PDFファイル⇒19年11月天秤棒No70

埼玉県参議院補選は誰に投票?
 今朝の駅立ちは、何時もの様に午前4時過ぎには起床して、妻の運転でせんげん台駅東口に午前5時前に到着。直ぐに街宣用具の設置の後、駅前清掃の作業を終えて市政レポートの配布を開始した。
今朝から一心太助の天秤棒“駅頭は小さなドラマの連続だ”の最新号第69号の配布をスタートした。
掃除の後マイクのスイッチを入れようとした午前5時過ぎに、馴染みの中年女性から今回の選挙(10月27日投票の参議院埼玉県選挙区の補欠選挙)は誰に投票したらいいですか、と尋ねられた。はい、勿論上田候補にお願いします、と返答。やっぱりそうですよね、N国党ではダメですね、と応答されエスカレーターに向かわれた。
同じお話を午前8時40分過ぎ駅頭を終了して街宣用具を片付けていたら、旧知の客待ちのタクシー運転手さんから、声が掛かった。
上田さんをお願いします。恐らく低投票率になりそうですから、必ず投票に行って下さいね、投票をするという行動がないと、選挙後の政治状況に対して無関心になり、当事者意識が希薄になりますから、と返事をした。
すると、分かりました、うちは5票あるから、皆投票するようにするから、との応答だった。
えー5票もあるんですか、しっかりお願いします、と付言した。
午前6時30分過ぎ、馴染みの中年女性から小さなのし袋に入った1000円のカンパを頂いた。この女性は毎回同額をキチンとのし袋の入れて頂いているので、本当に毎回感謝している。
同じ様に春日部市に在住されている30代のサラリーマンの方からも、毎回1000円のカンパをカンパ箱に投入して頂いている。
各駅には、必ず定期的にカンパを頂く市民の方がおられるが、その気持ちに十分応えきっているのだろうか、と何時も自問自答している。
午前7時過ぎには、やはり馴染みの30代のサラリーマンの方からペットボトルを差し入れて頂いた。この男性も毎回の事だ。
ペットボトルの差し入れに関しては、早朝からせんげん台駅東口周辺の掃除を毎日続けておられる高齢男性から、これも毎回しかも2本も頂いている。
時には気づかない内に近くに置いて帰宅される事もあり、恐縮している。
午前7時40分頃ピンクのビプスを着た6人の女性が駅前に集まって何やら盛んに打ち合せをしておられたので、何をしているのかその内のお一人に聞いてみた。すると北陽中学校のPTAの方で、今日は北陽中学校の合唱発表会を南越谷のサンシティのホールで開催するため、生徒達の誘導をしている、との事だった。
あーそうか、それで先ほどから集団で男女の中学生が階段を昇って行くのはそのためか、と納得した。
この中学校は私の子ども達の母校でもあり、全校生徒による合唱に力を注いでおり、毎年入学式や卒業式ではすばらしい合唱を聞かせて頂いている。
その後、先生がお二人引率のため近づいて来られたので、大変ですね、ご苦労様です、と声を掛けたら、迷惑をかけてすみません、と頭を下げられた。いえいえ、迷惑だなんで、頑張って下さい、と応答した。
            (10月21日)

3日間連続で駅立ちは中止、県外出張のため
23日から5日間連続して、愛知県への行政調査と大阪での研修会参加のため、この間の駅立ちは中止した。
越谷市議会建設常任委員会の行政調査は、23日と24日の二日間で、議員8名と建設部長と都市整備部長、議会事務局2名の合計12名が参加した。まず初日は愛知県岡崎市の「乙川リバーフロント地区公民連携まちづくり基本計画」と「下水道事業の公営企業会計移行」の2つのテーマを。二日目は、静岡県沼津市の「沼津駅周辺総合整備事業」を調査して来た。
23日は、午前9時に東京駅新幹線中央乗降口に集合のため、午前7時30分過ぎにはせんげん台駅を出発した。ところが西新井駅手前まで来て、電車が停止した。車内アナウンスによれば事故のための停車だと、何度もお知らせがあったものの一向に動く気配がない。
なんと30分近くたってやっと動き出した。
後程分かったのだが、通勤客のカバンが列車に引っ掛かり死亡されたとの事。このためやっと北千住駅から上野駅にJRで到着したら、今度はJRが都内の地震のため運行が乱れており時間通りに出発せずこれまた、幾つものホームをうろうろして、東京駅の集合時間ギリギリに間に合うことになった。
なんとも朝からひやひやする初日となった。
24日夕方帰宅したが、25日早朝から3日間大阪府堺市で開催された「大阪で考える健康で文化的な最低限度の生活」をメインテーマとする講演会と分科会に参加した。会場は大阪府立大学 中百舌鳥キャンパス。主催は全国公的扶助研究会で、毎年1度の全国の都市で開催されており、毎回参加して来た。
1日目が終わり、大阪地下鉄御堂筋線の公園前駅で下車して徒歩5分で予約していたホテルに午後6時過ぎに到着した。
夕食を採るためホテルを出で驚いてしまった。広い歩道には、アジア系の観光客がひしめき、大阪名物串揚げやお好み焼きや居酒屋が密集している歓楽街で、通天閣が目の前に見える場所だった。大阪には何度か訪れていたが、あの通天閣を見るのは初めて。興味が湧いてきて周辺を歩き回ったのだが、大きな声で大阪弁が飛び交い、泥酔したおっちゃんが安酒屋でたむろしている様にイメージしていた大阪の印象とは全く違っていた。賑やかしい居酒屋から少し離れたもつ焼きの店に入って食事をしたが、実に静かで店主と奥様で対応してくれたが、大阪弁ではなく、所謂標準語で話し掛けて頂いた。
客引きもいないし、どの店も飲み客であふれており、24時間営業のお好み焼きや焼きそば
店の100人も入るのではないか、と思えるほどの大きな店も散見された。路上にごみもない。
また、立飲みの10席もない小さな居酒屋が何軒もあり、確かに高齢男性がビールを飲んではいたが、喧噪的な雰囲気はなく、実にフレンンドリーな空気感が漂っていた。中には一人で飲んでいる若い女性も見受けられた。
次の日朝食を採るため、午前8時前から昨日と同じ様に歓楽街を散策してみたが、土曜日なのに午前6時から開店している喫茶店(モーニングを注文したがコーヒーとパンとゆで卵がついて350円)やこの時間帯に開店準備のため、掃除や商品を陳列する小さな洋品店の高齢店主を見かけた。(懐かしいレスカや冷コーの表示もあり、サンパツ屋の看板も)
その中で、うどん店が2軒営業しており、何と、かけうどんが1杯170円、きつねうどんが230円と激安。このためモーニングを食べたにも拘わらずうどんも食べてみた。安いだけでなく美味しい。最終日(日曜日)にはもう一軒のうどん店(ここは立ち食いで席は7席位しかなく、男性店主一人で切り盛りしていた)でやはりかけうどん(同じ様に170円)を注文したが、日曜日のこの時間帯なのに並んで順番を外で待ってからの注文となった。
値段は東京よりも2割以上も安く、人々の会話や雰囲気は、東京で言えば浅草を彷彿させるような町であり、この町で暮らす庶民の気風やエネルギーを十分感じるとる事が出来た事は、講演会受講以上の収穫となった。
その大学での分科会で大阪からの参加者の方から、大阪では様々な施設がボランティアで食事を必要とする市民に無料で提供することが当たり前となっている。提供する側もされる側も上下の関係がないフラットな付き合いが普通に出来る地域であり、特に通天閣の近くには西成地区(低所得者の方が暮らすドヤ街とかつて呼ばれた地域)があり、そんな雰囲気が強い土地柄です、と教えて頂いた。
生活保護や社会的な支援の制度や担い手の重要性が増々必要とされてはいるが、そんな制度や組織がなくても、そこで暮らす人々が地域の中で自然に助け合い、フラットな関係を持続出来て行く生き方こそが、原点なのだと感じさせられるものだった。    (10月27日)


