすれば不況を脱出できる、と皆が信じ、巨額の財政政策を毎年繰り返した。90年代も今とまったく同じ議論をしていたのだ。違いといえば、当時は国の借金は少なく、高齢化も進んでいなかったことである」(小林慶一郎 日経6/20「経済教室」)

90年代の財政出動は、企業の過剰債務を国家が肩代わりする「徳政令」にも似た不良債権処理に費やされ、景気は回復せず国の借金だけが増えた。そこで今度は金融緩和を極限までやったが、これもうまくいかない。そこで再び「財政と金融の同時実施という昔と同じ話が『ヘリコプターマネー』政策として、まるで新しいことのように議論されている」(小林 同前)というわけだ。

二十年前と違うのは高齢化の進行と、GDP比250%まで積みあがった政府債務だ。あの竹中平蔵氏をしてさえ、「財政の健全化はどうしても必要です。~明日にも深刻な事態に陥るわけではありませんが、私は『日本経済全治何年』というより『余命何年』というくらいの危機意識は持たないといけない」(日経8/7)と言わしめるほど。

〝ゆでガエル〟は、すっかりゆで上がりつつある。アベノミクスとは「実現しないことが政権の選挙での強さと権力を担保している限り、それは少しずつ破局に向かう政治の『時間かせぎ』にしかならない」(吉田 同前)ということだ。

 私たちは問題設定を変えるべきだ(以下、5―7面「戸田代表を囲む会」より)。

 アベノミクスに効果があるかどうか、という話ではなく「さしせまる破局、それとどう向き合うか」という問題設定が必要になるんです。破局というと、「何とか避けられるのではないか」と対策を講じる、と発想しがちですが、そういうことではありません。若い世代は「このままでも明日は来るけれど、その先にあるのは超高齢化社会だ、リストラだ、社会保障の破綻だ…明日は来るけれどその先に未来はない」という感覚でしょう。

 「未来は明るい」と思っていない。そこに「希望」があるんです。破局の先に生き続ける何かを、どう準備するのか。年寄りは「逃げ切り」を考えますが、「逃げ切り」ができない世代は、「その先をどう生きるか」を考えるんです。その破局の時に立ち上がる、むしろチャンスだと思って立ち上がる、そのための新たな社会関係資本をどこまで作るか。これが「さしせまる破局、それとどう向き合うか」という問題設定です。(引用終わり)

「アベノミクスのように、期待値を操作して恣意的に『終り』をみせずに『破局』はないと証明しようとする政治の時間軸に対抗して、『破局』はあるものとすることで、未来を変えることのできる投企的な政治を可能にするのが『破局論』の時間軸である。そして、来るべき『破局』を読み取ることのできる・・・(のは)政策の専門家などではなく、・・・『未来の記憶』を持つ『事情に疎い者』、つまりは生活者でしかあり得ないだろう」(吉田徹「世界」9月号)。

このままでも明日は来るけれど、その先に未来はないという「未来の記憶」から、その未来に向かって自ら「かくあろうとする」、そういう生活者を主権者として登場させることだ。

【「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」という

 分断社会の克服に向けて】

破局を先送りする「時間かせぎの政治」は、アベノミクスに特有なものではない。

「政治経済学者シュトレークは、一九七〇年代の資本主義の構造的なショックをインフレで克服したことが新自由主義を生み、これが金融市場の自由化を進めたことで一九九〇年代の不況を招き、今度はそれを民間部門への債務付け替えで乗り切ろうとしたためにリーマンショックが起きた連鎖を検証し、これらは後期資本主義が破局に向かっている間の『時間かせぎ』にすぎないと喝破した」(吉田 同前)。

このプロセスは、次のようにも描かれる

「市民によって統治され、租税国家として市民によって財政的に支えられている国家が、その財政的基盤をもはや市民の出資によって賄えなくなり、その大きな部分を債権者の信用に依存するようになれば、それは民主的な債務国家へと姿を変える」(シュトレーク「時間かせぎの資本主義」 みすず書房)

この「民主的な債務国家」は「市場」によって、政治的行動を制約される(緊縮財政など)。他方、「国家はつぶれそうな銀行を救済し、この同じ銀行団によって破産寸前に追い込まれる――結果として、金融による支配体制が、当該国家の国民を保護監督下に置くことになる。(「デモクラシーか、資本主義か?」ユルゲン・ハーバーマス 三島憲一訳 「世界」9月号)。

民主主義が定着したのはその理念によってではなく、平等で豊かな中間層を生み出すことができたからである。「市場」によって監督される「民主的な債務国家」の下では、(適切な再分配を行うべき)政治は必然的に劣化し、社会は分断される。経済のグローバル化、とりわけマネー資本主義の拡大と民主主義との矛盾が深まるなか、「時間かせぎ」の政治はいつまで危機を先送りできるのか。

「第2次世界大戦後、英国では基幹産業の国有化と医療・教育の無料化が実現した。戦前のグローバリズム、言い換えれば行き過ぎた資本主義が、ファシズムと共産主義の諸国家を生んだ反省から、国家が資本主義を統御し、民主主義を安定させることが狙いだった。

このような国家のあり方は、他の先進国でも見られた『戦後合意』だった。だが、米国のトランプ旋風やサンダース旋風、欧州の極右や極左政党の台頭は、『戦後合意』が過去のものとなったことを示している」(吉田徹 読売8/12「論点」)

いまや先進国リスクの時代だ。「民主的な債務国家」はグローバル経済を統御できず、社会的分断と民主政治の機能不全に直面している。「戦後合意」を支えた中間層はやせ細る一方だ。

「ダニ・ロドリック米ハーバード大教授は主著『グローバリゼーション・パラドクス』で、『グローバル化―国家主権―民主主義』はトリレンマ状態にあると論じた。

国家主権と民主主義の連結により、グローバル市場に背を向けることはできる。また国家主権がグローバル化と結びつき、民主主義を犠牲にすることも可能だ。あるいは国家主権を犠牲にして、グローバル化と民主主義を選び、グローバルガバナンス(統治)と世界民主主義の組み合わせを構想することもできる。けれども、3つを同時に成立させることはできないという。

これは現代の先進国リスクを暗示しており、ほぼ例外なく民主主義的である先進国の悩みを言い当てている。つまり中国のような一党独裁国やシンガポールのような権威主義国は、主権とグローバル化の組み合わせで前進できるのに対し、先進国は自国の民主主義に敏感にならざるを得ない分、グローバル化が一層深化すると、トリレンマに陥る。

規制緩和と自由化を軸とする単純なグローバル化主義者は、統治権力=国家主権と結び、この民主主義的側面、ならびにそれを行使する中間層以下の人びとを、えてして『非合理』と軽視してきた。EUもまた、複数の統治権力=国家主権を束ねるところまではよかったが、民衆と民主主義を軽んじた。今起きているのは、やせ細る中間層以下からのしっぺ返しである」(遠藤乾 日経7/28「経済教室」)

「グローバル化―国家主権―民主主義」のトリレンマを解消する〝魔法の杖〟はない。だがトリレンマを深刻化させないことはできる。鍵を握るのは社会的な分断状況の克服である。その際に必要となるのは、幅広い生活保障にほかならない。

グローバル経済の下では社会保障制度はまかなえない、というのは本当だろうか。

ここで想起すべきは、「戦後合意」につながる社会保障制度は19世紀末からのグローバル化に起源を持つ、ということだ。「第一次世界大戦前のグローバル化時代にこそ現代の社会保障制度の起源があるという点は強調しておくべきだ。~中略~このタイミングを強調するのは、ヨーロッパでの社会保障制度プログラム導入が経済目標の実現と競合するものとは見なされず、むしろそれを補うものと考えられていたからだ」(「21世紀の不平等」アンソニー・B・アトキンソン 東洋経済新報社)

 21世紀の社会的分断は貧富の差や、出自や宗教による差別によるものだけではない。グローバル化の下、国境を超えた形で「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」(「分断された社会は乗り越えられるのか」今井貴子 世界9月号)というように分断され、さらに「リスクの多様化ゆえにそれぞれのグループ内でも連帯が生まれない」(同前)という分断構造になっている。だからこそ、より包括的な生活保障が不可欠になる。

 国家を介して市場経済と民主主義を両立させるという「戦後合意」を、それを可能とした歴史的条件―戦争と革命―なしに改めて履行させるうえで、政治の責務はきわめて重い。

【「時間稼ぎの政治」に対抗する「未来への責任」をどう語るか】

参議院選挙前の世論調査では、アベノミクスを「見直すべき」が61%と、「さらに進めるべきだ」の23%を上回った。消費増税の再延期についても、「社会保障の充実が難しくなったと思う」との懸念が53%に上った(毎日6/22)。それでもなお、「期待値を操作して恣意的に『終り』を見せずに、『破局』はないと証明しようとする」アベノミクスの手法が、選挙で一定の効果をあげられるのはなぜか。

 「『若者は保守寄りで、自民党支持が多い』とニュースが言っていた。たしかにそうだろうと感じる。だっていまの生活を格別変えてほしい、変えたいと思っている若者はそんなにいないはずだ。変わらなくても明日はくるのだから。

 しかし、その明日が来続けた先にあるのは、高齢化社会だ、年金だ、リストラだ、社会保障だ……明日は来るけれど、その先にはなにもない。

 どの党の公約を見ても、この不安や不満は解消されない。解決策が示されてないわけじゃないのに、しっくりこない。物足りないのはなぜか。

 きっと、未来なのだと思う」

(Yamato 19歳 ポリタスhttp://politas.jp/features/10/article/517より)

