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メルマガ♯がんばろう、日本!         №167(12.11.20)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

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▼Index 

未来を搾取する社会から、未来へ投資する社会へ。

反省しろよ、民主党。それでも、もう一度やってみろよ、民主党。

反省しろよ、自民党。「失われた20年」の政権党だってことを忘れて、

「3.11以前の日本に戻せ」なんて、まさか言わないよね?

●選挙は、憂さばらし、ドンチャン騒ぎじゃない。「何が大切か」落ち着いて考えよう。

●2030年の日本が見えているか。

●3.11以前の日本に戻させない。

●政権交代でできた、国民が政治を動かすツールを後退させるな。

●政権運営能力では、「たたみ方」のマネジメントを問おう。

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未来を搾取する社会から、未来へ投資する社会へ。

反省しろよ、民主党。それでも、もう一度やってみろよ、民主党。

反省しろよ、自民党。「失われた20年」の政権党だってことを忘れて、

「3.11以前の日本に戻せ」なんて、まさか言わないよね?

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●選挙は、憂さばらし、ドンチャン騒ぎじゃない。「何が大切か」落ち着いて考えよう。

総選挙の日程が決まったとたん、マスコミでは連日、政局ショーだ。でも私たちが知りたいのは、そんなことじゃない。選挙を、憂さ晴らしやドンチャン騒ぎとして消費するのは、もうやめよう。

「…『郵政選挙』の国家的集団ヒステリーのようなブームに踊らされて『刺激物』に飛びついてむなしさが残った経験と、今の政権を見て国民が学んだ『魅惑的な公約はあてにならない』という教訓をステップにして、何が大事なことかを冷静に見る機会が、近いうちに訪れるのではないか」(松尾貴史 毎日7/28夕)。

現状を否定するだけの、「わかりやすい」「スカッとする」スローガンに飛びつくのは、簡単だ。しかしそれで何が残るのか。また「ガッカリだ」と文句を言って、憂さを晴らすのか。

自民党政権が続くことを前提に、「誰がやっても同じ」と冷笑したり、「お灸をすえて、憂さを晴らそう」という時代では、もはやない。私たちの一票で政権は変わるし、私たちの一票で政権は選べる。だからこそ「何が大切か」、落ちついて考えよう。未来を選ぶのは、私たちの責任なのだから。

政局ショーの観客席に座ったまま、期待と失望を繰り返す受益者市民から、「何が大切か、自分たちで決めよう」という主権者になるチャンスだ。

確かに現状はヒドイ。民主党政権はボロクソだ。しかし、選挙のときの公約がどこまでできたのか、何ができていないのか、その理由は何か、どうすればできるのか、といったことが検証されたことが、これまでにあっただろうか。

郵政選挙のときの公約を、自民党が検証しただろうか。曲がりなりにも民主党は、マニフェストの検証をしている。http://www.dpj.or.jp/article/101565

マニフェストを掲げたからこそ、検証にもさらされる。それを恐れて、選挙のときに政党が、あいまいで漠然としたことや、打ち上げ花火のようなスローガンしか言わなければ、私たちはまともに選ぶことはできない。

そんな選挙に戻させるわけにはいかない。「お願いから約束へ」というマニフェスト選挙文化、その土俵に乗れる政党、候補者を選ぶことは最低限の必要条件だ。

政党や候補者に、こう問うてみよう。

「あなた(たち)は検証可能なマニフェスト(政権公約でもいい)を提示するか。そのマニフェストで検証され、責任を問われることを約束するか」と。

●2030年の日本が見えているか。

政党や候補者の公約をどこから判断したらいいのだろう。

まずは、「2030年の日本が見えているか」と問いたい。

2030年―今から18年後。今年生まれた子どもは高校卒業の時期を迎える。社会の中堅を担っているのは平成生まれだ。高齢化率は、30%を超すと見られている。年金財源でいえば、現役二人で高齢者一人を支える時代になる。おそらく家族構成のトップは、単身世帯となっているだろう。(2011年の国勢調査で、単身世帯は総世帯の30%を超えた。)

2030年の日本は、依然として続く少子高齢化の急坂をのぼる途上にある(ピークは2050年代)。GDPの二倍にのぼる債務をはじめとする「依存と分配」の負債を、これ以上、次の世代につけ回すことができるだろうか。そういう視点を持っている政党、候補者なのか。

昨年、日本はGDPで中国に抜かれたが、2030年にはインドにも抜かれているだろう。米ブルッキングス研究所の予測では、2030年の中間層消費額上位10カ国のうち、アジアからは1位インド、2位中国、4位インドネシア、5位日本となっている。好むと好まざるとにかかわらず、日本はアジアでもはや「ナンバーワン」ではない。

一方で、急速な高齢化にともなう社会保障、環境、エネルギー、都市問題など、日本が直面している問題に、アジア諸国も直面している。

こうした2030年のアジアで、「課題先進国」の位置取りができるのか。それはここで、「右肩上がり」からの転換ができるかどうか、にかかっている。エネルギーシステムの転換、低炭素まちづくり、医療・社会保障の改革、TPPなど、どれもここに係わってくる。そういう視点を持った政党、候補者なのか。

●3.11以前の日本に戻させない。

もうひとつ大切なことは、「3.11以前には戻させない」ということだ。

これまで騙しだましやってきた「戦後」のシステムは、3.11で最終的に破綻した。技術の粋を集めたはずの原発の事故は、その象徴だ。どこでどのように電気が作られているのか、気にも留めずに好きなだけ消費していた私たちの生活も、変わらざるをえなくなった。3.11を契機に、生活や働き方を見直した人たちは大勢いたはずだ。そして、みんなが節電することで、電力会社にコントロールされるのではなく、自分たちで電力をコントロールできることを、実感できたのではないか。

被災地の復興で問われていることは、じつは震災前からの課題である高齢化、過疎化、第一次産業の衰退などに対して、旧来型ではない、21世紀型アプローチのまちづくりができるか、ということだ。立派な堤防も漁港もできたが担い手はいなくなった、ということでは、復興にならない。そのためには、政府が決めて行政が主導するのではなく、地域の人々が自分たちで決めることだ。時間はかかるが、3.11以前のやり方で、被災地の復興はできない。

エネルギー政策も、大きく変わった。これまで密室で決められていたエネルギー政策が、はじめて国民的議論のプロセスを経て決められるようになった。3.11以前のやり方で、3.11後のエネルギー政策を決めることはできないのだ。

たしかに、足りないところはいっぱいある。しかし、「3.11以前には戻させない」という民意が強力なリミッターにならなければ、永田町も霞ヶ関も簡単に3.11以前に戻ってしまう。今回の選挙で、「3.11以前には戻さない」という強い民意を示し、次の政権はその監視にさらされることを、思い知らせよう。

候補者には、こう問いかけてみてはどうか。「あなたは3.11後、何をしたか。生活をどう変えたのか、行動をどう変えたのか」「あなたにとって、『3.11以前に戻さない』とはどういうことか」と。

●政権交代でできた、国民が政治を動かすツールを後退させるな。

民主党政権は迷走、混乱、ときには逆走もあったが、それでも政権交代によって、国民が政治を動かすツールは明らかに増えた。それらを後退させるわけにはいかない。

いくつかポイントを挙げてみよう。

①政策決定過程のオープン化/エネルギー政策の決定過程では、はじめて国民的議論が行われ(もちろん十分というわけではないが)、委員会の資料、試算などもオープンにされた。今後のエネルギー政策はもちろん、社会保障国民会議の議論なども、これを最低基準に、さらにオープン化していくべきだ。

もし政権が変わっても、密室に戻るなんてことは、まさかしないよね? 

②事業仕分け。これもオープンガバメントのひとつ。仕分けの結果がどれだけ反映されているか、という課題は残っているが、事業仕分けの最大の功績は、政府の予算に国民の目が届くようになったこと。文句を言うだけではなく、「私たちは政治を変える道具を手に入れた」(加藤秀樹氏)http://bylines.news.yahoo.co.jp/katohideki/20121109-00022376/

もし政権が変わっても、「事業仕分けは、やーめた」なんて言わないよね?

③一括交付金化。国に指図される補助金から、自治体が自らの裁量と責任で使い道を決める一括交付金へ。これもまだまだ途上ではあるが、方向性ははっきりしている。「依存と分配」の自治体と、自治分権の自治体の格差も次第に出てくるだろう。すでに依存体質のところからは、(責任を取らなくて済む)ヒモつき補助金に戻してくれ、との声も上がっている。

もし政権が変わっても、自治分権の足を引っ張るなんてことは、しないよね?

④新しい公共―政府だけでは解決できない社会の問題に、自分たちで取り組む。そういう公共の担い手を支える税制などの仕組みは、さらに前に進めることはあっても、後退させたりはしないよね?

⑤マニフェストもボロクソに言われるが、これがあったからこそ、何ができて、何ができていないのか、理由は何か、といったことが検証できる。政権交代以前には、選挙のときの公約なんか、誰も覚えていなかっただろう。そして検証できるからこそ、反省すべきところは率直に反省するようになる。「お願いから約束へ」は、ようやく1サイクル目が回ろうとしている。

このマニフェスト政治文化を、まさかチャラにはしないよね?

●政権運営能力では、「たたみ方」のマネジメントを問おう。

民主党に政権運営能力があったかといえば、疑問符がつく。しかし同時に、3.11後の政権運営は、それ以前とはまったく異なるものであることも間違いない。原発を増設し、エネルギーを右肩上がりで増やしていくのが当たり前のときの政権運営と、原発のたたみ方が問われる―原発に依存して成り立っていた社会、経済システムを別のものへ転換させるプロセスのマネジメントとでは、求められる政権運営能力はまったく違うはずだ。

右肩上がりで、人口も経済のパイも増えていった時代の政権運営の経験はあるが、人口が減少するなか、これまでの構造の「たたみ方」が問われるときのマネジメントは、今回がはじめてだ。その経験値が問われる。踏みとどまった民主党から、それが始まる。

3.11後に問うべき政権運営能力は、リアルでポジティブな「たたみ方」のマネジメントだ。

マネジメントついでに。石原都知事の登庁は、週に2,3日だったとのこと。そして今は大阪府知事も大阪市長も、総選挙に全力を傾けているらしい。首長が留守でも業務に支障が出ないのは、自治体職員(地方公務員)がよほど優秀だから?

地方自治を担う首長の職責、公務は、国政の片手間にやれるようなものなのか? 

大阪府民、大阪市民は国政を変えるために、自分たちの税金で知事や市長を選んだのか? 

(「未来を搾取する社会から、未来へ投資する社会へ」は、国家戦略会議・繁栄のフロンティア部会報告のタイトルです。)

(これから総選挙にむけて、随時発行していきます。)

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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メルマガ♯がんばろう、日本!         №166(12.10.29)

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▼Index 

政権交代後の民主主義のバージョンアップとフォロワーシップの転換 

変化のクサビは打ち込まれた。それをどう生かすかは、私たちの問題だ。

● 「政権交代にはガッカリだ」って、誰が言っているの?