PDFファイル⇒19年8月天秤棒No69

せんげん台駅東口の停車場の完成
 今朝の駅立ちは、せんげん台駅東口で何時もの様に午前5時過ぎから開始した。
自宅を午前4時40分過ぎに、音を立てずに玄関ドアを開け自家用車で駅に向かった。先週から娘と子どもが帰省しており、まだ当然だが二人ともグッスリ睡眠中であり、妻からもくれぐれも静かに出かける様に“厳命”されていた。
また娘たちの世話のため妻が時間が取られており、自家用車の運転は私がハンドルを握る事になった。
そのため午前5時前には駅に到着して街宣用具を車から降ろし設置した後、最寄りの有料駐車場に一旦駐車した後、徒歩で駅前に戻って来たのが午前5時過ぎとなった。
到着後直ぐに恒例のホウキと塵取りを持って駅前清掃をした後、市政レポートの配布をスタートして午前8時30分過ぎまでの行動となった。
終了して今度は徒歩で駐車場に向かい車を駅前に移動させて街宣用具を積み込んで帰宅したのが午前9時頃。
今日から、配布する宣伝物は、11月4日(月・祝)に開催する第1回市政報告会の案内チラシ。本年4月の市議選挙で当選した32名の議員を対象に市政報告会の開催主体に参加して頂くようにこの間呼びかけていた。そのため6月議会の市政報告会を7月31日に大袋地区センターで開催したが、その時の主催者は仮称3地区有志議員の会として取り組み、より多くの超党派の議員参加に向けて門を広げて来た。
この様な経過を通して、今回は7人の会派や党派の枠組みを超えた超党派の「議員有志の会」が結成され、第1回目の市政報告会の主催者となり、私は案内チラシの作成担当で、印刷されたチラシ1000枚の配布を引き受け、この日から配布開始となった。
この駅に車で移動し、(運転手は奥様)停車した後、盲導犬を伴って電車に乗降されている高齢の男性から1年以上も前に障がい者用の停車スペースを設置して欲しいと陳情を受けていた。
何時も停車している場所はバス停の間際であり、停車中に他の自動車運転手から移動するように注意を何度も受けている。
しかし盲目のため出来うる限りエスカレーターの近くに停車する必要があるにも拘わらず、障がい者用の場所が駅周辺の何処にも設置されていない。このため、ご自身でも市役所に陳情したが、なかなか実現しないので、何とか善処して欲しい、との陳情を1年も前に受けていた。
当時直ぐに、市役所の道路総務課長さんに実情の報告と改善をお願いした。東武鉄道の他の駅は、すでに設置されていることもあり、また障がい者に限らず妊産婦や子連れの親子など利用対象者が広いことも設置目的に合致しているとも強調してお話した。
ただ、現在停車しているバスの停車の場所は困難が予想されるが、タクシーが客待ちをして繋がっている一角にこのスペース1台分を確保出来るのではないか、勿論その場合はタクシー運転手さんの同意が必ず必要となるので、大変だと推測するが、善処をお願いしていた。
しかし、その後進展がなく本年4月の市議選挙前となり、課長さんだけでなく、建設部長さんにもお願いした。(私は陳情だけでなく、資料の提出など担当の課長さんにお話しする時は陳情に限らず、事情の説明を受ける場合でも課長さんとの対応を原則としており、滅多に部長さんに陳情しないのだが、今回の件は珍しいケースだ。勿論担当課長さんとのやり取り等を報告することは時々あるが)
選挙が終了して、それでも実現の目途が立たないようなので、5月にも再度善処をお願いした。その結果今回駐車スペースの場所を確保すとの事を知ったため、当該の高齢者に経緯の説明と実現の日程を説明していた。
工事が終了した後、設置のお礼を道路総務課長さんにしたところ、いや設置しましたが、あまり目立たないので、看板等を新たに設置して対処をする様に検討している、との有難いご返事を頂いた。
(9月30日)

N国党とは一体何なんですか!?
今朝の駅立ちは、蒲生駅東口で何時も様に午前6時前から開始して、午前8時30分過ぎまで2時間30分、市政レポートの配布と9月議会の市政報告会開催の案内をした。
この駅は、私の自宅から最も遠い場所に位置しており、最低でも30分位の時間を要するため午前5時20分過ぎには自宅を出発している。
まだこの時間帯では辺りは薄暗いものの、今夏の猛暑の影響も流石に弱まっている。
午前8時20分頃、馴染みの高齢女性と話になった。それは現在選挙運動期間中である参議院議員の埼玉補欠選挙に立候補しているNMKから国民を守る党の候補者の事だった。
この党は一体何がしたいのでしょうか。今年7月になったばかりの参議院議員なのに、直ぐに辞職してまた参議院選挙に立候補するなんて。しかも埼玉県全体をどうしたいのか、示さずNHKの料金集金の問題だけを主張するなんて、埼玉県民を馬鹿にしています、とのお話だった。
しごく、当然のお話だったが、私からもご返事をした。お話の通りですが、7月の参議院選挙では全国で約100万票を獲得しています。
しかも、既成政党への不信感を梃に、この不信感を煽り、逆手にとって政策やマニフュストをパッケージして一切提起出来ていない政党です。さらに市議選だろうが、市長選挙だろうが知事選挙だろうが、全く同じ政策しか訴えない。(訴えることが出来ない)
こんな党が地方議員を含め当選出来ているのは、益々貧困と格差が広がる中、既存政党が制度の外に広がる地域や市民の困りごとの解決策や市民の役割や責任を伝える事が出来ていない空間にスーット入り込んでいるためです。
令和新撰組もその点では同質です。決定的な問題はこの間一貫している国政、地方選挙の低投票率ですね、この低投票率こそ「静かなる全体主義」の温床となっています、と。
10分以上お話したが、何時もの様に1000円のカンパをされて改札口に向かわれた。
(10月8日)

台風被害は大丈夫?との心配の声が
今朝の駅立ちは、北越谷駅東口で午前6時前からスタートして午前8時30分までの行動となった。恒例の駅前清掃の作業の後、市政レポートの配布を始めた。
午前7時30分頃馴染みの中年サラリーマンの方から、台風は大丈夫でしたか、と心配の声を掛けて頂いた。
はい私に被害は出ませんでした。ただ越谷市内では、せんげん台駅が浸水した上、床上浸水(20件)、床下浸水(100件)が出ており、これから復旧や罹災証明書の発行等の事務作業が始まります。
全国では50名(この時点で)もの死者が出ましたが、幸いにして越谷市では軽症者が数名出ただけだったので、一安心です、と応答した。
近年の災害は、二つの要因で、対応を困難にしている。第一は、地球環境の激変による異常気候。(人類が人工的に作り出したものだが)
第ニに、右肩上がりの時の発想と視点による都市造りなので常に拡大基調しかなかった。だから人間や社会の持続性を無視したため、対策が後手、後手になるのは当然の結果だろう。       
(10月16日)


PDFファイル⇒19年8月天秤棒No68

「カラスを何とかしてよー」との受け止め方  
今朝の駅立ちは、新越谷駅西口の午前5時30分過ぎに到着して、通常通り街宣用具の設置の後、駅前清掃に取り掛かるが、この駅は毎回吸い殻は勿論、コンビニ等で販売しているファ-ストフードや弁当の食べかすやペットボトル等のごみが散乱しており、そのため時間をかけてホウキで作業をする。
しかし、集めて来たごみを目当てに今度はカラスが5匹ほど周辺から降りて来て、ごみをくちばしでつつき、また散乱させた。
中には、そのままくわえて飛んで行くカラスや場所取りで喧嘩状態のカラスなど、モー全く折角集めたのにー。
 午前6時過ぎからやっと市政レポートの配布を開始したところ、救急車がサイレンを鳴らし駅前に横づけとなった。越谷市の救急隊員が2人ストレッチャーを車から出して、駅構内に消えていった。
暫くして、通勤客だろうか、女性(よく顔が分からないので、多分そうだろうと推測したが)が運ばれて来た。
直ぐに、発車するのかと見ていたらなかなか出発せず、何と40分以上も停車している状態が続いた。
多分救急病院の受け入れ先が見つからず、次々と病院への問い合わせをしているのだろう。まま、良く見られる風景だったが、やっと目途が付いたのか、午前7時前に発車して行った。
午前7時過ぎに、30代の現場作業員風(非正規雇用か?)の男性がチラリと私を見て「カラスを何とかしてよー」と捨て台詞のまま立ち去って行かれた。
確かに、私こそつい先ほどカラスたちに腹がたったのだから、気持ちは同じかもしれないが、何の挨拶の言葉もなく、いきなり何とかしてよー、はないでしょう。人と話をする時には最低の礼儀があり、自分の言いたいことだけ言ったら、後は関係がないとの態度をまず改めて下さい、との言葉をかける間もなくすたすたと去って行かれた。
この手の市民が増えているが、私はどんな市民でも出来うる限り会話を試みているが、議員とはそんなもんだ、との認識や会話自身が出来ない市民なのだろう。    (6月25日)