 時間かせぎの政治に対して、未来への責任をいかに語るのか。そのことが問われている。

 「選挙戦で気になったのは、自民党が『成長と分配の好循環』を掲げたのに対し、民進党も『分配と成長の両立』を打ち出し、経済成長が共通点になったことだ。~有権者には『どちらが先か』の議論にしか映らなかったのではないか」(毎日7/28「記者の目」小山由宇)。「私はキーワードとなるのは『次世代への責任』ではないかと考える。有権者が求めるのは経済成長の方策よりも、人口減少社会の中で、持続可能な財政や社会保障をどう構築するかという重いテーマだと思うからだ」(同前)。

 求められているのは、対象を選別して「救済する」選別主義から、中間層全体を底上げする普遍主義へという空間軸の転換、そして「時間かせぎ」の政治から「未来への責任」という時間軸の転換だ。ヨーロッパではEUレベルでも各国レベルでも、この転換をめぐる試行錯誤の政治的経験はかなり集積されている。では私たちは、この観点から政権交代の経験をどう語るのか。

「前原 (井手・慶應大学教授の著書を読んで)自分は大きな間違いをしていたと気付かされた。それは、『歳出削減イコール改革』と考えていたということです。本当に必要なところまで削ってしまっては、井手さんのご指摘のどおり、社会の分断をいっそう深めてしまう。

井手 まことしやかに語られる『支出の削減イコール財政再建』は本当か、ということですね。実は、低所得者へのいわゆる『弱者救済』ではなくて、中間層も含めて広くサービスを提供できている国のほうが、統計的に見て税収が大きい。政治的多数が受益者となって、自分の必要を満たしてくれる安心から、税金への抵抗が弱まる。こういう経路があります」(世界9月号 対談 前原誠司・井手英策)

「井手 日本では、これまで『分配か、成長か』という議論になりがちでしたが、今回の参院選では、むしろ『分配と成長の関係』が論点になった。~その課題設定からの変化じたいは評価したいのですが、結局は成長論議の枠にとどまり、そこで議論は止まったままでした。なぜ野党は思い切った生活保障策を打ち出せないのでしょう。

前原 それは、民進党がもっとも反省すべき点です。~方向性、キャッチフレーズは正しかったと思います。ただ~(それぞれの政策は)非常に重要ですが、政策全体の大きな柱、理念自体は打ち出せなかった。~中略~

 振り返ると二〇〇九年政権交代選挙の際には~目玉の政策がありました。しかしこのときも、強力な商品を並べていながら、目指すべき社会像をふまえた、奥行きのある政策にはなっていなかった。~きわめて生煮えの政策でした。

 もう、こうした失敗を繰り返すことは許されません。あらためて訴えていくべきは、財源論から目を背けない生活保障システムの構築です。消費税引き上げ分の残る2%も、もっと納税者の受益を増やす方向で使途を考え直したい。今回、野党は富裕者増税、企業増税しか打ち出せなかった。所得税、相続税、また配偶者控除、特別控除などもあわせて再検討しながら、『将来不安の払拭』『閉塞からの反転』という大きな柱を掲げる必要があると思います。

 ~中略~民主党政権は子ども手当の額、またその期間を~拡大しました。高校授業料の無償化も実現した。しかし、これはまだ完成ではないのです。〇歳から五歳までの就学前教育を無償化し、高等教育も無償化に近づける~これらふたつを実現するには、消費税一%でよいのです。この一%で、すべての子どもに、チャンスが与えられる。演説会で、『消費税の一%を子どもの未来に使うことに反対ですか』と尋ねると、異を唱える人はほとんどいません」(同前)

「井手 成長に頼るのか。あるいは規制緩和と財政再建を進めるのか。そうではなくて、成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない~脱「成長」とも異なる脱「成長依存」。新たな選択肢が見え始めています。

 だからこそ、あえてお聞きしたいことがあります。~野党共闘の枠組みの中で、このような社会のビジョンはそもそも受け入れられるのでしょうか。(野党の公約では富裕層・大企業を狙い撃ちにするが、それだけでは財源は足りない。)」(同前)

 このままでも明日はくるが、その先に未来はない―この不安や不満に正面から向き合うためには、人々の生活の必要―受益を徹底的に議論するとともに、財源論から逃げないという姿勢が必要だ。税と社会保障の一体改革がやろうとしたのは、そういう転換だったはずだ。

 「次世代を意識してアベノミクスへの対立軸を打ち立てようとすれば、おのずと地道な結論にたどりつくはずだ。自民、公明、旧民主による『税と社会保障の一体改革』の3党合意は、少なくとも未来を見据えていた。民進党は原点に立ち返り、野心的なアベノミクスに対抗するのでなく、増税も視野に入れた財政再建と、家計に安心感をもたらす社会保障の充実を両立できる将来像を描いてほしい」(前出 「記者の目」)

民進党をはじめとする野党、そして野党共闘に問われているのはここだろう。安全保障なら「情勢論」で「とりあえず合意」することもできる(旧社会党がそうしたように)。しかし財源論は、どういう社会をめざすのかという社会のあり方とともに、民主主義のあり方をめぐる本質的なハードルだ。ここをあいまいにした「よい再分配」論は、「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という〝生活者〟には、すでに見透かされている。増税反対だけでは、「経済成長依存」というアベノミクスと同じ土俵だ。それなら、50%の投票率で安倍政権が勝つに決まっている。

 「成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない」(井手 前出)という議論―ガチンコの議論―を、国民の前でどこまでできるか。一度失われた信頼関係を立憲民主主義のフォロワーシップの転換という新たなステージで、もう一度紡ぎ直すことができるか。

このままでも明日は来るけれど、その先に未来はないという「未来の記憶」から、その未来に向かって自ら「かくあろうとする」、そういう生活者を主権者として登場させるための舞台の幕が上がりつつある。

(「日本再生」448号より)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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◆第27回 戸田代表を囲む会in京都

 「安倍政権の今後と、民進党のめざすもの―立憲民主主義のフォロワーシップの視点から」

 9月21日(水)午後6時30分より9時まで

 コープイン京都 202会議室

 参加費 1000円(学生500円)

 ゲストスピーカー 福山哲郎・参議院議員 泉健太・衆議院議員 隠塚功・京都市会議員


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


メルマガ♯がんばろう、日本!         №214(16.8.2)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

□私たちの民主主義を、さらに鍛える―国民主権の発現としての憲法改正

 「主権者として憲法を立てる」を身近に創りだし、実感するために

 ●望む未来がありますか?

  選挙は政治家のものではなく、自分の未来の話~主体は私たちだ

□「囲む会」のご案内 

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私たちの民主主義を、さらに鍛える―国民主権の発現としての憲法改正

 「主権者として憲法を立てる」を身近に創りだし、実感するために

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【望む未来がありますか?

選挙は政治家のものではなく、自分の未来の話~主体は私たちだ】

参議院選挙は、「改憲勢力、三分の二議席に」という当初の予想どおりの結果となった。イギリスの国民投票でも、アメリカの大統領候補選びでも、韓国や台湾の選挙でも、既存政治の枠の外の変化が事前の想定を覆す、既存政治のインサイダー、制度の枠内にいる者ほどが事態を見誤る、ということになっている。当初の想定どおりの結果、という選挙は主要国では日本くらいだろう。

では日本の有権者には、無関心や政治不信がさらに増大しているのか。〇五年郵政選挙、〇九年政権交代選挙では七割近かった投票率は、この間50%台前半という低投票率が続いている。投票に行かなくなった人々は、政治をあきらめて思考停止しているのか。

既存の政治、既存の制度の枠内から見ているかぎり、生まれつつある立憲民主主義のフォロワーシップの静かなる芽生えをとらえることも、そこに近づくこともできない。そういうステージが始まっている。

選挙は政治家や政党、候補者のものではなく、自分(たち)の未来の話。そんな感覚が当たり前のものとして共有されつつある。このままでも「明日」は来るけれど、その先に「未来」は見えない、そんななかで、少なくとも自分自身の「未来」には主体者であろうとする人々のなかから、それは始まっている。

「…だが自分は、これは自分たちの選挙で、○○さんの選挙ではないと思っています。候補者が主体ではなく、選挙民が主体だからです。○○さんは私たちの選挙に候補者として選ばれる客体なのです。私たちが○○さんのサポーターではなく、○○さんが私たちのサポーターなんです。候補者がどんな政策を訴えようとも、私たちに望む世界がなくては、選びようがありません。『選べない』とか『選択肢がない』とか耳にします。その前に望む世界がありますか。もしなければ誰も望まない世界になります。世界は望む力が大きいように形成されていきます。多くの人々が、目先の面倒事を知らないふりをすることを望めば、望まなかった世界ができてしまいます」。(ある会員のFacebookより)

 「『若者は保守寄りで、自民党支持が多い』とニュースが言っていた。たしかにそうだろうと感じる。だっていまの生活を格別変えてほしい、変えたいと思っている若者はそんなにいないはずだ。変わらなくても明日はくるのだから。

 しかし、その明日が来続けた先にあるのは、高齢化社会だ、年金だ、リストラだ、社会保障だ……明日は来るけれど、その先にはなにもない。

 どの党の公約を見ても、この不安や不満は解消されない。解決策が示されてないわけじゃないのに、しっくりこない。物足りないのはなぜか。

 きっと、未来なのだと思う。

 僕が託したいのは——僕たちの不満を理解し、正義を示し、理想を政策で実現しようとする存在への一票なのだと思う。僕は、これから生きていく道に希望を感じさせてくれる誰かに、未来を託したいのだ。