● 何が大切か、落ち着いて考える  移行プロセスでの民主主義のバージョンアップ

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【「政権交代にはガッカリだ」って、誰が言っているの?】

 「政権交代したのに、これじゃガッカリだ」という人が多いといわれる。既存政党への失望や不信感が、維新の会などの「グレートリセット」に対する期待となっている、ともいわれる。本当にそうなのか。

 政権交代で日本の政治が大きく変わる、という期待が高かったのは事実だろう。しかし民主主義が独裁と違うのは、権力者が「こうだ」というだけで、制度や仕組みが変わるのではない、という点だ。主権在民とは、特定の権力者ではなく国民が決定権を持つということ。だから「決める」ためには、異なる意見や対立する利害を調整して、「みんな」とまではいかなくても、多数が納得する合意を形成するという、面倒で手間のかかるプロセスが不可欠だ。それをすっ飛ばして「何でもいいから誰か、強いリーダーが決めてくれ」と、民主主義を放棄するのか。

「自分の一票で政権が代わる」ことを実感できなかったときには見えなかった、政権交代後の民主主義の課題を前にして、一度選んだらあとはお任せ、面倒な決定過程は他人任せで、結果には文句を言うという、依存と分配のフォロワーにとどまるのか。それとも民主主義のバージョンアップとフォロワーシップの転換を「引き受ける」のか。「政権交代にはガッカリだ」だけでは、主権者としての努力が足りないのではないか。

政権交代のメリットが実感できないって?

 例えば、原子力やエネルギー政策が大きく方向転換したことは間違いない。確かに民主党政権にはミスも失策もあるが、自民党政権だったら、はたしてここまで転換できただろうか(自民党は原発について、将来の方向性としても示していない)。原発に依存した従来のエネルギー政策(依存と分配の政策)を大きく方向転換しえたのは、(これまで密室で決められていた)決定過程をオープンにし、公共政策の決定にはじめて国民的議論を反映させたからだ。それによって原発のコストやリスク、脱原発のコストやリスクも含めて、「誰かに決めてもらう」のではなく、自分たちの問題として決める、という意識が国民の間に生まれてきた。このメリットを実感できないって?

 脱原発は政府が「原発ゼロ」を決めればそれで済む、というものではない。社会経済システム、国民生活全般に大きく係わる以上、社会的なコンセンサスを繰り返し、それを積み重ねていかなければならない。「そうでなければ、たとえ今、脱原発依存を宣言しても、選挙で政権が変われば、その決定は数年もしないうちに、たやすく覆される可能性がある。(脱原発依存を郵政改革にするな)」(枝野幸男「叩かれても言わなければならないこと」)。このプロセスに継続的に参加せずに、「骨抜きになった」と文句を言うだけでは、脱原発はスローガンに終わってしまう。それでいいのか?

 東北の被災地の復興が「遅い」と批判される。被災した人々からすれば、その通りだろう。しかし今回の復興が阪神大震災をはじめとするこれまでの復興と大きく異なる点は、震災前から人口減・高齢化、第一次産業の衰退などに喘いでいた地域を、「凌ぎの時代」の持続可能な地域へと作り変える(「単なる復旧ではない」といわれる所以)という点である。これはプロセス、手法においても地域の自治、参加に根ざしたものでなければならない。みんなで合意を形成するには、手間も時間もかかる。それをすっ飛ばして「誰かに決めてもらう」では、立派な堤防も漁港もできたが担い手はいなくなった、ということになってしまう。自治や参加の新たな歩みに、主権者として伴走しようではないか。

 復興予算が被災地以外にも使われている、民主党政権はメチャクチャだって?

 たしかに「こんなものに」というところに復興予算が使われている事例はある。それについては国会で追及すべきだろう(委員会を速やかに開催しなかった与党の責任は大きい)。しかしそもそもこの予算は野党も賛成して国会で通したものだ。本当に復興に寄与する予算なのかどうか、精査するのは国会の役割であるはずだ。予算委員会で何を議論していたのか。

もぐら叩きのように目の前のことを追及するだけではなく、そろそろ問題を解決するための議論に移るべきではないか。今回の問題が明るみになったのは政権交代後、事業仕分けで各省の事業評価シートが導入されたおかげである。国民の目が届くための、小さな一歩は始まっている。それをどう生かしていくか、そのために智恵を絞るほうが、「任せて文句を言う」よりも、ずっと大切なことではないか。

ほかにも一括交付金化など、依存と分配から方向転換するためのクサビは、確実に打ち込まれている(「日本再生」402号12―14面 関西政経セミナー参照)。それをさらに生かすのか、それとも「ガッカリだ」と文句を言うだけで終わるのか。既存政党やら新党やらを、次期総選挙でどちらの土俵に乗せていくか。それは私たち主権者自身の問題だ。

【何が大切か、落ち着いて考える 移行プロセスでの民主主義のバージョンアップ】

 政権交代で私たちが求めた政治の転換とは、「あれも、これも」という依存と分配の政治から、「あれか、これか」「何をあきらめるか」という選択の政治への転換だ。戦後日本の延長線上での「変える」や「ぶっ潰す」の道は、3.11で最後通牒を突きつけられた。

「3.11であらわとなった、時代と社会のひずみを解消するという“敗戦処理”をしながら、その向こうに新しい時代をつくりたい」(枝野幸男 前出)ということが、民主党政権が背負った歴史的役割だといえる。

「民主党マニフェストでやろうとしたことは、極めて野心的だったのではないかと思うんです。一言でいえば社会構造を変えようとしたわけですが、そのためには移行プロセスにも責任を持たなければなりません。~『コンクリートから人へ』にしても、環境・エネルギー政策にしても、そうした転換が人々の不安を呼び起こすことも事実です。それが政策に対する反発や、うまくいかなかったときの批判という形になるわけです。しかしそういうことを恐れて後退してしまっては、社会の変化についていけなくなるわけで、やはり野心的な転換であればあるほど、社会構造の変化をきちんと見据えて、新しい方向を示す必要があります」(諸富徹・京都大学教授 402号 14面関西政経セミナー参照)

一方で役割を終えたものをたたみながら、他方で新しいものを立ち上げていく。こうした移行プロセスをどうマネージしていくか、そこにおけるフォロワーシップの転換には何が求められるのか。政権交代の総括には、こういう問題設定が不可欠になる。

「原発はやめなければならない。しかし他方で、やめ方を間違えてはいけない。ただ、危ないから早くやめようと言うだけなら、それは政治ではない。どうやったら確実にやめられるのか。それを考えて、そこに一歩でも近づけるのが政治の責任であり義務である」(枝野幸男 前出)

政権交代したのは、民主党に政権担当能力があったからではない。民主党に政権担当能力があるかといえば、大いに疑問符がつくだろう。しかし同時に移行プロセスに求められる政権担当能力は、政権交代を前提としていないときの政権担当能力とはまったく別ものである。

「今回政権を担ったことで、民主党は大きな壁にぶつかったり、障害に直面したりしたわけですが、ここから移行期のマネジメントというものをどれだけ学習できたのか。右肩上がりの成長で人口が増えていく時代における政策マネジメントより、人口が減少していき、いろいろな意味で『たたみ方』をどうするか、というマネージのほうが、やはり難しいと思うんです。政権を担ったことによって、そういう部分をはじめて学習できたのではないか。これは、これまでの(右肩上がりの時代の)政権運営にはない経験です」(諸富 前出 ()は引用者)

 「たたみ方」をどうするかというマネジメント、「何をあきらめるか」を合意するプロセス、利益の分配ではなくリスクと負担を分かち合う民主主義。こうした民主主義のバージョンアップとフォロワーシップの転換にかかわる試行錯誤の教訓、学習をどのようにそれぞれの持ち場で集積してきたのか。そこから政権交代後の三年間を総括、検証しよう。

 「たたみ方「立ち上げ方」という、移行プロセスの論理が使えなければ、この三年間の検証は「○か×か」「できたか、できていないか」だけの視点になる。これでは「脱原発への移行プロセス」を議論できないことは明らかだ。

 民主主義では少数意見にも意思表示の自由がある。同時に民主主義は多数の合意形成であることが決定的だ。デモをする権利はあるが、それで官邸に乗り込んで主張を認めさせる、というのは民主主義ではない。多様な意見、対立する意見を合意形成にまで持っていくには、討議―熟議が不可欠になる。移行プロセスに必要なのは、この熟議のプロセスでもある。

 熟議のためにはお互いの主張をぶつけ合うだけではなく、「何が大切か、落ち着いて考える」ための環境と材料、それを作り出す活動が必要だ。「代議制民主主義の場合には、輿論、民意を形成する型を持っていないと、声の大きいところ―業界団体とか専門家だけで決めることになります。これではヘルプの政策にしかなりません。つまり主権在民というのは―議員も含めて―俗論、世論(セロン)から、輿論(ヨロン)を作っていくという型を持たないとダメなんです。そのための、言論活動の型を持たなければならない。言論というのは、議論を通じて世論を輿論へと収斂していく活動空間です」(戸田代表 402号11面参照)。

 受益者市民―依存と分配のフォロワーシップのリアルでポジティブなたたみ方、主権者市民のフォロワーシップのリアルでポジティブな立ち上げ方―その実践的糸口、教訓をどこまで集積して、次期総選挙を準備できるか。自治の現場での教訓と集積を、移行プロセスの新たな政治回路へと開花させていこう。ドンチャン騒ぎは早めに卒業して、何が大切か、落ち着いて考えるための主権者の場づくりを着実にすすめよう。

(以上は、11/3総会の趣旨でもあります。)

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◆第七回大会 第二回総会

11月3日(土・祝)10時より18時

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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▼Index 

□催しのご案内

●大野もとひろ「感謝の集い」

●西粟倉「森の学校」 ユカハリファンド説明会

□東京・囲む会&関西政経セミナー

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●大野もとひろ「感謝の集い」

 防衛大臣政務官に就任した大野元裕参院議員の政経セミナーです。

10月19日(金)16時より

都市センターホール

会費 20000円

第一部 講演

日本のTPP戦略~課題と展望  山下一仁(キャノングローバル戦略研究所)

アメリカ大統領選挙の展望と日米関係  中山俊宏(青山学院大学教授)

大野議員を交えてパネルディスカッション

第二部 レセプション

*当方でもチケットをお預かりしています。ご希望の方はご一報ください。

●西粟倉「森の学校」 ユカハリファンド説明会

「日本再生」401号で紹介した西粟倉村の「森の学校」が新たに資金を調達するための

ユカハリファンド。その説明会が行われます。関心のある方はぜひ!