参議院選挙は、どこに投票するのか?
今朝の駅立ちは、せんげん台駅東口で何時もの様に午前5時過ぎに到着して準備を始めた。
ただ、今長女と3歳の孫が帰省しており、そのため早朝からその世話に妻がかかりきりで、駅立ちの車での送迎が出来ず、私が一人運転を行う事になってしまい、自宅を出るのも何時もよりも早く出て、街宣用具の設置後は最寄りの駐車場へと車を移動させてからの市政レポートの配布を始めた。       (裏へ)
始めてすぐの午前5時30分過ぎ、何時もこの時間にお会いするなじみの中年女性から、今度の参議院選挙はどこに投票すればいいのですか、と尋ねられた。
各種選挙前にはよく尋ねられるのだが(勿論私の市議選挙だけはそんな質問は当然ないのだが)、安倍政権は6年以上も続いている。
自民党の党内でさえ、官邸主導により議論が出来にくい状態が続いており、この状態は社会全体にとっても自民党にとっても問題であり、野党第一党の躍進により与野党の国会での緊張関係を作り出す事が必要なので、野党第一党の立憲民主党を支持しています、と返事をした。
するとやっぱりそうですね、と笑顔で構内に歩いて行かれた。
午前6時時過ぎ、中学生の一団が次々と駅前に集合して来た。そのひとつのグループに尋ねてみたら、北陽中学校の3年生の修学旅行の一団で、これから京都、奈良へ3日間の旅行だと教えてもらった。
それぞれ事前にグループを編成して、訪問地やコースを調査して実行する方式をとっている。旧来の就学旅行とは取り組む方法が随分変わってしまったが、家庭の事情で参加を断念する生徒もいるのではないか、と心に引っ掛かりながらも、楽しんで来て下さい、と声をかけ送り出した。          (7月5日)

女子高校生に次々と出会った、夜の駅立ち
今朝の駅立ちは、午前6時前から蒲生駅東口で開始した。今回も車の運転は私なので午前5時過ぎには自宅を出て、蒲生駅へ。
午前7時30分頃、前にも紹介した築地の幼稚園に通園している母親と年長の娘さんと出会った。
今日から夏休みに入り、これから自宅に向かう途中での出会いとなった。
参議院選挙の低投票率が予想されることなど話し込んでいたら、あーカンパ箱があるんですね、と気づかれた後、直ぐに5000円ものカンパを頂いた。
(その2日後、“いつも木曜日の朝、蒲生駅でお目にかかれることを楽しみにしています。これからも応援させて頂きます。”とのメールまで頂いた。)
午後6時からせんげん台駅東口で、夜の駅立ちに取り組み午前0時近くまでの6時間、市政レポートを配布したので、朝を入れて合計8時間30分の活動となった。
午後7時頃、何時も大袋駅西口から久喜高校に通学する3年生の女子高生と会った。なんでも突然パフェを食べたくなったので、友人を呼びだして近くの喫茶店に行くとの事だった。
盛んにスマホをいじっていたが、いいお友達だね、と付言したが、満足したのだろうか。
別れたすぐ後、今度は高校生の時からせんげん台駅東口で良く出会っていた女子で、都内の大学に進学し、(大学生の時も、時々駅で挨拶をしたり、先の市議選中にも話した)そしてこの春卒業して就職した22歳の女性と話になった。都内のホテルに就職したとのことで、フロント業務を担当している、と。ホテルにはレストランも併設しているとの事なので、一度ランチを食べに行きます、と話は弾んだ。
午後8時過ぎ、これも朝大袋駅西口から通学している埼玉県羽生市にある誠和福祉高校の3年の女子と話になった。
せんげん台駅東口近くにある歯医者に週4日間、1日3時間程度でアルバイトをしていて、その帰り。福祉の国家試験の準備をしている、と前に聞いていたので時間がなくて大変だねー、と話したら、うーん大丈夫です、との返事だった。
午後8時30分過ぎ、制服姿の女子高校生がだれかと待ち合わせなのか、スマホを手に暫くエスカレーター前で話をしていたが、笑顔で近づいて来て、市政レポートを下さい、と話し掛けられたので直ぐに手渡した。
また、スマホで話ながら待ち続けていたので、私から話し掛けて見た。どうして市政レポートを受け取って頂いたのですか、と。
すると、今度参議院選挙で初めての投票をするので参考になるかと思って、との返事だった。
そうか、18歳まで投票年齢が引き下げられたのだから、現役高校生も有権者となり一票を投ずる責任と権利が発生した、と改めて思いを巡らせたが、果たして参考になったのだろうか。
午後11時30分過ぎに用意した市政レポートが全てなくなってしまった。
今回から午後7時開始ではなく、午後6時から開始したため、想定よりも多くの市民の方に市政レポートを受け取って頂いた結果だ。
そして、これまでポツポツを降っていた雨が本格的に降り出して来たので、本日はこれで終了し長い、長い1日が終わった。(7月18日) 


PDFファイル⇒19年7月天秤棒No67

ふるさと納税問題は高額な返礼品?
今朝は朝から雨が降り続き、駅立ちは中止したが越谷市議会臨時議会が、午前10時から開催され、正副議長を始め議会人事や4つの常任委員会等への全議員の所属を決定した。
 因みに私は、前期に引き続き建設常任委員会の配置となったが、5期目にして会派に所属しない議員となったため、議会運営委員会等のメンバーになることが出来ないため、本会場の議席を始め会派間で協議決定された後に、最終的に処遇が決定されるため、全く意思は発動することが出来ない状態となった。
 議会の控室は提供されたが、最も狭い部屋となり、看板には「無所属」と表記されている。
さて、当日地方税制の改正条例が3本、市長から提案されたがその中にふるさと納税の改正条例があり、本会議場で質疑に立った。
実は、総務省が全国の自治体に呼びかけて「ふるさと納税制度」を法律で制定した。これは政府と自治体の関係が、旧来の垂直的な関係から水平的な関係に変えて行く試みであり、一定の評価は出来るものであり、各自治体で様々な取り組みが行われ、地方自治体の自主財源に寄与する結果となった。
ところが、総務省は自治体の独自の取り組みが中央集権なコントロールが出来なくなるとの思惑から返礼品だけを焦点に法改正をしてしまい、返礼品は寄付額の30%以内とする事や、地場産品に限定するなど省令で自治体に通知した。
これを受けて越谷市でも地方税制の改正が提案された。
しかし、この様な総務省のやり方は、ますます地方分権から離れて行くことになっているが、問題は肝心の自治体のトップにその認識が極めて低いことが問題であり、越谷市もその例外ではない。
勿論、ふるさと納税制度には様々な問題を内包しており、根本的には地方交付制度の問題であるので、運用を是認するものではないが、それにしても何の問題もないように、ただ条例改正を形式的にしてしまう今日の市長の姿勢は問題ではないだろうか。   (5月21日)

議員の最大の職務は、議案への賛否
昨夜から雨が間断なく降っており、今朝の駅立ちは中止せざるを得なくなった。
本日6月10日から6月越谷定例市議会が開始され、6月27日までの約20日間の日程となっている。
 市議選挙後の本格的議会のため、新人を含め18人もの議員が一般質問を予定している。
選挙での公約や主張を披歴したいとの気持ちは良くわかる。
 しかし、一般質問とは議決事項でもなければ、執行部を拘束するものでもない。
昔から議会の花とも言われているが、議会の最大の責任は議決行為であり、一般質問はこれとは一切関係がない。
 勿論一般質問の意味が全くないわけではないし、質問の仕方では大いに執行部に影響を及ぼすことも可能だ。
 しかし、それでも市長提出議案への集中的な関心と質疑を最優先にして行く議員の姿勢が極めて大切であることを自覚する必要がある。
(6月10日)

越谷市の最も基本的な街づくりの指針として、第5次総合振興計画(今後10年間)の策定作業が始まりました。今回の策定には市民参加が重視され、初めての無作為抽出の公募型も採用されています。裏面に市民懇談会の内容を掲載しますので、ぜひご参加をお願いします。