 ~中略~それは『9条を守るための選挙』だとか、『アベ政治を許さない』としか言わない人たちではないんじゃないか、少なくとも僕はそう思ってしまう。僕は、選挙で問われるべき本来の論点を政策でどう解決するのかを聞きたい。僕たちが一票を入れるべき選挙は『誰かにNOをつきつけるための選挙』ではないはずだ。

 だけど……自民党に手放しで賛成もできない。いまの政治に納得のいかないことはたくさんある。

 きっとどんな人でも漠然とした不安は抱えているのだと思う。大事なのは、日本をどうしたいか、どんな国であってほしいか、どんな未来を目指すのかを考えることだ。その意志表示が投票だ。というか、そもそも『良識の府』って、そういうところじゃなかっただろうか。

 19歳になった僕は明日初めて投票にいく。若者の意志表示のために、僕たちの未来を託すために。突きつけられた現実に屈するためでも、理想論に踊らされるためでもない。未来のために、だからこそ選挙にいこうと思う」

(Yamato 19歳 ポリタスhttp://politas.jp/features/10/article/517より)

 選挙は政治家や政党、候補者のものではなく、未来を生きる自分の話。与えられた選択肢を選ぶしかない、のではなく、自分の一票は自分の未来のために。国民は「統治される」のではなく、統治の主体であるという国民主権の当事者性の感覚は、こうしたところから芽生えているのではないか。ここからさらに、権力を制約するだけではなく、主権者として権力を構成するという立憲主義へ。「選んで終わり」ではなく、参院選後の社会をさらに自分たちの手に引き寄せるために。

【「主権者として憲法を立てる」を身近に創りだし、実感するために】

開票で圧勝が判明した途端、安倍総理は選挙中には憲法改正の是非を問うていなかったことを認めたうえで、「今後はどの条文をどのように変えるのかという議論に移るので、憲法審査会を動かしていきたい」と述べた。好むと好まざるとにかかわらず、護憲vs改憲という神学論争の世界から、戦前回帰の亡霊を封じ込めつつ、国民主権の発現として憲法改正を議論する、その転換の入り口を開けられるかという攻防のステージに移る。戦前回帰の亡霊は、国民主権の発現としての憲法改正の力が弱い度合いによって彷徨うのであって、逆ではない。

「自民党は『憲法は押しつけ』『占領下で作られた』と言い続けているが、権力を持っている人が憲法に疑義を唱えるのは、社会にとっていいことではない。今の憲法が主権のない時に作られたのは事実だが、主権を回復した後、我々は憲法を破棄せず、認めてきている。憲法が無効なら、今までの法律も国会議員も全部否定されてしまう。

最初の改正は、憲法に対して国民が意思表示をし、承認する機会にすればいい。いろいろな条文を変えたい自民党にとっては都合が悪いかもしれないが、それによって『押しつけ論』は消える。今の憲法を認めた上で、それと一体を成すものとしての改正案も認める、と国民が意思表示をすることに意味があると思う」(井上武史・九州大学准教授 読売7/25)

戦前回帰の改憲論、二度と戦争はゴメンだという護憲論は、憲法を「不磨の大典」に祭り上げてしまい、逆に社会の変化に対応して憲法を変える―三原則を発展させる―ことによって暮らしや社会がこう変わったという、主権者としての実感を私たちは持てないままでいる。その結果、広がるのは憲法への無関心、それと表裏一体となった「憲法については何を言ってもいい」(何でもアリ)の歪んだ世界。「主権者として憲法を立てる」という実感を持てる世界へと、転換していく一歩を踏み出すときだ。

「改正論議は、70年間、社会の変化に応答しなかった憲法を今後も持ち続け、解釈変更や法律の制定で対応していきますか、という点を問うことになる。~中略~海外でも憲法改正のハードルは高い。エネルギーがいる。政治家には、憲法改正は社会の変化に対応する政治を作るチャンスだという視点を持ってほしい」(井上准教授 前出)

 戦前回帰の改憲論を封じるのは、日本国憲法の三原則―基本的人権、平和主義、国民主権を、時代や社会の変化に対応してどう深化・発展させるか、という問題設定からの憲法改正論だ。この点、自民党の憲法草案の基軸は、基本的人権の制限、平和主義の放棄、国民主権の縮小だ。また「政府の規定がない」ということは、主権者国民が権力を構成する、という国民主権の原則とは別のものに拠っているということにほかならない。

 憲法の三原則を時代の変化に即して発展させ、社会の変化に対応する政治を作るチャンスとするためには、憲法論議の土台を常識の線に持っていくことも必要になる。

 「憲法には①前文に代表される国の基本的な性格やその象徴に関わるような規定②平和主義や人権保障の基本原則など国の政治のあり方の基本原理を定めるような規定③統治機構に関する専門技術的な色彩の強い規定――など様々な内容の規定が混在する。

 ~こうした規定の性格により改正プロセスのあり方も相違があるべきである。①や②については、国民的な熟議が求められる。ある事項を憲法に規定するということは、国会による法律の制定に帰結する通常の民主政プロセスでは手の届かないところにその事項を置くということだ。通常の民主政プロセスで激しく対立している争点について、一時的な多数を頼んで憲法化することはあってはならない。

 ~中略~他方、③の専門技術的な色彩の強い規定については、議論の段階では専門家の関与が不可欠だろう。~最終的には国民が憲法改正を決定するとしても、検討過程まで国民の代表である国会に独占させるべきではない。~なお、60回の改正を経験したドイツをはじめ、諸外国では頻繁に憲法が改正されていることが指摘されるが、多くの場合、専門技術的色彩の強い規定に関するものであることに留意すべきだろう」(曽我部真裕・京都大学教授 日経6/9)

 こうした憲法改正の常識に立てば、自ずと「今の憲法を認めた上で、それと一体を成すものとしての改正案も認める、と国民が意思表示をすること」(井上准教授 前出)となる憲法改正のテーマも、常識の範囲に絞られてくるはずだ。当然それは、特定政党の党是や草案に基づくものではなく、主要な与野党間で合意がとれる項目、論点となるべきであることは、言うまでもない。

 大切なことは、こうした問題設定を「憲法改正の話」としてだけではなく、時代や社会の変化に対応する政治を作るための議論を起点に、国民的な議論にしていくことだ。あえて言えば、それは憲法の話ではなく、私たちがどんな未来を望むのか、という話なのだから。

 「反立憲政治を止める」は、単なる選挙のスローガンではない。国民がこれほど憲法を意識した選挙は、おそらく初めてだろう。憲法が、教科書のなかの知識だけでなく、自分がどんな未来を望むのかに関わるものとして、意識され始めている。「主権者として憲法を立てる」という実感を持てる世界へと、転換していく一歩を踏み出すときだ。

 

【身の丈に合った卑近な要求を通じて、政治を身近に】

 「主権者として憲法を立てる」ために憲法を論じることは、私たちの民主主義を鍛えることにほかならない。例えば未来に対する責任、将来世代も含めた公平・公正を、民主主義にビルドインできるのか。

 「財政をめぐる政策論議は、この20年で、ぐるりと一周して元に戻ってきたかのようだ。

 1990年代初頭、バブル崩壊後の日本では、財政出動と減税で景気を刺激しさえすれば不況を脱出できる、と皆が信じ、巨額の財政政策を毎年繰り返した。90年代も今とまったく同じ議論をしていたのだ。違いといえば、当時は国の借金は少なく、高齢化も進んでいなかったことである」(小林慶一郎 日経6/20)

 「消費税増税延期に象徴されるような『世代を越えたコストの先送り』は、産業社会に過去100年あまりで出現した新しい問題である。有限な化石燃料資源、環境問題、原子力発電とその放射性廃棄物の超長期的管理の問題、そして政府債務によって支えられた社会保障制度の持続性の問題。これらはすべて『コストを後世に先送りする』誘因とどう戦うかという問題だが、近代民主主義の初期の設定には入っていなかったことばかりである。いま日本が直面している財政の持続可能性という問題も、従来の民主主義で解決できるとは限らないし、実際に解決不可能であることを、我々日本人が現在進行形で証明しつつある。

 こうした問題を解決するためにこそ、憲法改正は必要なのかもしれない」(同前)

 財政規律条項を持つ憲法は少なくないし、EUは加盟国に財政規律を課している。与野党合意によって(党派的駆け引きも含め)縛っている国もある。日本では「税と社会保障の一体改革」(三党合意)がその糸口になるはずだったが、今や完全に反故にされている。

 「このままでも明日はくるが、その先に未来は見えない」と感じている人々に提示すべき選択肢は、「未来への責任」や「持続可能な社会」ではないか。憲法論議はこうした視点から出発すべきだろう。

 主権者として、望む未来を思い描くことができるための主権者教育も重要だ。初めての18歳選挙権ということで、今回の参議院選挙では主権者教育の成果が投票率として表れたと思われるケースが散見される。しかし主権者教育が必要なのは、大人も同様だろう。それは、民主主義の作法ともいうべきものだ。例えばこんなふうに。

(以下は finalvent  http://politas.jp/features/10/article/510 より)

 ドイツでは1972年に選挙権年齢が18歳に引き下げられ、教師などが議論を重ねた結果、学生と政治活動についての指針「ボイテルスバッハ・コンセンサス」ができた。

提示されているのは次の三つの原則。

①学生に威圧をかけることの禁止

②異論が多い課題は異論が多いままにしておけ

③学生の個人的な利害を考えさせよ

 日本の現状に即して考えるなら

① 政治活動の届け出など、生徒への威圧そのものだろう。これは即刻、止めさせるべきだ。

② 「ヘイトスピーチ」や「歴史修正主義」などは論外だが、安保法改正が「戦争法」なのかという点には異論があるので、各教師が思うまま各種の異論をそのまま生徒に語ればよい。