10月25日(木)19:00-20:00 ユカハリファンド

【概要】
場 所:〒100-6590 東京都千代田区丸の内1-5-1
新丸の内ビルディング 10階 ミュージックセキュリティーズ
(アクセス)http://www.marunouchi.com/shinmaru/access/index.html
定 員:12人(定員になり次第閉め切りますので、お早めにお申込ください)
参加費:無料

http://www.musicsecurities.com/blog/community_news.php?ba=b10765a30746 より転載

□東京・囲む会&関西政経セミナー

●第120回 東京・戸田代表を囲む会

政権交代3年あまりの総括視点を絞り込んでいるこの秋の企画。

前田・前国交大臣、五十嵐・前財務副大臣、福山・元官房副長官などのお話を受けて、

さらにフォロワーとしての場づくり、関係づくりについて、同人議員のトークを軸に

進めます。

「依存と分配」から「選択と熟議」へ 転換・移行の場づくり、関係の創り方とは

10月18日(木)18時45分から21時

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

同人 1000  購読会員 2000円

●第23回 関西政経セミナー

 マニフェスト政治文化、「次」のステージへの転換を

10月20日(土)18時から21時

コープイン京都

1000円

隠居・京都市議、上村・京都府議、中小路・京都府議

諸富・京都大学教授、前田・参院議員・前国交大臣
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石津美知子
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▼Index 

「自分たちで決めたい」のか「誰かに決めてほしい」のか

受益者市民にとって、政治は憂さ晴らし。

「何が大切かを落ち着いて考える」リアルでポジティブな主権者の場づくりを

●リーダー勝負からフォロワー勝負へ

●「依存と分配」から「選択と熟議」へ

 転換のためのフォロワーシップを醸成する場づくりとは

□ご案内

◆10月3日 講演会 福山哲郎・参議院議員

「マニフェスト政治文化『次』のステージへの転換を~エネルギー・温暖化戦略を軸に」

ほか

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「自分たちで決めたい」のか「誰かに決めてほしい」のか

受益者市民にとって、政治は憂さ晴らし。

「何が大切かを落ち着いて考える」リアルでポジティブな主権者の場づくりを

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●リーダー勝負からフォロワー勝負へ●

冷戦終焉に際して「氷が割れるときが一番危ない」と言ったのは、確かサッチャー女史であった。これまでのシステムや枠組みが歴史的に持たなくなり、その命脈は尽きつつあるが、それに代わる新しいシステムや枠組みは未だ成らず、という移行・転換の時期こそ、もっとも不確実で不安定な状態だ。国民国家万能の時代には地政学上の「力の空白」、あるいは内政上の権力の空白といったことが不確実性、不安定性の根源であった。ここでのガバナンスは、主要にリーダー勝負だった。

しかし国民国家が相対化され、G0といわれるようになった時代、そしてグローバル化によって国境を超えたフラット社会が出現しつつある今日では、むしろフォロワーシップの勝負となる。わが国周辺での領土をめぐる一連の事態、あるいは政権交代後の「迷走」―内外ともに「何が大切かを落ち着いて考える」ことができるフォロワーシップこそが、ますます問われている。

韓国、中国の強硬姿勢の背景構造は、いくつかの層をなしている。大きく言えば、ひとつはアメリカの相対的な地位の低下と中国の台頭に象徴される、国際的な力と富のバランスの変化と、それに伴う流動化。もうひとつは大統領選挙や共産党指導部の交代という、政治権力の移行期におけるバランスの変化と流動化。とくに中国の場合、「世界の工場」といわれてきた経済モデルからの転換が否応なく迫られるなか、これまで「経済成長」によって覆われていたさまざまな問題が顕在化、先鋭化しつつあるというきわめて難しい局面にある。このなかで、指導部交代をめぐる権力闘争も絡む複雑な構造になっている。

いつ炎上してもおかしくない、この微妙きわまりない時期に、「尖閣諸島国有化」などという燃料投下はしないでくれ―APECで胡錦濤主席が野田総理に伝えた「日本政府は事態の重大さを認識し」とは、簡単に言えばこういうことだったのだろう。しかしその翌日、尖閣諸島国有化は閣議決定された。これを受けて中国も、領土問題で勝負に出た。反日暴動のきっかけは、おそらくこういうことではないか。(唐家璇・前国務委員は日中友好団体代表との会談の際「会談直後の国有化でメンツをつぶされた」と述べた。毎日9/28)

では、こうした中国の事情を忖度して国有化の時期をずらせばよかったのか。そうではないだろう。領土問題を「棚上げ」して関係を深める、という四十年前からの枠組みそのものが、すでに時代の変化に適応できなくなっている。良くも悪くもリーダーが仕切ることができるなら、「棚上げ」もできるだろう。しかし今や中国でさえ、政府の意向で世論をコントロールするには限界がある。日本においてはとっくに、リーダーの不在を嘆き、政治の劣化を評論するよりも、フォロワーシップの転換・成長こそが具体的課題になっている。

リーダー勝負からフォロワー勝負へ。こうしてみると、違った風景が見えてくる。

(以下「日本再生」401号へ)

●「依存と分配」から「選択と熟議」へ

 転換のためのフォロワーシップを醸成する場づくりとは●

 政権交代から三年あまり。迷走ときには逆走をともないつつ、さまざまな混乱、試行錯誤のなかから民主主義の次のステージが見えてきつつある。それは、利益を分配する民主主義から、リスクと負担を分かち合う民主主義へ転換するための実践的課題であり、別の表現をすれば「依存と分配」政治のリアルでポジティブなたたみ方と、「選択と熟議」の政治のリアルでポジティブな立ち上げ方ということだ。

 ここでも焦点はフォロワーシップである。

「…『郵政選挙』の国家的集団ヒステリーのようなブームに踊らされて『刺激物』に飛びついてむなしさが残った経験と、今の政権を見て国民が学んだ『魅惑的な公約はあてにならない』という教訓をステップにして、何が大事なことかを冷静に見る機会が、近いうちに訪れるのではないか」(松尾貴史 毎日7/28夕)。

「郵政選挙」も〇九年選挙も、依存と分配政治のたたみ方としては、リアルでもポジティブでもなかった。しかし同時に、依存と分配の政治から選択の政治への転換プロセスは、否応なく始まっている。これをチャラにしたり、後戻りさせるわけにはいかない。求められているのはフォロワーシップの転換だ。受益者市民―依存と分配のフォロワーシップのリアルでポジティブなたたみ方、主権者市民のフォロワーシップのリアルでポジティブな立ち上げ方―その実践的糸口、教訓をどこまで持って、次期総選挙を準備できるのか。

受益者市民にとって、政治は「憂さ晴らし」だ。右肩上がりのときなら「あれも、これも」が通用したし、参加とは「自分の要求を通す」ことでよかったが、それができなくなりつつある。逆に「何をあきらめるか」を合意したり、リスクと負担を分かち合うには、面倒な調整が不可避だ。いつまでもモタモタして決められない、としか見えない。「それならグレート・リセットだ」と、「バッサバッサと既得権を切り捨てるヒーロー」を探すことになる。

 しかしこれは一度目は悲劇、二度目は喜劇でも、三度目になると茶番だろう。こうした依存と分配のフォロワーシップを、どのように上手にたたんでいくか。

「歴史を振り返る限り、革命や維新でシステムが壊れて最も損をするのは貧しい民衆。これは万古不易の真理です。しかしそれに民衆が気付かない、というのもまた、普遍的な真理です。よく『おきゅうを据える』といいますが、おきゅう一本ならともかく、システムが壊れたら全身ヤケドです。なぜか有権者は損する方に投票してしまう」「教育の根本は、自分にとって何が得かを長期的視野でしっかり考えられる能力を育てること。最も正しい投票姿勢は、正しく理解された自己利益の追求です」(鹿島茂 毎日9/18「橋本現象を読む」上)

「正しく理解された自己利益の追求」の前提となるのは、生活者としての視点だろう。「税と社会保障」にしろ、「エネルギー」にしろ、あるいは自治体におけるゴミ収集の費用負担にしろ、老朽インフラの更新問題にしろ、「憂さ晴らし」では片付けられない課題、生活の利害にたった議論から始めなければならない課題は目白押しだ。(その意味で、原発をスルーした自民党総裁選は、生活者とはほど遠いものだったといえるだろう。)

あるいは、主権者市民のフォロワーシップを醸成する問題提起とはどのようなものか。それが醸成できない問題提起とはどのようなものか。

福島原発事故を受け、政府は今後のエネルギーのあり方について国民的議論を提起した。二〇三〇年における原発依存度、というところにだけ焦点が当てられた感があり、必ずしも論点が出し尽くされたとは言いがたいが、それでも委員会でのオープンな議論を経て選択肢を三つに絞り、意見聴取会、パブリックコメント、討論型世論調査という方法で国民的議論が展開された。公共政策課題についてこのような方法が展開されたこと自体、わが国でははじめてのことだろう。

だからこそ、「次」が問われる。この国民的議論を通じて、民意は「原発ゼロ」にあることが明らかになった。しかし「原発ゼロ」を柱に据えた「革新的エネルギー・環境戦略」が閣議決定を見送られたことによって、今度は「骨抜きにされた」といわれている。問題はここにある。

エネルギーにしろ、税と社会保障にしろ、問題はきわめて多面的で複雑だ。一度の国民的議論でスッキリ結論がでるようなものではない。だからこそまず「ゼロ」という方向性を確認し、そこから今度は「そのためにはどんなハードルがあるのか」「どういう条件ならどうなるか」という国民的議論を繰り返し、それを積み重ねていく以外に合意形成はできない。一度きりの国民的議論で「結論」を出したら、「あとはお任せ」ではないのだ。

政権交代に対する国民の期待は、日本が直面する難題について「どうなっており、どうなりうるか」を、政治が国民と共有することにあったはずだ。民主党がやるべきことは、「いろいろ問題もありますが、できたこともこれだけあるんです」という“言い訳”ではない。「ここまでは進めました。そこから先に行くには、こういうハードルがあり、こういう課題を解決しなければなりません」と言って、主権者市民のフォロワーシップを醸成することだ。

それができない原因は、受益者市民のフォロワーシップ(「あとはお任せ」)に立脚しているからにほかならない。受益者市民のフォロワーシップに立脚していれば、「次の選挙」のためだけに右往左往したり、足の引っ張り合いをしたりすることになる。

同じことは自民党にもいえる。総裁選で圧倒的に党員票を獲得したのは石破氏である。「自民党は変わらなければならない」と一番鮮明に訴えたのが、石破氏だ。「政権交代は国民が民主党にだまされたからだ、というだけではない」と。民主党がいかにウソつきか、という主張は構わないが、それだけでは「国民がだまされた」ということにしかならない。これでは受益者市民に支持を訴えることはできても、主権者市民のフォロワーシップを醸成することはできない。国会議員の投票が、党員票とかけ離れていた本質的な理由はここにあるといえるだろう。

受益者市民―依存と分配のフォロワーシップのリアルでポジティブなたたみ方、主権者市民のフォロワーシップのリアルでポジティブな立ち上げ方―その実践的糸口、教訓をどこまで集積して、次期総選挙を準備できるか。すでに自治の現場では受益者市民、負担者市民、経営者市民という主体分岐がリアルになりつつある(三九九号など参照)。ここから新たな政治回路を創り出そう。

郵政選挙、そして政権交代選挙、それらを教訓に三度目を茶番にせず、「何が大切かを落ち着いて考える」ための場づくりを進めよう。憂さ晴らしのドンチャン騒ぎは、早めに卒業しよう。