PDFファイル⇒19年7月天秤棒No66

開票結果が午後11時過ぎに事務所へ
投票日となった、4月21日(日)は、習慣となっているので、午前5時過ぎには起床した。
ゆっくりと新聞に目を通し、パソコンでツィッターやフエイスブックも同じようにチェックをしたため、午前中の時間を要した。
午後4時頃、投票場となっている桜井南小学校の体育館に向かった。徒歩で10分足らずの場所にあり、会場には選挙立ち合い人の馴染みの自治会長の皆さんが着席しておられた。
記帳台で投票用紙に氏名を記帳(一字一字思いを込めて、丁寧に書き入れた。こんなに自身の名前を書くことは、4年に一度のことだが)して、投票箱に。
一日中、着席しての立ち合いは大変なことは容易に推測出来るので、挨拶と簡単な労いの言葉をかけて、会場を後にした。
午後8時には、投票時間が締め切られるので、それまでは、何度も越谷市選挙管理委員会が発表する投票状況をスマホで確認するが、極めて投票率が低い。
午後8時過ぎには、選挙事務所でスタッフの皆さんと開票作業の状況を見守ったが、開票場となった越谷市総合体育館には、レポート隊を2名派遣して、状況の報告をして頂いた。
開票は午後9時から開始されるため、まだ正確な開票情報は全く分からない。ただ会場に来ている候補者や運動員の様子等は連絡が随時入って来る。
午後10時選挙管理委員会の公式な開票状況の発表がなされたが、500票との事。
選挙開票事務について、市長に私はこれまで何度も質問と改善提案をして来た。
つまり、迅速にしかも正確な開票事務を進めるためには、これまで習慣として来た作業手順や開票台を始めとした会場のレイアウト、職員スタッフの配置等を全面的に見直す必要がある。
これは実は開票作業を対象としているが、課を超えた全職員が一同に共同作業を迅速に取り組むため、所謂縦割りの障害を物理的にも精神的にも変えて行く最大の舞台となるからだ。
すでに、全国では開票作業の全面見直し運動が10年も前から開始されおり、大幅な時間短縮を実現した自治体が続出している。
「最小の労力で最大の効果を図る」公務員の仕事は、地方自治法でこの様に規定している。
かつて、越谷市は、市議選挙の開票事務で大きなミスを犯した事やその原因が特定出来ない事態や最終結果の確定が県内ワースト1になるなど、不名誉が続いていた。
特に開票事務が遅れる大きな原因に、開票立ち合い人による“丁寧な”一票一票の確認作業に時間を要するため、深夜に及ぶことが多々あった。
これは不明票の判定などのマニアル等の説明が開票日当日に実施されており、事前に立ち合い人に周知する時間が限定されていた。
そこで、私は立ち合い人が丁寧に票を扱うのは当然なので、出来うる限り早く事前説明を開催して頂く様に、何度も何度も質問を繰り返した結果、現在は開票日前に開催する様に改善もなされた。
午後11時当選確実の報とともに4000票を超える得票結果に事務所に三々五々に集まって頂いた支援者の皆さんから歓声が沸き起こった。
開票レポ隊の帰りをまって、午後11時30分頃簡単な選挙報告会が始まった。
選挙期間中の苦労話や失敗談など次々と話題が提供されて、当然だが、皆さん満足な笑顔を見せておられた。
午前1時過ぎには、報告会は一応お開きにはなったが、明日の駅立ちに配布する市政レポート(当選者の一覧や得票など)の作成のため、別のスタッフによる作成作業は別の場所で平行して取り組まれていた。
350枚ほどの市政レポートが届いていたが、これを3つに折る作業はこの時間から開始された。
手織りのためこの作業に3時間以上を要し、担当したスタッフはほぼ徹夜状態だった、と後日報告を受けた。
私は、帰宅して就寝したのは午前2時過ぎで、午前4時に起床して、事務所の市政レポートを取りに行き、せんげん台駅東口に向かった。
(4月21日)

開票日の次の日も、通常通りの駅立ち
午前5時前にせんげん台駅東口に到着して、何時もの様に駅前の清掃作業の後、街宣用具を設置して、事務所から持ってきた市政レポート(市議選挙特集号)の配布を始めた。
通常なら午前5時30分開始なのだが、選挙期間中は、午前5時前から駅立ちに取り組んだ経緯があり、この時間からの配布となった。
流石に、この時間帯は選挙期間中と打って変わり普通の月曜日の朝で、静かな駅前となっていた。
おめでとうございます、これからもしっかり市政を変えて下さい、選挙で疲れているのに、やっぱり駅に立つんですね、等のお祝いの言葉が馴染みの市民だけでなく、次々と間断なく続く状態のまま午前8時30分過ぎまで続いた。
当然だが、当選確定が深夜に及び、まだ当落を知らない市民の方も多くおられた。
このため、当選したの?と恐る恐る尋ねる市民もおられた。
ブッチギリの当選ですね、圧勝ですねとのお祝いも寄せられた。
しかし中には、おめでとう、でもトップ当選ではなかったね、との言葉も少なくない市民の方から頂いた。
すみません、力不足のため期待やご尽力に応える事が出来ませんでした、とお詫びした。
午前6時30分頃、橋本議員(自民党)と午前7時頃山田議員(共産党)も駅頭をそれぞれ開始された。
(4月22日)

当選報告会の開催は、今回で5回目
今朝の駅立ちは、せんげん台駅西口で午前5時前から開始した。駅前清掃は普段通りだが、開始時間は通常より30分早い。
これは選挙期間中の時間帯を踏襲しての開始となった。
前日に引き続き、当選おめでとうの言葉は、途切れることなく続く。
早朝から駅前の清掃を担当されている高齢者の方から、お祝いの言葉とともに何時もの様にペットボトルを2本差し入れて頂いた。
また、カンパも次々と寄せられて、6人もの市民の方の気持ちを頂いた。
午前6時30分頃馴染みの高級キャバクラの店長さんからも、(この時間帯に営業を終えて帰宅する途中に良く声を掛けて頂いている)おめでとうございます、勝利の印です、と栄養ドリンク(タフマン)を頂いた。
本当にそうですね、勝利のVサインですね、と応じたが、やはり当選したことで何時もよりホットした気分となっていた。
更に、馴染みの自転車整理係りの高齢者からも、当選おめでとうございます。約束通り白川さんに12票入れました、と話しかけられた。
えー、そんなに大家族でしたっけ、と応じたら、いいや息子やその嫁や親せきなどに働きかけた、との返事だった。
今回の4148票は、前回よりも338票も上積みの結果となっており、この様な市民の方の支持によって実現したのだろう、と敬服した。
この日は、午後7時から選挙報告会を白川事務所で開催した。
会場には、様々な支援者や市民の方が駆けつけて頂き、料理の差し入れと共に選挙運動の苦労を労う多くの言葉があふれ、また約束した市民マニフェスト「私たちが創る、地域の未来」の実行を着実にする様に注文する事も多く聞かれた。
5期目に入ったが、平常心とともに4年間の市民の付託の重さも感じ取った集会だった。
(4月23日)


PDFファイル⇒19年6月天秤棒No65

市民主体の街頭演説への関心は
4月19日午前11時から午後1時まで、新越谷駅東口で、市民が中心になって演説会を開催した。
そもそも選挙とは、市民や地域に噴出する問題に対して、どの様な背景や解決策があるのかその主体である市民の役割りとは何かを、訴える舞台だと位置付けていた。
そのため、私は名前の連呼は一切して来なかったし、応援演説をして頂く議員や市民の方にも、白川を褒めたり、白川支持だけを訴えるのは遠慮して頂きた。自分自身が抱えている問題意識や活動を紹介して頂きたいと、お願いして来た。
その中で、今日は、越谷市で脱サラして農業を営んでいる市民とさいたま市で子ども食堂を主宰している子育て中の女性にマイクを握ってもらった。
この女性の訴えに、多くの市民の皆さんの共感をよんだので、当日の演説内容を紹介する。