③ 18歳・19歳の若者の生活上の利害を考慮すべきだ。バイト代を上げてくれでもいいし、授業料を下げてくれでもいいし、市役所で合コンパーティーをやってくれでもいい。政治なんて高尚なもんじゃない。身の丈に合った卑近な要求をがんがんぶつけていけばいい。

日本の「18歳選挙権」はこうした、民主主義の根幹的な議論がなされることなく、諸外国の「18歳選挙権」風潮に流されるように実現した。しかし、今からでも遅くない。日本版「ボイテルスバッハ・コンセンサス」を確立し、高校を改革すべきだ。【引用終わり】

 ①も②も、民主主義の重要な作法だが、とくに③の個人的な利害(個人的な、と思われている困り事も)を考えることは重要だ。「個人的」なことが、じつは社会と大きく関わっていることを知り、他者との合意形成のプロセスを身につけることは、市民性という点でも主権者教育の重要な視点だ。

 身の丈に合った卑近な要求を通じて、政治を身近に感じていく機会を、若者だけではなくさまざまな人々がもっと普通に実感できる社会。それこそが、主権者として憲法を立てる、憲法が機能している実感をもてる社会だろう。(その最も重要かつ身近なフィールドこそ、住民自治の現場、まちづくりの現場であることは、言うまでもない。)

 ここから、多数決だけが唯一の決め方ではない、民意を集約するよりよい方法を検討しようとか、一人一票だけではなく人口とは別の理念での代表制(地域代表など)もありうるのではないかなど、各国の知恵も学びながら、民主主義をより豊かにするための議論も可能になる。そういうステージを開いていこう。

(11―12面「囲む会」も合わせて参照を)

(「日本再生」447号一面より)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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●第164回・東京・戸田代表を囲む会

「立憲民主主義のフォロワーシップの転換と、主権者運動の前史から本史へ」

戸田代表の提起と討議

8月11日(木・祝) 1330から1800まで

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

参加費 なし(この回に限り)


メルマガ♯がんばろう、日本!         №213(16.6.30)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

□反立憲政治を止める!

そして私たちの民主主義を鍛える努力を、さらに!

● 「なんてことをしてしまったんだ」と後悔する前に

  ~国民投票を使いこなす準備はできているか?

● 改憲勢力の議席、三分の二を止める

  参院選は、与党か野党かを選ぶ選挙ではなく、政権を評価する選挙

● 新しい政治をつくる可能性を開く 民主主義のための努力を続けよう

● 「私たち」の民主主義を、さらに鍛えよう

□「囲む会」のご案内 

□真庭バイオマスツアー

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反立憲政治を止める!

そして私たちの民主主義を鍛える努力を、さらに!

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【「なんてことをしてしまったんだ」と後悔する前に

~国民投票を使いこなす準備はできているか?】

 「なんてことをしてしまったんだ、本当にイギリスが離脱するなんて思わなかった」。国民投票の結果をみたツィートだ。英下院が設けた国会論戦のテーマを募るための電子署名サイトには、国民投票のやり直しを求める請願に署名が殺到、一時サーバーがダウンするほどだった。10万筆で議会審議の検討対象となるが、数日間で集まった署名は390万ともいわれ、さらに増え続けている。今回の国民投票の総数はおよそ3300万。署名には偽造も混じっているようだが、それを考慮しても総投票数の一割近い数の人々が、「やり直し」を求めていると思われる。(ただし「やり直し」は、ほぼありえない。)

 イギリスでは国民投票の後、「EUとは?」がグーグルの検索トレンドで二位になったという。投票結果が出てから「マジで離脱?」、「EUって何?」という有権者の姿を、しかし私たちは他人事とみていられるだろうか。

 今回の参院選の結果、改憲勢力が参院でも三分の二以上の議席を獲得すれば、憲法改正を自己目的化する安倍総理の下での憲法改正の発議と国民投票が、具体的な政治日程にのぼってくる可能性がある。いうまでもなく、国民投票は「自分たちのことを自分たちで決める」という民主主義において、最も重要な決定といえる。だからこそ憲法改正という最重要事項の決定には、両院の三分の二という通常の立法よりも高いハードルとともに、国民投票という手続きが課されている。私たちには、この民主主義を使いこなすだけの準備ができているか。

 為政者自身の統治を正当化する手段として用いられる国民投票は、通常の国民投票(レファレンダム)とは区別してプレビシットといわれる。簡単には白黒つけられない複雑な問題に、最終的に国民自身が白黒をつける国民投票は、時間をかけて議論を重ね、論点を整理したうえで行われるべきだ。そのプロセスをおざなりにすれば、どうなるか。

 今回のイギリスの国民投票は、一方は離脱したらこんなにヒドイことになるといい、他方は移民排斥の感情を煽るという「脅かし合戦」の様相を呈していた。なかでも「EU拠出金が国民保険に支払われる」とか「移民がゼロになる」といった離脱派のキャンペーンは、投票直後に離脱派のリーダー自身が虚偽だと認めるようなシロモノだった。一方キャメロン首相は、ある種のプレビシットで自らの政治的立場を有利にしようとして、「返り討ち」にあったといえる。

 私たちは、近い将来あるかもしれない憲法改正の国民投票を、プレビシットにしてしまうことはないだろうか。国民投票という最高の民主主義を、賢く―少なくとも「なんてことをしてしまったんだ」と後悔することのないように―使いこなす準備は、どこまでできているか。

 だからこそ、この参院選は私たちの民主主義を鍛える重要な機会なのだ。

【改憲勢力の議席、三分の二を止める

参院選は、与党か野党かを選ぶ選挙ではなく、政権を評価する選挙】

 この参議院選挙で改憲勢力が三分の二以上の議席を獲得すれば、安倍総理は任期中に憲法改正に乗り出すだろう。選挙では経済政策を前面に押し出しつつ、「憲法改正は当たり前」という総理。重視する政策として憲法を挙げたのは自民、公明の候補者ではゼロだが、憲法改正について自民党候補は全員賛成、公明党の一部も賛成だ(朝日新聞と東大・谷口研究室の共同調査)。憲法改正に前向きだが、参院選ではアピールしないという与党の姿勢が鮮明になっている。

 二〇一三年の参院選でも、一四年の衆院選でも、安倍総理は経済政策を前面に出して選挙を行いながら、争点化していない特定秘密保護法や安保関連法を「選挙で多数を得た」として成立させた。歴代内閣において積み重ねられてきた憲法九条の解釈も、「たかが一内閣」の閣議決定で変更された。

 今回の選挙でも争点として前面に押し出しているのは、アベノミクスと消費増税先送り。これで憲法改正に乗り出せば、三回目だ。国民を欺くようなやり方で、改憲をもてあそぶ―こうしたやり方に歯止めをかける。これが改憲勢力の議席、三分の二を止める意味だ。

 安倍総理はネット討論会でこう述べている。「谷垣総裁時代に、憲法改正草案を示している。憲法改正は、選挙公約に書いてある」。「自民党は立党以来、憲法改正を掲げている。(改正は)当たり前であります。憲法を変えたいとは思うが、条文は決まっていない」。

 自民党憲法草案は、基本的人権の普遍性、不可侵性を謳った現行憲法97条を削除しているようなシロモノだ。http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdfそんな中身も問わず、改憲それ自体が自己目的化された改憲論が、国会内で大手を振るうことを止める。これが改憲勢力の議席、三分の二を止める意味だ。(「三分の二」という要件は本来、それだけの合意が得られるまでに議論を重ねて熟した案を国民投票に提供することが国会の責任だ、という意味のはず。)

 参院選は与党と野党、どちらがいいかという選択の選挙ではない。参院選では政権は交代しない。参院選で問うのは与党と野党の比較ではなく、政権に対する評価だ。野党のていたらくがどうであれ、「この政権は最善を尽くしているのか」「あの公約はどうなったのか」と、有権者が政権に厳しく問うことは、民主主義の重要なプロセスだ。参院選では、そういう一票を投じよう。

【新しい政治をつくる可能性を開く 民主主義のための努力を続けよう】

 「どうせ、投票したって変わらない」「どうせ、自分たちの声なんか届かない」「どうせ、だれがやっても同じ」…。〇五年総選挙の投票率68%、〇九年総選挙の投票率70%、一三年参院選、一四年総選挙の投票率は53%。この間に約一七〇〇万人の人々が、投票をあきらめてしまったことになる。低投票率では固定化された層しか投票しないため、結果も事前予測どおりのものになる。一票の力を実感できない「どうせ…」がさらに続く。

 投票をあきらめてしまった人々に、どうしたら伝わるのか。どうすれば、「声をあげていいんだ」ということを共有できるか。そういう人たちも、「自分たちも参加できる」と感じられるような場は、どうやったら作れるのか。いっしょに当事者性を育むには、どうしたらいいのか。こうした問いを立て、試行錯誤を重ねるところから、新しい政治への可能性がみえてくる。

 今回の参院選では、こうした民主主義のための努力がさまざまな形で展開されており、それにともなって選挙の風景も、これまでとは違ったものになっている。いうまでもなく、その原動力となったのは昨年の安保関連法反対の運動であり、そこから準備されつつあるのは新しい政治の市民的基盤とでもいうものだろう。

 今回の参院選では、三十二の一人区すべてで「野党統一候補」が立っている。それを可能としたのは政党間の調整ではなく、安保法反対運動から生まれた市民的な基盤にほかならない。それは同時にこれまでの選挙のやり方、選挙の風景、選挙の文化をも、大きく変えつつある。例えばこんなふうに。