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10-11月のご案内

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◆講演会

「マニフェスト政治、『次』のステージへの転換を~エネルギー・温暖化戦略を軸に」

10月3日(水)18時30分より

福山哲郎・参議院議員(官房副長官として、3.11とその後の事態に対応。また野党時代より温暖化戦略に取り組んでいる。)

アルカディア市ヶ谷 6階「伊吹」

会費 会員 1000円   一般 2000円

◆第120回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「『依存と分配』から『選択と熟議』へ 転換・移行の場づくり、関係の創り方とは」

~総会にむけて~同人地方議員のトークを軸に

10月18日(木)18時45分より

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

◆第23回 関西政経セミナー

「マニフェスト政治、『次』のステージへの転換を」

10月20日(土)18時より

隠塚功・京都市議、上村崇・京都府議、中小路健吾・京都府議

諸富徹・京都大学教授、前田武志・参院議員、

コープイン京都 202会議室

参加費1000円

◆第七回大会 第二回総会

11月3日(土・祝)10時より18時

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

問題提起:福嶋浩彦・元我孫子市長、諸富徹・京都大学教授

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333


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▼Index 

リアルでポジティブな「依存と分配」政治のたたみ方、

リアルでポジティブな「選択の政治」の立ち上げ方

●非難やあら探し、足の引っ張り合いはもういらない。

リアルでポジティブな前向きの改善策を話し合おう。

●政策転換の現場としての自治 変化の実績は地域から集積される

●依存と分配の政治から選択の政治へ、転換のプロセスを後戻りさせるな

~来るべき選択にむけて

□ご案内

◆9月-10月の「囲む会」「講演会」

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リアルでポジティブな「依存と分配」政治のたたみ方、

リアルでポジティブな「選択の政治」の立ち上げ方

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●非難やあら探し、足の引っ張り合いはもういらない。リアルでポジティブな前向きの改善策を話し合おう。

政権交代から三年。この間、迷走ときには逆走をともないつつ、さまざまな混乱や試行錯誤のなかで見えてきたことのひとつは、「あれもこれも」という依存と分配の政治から、「あれか、これか」「何をあきらめるか」という選択の政治への転換、その移行期の議論のしかた、合意形成の諸問題だろう。

 GDPの200%におよぶ公的債務、原発・エネルギー問題、急坂を上るような少子高齢社会の社会保障、人口減少時代の地方の生き残り、構造的デフレ下での雇用など、いま日本が直面している問題は、いずれも難問ばかりだ(対外的にはG0時代の外交・安全保障、G20時代の経済外交戦略など)。解決のためには複雑な議論と、途方もない時間を費やさなければならず、その間に「時間切れ」を迎えてしまうかもしれない。そうはいっても、不都合な真実からこれ以上、目を背け続けるわけにはいかない。

 そう、こうした難題の解決を誰かに「お任せ」するわけにはいかないことを、私たちは学んだ。「これをやればすべて解決する」という魔法の杖もなければ、バッサバッサと世直しをしてくれるヒーローもいない。政権交代で求められたのは、依存と分配の政治から選択の政治への転換であり、そのリアルでポジティブな移行プロセスにほかならない。3.11はそのことを、ダメ押し的に明らかにした。

リアルでポジティブな移行プロセスとはなにか。依存と分配の政治もまた社会システムであり、それを否定したり、誰かを打倒したり、「ぶっ潰す~」と叫んでなくなるものでもなければ、ましてやそれで選択の政治へと転換できるわけでもない。社会システムの転換は、Aというやり方をやめてBへ、という単純な話ではない。これまでのやり方の、どこにどういう問題があったのかを検討しながら変えていくというプロセスが、非常に重要であり不可欠だ。その意味で、改革の是非を問うとされた「郵政選挙」も、「八ッ場」をシンボルにまつりあげた〇九年選挙も、依存と分配政治のたたみ方として、リアルでもポジティブでもなかったということだ。

例えばムダな公共事業は、しかし地域の雇用にとっては必要なものでもある。そのリアルでポジティブなたたみ方、転換のしかたとはどういうものか。

「戦後の経済、政治、そして社会も含めて、日本の福祉国家を支える諸要因と公共事業は密接に結びついている。そのシステムが限界に来ている状況のもとで、今回の大震災は起きた。土建国家への安易な逆流は、ポストバブルの『失われた二〇年』を繰り返すことになりかねない。だが、だからといって、公共事業を基盤として成り立ってきた福祉国家にあって、その核心を無視しつつ、ヨーロッパ型福祉国家への大転換が果たして可能であろうか。これも極端な議論であろう。~中略~問われているのはこういうことだ。公共事業を待望する経済主体は依然として存在する。しかも、短期的には公共事業の削減は見通せないどころか、土建国家への流路が再び形成されかねない。ではどうすれば土建国家への逆流を食い止め、現在の公共事業を新しい福祉国家への道筋となりうるような公共事業へと転換できるのか。より明快に言えば、人々に必要な公共事業とはいかなるもので、政府の果たすべき役割とは一体いかなるものなのか」(「雇用連帯社会」井手英策・編)

同じようなことは原発についてもいえる。

「原発の今後のあり方を論じる際に最も重要な点は、『反対』『推進』という原理的な2項対立から脱却し、危険性と必要性の両面を冷静に直視して、現実的な解を導くことである。~相手を批判するときには、必ず、リアルでポジティブ(積極的ないし建設的)な対案を示すべきである。

リアルな議論を展開しなかったからこそ、原発推進派は、エネルギー自給率4%(2008年)という資源小国でありながら、これまで原発への風当たりを弱めることができなかった。ポジティブな対案を示さなかったからこそ、原発反対派は、広島・長崎・第五福竜丸を経験した被爆国でありながら、これまでドイツの緑の党のような有力な脱原発政党を育てることができなかった。原発のたたみ方を論じるのであれば、それはリアルでポジティブなものでなければならない。筆者が『リアルでポジティブな原発のたたみ方』という表現をとるのは、このためである」(橘川武郎・一橋大学教授 ダイヤモンドオンライン8/24)

依存と分配では、もう持たないことははっきりしている。非難合戦やあら探し、足の引っ張り合いはもういらない。依存と分配の政治から選択の政治へ転換するための、リアルでポジティブな前向きの改善策を話し合おう。

ちなみにドイツでは内閣不信任決議提出の際は、必ず後継首相を明示しなければならないという(建設的不信任)。これはワイマール共和国時代、左右の急進派が倒閣のみを目的に共闘して不信任案を乱発し、政治が不安定化した結果、ナチス台頭につながった経験からだ。

●政策転換の現場としての自治 変化の実績は地域から集積される

 依存と分配は「お任せ」で、市民は受益者でしかないが、選択の政治は市民が選択―決定過程に参画することが、決定的に重要になる。依存と分配から選択の政治への、リアルでポジティブな転換―移行プロセスに欠かせないのは市民の決定過程への参画であり、その主戦場こそ自治の現場である。

 「…残念なことに、公共事業は中央集権の象徴でもあった。その核心は公共事業が国庫補助事業だった点にある。地方にとってみれば、自治体の各部局は補助金の付く予算を削る必要性を持たず、議会においては補助金の獲得は利益誘導の成果を示すものに他ならない。このようなバランスのうえに、国は国庫補助金を通じて地方財政の規模を操作することが可能だったのである。

 以上の仕組みのもとでは、住民が公共事業に参画するには、利益集団を媒介とするしかなかった。『利益』のためではなく、自分たちの『生活』という基本的視点からその決定に参加する機会はきわめて少なかったといえよう。~何が必要で、何が不要かという決定に対して、住民の意思が的確に反映される仕組みが工夫されなければ、公共事業への合意形成などできるはずがない」(前出「雇用連帯社会」)

 いま地域では、市民参加による事業仕分け(「何が不要か」を市民参加で決める)のみならず、「必要な公共とは何か」を市民参加で決める―地域課題の公共事業化、社会的共同事業ともいうべき取り組みが、それぞれ智恵と工夫をこらして試行錯誤しながら進められている。(一括交付金化などの)補助金改革は、そうした試みを後押しするものであるべきだし、その観点から政策効果が検証されるべきだろう。

 「~二つの視点―『公共の任務』と『新しい公共事業』―は有機的に結びついている。これまでの仕組みでは、交付税や国庫補助金などによって財源は保障されてきたが、住民が意思決定に参画する機会は少なく、画一的な公共事業が実施されてきた。新しい『公共の任務』のもとだは、それぞれの地域にどのような公共事業が必要で、それをどのように充足し、どのような産業を育成していくのかが問われる。バリエーションは多様であり、人々の議論と選択が決定的に重要となる。一方『新しい公共事業』は、以上のように人々のニーズに支えられ、かつ、新規投資に比べて財源節約的で効果的な事業が可能である。しかも、国の支援は奨励補助金、つまり時限的な補助金が中心となる。~自らが決める公共事業の意味はここにもある」(前出「雇用連帯社会)

 エネルギー・システムについても、同様のことがいえる。これまでの「どこかで、誰かが作った」電気を使うだけの市民から、電源を選択し、さらには自分たちで事業を興して発電する(そういう事業に投資という形で参加する)。中央集権・垂直統合型システムから、分散型・ネットワーク型のシステムへの転換―移行のプロセスへ、われわれは踏み出している。

 「買取制度は、発電された電気を強制的に買い取る仕組みである点で一種の補助金と見ることもできる。この点では、買取制度も公共事業と実質的に変わらないではないかという批判も可能である。

 しかし公共事業と買取制度では決定的に異なる点がいくつかある。公共事業では、どのような事業を行うかは、国(あるいは都道府県)が決め、地域の事業者は発注された事業を請け負うという形で、受身的に参加する。~リスクは存在せず、受注できるかぎりにおいて確実に儲けることができる。その代わり、自治の精神は失われ、競争入札も機能せず、採算性を確保するための創意工夫とは縁遠い事業となっていく。~『依存と分配』とも呼ぶべき地域経済の構造が定着することになる。

 これに対して買取制度の下では、たしかに事業採算性が取れるスキームは国が準備するが、それを活用するもしないも、地域の事業者の主体的な判断次第である。~公共事業の場合、事業主体は自治体やその他の公的機関だが、買取制度の下では民間事業者となる。

 したがって民間事業者が、実施する事業の内容を自ら決め、リスクをとって資金調達を行わなければならない。~買取価格は段階的に引き下げられることになっているため、技術革新によって費用を下げていかねば赤字を出し、やがて倒産の危機を迎える。こうして買取制度は、地域に進取の気性をもった事業体の創出を促進する。

 以上のことから、公共事業による『依存と分配』の構造から抜け出し、再生可能エネルギーによる発電事業へ転換していくことは、その地域の経済・産業構造を、官主導・官需依存型から、民間主導により市場を自ら開拓していく自立したビジネスを成立させる方向に切り替えていくことを意味する」(「エネルギー自治と経済・産業構造ビジョン」諸富徹 季刊 政策・経営研究/三菱UFJリサーチ&コンサルティング)