毎日の生活でせいいっぱい、政治なんて難しくて分からないし考える暇がない、私がいれる一票で何か変わる訳でもない!!と思われるかもしれません。
私も2人の男の子の子育てに追われる毎日、今はまさに新学期/新年度で新たな生活のペースについていくのが必死な時期、とてもよく分かります。
 でも、一生懸命頑張れば報われる、生活はいずれよくなる、幸せになるという時代はもう終わったかもしれない、子ども達の時代にどんな社会を残したいのか?立ち止まって、みんなで考えなければならないとふと思います。
 私自身は現在40代いわゆるバブル崩壊後に超氷河期と言われる厳しい時期に社会に出て、終身雇用は崩壊し、多くの優秀な女性社員が派遣社員としてしか職がなく、転職を繰り返しながらキャリアップを図りながらサバイバルする、というしのぎを削る時代に仕事をしてきました。すべては自分次第、努力次第で結果は必ずついてくる、と信じて頑張ってきましたが、気づけは30代後半になっての出産を経て、この社会は子どもを産み、育てながら仕事を続けるには無理がある、それまでのやり方では無理があると思い、5年前会社員生活にピリオドを打ちました。
 大人たちががむしゃらに働いてきて、一生懸命築き上げてきた私達の日本という社会は、どんな社会でしょうか?!6人に1人、7人に1人の子どもは相対的な貧困と言われる社会、10-14歳の子ども達の死因の第1位は自殺というさみしい社会です。
子育てまっただ中でその中に身を置いてみて、キラキラした元気いっぱいの笑顔が、小学校、中学・高校とあがるにつれて、疲れ、かげり、沈んでいくのに、猛烈な寂しさを感じます。
 地域で子育てをしてみて、気づくことが色々あります。自分の子ども時代にかつてそうであったような、子ども達の元気な声が公園に響いていないこと、賑わいが失われ、地域は空洞化していること、多くのお母さん達が孤独に子育てをしていること。

そしてこの子たちが大人になった時の社会、私達が高齢者・後期高齢者になった時の社会はどうなってしまうのだろう?と思うと、当事者として今、何ができるか?向きあわざるを得ません。
 私はかつてキャリアコンサルタントとして、企業の女性活躍推進を支援し、女性がキャリアを積み、社会で活躍することを後押しする仕事をしていました。
保育園が足りないとどこの地域でも問題になっています。確かに朝の7時から夜の7時8時まで預かってもらえる素晴らしいシステムです。でも、それだけの長時間そこで過ごす子ども達にとって快適な環境なのか?まだそこで働く保育士さん達にとって快適な環境になっているか?健全な心身の育ちを見守られているのか?見過ごされてはならない視点です。選挙権を持たず、まして明確に自分のニーズを声にできない子ども達の声も拾っていかねばなりません。
 また、義務教育課程である小学校・中学校に行けていない、あるいは積極的にいかないことを選択している不登校のお子さんもその人数が年々増えてきています。
少し前までは、本人に問題があるとする風潮もあり、そのような子ども達は引きこもり予備軍として学校に戻すことを目的とした支援が中心でした。
でも、これは、今の学校の何を維持し、何を変えねばならないか?真摯に考える最大のチャンスです。
また、既存の学校には行きづらく感じている子ども達にとって学校以外に多様な学びの場の選択肢を開発することによって、教育界に新風を吹かせられるチャンスでもあります。
 今、私は地元で仲間とともに多世代交流会食、子ども食堂を運営しています。
子どもの貧困が問題になっていますが、現にひとりで晩御飯を食べる、いわゆる孤食の子ども達も多く地域にはいます。
家族そろって食卓を囲むという当たり前のことすら難しいご家庭も多いでしょう。
成長期の子ども達にとって、多世代でだんらんしながら食卓を囲み、親以外の大人に関わってもらう体験はかけがえのないものです。
そして、これは子どもだけの問題ではありません。
子育ては自分の家族だけで行うことはできません、助けて欲しい時には「助けて!」と言えるお互い様で助け合える関係性を大人同士が地域でつくっていくことが大切です。
今は共稼ぎのご家庭も増えています。仕事の他に家事や育児を引き受け、負担の多くが母親にいっていることも多々あります。
それをかつての私自身がそうだったように自分の責任だから、と自己責任で抱え込んでしまう、その意識から変えていく必要があります。
子ども食堂はそのように地域全体で子どもを育てていく実験の場だと思っています。
 今日は子育てを取り巻く環境という観点から私が普段感じている地域の課題をお話させていただきましたが、これらは、誰か特定の人の問題というより、みんなで解決しなければならないことだと思います。
誰かのニーズを満たすために、誰かに無理が行く、しわ寄せがある、ということはあってはならないし、誰が悪いかという犯人捜しに時間を費やすことも無駄なことです。
自分とは反対の意見や立場の人とも、心を開いて話し合っていかねばならない時代だと思います。課題が山積みであるということは、変えられる余地があるということでもあります。
 議員さん達が答えを持っているというよりは、彼らは地域の多様な視点をすいあげて施策に生かしていくための推進役であり、主役はむしろ私達市民だとも言えます。
この選挙期間中は、普段思っていること、よく分からないな、やっと感じていることを議員候補の皆さん達に直接投げかけ、どう考えているのか?考えを聞き、意見交換や対話ができる最大のチャンスだと思います。
誰となら、自分たちの地域の未来をともにつくっていける関係性を築けそうか?そういう視点で候補者の方を見極め、4月21日(もしくはそれまでの期日投票)で、皆さんの大切な一票を投じていただければと思います。
そして、投票して終わりではなく、その後も自分たちの声が果たして議会に届けられているのか?議員さん達の活動を見守り、時に支え、ともに地域をつくっていくプロセスに参加していっていただけたらと思います。
この選挙が越谷の未来につながる大きな一歩になることを心から祈りながら、演説を終えさせていただきます。

             (4月19日)


PDFファイル⇒19年6月天秤棒No64

殺到する駅立ちの中でも通常のスタイルで
4月15日、選挙運動2日目の朝、せんげん台駅東口に午前5時から駅立ちのあいさつを始めた。
通常は午前5時30分前から開始するのだが、選挙期間中はこの時間とした。
というのは、他の候補者が次々と駅立ちを始めるのが予想されており、案の定この日も橋本候補(自民党)が午前6時頃に、山田候補(共産党)が午前6時50分頃に、畑谷候補(公明党)が午前7時に駅立ちを開始した。
これだけの候補が一斉に駅立ちを始め、しかも運動員が大勢列を作りおはようございます。○○です。宜しくお願いします、と呼びかける。
このため、通常通り一人で駅立ちに続けている私は、通勤客に立っているのが分かる様な位置に立っていなければ、全く存在感がなくなるため、駅立ちは始発から開始することになった。
実際、畑谷候補から、暫くしてあーおられたのですか、気がつきませんでした、と話し掛けられた。
つまり、幾つも運動員グループが、駅入り口に大挙して、大きな声であいさつをしている中では、一人、静かにあいさつをしている私は目立たない状態となっていた。
勿論それでも通常通りのスタイルを継続することには、何のためらいないのだが、これまでの選挙で選挙カーは当然一切名前の連呼をして来なかったどころか、駅頭でも名前を発しない事を徹底している。(その必要性を感じない)
ただ、通常は市政レポートの配布の活動をしながらあいさつをしているのだが、今回から法定ビラの配布が解禁されたものの、その配布時間帯は、午前8時から午後8時までと限定されている。
そのため、本当に挨拶だけの駅立ちとなったことは、これで公約やマニフェストを市民に届けられると意気込んでいたので、がっかりしてしまった。
この日の夜の駅立ちは、午後9時から午前0時まで、せんげん台駅西口で実施した。
通常は午後7時から開始していたが、選挙期間中は、選挙カーの運行を午後8時まで行うため、この時間から開始した。
           (4月15日)