「今回の参院選は、どんな選挙になるのでしょうか。
 6月19日(日)、その新しい可能性を予感させる光景を、全国各地で見ることができました。たとえば有楽町の駅前広場にて行われた、市民と野党4党首による街宣。

 日曜日の朝にもかかわらずたくさんの人が集まりました。そして、民進党・岡田克也代表、日本共産党・志位和夫委員長、社民党・吉田忠智党首(生活の党・小沢一郎代表は、葬儀のため欠席)と『市民連合』が共に手を取り合い、『みんなのための政治を、いま』とアピールする姿を見守りました。

 この大街宣の特徴は、市民と政治家の一体感。舞台の後ろには、さらにひな壇が作られ、そこに名もない普通の人たち ――若者やお母さんたちが立っていました。また、色とりどりのプラカードを手にした人々が舞台を丸く囲み、登壇者の話に耳を傾け、時には一緒に声を上げました。

 その光景は政治家が街宣車の上から話をし、それを市民は見上げて聞くという、従来の街宣とはまったく違いました。圧倒的に、政治家と市民の距離や目線が近いものになっていました。

 選挙の主役は政治家だけではなく、この国の主権者である『私たち』でもあることを、この目新しい光景は雄弁に語っています。

 『私たち』は政治家に説得され、ただ政治家を選ぶことしかできないわけではありません。

 『私たち』は政治家と言葉を交わし、共に新しい政治をつくることができます。
 今、社会は確実に動き出しています。」(http://sealdspost.com/)

 このSEALDs POSTのサイトでは選挙の仕組み、与野党の政策の違い、投票を呼びかけるポスターのダウンロードなど、これまでの政党から有権者に対する一方的な訴えとは違う形で、民主主義のための努力が展開されている。

 あるいは「自由と平和のための藝大有志の会」ではサイト上で、投票を呼びかけるポスター展を行っている(http://www.peace-geidai.com/shall-we-選挙/)。「自由と平和のための京大有志の会」は、多くの共感を集めた昨年の声明を映像化し、選挙期間中にはリレートークイベントを開催する(http://www.peace-geidai.com/shall-we-選挙/)。ほかにも各地で、「新しい政治」にむけた取り組みが行われているだろう。通低しているのは、「私」から始まって「私たち」を形づくろうとする民主主義のための努力ではないだろうか。

 もちろん、こうした努力は参院選で終わり、ではない。「日本再生」でも繰り返し取り上げてきたように、住民自治・市民自治の現場でこそ、こうした民主主義のための努力は日常として継続され、集積されてきたし、新しい政治の可能性とその基盤も自治の現場でこそ定着させ、集積していくべきだろう。それは、一人ひとりの意思と行動から始まり、そのつながりによって支えられ発展していくものだ。 

【「私たち」の民主主義を、さらに鍛えよう】

 イギリス国民投票の翌日、フィナンシャルタイムズのウェブ版に寄せられたコメントが、的確だと反響を呼んだ。

 「三つの悲劇に関する簡単なメモを記しておく。第一の悲劇は、「離脱」に票を投じたのは、経済的に無視されたと感じている、労働者階級であるということ。だが、「離脱」によって引き起こされる、雇用や投資の不足から、短期的にもっとも苦しめられることになるのは、彼らなのだ。この結果は単に、遠く手の届かないエリートと、ほかのものを入れ替えたに過ぎないのである。第二の悲劇は、若い世代がほかの27カ国で生活したり、働いたりする権利を失ったこと。意見が否定された私たちは、EC全域で得ることができたはずのチャンス、友情、結婚、そしてさまざまな経験を失った。すでに先人たちが残した負債のなかで溺れている世代との乖離のなかで、両親、叔父、そして祖父たちによって、移動の自由は奪われたのだ。第三の悲劇は、おそらくもっとも重要だ。私たちは、事実上、民主主義を超えた世界に住んでいる。H.G.ウェルズの小説のなかで、エイリアンの身体に跳ね返される弾丸のごとく、事実は神話の世界で役に立たない。政治家のマイケル・ゴーブ(引用者 離脱派の司法大臣)は言った。「イギリス人は老獪さにうんざりしている」と。彼は正しかったのだ。偏見以外のなにかによって導かれた、反知性主義による支配的な文化の終焉のときを、誰か私に教えてくれないか?」(ハフィントンポスト6/27 6/25「DIGIDAY [日本版] 」より転載)

 イギリス国民投票はイギリス社会の亀裂、分断をあからさまに示す結果となった。そこでの大きな問題は、政治家たちがこうした亀裂や分断をさらに煽ることで、有利な立場に立とうとしていることだ。これは多かれ少なかれ、各国が共通して直面する問題にほかならない。「自分たちのことを自分たちで決める」民主主義を、「私たち」を分断する方向に作用させるのか、それとも多様な私たちを再統合する方向へ、使いこなすことができるのか。

 グローバル化と新自由主義の波によって、国民国家を基盤にした民主主義は、新たな課題に直面している。他方では、多文化共生社会という新しい可能性も始まっている。かつては自明のものと思われていた「私たち」は、グローバル化と新自由主義のなかでのエリートたちと、そこから取り残されたり、無視されていると感じる人々とに分断されている。今走っている亀裂は、国民国家の時代の社会、政治区分とは異質のものである。

 「○○をとりもどす」というスローガン(イギリス国民投票でも、一二年総選挙でも掲げられた)は、こうした亀裂を煽って政治的支持を調達するには「便利」なツールだろう。これをポピュリズム、衆愚政治と批判するのは全く正しいが、そう批判したからといって、現にある社会の亀裂を再統合に向けていく、民主主義のための努力につながるわけではない。

 イギリス国民投票では、離脱派による「デマ」に等しいキャンペーンが展開された。多くのメディアがその誤りを指摘したにもかかわらず、それ自体も「上から目線のエリート」として忌避されるという雰囲気が、社会のなかの一部にはあったという。これは、トランプ現象にも通じるものだろう。

 問題は、こうした「デマ」がなぜ大手を振るうのか、それを抑制する社会の力―カウンターーは、どうしたら作りだせるのか、ということだろう。例えば離脱に票を投じた多くの労働者は、必ずしもポピュリズムに煽られていたわけではない。

 「一般に、EU離脱派陣営は、保守党右派のボリス・ジョンソンやUKIPのナイジェル・ファラージが率いた「下層のウヨク」であり、これは「英国のドナルド・トランプ現象」と理解されていたようだが、地元の人々を見ている限り、こうした単純なカテゴライズは当てはまらない」(ブレイディみかこ YAHOOニュース6/25)

 「ガーディアンのジョン・ハリスは全国津々浦々のワーキング・クラスの街を離脱投票前の1週間取材し、「労働者階級の離脱派を率いているのはUKIPのファラージでも保守党右派のボリス・ジョンソンでもなく、人々のムードそのものだった」と気づいたそうだ。左派ライターとして知られる彼も、ワーキングクラスの街を回るにつれて自らの考えが揺らいできたことを認めている。 

 このワーキングクラスのムードの根底には何かきわめて重大なことがあるのではないかと気づいている左派の人々でさえ、まだ彼らのことを、「自分たちとは違う思想の人々に率いられて崖っぷちに向かっている愚衆。もっと物をわかってくれたら」と考えたがっている。だが、僕が会った人々は実のところ誰にも率いられていない。僕の経験から言えば、これらの人々のほとんどは、ファラージやボリス・ジョンソンを、残留派の人々と同じぐらいに懐疑的な目で見ている」(同前)

 こうした人々に届く言葉を、既存の政治・政党は持ち合わせていない。それは日本も全く同じだ。だから既存の政治や議会が扱える領域は狭くなる一方で、現在と将来の社会の問題は制度の外側、既存政治の外側に広がり続けることになる。いわばこうした既存政治の「死角」になっている、しかし本質的な問題や課題を、個人の自己責任・自己努力の問題ではなく「私たちの問題」として取上げ、共有し、議論を巻き起こし、公的なものに変換していくこと。その不断の積み重ね。

 それは単なるロビイングや政策提言の枠に収まるものではなく、民主主義を不断に鍛え、その担い手やエンジンを繰り返し作り出していくことにつながる。それが、民主主義のための努力の重要な領域になるだろう。

 制度の外側、既存政治の外側の問題は、まずは私的な感情表現として発せられる。感情表現は、同じ思いの人々には共感を呼びやすいが、感情表現に留まれば「ぶつけ合い」になってしまう。その共感を討議可能なものへと変換していくためには、「私たち」の場が必要になる。それが開放的なものであればあるほど、その共感は社会的な広がりを持つはずだ。「煽り」に対する社会的抑制の力を、こうした努力の積み重ね、とりわけ住民自治の場での集積のなかから育んでいこう。

 「公」なるものの名において「私」を均一化する同調圧力としての感情のぶつけあいではなく、私的な感情から「私たち」を媒介として新しい「公」へと架橋していく、そういう主権者運動へ。公共性とは閉鎖性と同質性求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である。

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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●第163回・東京・戸田代表を囲む会

「参院選の総括視点」(仮)

戸田代表の提起と討議

7月13日(水) 1845から

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

参加費 なし(この回に限り)

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第三回 真庭バイオマスツアー

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第三回となる真庭バイオマスツアーを、8月3日から5日(二泊三日)に行います。

今回は ①一万キロの〝木くず〟発電を軸とした大きな里山資本主義 

②薪ボイラーを軸とした小さな里山資本主義 ③田園回帰 を柱とした企画です。

(参照 「「日本再生」444号掲載 中島・銘建工業社長インタビュー)