脱原発は、政府が決定すればそれで決まるというだけの問題ではなく、これまでのシステムのどこに問題があり、それをどう変えていくのかという具体的なプロセスなしには進まない。大きな制度改革は、それを後押しするものとして構想・設計されるべきだ。

「いまわたしたちに必要とされていることは、未来の持続可能なエネルギー社会のイメージをさまざまな(異なる利害を持った/引用者)ステークホルダーの間で共有し、それを実現するための方法論的な手がかりを得て、実際にそれぞれの地域社会で具体的な取り組みをはじめることです。その過程にはさまざまな困難がともなうことが予想されますが、それぞれの地域で試行錯誤しながら実績を作り出さないかぎり、なし崩しの現状肯定はいつまでも続き、責任ある脱原発・脱化石燃料は実現できません」(古屋将太 「日本の難問をかたづけよう」光文社新書)。

非難合戦では、なし崩しの現状肯定が続くことになる。参加せず、観客民主主義のままでは、始まった変化は見えず、「期待と失望」を繰り返すことにしかならない。変化の実績、転換の内実を作り出すための、リアルでポジティブな改善策を話し合おう。その主戦場は自治の現場だ。

●依存と分配の政治から選択の政治へ、転換のプロセスを後戻りさせるな~来るべき選択にむけて

政権交代を機に、依存と分配の政治から選択の政治への転換は否応なく始まった。確かにそのプロセスには迷走や逆走も伴ったし、とんでもない混乱も少なくなかった。だが「新しい公共」のような変化は確実に始まったし、エネルギー政策の国民的議論(オープンな議論という意味でも)のような、決定過程―合意形成プロセスの変化も始まっている。あるいは「税と社会保障の一体改革」についても、二月から全国各地で対話集会を行っている。公共政策課題について、こうした国民的議論の形式がとられたこと自体、はじめてのことではないか。この移行プロセスを、後戻りさせるわけにはいかない。例えば、三党合意にある社会保障を協議する国民会議の議論のプロセス、合意形成のプロセスは、エネルギー政策の国民的議論の試行錯誤を、さらに「オープンな熟議」に向かって深化させるものになるべきだろう。

「…『郵政選挙』の国家的集団ヒステリーのようなブームに踊らされて『刺激物』に飛びついてむなしさが残った経験と、今の政権を見て国民が学んだ『魅惑的な公約はあてにならない』という教訓をステップにして、何が大事なことかを冷静に見る機会が、近いうちに訪れるのではないか」(松尾貴史 毎日7/28夕)。

「郵政選挙」も〇九年選挙も、依存と分配政治のたたみ方として、リアルでもポジティブでもなかった。しかし、依存と分配の政治から選択の政治への転換プロセスは、否応なく始まっている。大事なことは、これをチャラにしたり、後戻りさせるわけにはいかないということではないか。

 観客民主主義にとどまったまま、期待と失望を繰り返すパターンから、どれだけ卒業できるか。「『維新』という名のミステリートレインが、猛烈な勢いで疾走している。塾生だけではない。国民の誰一人、おそらくは橋下氏本人も、その終着駅を知らない」(祝迫博 中央公論9月号)。なし崩しの現状維持か、イチかバチかのミステリートレインか、という貧弱な選択肢に代わるリアルでポジティブな議論への参加の窓を、いかに広げていくか。

 エネルギー政策をめぐってはじめて、国民的議論が展開された。意見聴取会、パブリックコメントとあわせて行われた初の「討論型世論調査」では、討論を経て「0%」を選択する人がさらに増えるという結果になった。これは「熟慮の選択」の可能性を秘めたものといえるだろう。

 郵政選挙も〇九年の選挙も、一票で政治が変わったことは間違いない。それが自分の望むような変化であったかどうかは別として。「一票で政治が変わる」なら、その選択肢を自ら貧弱なものにしてしまっては、もったいないだろう。

 同時に選択には不確実性がともなう。とくに、依存と分配の政治はもう持たないことはわかっているが、それに代わる選択の政治は未確立、という過渡期―移行プロセスの最中では、「どちらの不確実性を選択するか」が問われることになる。例えばこんなふうに。

「国策でさんざん推進して、とんでもない失敗に至った原発を、それでも続けるという不確実性を選ぶのか、基礎技術が確立されて安全性は問題ないが、未だコストがかかり、系統不安定化などこれから解決しなければならない課題がある再エネの不確実性を選ぶのか。とうに亀裂が入った夫婦関係を続けるか、離婚して出直すのか、どっちを選ぶかに似ていますね(笑)」(高橋洋 日経ビジネスオンライン8/16)

 確かに「ムダを省けば財源は出てくる」という〇九年民主党マニフェストは、「空手形」というほかはない。しかしだからといって、ニッチもサッチも行かなくなっている「依存と分配」に戻るなら、政権交代は政治不信への媒介に過ぎないことになる。「だからミステリートレイン」では、茶番にしかならない。

GDPの二倍という公的債務に目をつぶって、依存と分配を続ける不確実性を選ぶのか、「一票で政治が変わった」ことを出発点にして、試行錯誤の連続である「参加」や「熟議」「自治分権」の深化という不確実性を選ぶのか。何が大事なことかを冷静に見て判断する機会が、近いうちに訪れるだろう。

 その際のリアルでポジティブな議論の前提には、財政のリアリズムが不可欠であることは言うまでもない。マニフェストの標準化、書式化についても、政党がそれをやるかどうかではなく(やらない、ところからしか始まらない)、世間の側が政党の公約なりマニフェストなりを書式に落とし込んで、書くべきなのに書かれていない財政上の裏づけを正す、というところから始めよう。

 依存と分配の政治から選択の政治への転換は、否応なく始まった。それが永田町のドタバタ騒ぎでチャラにされたり、翻弄されたりしないためには、「何を後戻りさせないか」「何をチャラにすべきでないか」について、永田町が無視できないところまで世間の声が明確な意思となる必要がある。「近いうち」も、永田町の政局ではなく、そうした世間の声の高まりと成熟で決するべきだろう。

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8-9月の「囲む会」のご案内

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◆第119回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「次世代にこれ以上、ツケを回さないために」(仮題)

9月24日(月)18時45分より

ゲストスピーカー 五十嵐文彦・衆院議員、財務副大臣

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

◆講演会

「マニフェスト政治、『次』のステージへの転換を」

10月3日(水)18時30分より

福山哲郎・参議院議員

アルカディア市ヶ谷 6階「伊吹」

会費 会員 1000円  一般 2000円

◆第23回 関西政経セミナー

「マニフェスト政治、『次』のステージへの転換を」

10月20日(土)18時より

隠塚功・京都市議、上村崇・京都府議、中小路健吾・京都府議

諸富徹・京都大学教授、前田武志・参院議員、

コープイン京都 202会議室

参加費1000円

◆第七回大会 第二回総会

11月3日(土・祝)10時より18時

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

問題提起:福嶋浩彦・元我孫子市長、諸富徹・京都大学教授

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石津美知子
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メルマガ♯がんばろう、日本!         №163(12.8.3)

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▼Index 

利益を分配する民主主義から、リスクと負担を分かち合う民主主義へ

受益者市民との「お約束」から、「何をあきらめるか」を問うマニフェストへ

□ご案内

◆8-9月の「囲む会」

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利益を分配する民主主義から、リスクと負担を分かち合う民主主義へ

受益者市民との「お約束」から、「何をあきらめるか」を問うマニフェストへ

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●受益者市民との「お約束」から、「何をあきらめるか」の選択を問うマニフェストへ

消費増税法案をめぐる論議、攻防は政権交代(および3.11)後の民主主義のステージを、よりクリアに示すものとなった。

 お任せ民主主義では、税は「取られる」あるいは「よこせ、よこせ」だが、本来民主主義とは、社会に必要な費用はどれだけなのか、それをどのように負担しあうのかを、(誰かに決めてもらうのではなく)自分たちで決めるということではないのか。税には権力の発動という側面もあるからこそ、説明責任と合意形成のプロセスが問われる。増税の議論の際にこそ、民主主義の真価が試される。

GDPの二倍にも及ぶ公的債務の山は、財源の議論を先送りし続けてきたお任せ民主主義(民主主義の負債構造)が、可視化されたものにほかならない。消費増税法案が与野党の多数によって成立しようとしていることは、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を断ち切る一歩が、ようやく踏み出されたことを意味している(前号参照)。

ここから、マニフェスト政治文化も次のステージへの移行が始まることになる。

消費増税法案をめぐって与党民主党が分裂した。その過程では「マニフェストを守れ!」、「これはマニフェスト違反ではない!」という不毛な論争が繰り広げられた。しかしこの論争自体、ナンセンスであると多くの国民は感じている。なぜなら、どんなに財源や工程が明示されていても、受益者市民との「お約束」では、民主主義の負債構造(お任せ・先送り)を脱却することはできないからだ。

多くの国民が政権交代に期待したものは、「特定の政策に過大な期待を寄せることなく」、「本当は日本がどうなっており、どうなりうるか」を考え、示し、国民と共有することだったはずだ。

政権交代から三年。人口減少・少子高齢化、G20ないしはG0時代というグローバル化など、「本当は日本がどうなっており、どうなりうるか」は否応なく見えてきた。財政やエネルギーなどの「不都合な真実」は、もはや「お任せ」ではどうにもならないことが明らかになった。だからこそ消費増税に対しても、「完全に納得はできないが、次世代にツケを残さないようにするためには、やむをえない」という世間の合意はできるようになった。

いいかえれば世間では、受益者市民(依存と分配、現状最適・部分最適)だけではなく、負担者市民(全体最適・将来最適)や経営者市民(持続可能性)が可視化されてきたということだ。世間がこうなってくると、「マニフェスト違反」との声が上がるのは、受益者市民からだということが分かる。問われているのは、受益者市民にとどまったままでのマニフェスト―当事者意識の圧倒的欠如―から脱していくための一歩一歩であり、そのための場づくりやコミュニケーションにほかならない。

「…『郵政選挙』の国家的集団ヒステリーのようなブームに踊らされて『刺激物』に飛びついてむなしさが残った経験と、今の政権を見て国民が学んだ『魅惑的な公約はあてにならない』という教訓をステップにして、何が大事なことかを冷静に見る機会が、近いうちに訪れるのではないか」(松尾貴史 毎日7/28夕)。何が大事なことかを冷静に見る、その経験や訓練はどこにどう集積されているか。そのためのリテラシーは、どのように高まっているか。

「お願いから約束へ」というマニフェスト運動は、〇三年統一地方選から始まった。自治体選挙においては、すでに実行―検証―バージョンアップというマニフェスト・サイクルが二~三巡目にはいっており、「どうなっており、どうなりうるか」のリアリティーに基づいて、受益者市民から嫌われる決断や、適正な負担を求めるという政治文化が多様に展開される、次の新たなステージに入りつつある。自治分権の領域では、負担者市民、経営者市民は、よりいっそう能動的に可視化されつつある。受益者市民から脱していくための多種多様な「共同の場」づくりの経験、試行錯誤も集積されつつある。