選挙違反だろう、と怒鳴る市民が
4月16日、選挙運動3日目の朝は、午前5時から大袋駅東口で開始した。
例によって午前6時40分に細川候補(立憲民主党)、その10分後には武藤候補(刷新クラブ)、午前7時に渡辺候補(無所属)が駅立ちを始めた。
午後6時からせんげん台駅東口に選挙カーを停車しての選挙演説を開始した。
これから午前0時までのロングコースとなった。
選挙前に作成した市政レポートの集大成“一心太助の駅前物語”を駅立ちや郵送で市民の皆さんに配布していた。
そのため、選挙に入っても寄付が次々と寄せられており、午後7時頃馴染みの女性から、のし袋に入った寄付を頂いた。少ないですけど、と何度も話され、パンフ代を頂いたが、帰宅して確認したら5000円も入っていたので、恐縮してしまった。
午後9時過ぎ階段から降りて来た中年男性から、いきなり“選挙違反だろう”と例によって捨て台詞で通り過ぎていった。
(裏へ)
直ぐに、あとをおって行き耳元で、今なんとおっしゃいましたか。
選挙運動は公職選挙法で規定さており、告示から1週間24時間運動が出来る様になっています。だから選挙違反でなく、合法的な活動です。と話しかけるが無表情で去って行こうとする。
止む無く、更に話し掛ける、お分かりですか、選挙違反ではありません、と何度も。
それでも反応しないので、更にお分かりですか、と少し大きな声で話したところ、やっと小さな声で、“分かりました”と返事が。
分かって頂ければ結構です。と返答した。
(4月16日)

ゲストスピーカーとともに、地域問題の論点整理を訴える
選挙運動4日目、この日は、午前5時から大袋駅西口で駅立ちを開始した。昨日は午前0時までせんげん台駅東口で駅立ちを続け、帰宅して就寝したのは午前2時で、午前4時には起床しているので、睡眠時間は大よそ2時間程度だが、不思議と疲労は残っていない。通常通りの選挙スタイルとは言え、やっぱりテンション上げ上げの状態なのだろうか。
午後6時から1時間30分にわたり越谷駅東口で、多くのゲストスピーカーを迎えての街頭演説会を開催した。
弁士には埼玉県和光市長の松本武洋氏、下流老人の著者で越谷市在住の藤田孝典氏、千葉県野田市の前市長の根本崇氏、草加市議の井出大喜氏、富士見市議の田中栄志氏、松伏町議の堀越利雄氏が激励に駆けつけて頂いた。
            (4月17日)

候補者への暴言に対する対応は
選挙運動6日目の朝は、午前5時から北越谷駅東口で駅立ちを開始したが、例によって午前7時島田候補(自民党)、小林候補(自民党)が揃いのジャンバーを着た10人前後の運動員が横一線に並び、大きな声で○○です、宜しくお願いします、の連呼が始まった。
私は気にもしていないが、午前6時30分頃30代前半の男性が私の前を通り過ぎながら、何をやっているんだ、と怒鳴った。
そのまま、改札に向かおうとしていたので、今何と言いましたか、それは私に向かって話されましたよね。私にですよねー、とこれも後を追いながら話し掛けた。反応せず歩き続ける。
すると、やっと改札前の場所で立ちどまったので、今あなたの私への暴言は公職選挙法違反の疑いがありますが、と。
これは重大事件ですので、近くに交番があるので、同行して事態を明確にしましょう、とも。
しかし、完全に目が泳いでいて、だんまりを決め込んでいる様に反応しない。
もう一度言いますが、これは候補者への侮辱ですので、看過出来ません。と迫ったらやっとすみません、と小さな声で返事があった。
分かって頂ければ、それでいいですので出勤して下さい、と“解放”した。
この日の夜は午後6時から大袋駅東口で、午前0時までの駅立ちを実行した。
午後10時頃馴染みの30代のサラリーマンの方から、今日はマイクを使わないのですか、と話しかけられた。
そうなんですよ、選挙期間中は午前8時から午後8時までしかマイクやスピーカーは使用出来ないので、この時間は使用禁止です、と応答したら、そうなんだー、と返答して頂いた。
午後11時頃酩酊した2人の中年男性から声がかかった。その内の一人の男性が、こんな夜遅くまで、頑張らなくても大丈夫だから、と。
ええ、そうかも知れませんが、私の最初の選挙は5票差で落選した経緯があり、全力を尽くします、と返答したら、それも知っている、との返事。そこで、もう一人の男性がもう帰ろうと肩を抱いてエスカレーターを昇って行かれた。
この日は激しい雨が時より降り続き、幟等がびしょ濡れで気温も下がる中、午前0時を迎えた。            (4月19日)


PDFファイル⇒19年5月天秤棒No63

選挙運動も非日常の活動としない
4月14日(日)越谷市議選の告示日、午前8時30分、越谷中央市民会館で、選挙管理委員会への立候補受け付けと選挙グッズの公布のため、40陣営が集まって来た。
私も選挙用街宣車に乗り込み、妻の運転で午前8時10分過ぎには、市役所の駐車場に到着し、市民会館に向かったが、すでに多くの選挙関係者が着席していた。
開始前に、選管から本日の流れが説明されたのち、いよいよ受付開始。
まず、受けつけ順番を決定するのだが、そのための抽選の抽選から始まる。さらにその順番は会場到着時に記載した名簿順となっていた。
四角い木箱に番号入りの割り箸の様なものが束で入っていて、名前を呼ばれて歩いて一人一人その箱をガラガラと揺らし、1本を引き抜く。(おみくじを引く要領と同じ)
私は抽選の抽選には、何と1番を引き当てたが、(会場からは、歓声が上がった)次の本抽選は22番となった。
この22番が市内500か所を超える公営掲示板へのポスター貼付の番号となるので、直ぐに事務所で待機しているポスター貼り部隊にラインで連絡した。
また、駐車している街宣車の看板は、昨日から見えない様に幕を張っており、この幕を取り除くようにも連絡した。
更に、受付書類を提出し、承認を選管から貰う。(最も、提出書類は、すでに事前審査を受けており、封印したものを提出したので、添付の用紙漏れや記載の間違いはないのだが)
そして、所謂選挙の7つ道具が公布された。(街宣車用の許可書、幟、車上運動員用の腕章等、時々市民の方から提灯も公布されますか、との質問も受けるが、提灯は公布されない)
その中には今回から、選挙期間中に配布出来る法定ビラに貼付する証紙4000枚があり、その枚数の確認も求められた。(不思議かもしれないが、市議候補者はこれまで、選挙期間中は一切公約やマニフェストのチラシ配布は出来ない様に公選法で禁止されていた。国会議員や市長には許可されているのも拘わらず。そのため、私を始め全国のローカルマニフェスト推進地方議員連盟は、政府や与野党の国会議員に法改正の運動を10年近く続け、今回の選挙からやっと配布が可能となった)
全ての選挙グッズの確認が終わった段階で、受け取り用紙にサインをするのだが、21日の夜の開票作業をする越谷市総合体育館の入場券もあり、これがないと会場には入れないのか等あれこれ質問を2人(若い人と年配の人)の選管の係りの人にした。
回答は特に年配の男性からは的確ではなかったが、(こちらがこれはこう使うんですね、と質問して、そうですと答えるため)、受け取り用紙には、立候補者本人と代理人の2項目が空白となっており、そこにサインをする。(当然だが、本人である私のサインだけをした)
ところが、係りの年配の男性から、はい代理人の方は、更に署名して下さい、と指摘されたので、少し躊躇していたら、若い人が年配の男性に目配せをしてバツが悪そうな顔で、小さな声で、「本人、本人」と話し掛けた。
すると、ニタニタした様な表情のまま無言で対応していたが、最初にご本人ですか、と尋ねておけば何の問題もなくスムースに行けたはずだ。
そして会場から、越谷市役所駐車場に駐車している街宣車に向かった。
午前9時30分頃、越谷市役所前の公営掲示板には、私のポスターが貼付されおり、この時点ではまだ数人の候補者のポスターしか貼付されてはおらず、ポスター貼付の運動員の方にいきなり励まして頂いた気分になった。
すでに、私の街宣車の幕はほぼ剥がされており、回りの他の街宣車でも次々に作業が終わり、
例の大きな声でウグイス嬢の「ただ今、市会議員候補○○は、立候補の受けつけを済ませ、皆様に立候補のご挨拶に参りました」等と同種のアナウンスで走行していた。
 私の街宣車も駐車場を出て、居住している地元の東都自治会に向かう。
 しかし、前回の選挙と同様に今回も走行中のマイクやスピーカーの使用はしないため、全く無音のまま走行した。(当然ご批判もあるが)
勿論、これまで5回の選挙では名前の連呼も一切して来なかった。
 ただ、地元の東都自治会だけは例外中の例外で、立候補のご挨拶と選挙期間中のご協力の呼びかけだけは、私がマイクを握り周辺をゆっくり、隈なく走行した。

