PDFファイル⇒18年 7月天秤棒駅頭49

夏祭りの次の日、日焼けの顔で
今朝の駅立ちは、午前5時30分前にせんげん台駅西口に到着して、通常通り街宣用具の搬入と設置の後、駅前清掃を終えて市政レポートの配布をスタートした。
 月曜日の朝、猛烈な暑さが続く連日に比べれば幾分気温が下がり、風も涼しい。
ただ、昨日の日曜日は、私の居住する自治会主催の恒例の東都自治会夏祭りが開催され、午前9時から午後3時過ぎまで、祭りの模擬店で出店した、東都自治会グラウンドゴルフ部の一員として、かき氷やイカ焼き等の販売や、テント等を始め後片付けまで一日中炎天下の中での作業となった。
熱中症対策のため、塩飴やスポーツ飲料を次々と飲み続けるため、直ぐに汗が額からこぼれ落ちるが、同じ動作を繰り返さなければじっとしていることが出来ない状態だった。
サイダーやビールを冷やすために用意された大量の角氷を一握りタオルに包み、首筋や額にあてがうと、ひんやりして体温が下がって気持ちはいいが、冷えすぎて時々痛く感じるほどだった。
その内、氷が解けてしまうので、補給を繰り返したため、タオルはびしょびしょとなっていった。
最後にテント等をリヤカーに積んで、倉庫まで10分位で運搬して終了だったが、同じ様に作業を担当した数人の中の高齢男性が、座り込んだ状態から立とうとしたら、転んでしまったが、軽い熱中症の症状だった。
その後関係者を対象の反省会が、自治会館で開催され、午後4時過ぎにはお開きとなったが、自宅に帰り直ぐにシャワーを浴びて、クーラーをかけて午後7時まで床で眠った。
ここでやっと落ちついたのだが、今年の夏祭りは格別に体力を消耗した。(少し頭痛がしたのだが)
その次の日の朝の駅立ちであり、中止も検討したが、中止の理由を見つけよと思えば、いくらでも見つかるものなので、通常通りに実行した。そのためか、午前6時過ぎに馴染みの高齢女性から、毎日暑さが続き駅頭を続けているので焼けていますね、と声が掛かった。
はい、ありがとうございます、と応答したが、昨日の祭りの日差しがより顔を黒くしたのだったが。
毎回差し入れを頂く、駅前の清掃担当の高齢男性が今回も2本の飲料水を、また次々に馴染みの市民からペットボトルを頂いた。
午前8時過ぎには、旧知の中年男性から、麦茶でも飲んで下さい、と封筒に入った1000円のカンパを頂いた。(日ごろから用意されていたのだろうか)
更に、カンパ箱には、1000円札が入っていた。
今朝は、学校が夏休みに入っており、何時もの混雑は見られなかったが、それでも独協高校生が階段を降りて来ていた。クラブ活動か補修なのだろうか。       (7月23日)

ムクドリ対策の試験威嚇のその後
今朝の駅立ちは、せんげん台駅東口で午前5時30分からスタート。
午前8時30分過ぎまでの3時間で実施したが、連日の猛暑と熱帯夜のため体がだるく感じながらの活動だった。            (裏へ)
午前8時前に、毎朝せんげん台駅東口前の広場の清掃を担当している高齢男性から声が掛かった。
前回陳情された、せんげん台駅東口のムクドリ対策について、先般市職員によって威嚇のための機械を使い追い払ったため、一時は効果があり、ムクドリは寄り付かなくなった。
しかし直ぐに機械の使用が終わるとまた飛来して、糞の匂いが一面に広がっているので、その後の対応がどうなっているのか、と尋ねられた。
威嚇の作業は実験のためで、その効果を見ながら対応策を実施する、との市の考え方は前回説明しましたので、その後どうなったのか市に問い合わせてみます、と返答した。
(7月26日、越谷市環境政策課長さんに、対応策を尋ねたが、兆度本日から威嚇用の機械を2台設置したところだ、との回答だった。
これでも効果が薄ければ、木立の枝の剪定も検討すると付言された。当日の夜に現場を見に行って来たが、無数のムクドリが空中を飛んではいるが、間断的に機械が出す音のため木立には一切近寄れない状況だった) (7月24日)