 この三年間の経験、集積のうえに、次期総選挙は、受益者市民との「お約束」にとどまった数値の辻褄あわせから、「何をあきらめるか」の選択を問うところへ、マニフェスト政治文化のステージを転換させていかなければならない。既存政党からまともなマニフェストが提示されることを待つのではなく、「『何をあきらめるか』を明記しないマニフェストはニセモノだ」と、世間の側から基準を鮮明に示そうではないか。この土俵に乗るのか、乗らないのかを政党(既存政党にも新党にも)・候補者に問い、選別していく。そういう準備を始めようではないか。

 そのためにもまず、二十一世紀の重い現実を前にして、マニフェストは「何をやるか」ではなく、「何をあきらめるか」の選択を問うものでなければニセモノだということを、世間の常識にしよう。〇九年民主党マニフェストの総括は、この点につきる。

個々の政策がどこまでできたのか、という検証はあってもいいが、その前提となる財政計画にリアリティーがなければ、受益者市民との「お約束」にすぎない。「16・8兆円の財源は、無駄を省けば出てくる」という枠組みそのものが、リアリティーのないものであったことが明らかになった以上、民主党マニフェストは破綻しているというべきだろう。

 事業仕分けで分かったことは、(16・8兆円とは桁違いの)数兆どころか億単位の財源すら、削ったり、付け替えたりすることが、いかに困難な作業であるかということだ。それは単純に官僚や既得権層が抵抗するから、というだけではない。明らかに目的に沿わないものや二重行政、天下り先といったものを削るのは、さほど大変なことではない。それさえきちんとできていない、というところは徹底して追及すべきだろう。

しかし多くの事業は、何らかの必要性があってのものだ(その必要性をめぐる議論は大いにありうるが)。精密機械のように複雑な現在のシステムでは、ひとつ部品を外せば多くの人の生活に影響が及ぶ。数億の財源を付け替えるだけでも、時間をかけて進めざるをえない。あるいは「コンクリートから人へ」には多くの人が賛成でも、自分の地域で計画中の道路が凍結されるとなれば、絶対反対ということになる。どこは止めて、どこは進めるのか。その合意形成は並大抵のことではない。

だからこそ選挙の際のマニフェストは、「何をやるか」ではなく、「何をあきらめるか」の選択を問うものでなければならない。「あきらめる」基準や方向性、それによる影響、さらには政策思想の軸、そういったものを示すことによってこそ、選択が可能になる。すでにローカルマニフェストは、その領域に歩を進めつつある。この土俵に乗るのかどうか、それを政党・候補者に問い、選別していこう。

この問題の格好の訓練の場となりうるもののひとつが、老朽化した施設の更新計画をめぐる議論ではないか。高度成長期に建設された各地のハコモノは、今や老朽化による物理的な崩壊と財源不足による財政的な崩壊という、ふたつの危機に直面している。人口減・少子高齢化がすでに進行しているなかで、既存の施設をすべて更新することは不可能である。新たな施設に機能を集約するにしても、「何を(どこを)あきらめるか」が前提にならなければ、前へは進めない。

その計画を、行政が作るのか(行政が作った計画に市民は賛否を表明するだけなのか)、それとも「何をあきらめるのか」を市民が参加して合意形成するのか。市民が合意形成するためには、あきらめる基準や方向性、そして政策思想の軸(どういうまちをつくるのか)といったことを、討議を通じて合意していかなければならない。

「高度成長の時代には税収もどんどん増えていきましたから、どんな約束をしても、数年すればほとんど実現できたと思います。しかし今はそうではありません。ある意味、はじめて国民が主権者として自分たち自身で考え、判断すべきときにきているのではないでしょうか」(菊地豊・伊豆市長 5面インタビュー)。

こうした経験を積むなかから、「何をあきらめるか」の選択を問うマニフェストのあり方、その土俵の作り方が実践的に見えてくるはずだ。

「何をあきらめるか」の議論の場は、負担者市民(全体最適・将来最適)や経営者市民(持続可能性・必要なものでも借金してまでやりますか、と問う)を登場させる場であると同時に、受益者市民のなかからも、何が大事なことかを冷静に見ようという機運を生み、あるいは「そこまでやるなら仕方ない」というボトムラインを形成する場ともなるだろう。増税やエネルギーなどリスクと負担を分配する時代にはいった今、「何をあきらめるのか」の意思決定に市民・国民が当事者として参加しなければ、納得感のある合意形成はできない。

受益者市民との「お約束」から、「何をあきらめるか」の選択を問うマニフェストへ。民主主義のステージをさらに前へ進めよう。

●民主主義を民主化しよう 疎外・排除ではなく、よりいっそうの参加・納得へ

(以下、「日本再生」399号へ続く)

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8-9月の「囲む会」のご案内

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◆第117回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「『コンクリートから人へ』に、民主党政権はどう取り組んできたか」

8月20日(火)18時45分より

ゲストスピーカー 前田武志・参院議員、前国土交通大臣

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

◆第118回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「国に先駆けてきた野田市の取り組み~公契約条例、自然保護、参加型福祉など」

9月4日(火)18時45分より

ゲストスピーカー 根本崇・野田市長

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

◆第119回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「次世代にこれ以上、ツケを回さないために」(仮題)

9月24日(月)18時45分より

ゲストスピーカー 五十嵐文彦・衆院議員、財務副大臣

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

*10月は東京、京都で、「マニフェスト政治文化を次のステージへ転換する」ことに向けた講演会を、それぞれ行う予定です。

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333


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▼Index 

□エネ環境会議のエネルギーの選択肢へのパブコメ始まる

□ご案内   7月の「囲む会」

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□エネ環境会議のエネルギーの選択肢へのパブコメが始まりました。原発依存度を基準に①ゼロシナリオ、②15シナリオ、③20~25シナリオの三つの選択肢について、国民的な議論に付すとの主旨で、7月31日までパブリックコメントが受け付けられます。

いろいろ批判点はあるにせよ、これまで「お任せ」で済ませてきたエネルギーについて、国民も参加して「引き受ける」ための扉は開きつつあります。

この国民的議論を踏まえて、8月には政府として、エネルギー・環境の大きな方向性を決める、というロードマップになっています。

議論に参加する機会を放棄して、結果に文句だけ言う、という「お任せ」を終わりにするためにも、パブコメを! 

http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120702/20120702.pdf

□第115回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「“夢”ではなく“未来”を語るマニフェスト、その実行プロセス~八尾市の市政運営」

7月19日(木)18時45分より

ゲストスピーカー 田中誠太・八尾市長

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

田中・八尾市長については、396号「関西政経セミナー」、387号インタビュー 参照

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石津美知子
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▼Index 

受益者市民から嫌われる決断を恐れず、

未来の視点からの多数派形成を加速化しよう

□ご案内

◆7月の「囲む会」

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受益者市民から嫌われる決断を恐れず、

未来の視点からの多数派形成を加速化しよう

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●民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖に、未来圏からの風が入り始めた●

 消費増税法案が衆議院で可決された。増税法案としてははじめて、与野党の圧倒的多数による可決だ。ここまでのプロセスや手順は決してベストでもベターでもないが、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖のコアの一角に、ようやく亀裂が入り始めた意味は小さくない。

 お任せ民主主義では、税は「取られる」あるいは「よこせ、よこせ」だが、本来民主主義とは、社会に必要な費用はどれだけか、それをどのように負担しあうのかを、(誰かに決めてもらうのではなく)自分たちで決めるということではないのか。税には権力の発動という側面もあるからこそ、説明責任と合意形成のプロセスが問われる。増税の議論の際にこそ、民主主義の真価が試される。

 GDPの二倍にも及ぶ公的債務の山は、財源の議論を先送りし続けてきた民主主義の負債構造が、可視化されたものにほかならない。例えば〇四年の年金改革(「百年安心」!)の際に、〇九年から基礎年金の国庫負担を三分の一から二分の一に引き上げることが決定されたが、その財源(二・六兆円)については先送りされた。実施時期になっても決まらず、当時の麻生政権は埋蔵金で対応。政権交代した民主党政権も埋蔵金で対応したが、ついに今年度はそれも尽き、「将来の増税」を担保にした国債(交付国債)発行という奇策で凌ごうという状態だ。

かつての土木事業なら「橋や道路は将来にわたる資産だから、将来世代も負担を」と強弁できたかもしれないが、今や現在世代が使い切るために借金し、それを将来世代に丸ごと肩代わりさせている状態だ。この負債構造をいつまで続けるのか。現行の社会保障制度を維持するためだけでも、すでに将来世代にこれだけのつけ回しをしているときに、「社会保障の将来像を示してから財源(増税)を議論すべき」というのは、先送りのための屁理屈にしかならない。

今回の消費増税の議論に流れているのは、民主主義の負債を次世代につけ回し続けるのか、それを断つための一歩を踏み出すのか、ということである。「増税の前にやるべきことがある」とか「増税は必要だが、今はやるべきではない」という理屈はいくらでも言えるが、次世代への負債のつけ回しを断つことが伴わなければ、先送りの正当化にしかならない。

「二十歳になるまで、子どもや孫は自分達の未来を選ぶための選挙権がありません。あなた方大人には子どもや孫のため、未来を今の自分の利益のためだけに作ってはならない、責任があります」(チーム白川・マラソン演説会での二十代の訴え)という声に、どう答えるのか。こうした未来圏からの問いに向き合わざるをえない、ということからの多数派形成が、永田町でもようやく可能になったということだ。

ねじれ国会だから「決められない」のではない。郵政選挙で圧勝し衆参で多数を取った小泉政権でさえ、社会保障費増加を抑える簡便策はとったものの、財政の長期見通し―増税の方向性は決められなかった。

右肩上がりの時代なら、政治も利益の再分配をしていればよかったが、今は負担の分かち合い、その合意形成こそが政治の役割だ。選挙に不利な決定を先送りする議員・政治家、「増税不要」「増税反対」を叫んで次々に登場する政権外のアウトサイダーに、期待と失望を繰り返す有権者。民主主義の負債を次世代につけ回す、こうした無責任連鎖をいかに飲み込んでいくのか。これは「彼ら」の問題ではなく、「私たち」の問題だ。

「永田町にはウンザリだ、だから主権者ががんばらなければ」とか、「お任せではダメなんだ」という自覚一般にとどまったままでは、(アウトサイダーへの)期待と失望の繰り返しから脱却することはできない。「(間違っていない)誰かについていけばいい(自分はフォロワーなんだから)」では、フォロワーとしての責任と役割からも大きく遅れをとる。それがはっきり分かるのは、(「引き受ける」が具体的に問われる)自治の現場だ。

一方で、アウトサイダーへの期待と失望の繰り返しが行き着く先も、永田町から地方政治に移りつつある。しかし受益と負担が可視化できる自治の現場では、制度論の「打ち上げ花火」や「犯人探し」だけでは続かない。国政では地に落ちた感のあるマニフェストも、ローカルでは着実に(バッジをつけた主権者とバッジをつけない主権者の協働として)集積されている。

未来圏からの風を受けて、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を呑み込む、より多様な組織戦を自治の現場から!