出陣式には、間に合わないポスター貼りのチームも
 午後4時からは、選挙事務所で出陣式が開始されるため、午後3時30分頃には事務所で待機となったが、次々とポスター貼り部隊の市民が作業を終了して事務所で休んで頂いていた。
 12組が市内500か所を超える掲示板に1枚1枚貼付をするため、中には選挙前に2回も現地を確認した上で本番を迎えたチームは、12時前には貼付を終了したとの報告も話題となっていた。
勿論市内全域の広範囲に及ぶ貼付作業のため午後4時過ぎても事務所に戻れないチームもいたが。
 また、私の番号である22番の場所に他の候補者のポスターが貼付されていたり、逆に他者の場所に貼っていたり、貼り忘れのポスターが散見されたのだが、何とか作業は告示日に終了した。
午後4時、出陣式が始まったが来賓に、根本崇前千葉県野田市長、井出大喜草加市議、演出家の内藤裕子さんが駆けつけて頂いた。

4年前から、カンパ袋を用意していた 
この日、大袋駅を利用して通勤していた、中年の女性が事務所に来所された。
実は4年前に会社を退社したため、朝の駅利用をしなくなったが、その当時からカンパをしようと思ってバックに持参していたが、渡す機会を無くしていた。夫は現在でも大袋駅を通勤で利用しており、私から市政レポートを受け取り、良く見せて貰っていた。そのため毎年カンパをしようとこれまで3枚ののし袋を用意してバックで持ち歩いていたが、今回持参したとの事。
この女性は、前日の13日に事務所に尋ねて来て頂き、上記の話しをされたのだが、のし袋をバックの中から取り出そうとされたが、この日は見つからなかった。
そのため、告示日に再度来所され、違うバックに入っていたと、励ましの言葉が記載されたのし袋入りのカンパを頂いた。
この様な市民の方に支えられている事を痛感しただけに、これに応えるための選挙活動に全力を投入する気持ちが湧きあがって来た。
その後、再び地元の東都自治会を街宣車で走行し、立候補のご挨拶と無事出陣式を終えた事の報告とともに、これから1週間の選挙運動へのご協力とご尽力を呼びかけた。
午後6時過ぎから、せんげん台駅東口で、街頭演説の第一声を発し、選挙はゴールではなく、公約実現のためのスタートである、と強調。
演説を午後8時に終了して、選挙1日目の街宣活動を終了した。     (4月14日)


PDFファイル⇒19年4月天秤棒No62

銀行の窓口での手続きの時に
今朝の駅立ちは、新越谷駅東口で通常通り午前6時前に駅に到着して、街宣用具を設置し、駅前清掃の後、市政レポートの配布を始めた。
午前7時30分頃、20代の青年が近寄って来て、こんなに続けている(駅立ちを)事に感心しています、と話されカンパを。
 更に、午前8時頃北越谷駅東口でも出会う中年の女性からのし袋に入った5000円のカンパを笑顔で頂いたが、通勤を急いでおられたのか、ありがとうございます、との声で対応しか出来なかった。
やはり、朝のこの時間帯ではゆっくりとは話せないので、残念な気持ちに良く襲われる。
駅立ち終了後、自宅近くの栃木銀行弥十郎支店で、預金の引き出しに出向いた。
越谷市議選が、4月21日に実施されることに伴い、立候補のための供託金30万円を必要とするからだ。
窓口で対応して頂いた女性行員の方が、あー白川さん、と名前を呼んで頂いた。何故私の事を知っているのですか、と尋ねたら以前大袋支店に勤務している頃朝の大袋駅での駅立ちで見かけていたので、との事。
朝の時間帯は通常改札に向かう市民に対して、市政レポートを配布しており、降りてくる市民に配布するのは稀だが、市政レポートを受け取らなくても長年の駅立ちのスタイルは印象に残るのだろう。     
(2月26日)

始めて直ぐに降って来た雨で移動
今朝の駅立ちは、せんげん台駅東口に午前5時30分前に到着して、駅前清掃を終えてから市政レポートの配布を開始。
どんよりとした空模様が朝から広がっていたものの、最初は雨は降ってはいなかった。
午前6時30分頃若い男女6人が、駅改札に向かう制服姿の中学生に対して時々がんばって、と声を掛け何かを配布し始めた。
興味が湧いて来たので、声を掛けてみたら予備校の先生や職員で、本日が高校入試日のため受験に向かう生徒に合格祈願と記載した消しゴムを配布しているとの事。
そうか、みんながんばれ、との声援を心の中で送った。
その後直ぐに、馴染みの中年男性が、バックの中から紙をファイルした物を取り出しながら話し掛けられた。
それはこれまで駅で配布した一心太助の天秤棒を大切に保管して頂いたファイルだった。
また見せて頂いた後、第10号以降しかなくそれまでの分がどうしてもない、と付言された。
10号以降であればなんと2年間にわたるものであり、しかも私に何時会うかわからないため、何時も持ち歩いていた、との言葉に恐縮してしまった。そんなやり取りをしていた、午前6時30分頃にそれまでポツポツと降っていた雨が激しく落ちて来た。
そのため、午前7時前にはこれ以上実施が出来ないと判断し、急きょ妻に連絡して迎えに来てもらい、そのまま大袋駅東口に向かった。
この駅には改札に向かう階段入り口が広く、しかも屋根が設置してあるため、少々の雨でも配布が出来るためだ。
また、幟等の街宣用具がなくとも、市政レポートを受け取って頂く馴染みの市民も多い。
ただ、通勤客は傘をさして歩いて来て、一旦傘をたたみ階段やエスカレーターを利用されるので、その邪魔にならないように配布の仕方には注意が必要とされるのだが。(2月28日)

予算特別委員会の初日開催の日は
今朝の駅立ちは、大袋駅東口で午前6時前から午前6時45分までの時間帯で実施した。
先週せんげん台駅の駅立ちで、雨のため急き変更して始めた時間が6時45分だったためだ。また、今日は3月議会の予算特別委員会の初日で午前10時から開始されるため、終了後直ちに市議会に向かうために短時間での取組となった。
2月21日、3月議会の冒頭、市長提出議案として平成31年度当初予算案の一般会計、特別会計(国民健康保険、介護保険、下水道会計、区画整理事業等の9会計)そして市立病院の病院事業会計の総合計1800億円弱の予算案が市長から提案説明された。
この予算案は、7つの会派9人の議員で構成する予算特別委員会を設置して、5日間にわたり集中審議の後、採決される。
委員の人数は会派の人数によって割り振られるため、自治みらいは1人となっている。
そのため、今期4年間は、私以外の自治みらいの3人の議員が毎年選出されていたが、4月に市議選を控えているため、代表の私が担当する事を会派で事前の決定していたため、4年間で初めての予算委員会に質問に立つこととなった。
今回から、本会議でのライブ中継に引き続き、予算委員会でも質問や答弁の一部始終を録画配信によって、市民に公開出来る様になった。
3月下旬には、越谷市議会ホームページにアップされるが、午前10時から午後5時まで、5日間なので、関心のあるテーマだけでも視聴することも出来る。      (3月4日)

一心太助のリーフレットを配布開始
今朝の駅立ちは、せんげん台駅西口で午前5時30分前に到着して、駅前清掃の後市政レポートの配布を開始したが、「一心太助の駅前物語」のパンフも同時に配布を始めた。
このパンフは、これまで一心太助の天秤棒の中で特集記事として「駅頭は小さなドラマの連続だ」の第1号から第50号までの過去発行したものを冊子にしたものだ。
好評を得ている駅頭シリーズを読んだ多くの市民の皆さんからパンフ作成の要望をこの間頂いていた。
そのため、作成に向け原稿やチラシの整理、また1500部で30万円を超える費用の捻出等慎重に検討して来たが、少し無理をしてでも発行するこが必要と判断し、発行にこぎつけた。
その配布開始日が今朝となったので、市民の皆さんがどんな反応をして頂けるのか、大いに胸を躍らせながらの配布となった。
ただ、少し重たいため一冊ならばそれ程の重みはないのだが、30冊が一締めとなっており、実は車への出しおろしだけでも相当大変な作業量となってしまった。
しかし、馴染みの市民の皆さんからは、あーこれですか、出来たんですね、と直ぐに反応が返って来た。
また、こんなに立派なものをありがとうございます、との感謝の言葉も。
中には、有料ですか、と財布を出そうとする方やこんなにすごい物を頂く訳には行きません、と遠慮される方など、発刊して良かったと直ぐに実感することが出来た。
しかも、少ないですけどカンパです、と次々とカンパ箱に投入されて行った。
これから、全駅での配布となるので、ますます楽しみな配布行動となって行くだろう。
(3月12日)