費用は45000円程度(岡山駅・岡山空港までの交通費は除く)

視察先の例 一万キロのバイオマス発電所 燃料集積基地 原木市場・製品市場 

      中島氏の講演 林業現場(戸田家の森) 薪ボイラーと薪供給システム 

      畜産現場 など

詳細は ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで、お問い合わせを

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index

 

ご案内

□「囲む会」特別編

□ 蔵元会@かき小屋

□ 真庭バイオマスツアー 

□ 沖縄県民大会に呼応する6.19大行動

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囲む会・特別編  

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●第162回 東京・戸田代表を囲む会 特別編

「立憲民主主義のフォロワーシップは、どのように集積されつつあるのか」

6月12日(日) 1330から1730

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

参加費 無料(今回に限り)

戸田代表の問題提起、ならびに同人とのトークを予定。

*参院選の総括視点も含め、昨年来の「立憲民主主義」にかかわる取り組み、ならびに、この間の「自治の当事者性の涵養」の集積を、立憲主義のフォロワーシップとして共有するために。
「3.11以降」の新しい社会運動を踏まえて、主権者運動の行動原理、組織原理(時間の使い方、人間関係の作り方、生活スタイルetc)を、世界的に広がる「民主主義ってなんだ」にふさわしく、「上書き」することでもあります。

「日本再生」445号 一面も参照。

⇒445号付録の「資料集選書」は、反・非立憲の「思考停止」に流されず、問いを立てるために考え続ける小さな試みのひとつとして、ご参照ください。

ホームページにはPDF版も掲載しています。

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp/より

資料集選書 くらしがせいじだ!参院選を悩みぬけ!

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 蔵元会@かき小屋

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東北の第一次産業の復興を、飲食業として支えるべく仙台、東京(神田、新橋)で奮闘する

「かき小屋 飛梅」。これまでにも、水産加工品の生産者と飲食業者とのマッチングの場を

つくってきたが、さらにこれを「酒」にも広げるための試みとして蔵元会を開催。

おいしい夏の牡蠣と宮城の銘酒「一ノ蔵」をご堪能あれ。

●第一回蔵元会@かき小屋

6月25日(土) 1830から2030

かき小屋 飛梅 神田西口店 

 http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13172255/ 

会費 5000円(料理7品付き)

申し込みは6/19までに。

申し込み・問い合わせは 03-3527-1663まで

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 真庭バイオマスツアー  参加募集中!

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 第三回となる真庭バイオマスツアーを、8月3日から5日(二泊三日)に行います。

今回は ①一万キロの〝木くず〟発電を軸とした大きな里山資本主義 ②薪ボイラーを軸とした小さな里山資本主義 ③田園回帰 を柱とした企画です。

(参照 「日本再生」444号掲載 中島・銘建工業社長インタビュー)

費用は45000円程度(岡山駅/岡山空港までの交通費は除く)

視察先の例 一万キロのバイオマス発電所 燃料集積基地 原木市場・製品市場 

      中島氏の講演 林業現場(戸田家の森) 薪ボイラーと薪供給システム 

      畜産現場 など

詳細は ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで

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 沖縄県民大会に呼応する6.19大行動

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●怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応する命と平和のための6・19大行動

6月19日 1400から1530
国会正門前+並木通り・南庭前・北庭前(歩道)
共催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会と「止めよう辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会

当日は、沖縄で開催される県民大会を主催する「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」からも、代表が参加して挨拶する予定です。


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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メルマガ♯がんばろう、日本!         №212(16.5.30)

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Index 

□反立憲政治を止める

~立憲民主主義のフォロワーシップは、どのように集積されつつあるか

●反立憲政治を止める ~立憲民主主義のフォロワーシップという座標軸

●下り坂の時代の再分配を議論し、合意形成する民主主義を

□「囲む会」のご案内 

□真庭バイオマスツアー

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反立憲政治を止める

~立憲民主主義のフォロワーシップは、どのように集積されつつあるか

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●反立憲政治を止める ~立憲民主主義のフォロワーシップという座標軸

 来る参院選は、反立憲政治を「止める選挙」だ。立憲主義とは「憲法による統治権力の制約」。民主的に正当に選ばれた政治権力でも、憲法の制約の内側でしか、その権力を行使できない。この、私たちの社会の運営にとって「空気」のように当たり前のことが、どうもおかしなことになっているらしい―これが昨年の安保法制をめぐって人々が感じた違和感だったのではないか。

「(自民党憲法草案には)政府というものに対する根拠規定がない。必要だと思っていないからです。『こういう必要があるから、国民が政府というものを作って、みんなで運用するんだ』という発想が、根底的に受け入れられない、そういう感覚だからです。国家の上に憲法を置く、さらにその上に有象無象の主権者国民なるものを置く―これを受け入れられない人たちの憲法草案なんだと思います。

~戦後民主主義の中で、国民主権ということを普通の感覚として受け止めてきた層から見ると、そこに違和感がある。その体感的な反発、違和感が広がったのだと思います。~憲法の下に国家を置くなんてことに違和感があるという感覚、その感覚で政府を国民の上に置くのが当然だと思っている人に違和感があるという感覚、そのせめぎあいが起こっているように思います」(廣瀬・法政大学教授 444号)

 立憲主義は明治憲法の原則でもある。立憲君主制においては、君主といえども憲法の制約下にあるという「天皇機関説」は、伊藤博文以来の常識であり、これにもっとも自らを律したのは昭和天皇であったことは、よく知られている。

 戦前の立憲君主制は明治憲法の手続きを経て、立憲民主制(国民主権)へと継承され発展した。これが、私たちがよって立つ立憲民主主義の原点だ。改憲・自主憲法制定という発想は、この原点そのものの破壊にほかならない。それは明治憲法=立憲君主制への回帰ではなく、憲法による統治権力の制約という立憲主義そのものの否定を強く内包し、それゆえに国民主権の否定にもつながる。

 過去の世代が犠牲と苦難を払ってきた立憲主義を継承し、次の世代にもう少しましな立憲民主主義を手渡すために、反立憲政治を止めなければならない。これは私たちの社会の前提―対立する意見を議論するための共通の土台を守るという、政治的な立ち位置を超えた守るべき「一線」にほかならない。

 反立憲政治を止めるうえで重要なポイントは、立憲民主主義のフォロワーシップだ。立憲君主制では君主の権力を制約することに力点がおかれるが、立憲民主制においては国民主権、すなわち権力は国民にあるという前提で、その権力行使のルールを議論しなければならない。

 「『憲法は国家権力を拘束するもの』という憲法観は正しいのですが、一面的で古い。これは君主が全権力を握っていた時代で、権力者を自分と関係の無い『他者』とみる憲法観です。でも今は国民主権で、権力者を私たちが選べる時代です。安倍さんは『他者』ではなくて、『我々の一部』なんです。彼が権力を行使しているのは、我々が選挙で委任したからなんです。我々が権力を持っていて、それをどうやってうまく統治者に委任していくか、ということのはずです。権力は我々がもっているという前提で憲法の議論をしなくてはいけません」(井上武史・九州大学准教授 日経ビジネスオンライン5/17)

 「我々が権力を持っていて、それをどうやってうまく統治者に委任していくか」だからこそ、主権者としての権力行使を「選挙で選べばそれで終わり」にとどめるのか、「そんなことは委任していない」と声をあげ、「もっとうまく委任するにはどうするか」を考え続けるところに拡張していくか。まさに立憲民主主義のフォロワーシップが問われる。(立憲民主主義のフォロワーシップという座標軸が見えなければ、「反立憲政治を止める」は、単なる政治主義的スローガンになってしまう。)

 立憲民主主義ということが体感的に理解されるようになったところから、これを着実に集積し、立憲民主主義の政治文化の深化として次の時代につないでいく。主権者運動のステージは、このように設定されつつある。

●立憲民主主義のフォロワーシップを集積するために 

 立憲民主主義のフォロワーシップとその集積という座標軸から、主権者運動の問題設定をどう再整理し、アップデートしていくか。そのための論点メモとして提起したい。(6/21「囲む会・特別編」の論点メモを兼ねる)

①「憲法を立てる」ということ

 憲法は権力をしばるものだから、政治権力に対して「憲法を守れ」というのは正しい。同時に「我々が権力を持っている」のだから、これこれの理念を実現するために「憲法を立てる」という問題設定に踏み込むべきだろう。主権者として「問いを立てる」、自治の当事者性から「問題設定を変える」ことが起点となってこそ、「憲法を立てる」ことは可能になる。

 権力が国民に存するゆえに国家に制約を課すという発想ではなく、国家から国民へ義務を課す発想の改憲・自主憲法制定に、「憲法を立てる」という問題設定は可能か。権力者を「他者」とみる視点を内包する「憲法を守れ」から、「憲法を立てる」への転換はどのようにして可能か。(「下り坂の時代」「縮退の時代」の価値や豊かさという、これまでになかった問いを立て、考え続けるフォロワーシップからこそ、主権者として「憲法を立てる」ことが始まるのではないか。)

②既存の制度の「外側」にある問題を社会の問題へ変換する

 既存の制度の外側にある問題を、社会の問題として取り上げることができるかは、ひとつには「私的」な問題を「公共的な問題」へと変換できるかである(「日本再生」424号 「囲む会・特別編」参照)。既存の制度の外の問題は多くの場合「私的な困りごと」として、感情的な表現で表出される。この感情的表現を、討議可能な表現へと変換するための言論空間を創出することは、民主主義のための重要な努力だ。(「日本再生」444号 佐藤卓己教授 参照)