●自治分権の多数派形成と、新しい「私たち」の創造●

 負担の分かち合い、その合意形成に必要な民主主義に不可欠なものは何か。ひとつは未来の視点だ。そこから社会的な責任性の度合いが測られる。受益者市民(部分最適・現状最適)、負担者市民(全体最適・将来最適)、経営者市民(持続可能性)という区分(「日本再生」398号10-11面参照)は、賛成、反対、中間派といった区分とはまったく次元の違うものだ。

負担を分かち合う民主主義にもうひとつ不可欠なのは、結果における満足感よりも、プロセスにおける納得感をどこまでつくりだせるかだ。右肩上がりなら賛否も利益分配で調整できたが、負担以外に分配するものがなくなった今は、賛否を決めるだけではどこまでいっても平行線になり、妥協の結果にはどちらからも不満が残ることになる。プロセスをオープンにし、多数が参加することで、ある人は「納得」し、ある人は「信頼」し、ある人は「反省」し、ある人は「仕方ない」となる。そういうプロセスをどこまで展開できるか、ということだろう。

つまり多数派形成、そのための「説得」という意味が、大きく変わることになる。未来の視点、次世代にツケを回さないという視点、そこから不断に「責任と役割」を問い、適正な負担を求め続ける、そのなかから新しい「私たち」を創りだしていく持続性こそが「説得」のカギになる。

 これは「受益者市民には~」、「負担者市民には~」「経営者市民になってもらうには~」というような傾向と対策ではないし、まずは受益者市民にケジメをつけて負担者市民へ、という段階論でもない。受益者市民をゼロにすることはできないが、そこにも最低限の納得感をつくりだす、そういう多数派形成のプロセスを展開するためには何が必要か、ということだ。

 例えば自治体首長にとって、タウンミーティングは「標準装備」となりつつあるが、「何かありますか」と聞くだけなら、市民からあれこれの要望しか出てこないのは当然だ。これでは、「あれも、これも」という受益者市民しか登場しない。しかし「○○について、現状はこうなっており、それについてA案、B案はこうなっています。市としてはA案でいこうと思いますが、どうですか」と問えば、単なる賛否だけではなく、「こういうやり方もあるのでは」とか「むしろ、○○をやめて△△にすべき」という意見が出てくるようになる。「あれか、これか」という負担者市民が登場してくるにつれて、受益者市民のなかにも「将来のことも考えよう」という分岐が始まる。

さらに「必要なサービスですが、借金して、将来世代にツケを回してまでやりますか」と問えば、経営者市民が登場してくる。持続可能な地域経営という視点から公共の領域をどう担うか、そのビジネスモデルが提示されるようになると、多様なパートナー市民が登場するようになる。受益者市民の中からも「腑に落ちた」とか、「納得はできないが、そこまでやるなら仕方ない」という部分もでてくるだろう。それは、未来の視点から新しい「私たち」(共同性)を紡ぎだすプロセスだ。こうして最後に残るのは、依存と分配の本丸になる。

こういう多数派形成ができるなら、選挙で不利になるからといって「適正な負担」を求める政策を先送りする必要はなくなる。むしろ「適正な負担」を積極的に争点にすることで、負担者市民や経営者市民がさらに登場してくるような選挙戦が展開できる。これは、着実に改革を進めている首長の選挙が、それゆえに低投票率になるという新しい「お任せ」構造を断つことにもつながるだろう。

 否定してもポピュリズムがなくならないように、受益者市民もゼロにはならない。政治に必要なことは、不満を吸い上げるだけではなく「昇華」すること、受益者市民を代表するだけではなく、負担を「納得」できるプロセスを作り出すことだ。そのためには未来の視点から、新しい「私たち」という共同性を創りだすことが求められている。その現場こそ、自治分権の領域にほかならない。

「~ポピュリズムを『怖い』と感じるのは、人々の欲望や欲求を固定的なものだと考えるからです。でも本当はそうではない。人々の欲望や欲求は社会的に作り上げられるものであり、それを密なコミュニケーションと想像力を共有する力によって導いていくのが、政治の本来の役割です。~中略~『私たち』という共同意識を作り上げるのは、政治にしかできない役割です。~中略~そうした政治空間では、人の負の情念や恐怖心というのは、徐々に和らいでいくものです。この濃密な空間をイデオロギーではなく人為的に作り上げるためには、世論調査に依存するよりもずっと手間がかかります」(吉田徹・北海道大学准教授 日経ビジネスオンライン5/15)

 「市民社会は民主的政府に代わる選択肢ではない。むしろ民主的な態度が養われ、民主的な行動が用意される自由な空間である。それは民間市場の同義語ではなく、営利的な自分本位と市場の無作法を防ぐものである。~市民の復活は、ゆえに民主主義の復活を意味する」(「<私たち>の場所 消費社会から市民社会をとりもどす」バーバー著・山口晃訳 慶応大学出版会)

 消費増税をめぐって永田町にもようやく、未来の視点からの分岐が走り始めた。同時に依存と分配―期待と失望の構造も、「地方」に逃げ込むようになってくる。自治分権の多数派形成から、民主主義の負債構造を飲み込む組織戦のダイナミズムを加速化しよう。

受益者市民から嫌われる決断を恐れず、次世代へのツケ回しを断つ一歩は永田町からも始まった。さらに未来の視点からの多数派形成を加速化する、これが次の総選挙への土俵づくりである。ようやく踏み出した新しい一歩を逆戻りさせることなく、「どうなっており、どうなりうるか」をさらに共有し、未来に向かって帆を上げよう。

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7月の「囲む会」のご案内

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◆第115回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「“夢”ではなく“未来”を語るマニフェスト、その実行プロセス~八尾市の市政運営」

7月19日(火)18時45分より

ゲストスピーカー 田中誠太・八尾市長

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

田中・八尾市長:396号「関西政経セミナー」、397号インタビュー 参照

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石津美知子
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TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333


「がんばろう、日本!」国民協議会

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▼Index 

21世紀の課題―未来圏から吹いてくる風に、帆をあげよう

~これは民主主義の問題だ

□ご案内

◆6月の「囲む会」

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21世紀の課題―未来圏から吹いてくる風に、帆をあげよう

~これは民主主義の問題だ

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●これは民主主義の問題だ●

 ユーロ危機に揺れる欧州、「アラブの春」から一年あまりのイスラム圏諸国、政権交代後の迷走・逆走が続く日本…。世界のあちこちで、民主主義の転換が問われている。民主政とは「流血を見ることなく、投票で政権を交代させる可能性」であるといわれる。その「可能性」を現実のものとし、そこからさらに一票の選択の質をいかに高めていくか、その障害をどのように取り除いていくか。21世紀の課題にふさわしい、民主主義の転換の試行錯誤が展開されつつある。(ある人々には「カオス」に見え、ある人々には「混沌・混乱」にも見えるが、ある人々にはイノベーションの苗床となっている。)

 「まず、前提として今の民主政治はどんどん移り気で有権者の不満が高まっているという事実があります。フランスでは7割近くが『政治は自分のことをかまってくれない』と考え、日本では8割近くが『政治家も政党も信頼できない』と、回答しています。政治不信と政治的不満が前面化しているのは、日仏のみならず多くの先進国で共通して見られる現象です。

 ここで出てくるのは、既存の政治と政治家を告発して、彼らが作っているシステム=OSを取り換えれば上手くいくようになる、とするポピュリズム政治です。人々の『没落の恐怖』を代表して、政策的な一貫性を無視しシステムの『グレート・リセット』を訴える。~中略~ポピュリズムが政治に与える作用にはプラスとマイナスがありますが、確かなのは否定したからといって消えてなくなるようなものではないということです。~人々の不満を代表する声は、民主政治の中ではいつも必要なんです。他方で、本来ならば、こうした不満を『吸い上げる』だけではなく、『昇華』する政治が必要になってきます。

~ポピュリズムを『怖い』と感じるのは、人々の欲望や欲求を固定的なものだと考えるからです。でも本当はそうではない。人々の欲望や欲求は社会的に作り上げられるものであり、それを密なコミュニケーションと想像力を共有する力によって導いていくのが、政治の本来の役割です。~中略~『私たち』という共同意識を作り上げるのは、政治にしかできない役割です。~中略~そうした政治空間では、人の負の情念や恐怖心というのは、徐々に和らいでいくものです。この濃密な空間をイデオロギーではなく人為的に作り上げるためには、世論調査に依存するよりもずっと手間がかかります」(吉田徹・北海道大学准教授 日経ビジネスオンライン5/15)

GDPの二倍におよぶ公的債務と、それを生み出した「お任せ」「先送り」という「民主主義の負債」を次世代につけ回すのか、そのマイナス構造を断つのか。これが、私たちに問われている民主主義の課題だ。日本は21世紀の課題先進国と位置づけられるが、前者なら、「ああはなってはならない」という反面教師としての位置づけになる。財政を破綻させず、高齢化率40%へ向かう時代を凌ぐという、21世紀の持続可能な課題先進国としての日本社会は、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を断つことなしには、見えてこない。

 ここで問われてくるのは、(世論調査に依存するよりもずっと手間がかかる)民主主義の持続性と智恵だ。民主主義の転換が意識の問題なら、「お任せではだめだ」という自覚一般でもすむが、「お任せ」「先送り」の経済的基礎、社会的歴史的背景やその人格形成は、グレート・リセットによってなくなったり、変わったりするものではない。必要なのは「『私たち』という共同意識を作り上げる」場、そうした公共空間の創出であり、そこでのコミュニケーションの集積だ。

 「私たち」という共同意識を作り上げる場に必要なコミュニケーションはどういうものか。そのことが、あらゆる場面で実践的に問われている。

社会の問題を社会の一員として引き受ける―そのためのコミュニケーションと、「誰々が悪い」「ズルをしているのはアイツだ」と犯人探しをするのとでは、集積がまったく違ってくる。高齢化率40%という四十年後を、「漠然とした将来」としかとらえられない場合と、「望ましい未来から現在を逆算して」とらえる場合(7面 神山町のインタビュー参照)とでは、コミュニケーションはまったく違うものになる。

 あるいは首長や議会と市民との対話集会でも、「何かありますか」と聞くだけなら、市民からあれこれの要望しか出てこないのは、ある意味で当然だ。「わがまちがどうなっており、どうなりうるか」「この問題について、現状はこうなっており、A案、B案はこうですが、どう考えますか」と問いかけて、はじめて議論が始まる。さらにいえば、借金を借金で返すような財政状況では、その事業が「無駄か、無駄でないか」のみならず「借金してもやりますか」とまで市民に問うことによって、受益者ではない、主権者としての「私たち」意識をうみだすことが可能になる。こうした公共空間のなかでこそ、負の情念を和らげ、心情倫理を責任倫理に向けて組み込んでいくことも可能になる。

 統治の仕組みを変える、ということは制度いじりではない。決定過程にも執行過程にも、よりいっそう主権者として参加し、役割と責任を引き受けること、その不断のダイナミズムこそが民主主義の真髄だ。