北陽中学校の卒業式は、議長代理で出席
今朝の駅立ちは、越谷市立北陽中学校の第45回卒業式に午前8時30分から受け付けで、来賓あいさつを議長代理(あいさつ文を代読する)で出席するため、中止した。
毎年の恒例行事で出席しているが、お別れの言葉を卒業生全員の合唱とセリフの演出には、担当教諭や保護者だけでなく、目頭が熱くなるのも恒例事となっている。
(3月15日)


PDFファイル⇒19年2月天秤棒No61

一日遅れたバレンタインデーの贈り物
今朝の駅立ちは、通常通り午前5時30分前からせんげん台駅東口で、市政レポートの配布を開始した。
まだ薄暗く寒さに震える体に、この期間は必携しているホッカイロを懐に入れて、駅前に5時10分過ぎに到着して、駅前清掃の後開始。
午前6時過ぎ、馴染みの中年女性から、小さなのし袋に入った1000円のカンパを頂いた。それから直ぐにこれも旧知の中年サラリーマンの方から、暖かな缶コーヒーを差し入れて頂いたが、寒気の中ベンチコートのポケットに入れておくと結構暖が取れるので、一層ありがたい。
更に、旧知の市民から1000円の、のし袋入りのカンパが続いたが、皆さん、異口同音に“こんな寒い中、ご苦労様です”と声を掛けて頂く事にも暖かさを貰っている。更に午前6時30分頃馴染みの女性から“一日遅れましたが、バレンタインデーのプレゼントです”とラムレーズン入りのとらやの羊羹を頂戴した。
 帰宅後、暫くして食してみたが上品な甘みが口一杯に広がり、美味しく戴いた。それにしても、事前に準備して頂いていても、近日中に私に会えるかどうかは分からない中、バックに持ち歩いて頂いたのだろうか。最近袋に入ったカンパを頂く機会が増えているのだが、皆さん私に会えるまで通勤時にバック等に納めている様なので、改めて感謝し恐縮している。
 午前7時前、公明党の市議2人が市政報告のため看板や幟を持参して、話し掛けられた。
駅前の隅っこの方でやりますから、との申し出だったが、いいえ、真ん中でやって頂いていいですよ、と返答したが、遠慮されたのか私から少し離れた場所で実施されていた。
午前7時30分過ぎ、その市議のお一人から、こんなに寒い中、駅立ちをしていると直ぐにつま先が固くなり、体が冷え切るのだが、白川さんはどんな防寒対策をしておられるんですか、と質問された。
 携帯のホッカイロは常に用意しています、と返事をした。そうですか、それ以外はないですか、とも聞かれた。んーん、そうですね、と返事をする途中で、気合いですか、と話された。
そうかもしれません、と答えたが、市民の皆さんの市政レポートの受け取りや挨拶に気持ちを持続させています、との返事を飲み込んだ。
それは、なにやら、同じ市議へのためあてつけがましい様に聞こえてしまうのではないか、と危惧したからだ。     (2月15日)

選挙が近いと、駅立ちが重なる
今朝の駅立ちは、午前6時前に大袋駅東口に到着し、街宣用具を車から搬出して設置しようとしたら、すでにエスカレーター前には人が立っていた。松田典子市議が一人で市政レポートを通勤客に配布しておられた。そのため、私は何時もの場所ではなく、入り口付近での配布となった。
松田市議に何時から立っているのですか、と尋ねたら、午前5時からです、との返事だった。
そして、私は午前8時30分頃通常通り終了したが、まだやりますか、と再度尋ねたら、いいえこれで終わりです、腰が痛くてこれ以上は無理です、との応答だった。 
いきなり、3時間30分間しかも寒気の中実施し、これから毎日このペースで続けていると、体力が疲弊して肝心の選挙準備や3月議会に影響してしまうのでは、と心配になったのだが。
明日は何処の駅ですか、と聞いたらせんげん台駅西口でやります、との返事だった。
実は私もせんげん台駅西口を予定していたので、急きょ変更して明日は越谷駅東口で実施する事にした。
また、西口には大袋在住の新人の市議選の予定候補者も駅立ちを実施されていたようだ。(駅の線路向かいに幟だけが見えているが、当然顔も見えないし、マイクの音も聞こえないので)
最近、通常の衆議院議員の自民党や立憲民主党とは重ならない様にしているものの、どの駅の駅立ちでも他の市議や候補予定者や県会議員の候補予定者など、入れ乱れているので、重なるのはやむを得ない状態となっている。
しかし、市民の方からは、選挙が間じかなので、よく知らない人が駅に立っていますよ、と話し掛けられる事が多くなった。
 様々な人が駅立ちを実施するのは、いい事ではあるものの、選挙前に顔を売るため急に実施することに市民の批判は強い。(2月19日)

9メートルの強風に看板が飛んだ
今朝の駅立ちは、午前6時前から北越谷駅東口で開始したが、昨夜から猛烈な風が吹き抜けており、時々正面から吹きつける風を受けて通勤客の顔は強張っていた。
 天気予報によれば、風の強さは風速9mとのことで、終了時点まで止むことはなかった。
 そのため、看板が何度も倒れてしまい、駅前のバス停で並んでいた女子高校生の足に当たってしまった。
 直ぐに、駆け寄って大丈夫ですか、と謝ったが、何とか怪我まではならなかったので、安心したが、高校生は流石にビックリした様子。
 しかも、机ごと飛ばされたため、看板にひびが入ってしまう程だった。
 本日は3月越谷市議会の初日であり、午前10時から本会議が開催され、市長、教育長による施政方針演説が行われ今期最後の議会に。
 このため、駅立ち終了後、街宣用具を車に搬入して直ぐに、そのまま電車で越谷駅に向かった。  (2月21日)

様々な子ども達との出会いに、安らぎが
今朝の駅立ちは、蒲生駅東口で何時もの様に、午前6時前に到着して、街宣用具の設置や駅前清掃の後、市政レポートの配布を始めた。
 午前7時30分過ぎ、30代の男性から声が掛かった。これだけ駅立ちを、続けていることは、すごい事だと思います、と少しはにかんだ顔で。はい、ありがとうございます。これからもがんばりますから、と応答した。
 直ぐに、何時もこの時間帯に出会う母親と少女とおはようございます、と挨拶を交わした。
だが、今日は少し事情が変わり、この母親が娘に向かって、チラシをもらいますか、と促して頂いた。すると少女は可愛いらしい手を差し出したので、市政レポートを手渡し、お年は幾つですか、と尋ねて見た。
すると、また小さな手を開いて5歳との返事。幼稚園児と母親が一緒に電車通園をしておられるのだろう、毎回ホットさせられる瞬間だが、今日は格別だった。
 更に、女子中学生が、遠くから笑顔で近づいて来て、市政レポートを受け取って貰った。
毎回の事なので、何年生と尋ねてみたら、越谷北中学校の1年生との返事。そうなんだ、いつも読んで貰っているけど、回りのお友達と話が合いますか、と聞いてみたら、んーん、合わない、との返事だった。(先験的と言うことだ)
更に、午前8時30分頃には、精華幼稚園の遠足のため沢山の園児達が母親と共に次々と集まって来て、駅前は賑やかな空気となった。
背中のリックサックの後ろ姿からも、一日楽しい時間を過ごす期待感が、園児達だけでなく、母親の笑顔にも伺えた。    (2月22日)

<お知らせ>
一心太助の天秤棒シリーズ“駅頭は小さなドラマの連続だ”は、すでに50号を超えお陰様で、大変好評を得ています。
そのためか、あちこちでこのシリーズを冊子にして下さい、とのご要望を頂いています。
そこで、これまでに発行したものを一冊のパンフレットにするため、印刷製版の見積もりを取ったところ、1500冊で30万円を超える費用が必要であることが分かりました。
何とかして市民の皆様のご期待に添える様に、努力をして、本年2月頃までには発行する予定です。その折にはご協力を頂けば幸いです。