 そのような場づくりにおける立憲民主主義のフォロワーシップとは、どういうものか。それはどのように集積され、ある種の政治文化として共有されていくか。

 また議会、とりわけ身近な自治体議会におけるオープンな議論、あるいは議会報告会やタウンミーティングなどの場の運営原理は、これまでとはどう転換するか。例えば議会、議員の役割は「いかに自らの主張を伝えるか」「多数を形成して主張を通せるか」よりも、市民に分かりやすく論点を整理し判断の材料を提供できるか、に軸足が移行するのではないか。

③カウンターデモクラシー 主権者運動の行動様式をアップデートする

 代議制民主主義はうまく機能していない。これを補う仕組みとして直接参加の仕組みが、とくに自治において設けられているが、それも十分に機能しているとはいえない。カウンターデモクラシーは、こうした「閉塞」状況に風穴をあける、民主主義のための努力のひとつといえるだろう。

 その行動原理は「啓蒙」よりも「意思と行動」。例えばエネルギー自治の取り組み。制度は利用しつつもそこに依存せず、自らの意思(地域の合意形成)と行動で「新しい現実」を制度の外に創りだし、その「新しい現実」の広がりを既存の制度に追認させる。

 あるいはヘイトスピーチに対するカウンター。法律による規制を待たず、その取り組みと並行して直接行動でヘイトデモに抗議する。不十分な点はあれど、曲がりなりにもヘイトスピーチを許さないとした法律が成立しえたのは、この路上での取り組みがあってこそだ。だからこそ「法律ができて終わり」ではなく、これを始まりの一歩としてさらに進もう、といううねりが続いていくことになる。

 自らの意思と行動から発して「新しい現実」を創り出す。それゆえ、ここでは経験の共有とそれに基づく漸進主義が行動原理となる。例えばヘイトスピーチ対策法も、「不十分だから反対」ではなく、「附帯決議つきの自公案であろうがなんであろうが、大きな前進であり希望だと言っているマイノリティの人たちの声をかき消さずに、うまく立ち回ろう」となる。再エネも、制度が抑制の方向に動いても、そのやりにくさをかいくぐる知恵をさらに出そう、その力で押し返そうということになる。

④多様な社会運動と制度変革を架橋する

 象徴的な意味で3.11以降、機能不全をさらけ出した既存の制度の「外側」に、多様な「新しい現実」を創りだそうとする、新しい社会運動といわれるものが日本にも登場してきた。それは、昨年の国会前および全国的な安保法反対の盛り上がりにもつながっている。

 こうした新しい社会運動の根底にあるのは、生きかたの問い直しであり、そこから発した生活レベルでの価値観の転換という、意思と行動のリンクである。同時にその多様性ゆえに分散的でもある。

 価値観の転換は生活レベルに根づいているので、日常生活に埋没するということはない(「選挙を非日常にしない」に通じる感性)から、何かあれば行動する。例えば「保育園落ちた、日本死ね」が国会で冷笑され、やじられれば、すぐに「保育園落ちたの私だ」というプラカードを持って国会前に集まり、瞬く間に二万七千の署名を集めるというように。

 一方で、制度変革にはそれなりの時間が必要になる。それが既得権で強固になっていればいるほど、「すべてを変える魔法の杖のひとふり」はありえない。多様な社会運動、そこにある生活レベルでの価値観の転換―生きかたの問い直しを、制度変革の社会基盤へといかに架橋しうるか(自治の集積はここでも重要な領域)。いいかえれば基盤なき政権交代の教訓を、ここでどう語ることができるか。

 社民党政権で脱原発を掲げた(2002)ドイツは、保守党政権に代わってもこれを維持した。それを可能にしたのは地域に叢生するエネルギー自治の取り組みであり、チェルノブイリ(1986)以来、営々と築き上げてきた市民の合意だ。少なくともそれくらいの時間軸で構えるフォロワーシップが必要になるだろう。

(「日本再生」455号一面より 続きは「囲む会・特別編 6/12」の討議にて)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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《東京・戸田代表を囲む会》

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

参加費 同人会員1000円/購読会員 2000円

●第161回

「反・非立憲政治を止める~路上の民主主義・投票箱の民主主義」

6月3日(金) 1845から2100

ゲストス ピーカー 千葉眞・国際基督教大学特任教授

          元山仁士郎・国際基督教大学学生、SEALDs RYUKYU

●第162回 特別編

「立憲民主主義のフォロワーシップは、どのように集積されつつあるか」

6月12日(日)1330から1730

参加費 無料(この回に限り)

戸田代表の問題提起と討議

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第三回 真庭バイオマスツアー

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第三回となる真庭バイオマスツアーを、8月3日から5日(二泊三日)に行います。

今回は ①一万キロの〝木くず〟発電を軸とした大きな里山資本主義 

②薪ボイラーを軸とした小さな里山資本主義 ③田園回帰 を柱とした企画です。

(参照 「「日本再生」444号掲載 中島・銘建工業社長インタビュー)

費用は45000円程度(岡山駅・岡山空港までの交通費は除く)

視察先の例 一万キロのバイオマス発電所 燃料集積基地 原木市場・製品市場 

      中島氏の講演 林業現場(戸田家の森) 薪ボイラーと薪供給システム 

      畜産現場 など

詳細は ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで、お問い合わせを

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6/5 全国総がかり行動

6月5日 1400から 国会正門前/日比谷公園かもめの広場ステージ

          農水省・霞ヶ関郵便局

1430~全国でいっせいにパフォーマンス

http://sogakari.com/?p=1831

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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メルマガ♯がんばろう、日本!         №号外(16.5.19)

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Index 

□「囲む会」のご案内 

 ●少子化日本

 ●反・非立憲政治を止める

□真庭バイオマスツアーのご案内

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囲む会のご案内  

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《東京・戸田代表を囲む会》

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

参加費 同人会員1000円/購読会員 2000円

●第160回

「少子化日本~課題先進国になるのか、衰退途上国になるのか」

5月20日(金) 1845から2100

ゲストスピーカー 山田昌弘・中央大学教授

●第161回

「反・非 立憲政治を止める~路上の民 主主義・投票箱の民主主義」

6月3日(金) 1845から2100

ゲストス ピーカー 千葉眞・国際基督教大学特任教授

          元山仁士郎・国際基督教大学学生、SEALDs RYUKYU

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 真庭バイオマスツアー

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 第三回となる真庭バイオマスツアーを、8月3日から5日(二泊三日)に行います。

今回は ①一万キロの〝木くず〟発電を軸とした大きな里山資本主義 ②薪ボイラーを軸とした小さな里山資本主義 ③田園回帰 を柱とした企画です。

(参照 「「日本再生」444号掲載 中島・銘建工業社長インタビュー)

費用は45000円程度(岡山駅・岡山空港までの交通費は除く)

視察先の例 一万キロのバイオマス発電所 燃料集積基地 原木市場・製品市場 

      中島氏の講演 林業現場(戸田家の森) 薪ボイラーと薪供給システム 

      畜産現場 など

詳細は ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで


石津美知子
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Index 

□反・非立憲政治を止める! 

下り坂の時代の民主主義を鍛えよう

●野党共闘から、さらに前へ 民主主義のための努力へ

●下り坂の時代の再分配を議論し、合意形成する民主主義を

□「囲む会」のご案内 

 引き続き「凡庸の善で考え続けるために」

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反立憲政治を止める

下り坂の時代の民主主義を鍛えよう

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【野党共闘から、さらに前へ 民主主義のための努力へ】

 夏の参院選、場合によっては同日選の行方に大きく影響すると見られていた衆議院補欠選挙。与党・自公と野党共闘との一騎打ちとなった北海道5区は、与党候補の辛勝となったが、ここから参院選に向けた教訓をいかに汲み取るか。

 出口調査によれば自民、公明、民進、共産の各党とも支持者の九割近くを固めている。ここから、いわゆる「共産党アレルギー」はほぼ払拭されたとみていいだろう。選挙戦では、民進党内の保守系とされる議員が共産党議員とともに宣伝カーに乗り、「独裁政治を倒すために、野党が力を合わせるのは当たり前だ」と演説した。

 昨年、安保法制をめぐって始まった路上の民主主義。そのうねりが院内の反・非立憲政治の構図を、どこまで変えられるか。参院選はその重要なポイントであり、反立憲政治を止めるためには、選挙における野党協力は不可欠だ。

 そのハードルをひとつ越えた、という意味では野党共闘は機能したといえる。しかし、それだけでは自公の組織選挙には勝てないことも明らかだ。問題は投票率だ。58.43%は2014年の総選挙より0.8ポイント低い。政党の「足し算」では、投票率を上げることはできない。

 出口調査によれば、無党派層の七割が野党候補に投票している。仮に無党派層の投票率が上がり、それが同じような投票傾向をとるなら、投票率が65%で両候補の得票は互角になるだろう、という試算もある。

 65%は決して高いハードルではない。北海道5区の投票率は、2005年の郵政総選挙、2009年の政権交代選挙では70%を超えている。それ以前にも2000年衆院選では65%、2003年衆院選でも64%あった。

 2014年総選挙、2013年参院選の投票率(全国平均)はいずれも52%。09年の総選挙から、数にすれば1700万人近くが投票に行くのを止めてしまったことになる。路上の民主主義を投票箱にも波及させるためには、ここを動かすような「自分たちの一票で変わる・変えられる」といううねりを作り出すことが必要になる。