「誰かに決めてほしい」(自分の思い通りに決めてくれないと幻滅し、また他の誰かに期待し、あげくは「何でもいいからとにかく決めてくれ」となる)のか、「自分たちで決めよう」(決定過程や妥協の結果も引き受ける)のか。これは民主主義の問題だ。

●民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を断つ、その決戦場は自治の現場●

 失われた二十年は、別の言い方をすれば「制度破壊願望」の繰り返しであった。橋下ブームはいわばその最終形であり、制度論への逃げ込みも自治の現場が決戦場となりつつある。

首相公選や参議院廃止のような、憲法改正なしには実現できない「打ち上げ花火」のような話なら、普通の人から検証もされにくいが、地方自治の現場では、普通の人からも一発で検証される。地方自治の現場には、制度論に逃げずに自治を深化させる具体例が数多くあり、普通の人にも見ようと思えば見ることができるのだから。

「GDPの二倍の借金」といわれても、「無駄を削ることが先だ!」といえるかもしれない。しかし市の財政が、臨時財政対策債などというシロモノなしには成り立たない状態だということは、知ろうと思えば分かる。分かれば、「誰かにお任せ」とはいかなくなる。

高齢化率40%といわれても「漠然とした将来」の話にしか聞こえないかもしれないが、自分たちのまちでは今後十年で高齢者が何人増加し、それに対応するための施設やサービスが現状ではどれだけ足りないか(首都圏では圧倒的に足りない)、その対応にはどれだけの費用が必要なのか、そのためには何かを止めなければならない、ということは分かる。それが分かれば、「何をあきらめるか」を誰かに決めてもらうのではなく、自分たちで決めなければならないことが分かる。

あるいは「過疎を止める」とだけいっても掛け声に終わるが、次世代のときに1学級10人のまちでいいのか、それとも20人くらいは確保できるまちにするのかと考えれば、国に「補助金よこせ」というよりも、自分たちで何をやればいいかが見えてくる(7面 神山町のインタビュー参照)。

高度成長期に大量に造成されたインフラは更新期を迎え、「物理的な崩壊」と「財政的な崩壊」というふたつの危機に直面している。ここでも「何をあきらめるか」を、市民が決めなければならない。少しの不便さえ拒絶する受益者市民の声だけを聞いていれば、その地域はいずれ破綻するしかない。今は存在しない(次世代の)負担者市民の声なき声を聞けるか、さらには、まちの経営をともに「引き受ける」経営者市民がどれだけ生まれるか。地域の未来は、それによって大きく変わってくる。

制度論の「打ち上げ花火」では、自治の現場、生活の現場は何一つ回らない。政治は共同体の運命を決するものであり、それは「誰かに決めてもらう」のではなく、「『私たち』が決める」ものだということが、生活で分かるのが自治の現場だ。だからこそ、ここにおいて公共空間をどう作るのかが問われる。

「…政治には公共空間が必要だ…人々が利害を率直に表明するのは政治の主要な役割ではない。利害関係だけであれば、むしろ市場のほうが有効な調整ができる。~中略(政治には)共同体にとって望ましい、すべての人にとって必要であるといった、公共的な理由付けが求められる。~たとえ表向きだけであっても、政治は公共善と結び付けて議論されなければならない」(「政治を生きる」飯尾潤)

「次世代につけを回さない」というタテマエを、剥き出しの利害損得に置き換える無責任連鎖を断つのは、自治の現場だ。タテマエ・公共善を支えるのは、「お天道様が見ている」という世間の論理であり、そこで育まれる小さき公共心や利他の精神だ。共同体と結び付いたこうした世間を、「前近代的」「しがらみ」と否定して、タテマエを剥き出しの利害損得に置き換える世俗の論理を蔓延させたのが、依存と分配であり、そこでつくられたのが特定の利害関係者による(原子力ムラなどの)「ムラ」にほかならない。この「戦後日本」が敗戦を迎えた今こそ、自治の現場から公共空間を創出し、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を断とう。

●自治分権の構造的拡がりで、民主主義の負債構造を飲み込もう●

 自治分権の構造的な拡がりとは、生活の現場に根ざした公共空間とその担い手を創造するための多様な智恵と持続性にほかならない。アカの他人が社会を構成しているからこそ、タテマエ・公共善を支える世間の論理が必要になる。そこで人々が「私たち」意識をもつ上で決定的なポイントは共感縁、共感資本の創造だろう。

 この事業は無駄か、無駄でないかのみならず、「借金をしてまで=次世代につけを回してまで、やりますか」と市民に問えるのは、その問いが共感を生み、ともに引き受けようという市民が生まれるからだ。そこから市民同士の討論―受益者市民にとどまるのか、経営者市民とはどういうことか等―が繰り広げられ、新しい公共空間が生まれてくる。

 自治体経営においても、いかに市民自治を作り出しているかが決定的なポイントになる。例えば太陽光発電事業を市民ファンドによって立ち上げた長野県飯田市では、買取制度によって売電して得た利益を、ふたたび地域に投資するサイクルが動き出そうとしている。このような経済的な意味からの自治の試みにおいて、決定的に重要なことは、地域の中にこうした社会的事業を担う主体をどう作り出していくかということだ。岩手県紫波町のまちづくり事業では、町民が株主となることでリスクをとり、ガバナンスも効かせる仕組みによって、ファイナンスを可能にしている。事業がうまくいかなければ、市民が負債を負うことになる。そういうリスクも取るからこそ、ガバナンスも真剣なものになる。補助金に頼らずに社会に必要な事業、自分たちの経済的自立の基礎を、市場の仕組みを使って作り出すという自治の試みは、同時に市場をより健全なものにしていくことにも通じる。

若き社会起業家が、「儲かるか、制度に適うかではなく、その事業は『社会に必要か』」というところからストレートに出発するのは、理念や社会的使命こそが共感資本となるからだ。それがあれば、ビジネスモデルは後からついてくる。被災地で立ちあがる事業者たちの最大の財産は、地域への思いと使命感、それに共感する共感縁、共感資本の拡がりにほかならない。「そこから社会がどれだけ恩恵を受けているか」ということが、よい仕事、よい企業の基準になっていく。

 あるいは湯浅誠氏は、こう述べる。ホームレス支援などでこだわっているのは「(自らも)作り、求める」ということ。自分たちでまず作るということがないと、作らずして求めるというのはなかなか説得力がない、と(5/21「囲む会」 内容は次号に掲載)。自ら動き、作ってこそ共感を呼ぶということだ。共感を伴わない「政策提言」では、いつまでたっても「誰かに決めてもらう」ことしかできない。

 血縁や地縁以外にも社会の支えあい、縁が多様であるほど、その社会は豊かになるが、自治とボランティアは何が決定的に違うのか。ボランティアは、自分の好きなときに好きなことを通じて社会に参加し、ときには「引き受ける」。場合によっては、いやならやめることもできる。一方、自治の場合は「いやなこと」でもやらなければならないときがあるし、「もめること」でも決めなければならないことがある。「いやなこと」を「いやなこと」として、仕方ないからやっている、ということでは続かないし、共感は得られない。その意味で持続性、共感縁がもっとも豊かに、多様になるのも自治の現場だろう。

 被災地のがれき受け入れをめぐって市民が大きく揺れた島田市で、半年近くにわたって市民の合意形成に努めてきたのは、地域の自治会である。自ら被災地に出向き現状を聞き、放射線を測定し、市民に公開し、一定の安全性を市民とともに確認して、受け入れを合意した。最終的に自治会として決定するときには、会長は市民の多数決によらずに、役員の総意で決定した。なぜか。多数決をとれば市民の中に「あの人は賛成した」「あの人は反対した」という亀裂が残る。それでは地域は持たないと。

自治は「○○に賛成、反対」で運営するものではない。利害対立、意見の違いがあっても、ともにこの社会を支え、維持していく責任と役割を分かち合う営み、それが自治だろう。その意味では「誰々が悪い」「アイツのせいだ」という犯人探しや、分断統治と一番遠いところにあるのが自治の現場であり、そこで培われる共感縁ではないだろうか。

民主主義の負債構造を飲み込む、自治分権の構造的拡がりをさらに!

(本号「総会報告」も参照ください。また次号では、こうした公共空間の創出について、社会運動家の立場から湯浅誠氏のお話(東京・戸田代表を囲む会)を、また宗教社会学の観点からは稲場圭信・大阪大学准教授のインタビューを掲載します。)

*本号=「日本再生」397号 6/1発行

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6月の「囲む会」のご案内

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◆第114回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「次世代に“民主主義の負債”をつけ回す無責任連鎖を断つために」

*総会を受けて、同人議員を交えたトーク&討議

6月8日(金)18時45分より

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

◆第18回 戸田代表を囲む会in京都 

「自治分権の構造的拡がりで、“民主主義の負債”構造をのみこんでいこう」

*総会を受けて、同人議員を交えたトーク&討議

6月10日(火) 18時30分より

ハートピア京都

会費 1000円/学生 500円

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333


「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

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▼Index

4月、5月の「囲む会」ならびに「総会」のご案内

「貧困襲来」湯浅誠・著 委託販売のお知らせ

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4月 5月のご案内

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東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

同人 1000円  購読会員 2000円

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◆第112回 東京・戸田代表を囲む会 

「エネルギー政策は、気候変動政策と統合せよ」

4月25日(金)18時45分から21時

ゲストスピーカー 一方井誠治・京都大学特定教授

*エネルギー政策は経産省、気候変動政策は環境省。自治体を重要な主体としてきた気候変動政策。自治体を排除し、需要家を排除し、徹底した独占で行われてきたエネルギー政策。原発事故を契機に信頼が失墜したエネルギー政策の転換とは?

◆第113回 東京・戸田代表を囲む会 

「社会運動の立ち位置~“参加する”から“引き受ける”へ」

5月21日(月)18時45分から21時

ゲストスピーカー 湯浅誠・自律生活サポートセンター・もやい事務局長

*調整過程を「あっち側」に任せたままの「参加」から、調整・妥協のプロセスを引き受けたうえで次へ進む、という社会運動の立ち位置とは。自分の都合のよいところだけ「参加」、面倒な調整は役所にお任せという「市民参加」ではなく、市民自らが合意形成を担う「市民自治」へ(七回大会第二部)にも通じるお話。

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総会 *七回大会での議論を、さらに具体的な行動指針として深めていくために*

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5月12日(土) 10時から18時

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

ゲストスピーカー 山中光茂・松阪市長、福嶋浩彦氏ほか

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湯浅誠・著 「貧困襲来」

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5/21「囲む会」にむけて、湯浅さんのデビュー作「貧困襲来」の委託販売を行っています。

生活保護受給世帯が過去最大となるなか、「貧困」問題も右肩上がりの時代とは様相を異にしています。「社会の問題として」どう向き合うべきか。

定価1400円+税のところを、1200円で販売しています。(市ヶ谷事務所にて。送付の場合は送料実費を申し受けます。)

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333