 おそらくそのカギは、ひとつは若者、もうひとつは再分配をめぐるアジェンダ・セッティングではないか。

 四月に行われた韓国総選挙では事前の予想を大きく覆して、与党が大敗、野党が善戦した。その原動力となったのは若者の投票率だ。20代では13ポイント、30代では6ポイント、前回より投票率が上がっている。40代、50代ではほとんど変わらず、60代は微減だ。高失業率、低賃金で「ヘル(地獄)朝鮮」という造語ができるほど、過酷な状況に置かれた20―30代の怒りが爆発した、といわれている。

 一月に行われた台湾総統・立法院選挙では、全体の投票率が66%と低迷するなか、20代の投票率は74%に上り、これが政権交代の大きな原動力となった。

 こうした若者の投票率は自然発生的に高まったわけではない。

 韓国では大学の学生会や青年労働者の労組、社会団体などがSNSを使って情報発信したり、ダンスや演劇、フラッシュモブなど、多彩な活動を通じて投票をよびかけた。

 市民団体が作った「3分選挙」というスマホ向けサイトも興味深い。自分の住んでいる地域を検索すると、候補者全員の経歴と公約などが3分でわかるように見やすくまとめた資料が出てくる。候補者の写真の下には、有権者として意識すべきことも1行ずつ書いてある。例えば、地域や性的少数者に対する差別発言の有無や内容などだ。

 台湾では学生は地元でしか投票できない。そうした学生のために格安バスが仕立てられ、多くの学生が帰郷して投票した。ひまわり学生運動の参加者たちは、野党や新党を通じて選挙に参画するだけではなく、人びとが選挙に参加するための枠組みやインフラを整備する活動に携わった。

 これらは選挙に当選するための活動ではないし、野党を支持する活動でもない。民主主義のための、主権者による主権者のための主権者の運動だ。

 もちろん日本では、日本流の取り組みが必要だろう。とくに社会運動が絶えて久しく、何につけても「自己責任」「個人の問題」とされ、社会=私たちの問題ということへ架橋するインフラが乏しいなかでは、「変える意思」を持つことさえ難しいともいえる。しかし「保育園落ちた、日本死ね」のつぶやきが社会的な共感を呼び、「産んだの、あなたの責任でしょ」という政治家を押しのけて、政治の一部を動かしたことは最近の出来事だ。

 また、お任せしてダメだしをするという消費者民主主義から脱却して、主権者としての当事者性を育む最大最良の場は、まちづくり、住民自治の現場だ。この土壌を豊かなものにする努力抜きに、立憲民主主義は育たない。

 「反立憲政治を止める」は、一度の選挙で決着がつくものではない。民主主義のための努力を怠れば、いつでも非立憲の空間から反立憲が増大してくる。おおまかに言って、投票率が60%を切れば、自公の組織票が有利になるといえるだろう。若者や無党派層の投票率が上がることは、民主主義にとってはよいことだが、安倍政権には「危険」なことと映るだろう。

 誰と、どんな未来を生きたいか―それを語り合う場を創りだそう。投票率を上げるとは、民主主義のための、そして連帯のための持続的な努力の反映にほかならない。

【下り坂の時代の再分配を議論し、合意形成する民主主義を】

 アメリカ大統領選挙予備選や韓国総選挙が、「番狂わせ」の様相を呈している。これは、グローバル資本主義と新自由主義政策がもたらした格差の拡大に対し、「政府はもっと、普通の人の暮らしのことを考えろ」という有権者の反乱といえるだろう。移民、難民問題というイシューも絡むが、ヨーロッパにもこれは通底している。

 大きくいえば、グローバル化と再分配という21世紀の課題だ。所得と資産の格差拡大は、20世紀までは戦争と革命を介して再分配されてきた。世界人口の半分と同じだけの富が62人の富豪に集中しているという今日、戦争を介さずに再分配は可能なのか。国民国家の税と財政を、そのためのツールとしていかに使いこなせるのか。あるいはパナマ文書が問題になっているように、グローバルな課税逃れをどうするのか。

 経済にも再分配にも「民主主義ってなんだ」が問われている。

 国政における有権者の政策的関心は、都市部でも地方でも経済から社会保障へとシフトしている。今回の北海道5区の補選でも、その「潮目の変化」は明らかだ。世論調査によれば有権者が重視するのは、「年金・社会保障」(23.4%)、「景気・雇用」(20.2%)、「地元経済、TPP対策」(11.5%)、「医療介護」(10.8%)、「安全保障」(7.8%)となっている。

 「年金・社会保障」と「医療介護」をあわせると、「景気・雇用」をはるかに超える。「アベノミクス」「景気回復、これしかない」と、もてはやされた時期とは様変わりしている。また「年金」にシルバー世代の関心が高いのは当然だが、医療介護は40、50代の関心が高いことが注目される。介護される側だけではなく、介護する側にも深刻な問題であることが、改めて伺われる。

 一方で、年金や医療など社会保障を重視する人の中で、池田氏に入れた人(52%)は和田氏(48%)をわずかに上回るのみとなっている。また、50代以上が池田氏優勢となっているのに対して、20代から40代は和田氏が優勢となっている。池田氏陣営の論点設定が不調であったことが伺われる。

 ここにどんな論点を提示し、アジェンダを設定していくか。これは今後の重要な課題だろう。

 経済から社会保障へという「潮目の変化」に対応して、安倍政権は早速「一億総活躍」の目玉として介護士や保育士の賃上げや、処遇改善を打ち出している。これに対して「全く不十分」「ずれている」と批判することは容易い。「もっと賃金を上げる」という対案も、言うだけなら簡単だ。しかし、その財源はどうするのか。

 大企業優遇、そのおこぼれで再分配をやるというアベノミクスも、野党が訴える格差対策も、「負担」については何も言わないことを有権者、とくに若い世代はよく見ている。30代子育て中の有権者が、「財源のことに触れていた(福祉のためにも経済を)」という理由で、和田氏に投票するとインタビューに答えていたのは印象的だ。

 税と社会保障の一体改革は、日本ではじめて増税と再分配をセットにした政策だった。安倍政権はこれを、アベノミクスと社会保障プログラム法に変換した。言ってみれば、「経済成長あってこその再分配(再分配は経済成長のおこぼれ)」と、「自己責任・自助を基本にした社会保障(病気になるのも自己責任)」への転換だ。

 これにどういう対抗軸を提示するか。「経済成長がすべてを解決する」というアベノミクスは、すでに幻想だ。「無駄使いをなくせば財源はある」というのも空語だった。「増税先送り」といえば選挙で支持されると、永田町では考えているかもしれないが、税と社会保障の一体改革で消費増税を決めたのだから、増税先送りなら社会保障を何かやめるんですよね、とすぐに反応する市民は決して少なくない。

 増税に対する抵抗は確かに強い。税は「とられるもの」であって、「自分たちで社会を運営するためのもの」という立憲主義の基本が実感されていないのだから。それゆえにこそ、以下のような論点を提示し、議論を共有していくべきではないか。

 「再分配は成長のおこぼれ」なのか、「再分配こそ成長戦略」なのか。社会保障は自助を強化するのか、共助を強化するのか。再分配のシステムは、対象(弱者、困っている人)を選別して救済する「選別主義」なのか、全体を底上げする「普遍主義」なのか。財源は将来世代へのつけ回しか、現役世代の分かち合いか。

 経済も再分配も「民主主義ってなんだ」で議論すること、その議論を逃げずに共有しようとする姿勢を崩さないこと。まずはそれが求められるだろう。当たり前だが、増税に賛成する世論はそう簡単には生まれない。しかし04年参院選では、民主党は野党として増税(年金制度改革とのセット)を掲げて、自民党を上回る議席を得た。そのときと比べて、民意は劣化しているのだろうか。

 基本的に経済成長が問題を解決した右肩上がり時代には、再分配についても議論はほとんど必要なかった。しかし、下り坂をそろそろと降りていく時代の再分配は、議論を通じて合意形成することが不可欠だ。ここで民主主義を鍛えよう。

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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《東京・戸田代表を囲む会》

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

参加費 同人会員1000円/購読会員 2000円

●第159回

「アベノミクスの正体」

5月11日(水) 1845から2100

ゲストスピーカー 尾立源幸・参議院議員

●第160回

「少子化日本~課題先進国になるのか、衰退途上国になるのか」

5月20日(金) 1845から2100

ゲストスピーカー 山田昌弘・中央大学教授

●第161回

「反・非 立憲政治を止める~路上の民 主主義・投票箱の民主主義」

6月3日(金) 1845から2100

ゲストス ピーカー 千葉眞・国際基督教大学特任教授

          元山仁士郎・国際基督教大学学生、SEALDs RYUKYU

《第28回 関西政経セミナー》

「地域自治・住民自治を立憲民主主義で語ろう」

パネリスト:新川達郎・同志社大学教授 田中誠太・八尾市長

      中小路健吾・長岡京市長 山中光茂・前松阪市長 

      白川秀嗣・越谷市議会議員 ほか

5月15日(日)1330から1730

コープイン京都

参加費:1000円(学生500円)

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 熊本大地震への救援

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熊本、大分を襲った大地震は、大きな被害をもたらしたまま、未だ収まらず、

「これまでの予測が通用しない」状態にあります。

そのなかで、現地での活動に全力で取り組んでいる人たちをご紹介して、ご支援を

お願いいたします。

●水俣水俣 – Hub – Power 

https://www.facebook.com/水俣-Hub-Power-1713876655556157/?fref=ts

振込み先
ゆうちょ銀行 水俣支店 718 普通預金口座番号 1807368
記号17180 番号18073681
あばぁこんね(アバァコンネ)


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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