“一心太助”が頭に何故か残っている
今朝の駅立ちは、北越谷駅東口で通常通り、午前6時前から開始した。
台風接近の影響で、昨日から暑さが和らぎ、朝晩は涼しく、日中の日差しもそれほど気にならない位になっている。
そのため、早朝から過ごしやすく、少し強い風も吹きぬけており、快調なスタートとなった。
ただ、日差しが時折差し込むため、途中で麦わら帽子をかぶり、市政レポートを配布した。
馴染みの市民からは次々と今日は涼しいですね、少しは楽になりますね、と声が掛かる。
旧知の駅前の自転車誘導係りの数名の高齢男性にも、毎日こんな気温だと助かりますね、と私からも声を掛け、笑顔で応じて頂いた。
午前7時30分過ぎ、旧知の中年女性から、清涼飲料水を2本頂いたが、毎回差し入れをして頂いている。
そこで、私のことを気にして頂いているのは、何故ですか、と尋ねて見た。
以前はせんげん台地区に住んでいて、当時からせんげん台駅でよく、見かけており、北越谷に転居してからも、あちこちの駅で見かけていた。すでに15年位になります、との返事だった。
更に、他の議員は大勢で駅立ちをしているが、あなたはずっと一人で続けていて、“一心太助”が何となく何時も何故か頭に残っていた、と付言された。
午前8時過ぎ、やはり馴染みの中年女性が丁寧に挨拶をして頂いて改札口に向かわれた。
暫くして、袋に入った清涼飲料水を2本差し入れて頂いた。構内のコンビニで購入されたのだろうが、早朝の慌ただしい通勤時間を割いての差し入れを頂き、感謝・感謝。
その後、馴染みの高齢男性からも一旦市政レポートを受け取った後、戻って来られて、何時も市政レポートを頂いているので、少しだけど、と2000円のカンパを頂いた。
台風が通過した後、再び猛暑がぶり返すとの天気予報に、もううんざりとの気分になっていたが、駅頭での様々な市民との出会いに気持ちが支えられている朝となった。
            (7月27日)

レイクタウン付近の信号機の調査へ
今朝の駅立ちは、中止した。
それは先般蒲生駅での駅立ちの折、馴染みのタクシー運転手の方から、イオンレイクタウン付近のケーズ電気前の信号機の点滅に関して、イオン方面に向かい南方向からの右折車が曲がりにくくなっている。延々と車が列をなし渋滞しているので、信号機の改善が出来ないか陳情だった。そこでまず早朝の時間帯で調査するため、通常の駅立ちのこの時間で実施した。
            (7月30日)


メルマガ♯がんばろう、日本!         №240(18.7.31)

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Index 

□ 奴らを通すな!

民主主義を単なる政治のやり方だと思うのはまちがいである。

すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、

それが民主主義の根本精神である。

●安倍政治の検証を媒介に、立憲民主主義の主体的基盤をどう創りだしていくか

●課題を共有しているという状況そのものに、公共が存在している

□8月「囲む会」のご案内

□えだのん「魂の演説」 ブックレットに

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奴らを通すな!

民主主義を単なる政治のやり方だと思うのはまちがいである。

すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、

それが民主主義の根本精神である。

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【安倍政治の検証を媒介に、立憲民主主義の主体的基盤をどう創りだしていくか】

 安倍政治の検証から立憲民主主義を深めていくための問題設定を、どう整理していくか。安倍政治をどう検証すれば、立憲民主主義を深めることにつながるのか。

 「安倍政治」は九〇年代の統治機構改革(平成デモクラシー)、とくに官邸主導を軸とした政治システムの産物でもある。平成デモクラシーは、官邸主導と政権選択・政権交代を両輪として成り立たせるはずであったが、それを政権交代なき政治主導・官邸主導へと帰結させたのが、「安倍政治」にほかならない。

 立憲民主党、枝野代表は国会終盤の内閣不信任案提出の際、三時間強の演説の最後にこう述べている。

 「この国会は民主主義と立憲主義の見地から、憲政史上最悪の国会になってしまったと言わざるを得ません。
 ~災害よりもギャンブル解禁、災害よりも党利党略の定数6増を優先する内閣を信任して災害対応をさせるよりも、そしてウソと誤魔化しと開き直りを重ねる内閣を信任して災害対応をさせるよりも、よりマシな内閣のもとで再出発して災害対応にあたる方が適切であると考えます。
 ~今のような姿勢で政権運営を続けることは、もし政治が与党対野党のような戦いであるならば、目先の野党との戦いという意味では成功をしてきたと。これからも一定期間は成功をするかもしれません。そして、政治に権力闘争という側面があり、与党が野党との戦いに勝とうとする。そういう思いを持つことは否定しません。

 ~しかし、それは一側面でしかありません。政治の本質は与党と野党の戦いではありません。それは目的ではなく、あくまでも手段であります。権力闘争に勝つという目的のために社会のモラルや秩序を壊してしまう。本来、民主主義の前提として成されなければならない、国会でウソをつかない、国会には正しい文書を出す、情報を隠し誤魔化しはしない。そうしたことを壊してしまったのでは、本来、国民生活のより豊かな暮らし・生活をつくり上げていくという本来の目的に反することになってしまいます。
 これ以上、目先の権力闘争ばかりを重視して、国民生活の将来に禍根を残し、ウソや誤魔化しや開き直りを蔓延させて、モラルハザードを生じさせれば、必ずや歴史に断罪されるとわたくしは確信をしております。
 第二次世界大戦、日中、日米戦争に至る経緯の中でも、目先の権力闘争には勝ったけれども、結果的に我が国を破滅的な状況に追い込んだ政治リーダーが、残念ながら少なからずいらっしゃいます。
 このまま安倍政権の横暴を許していけば、残念ながらそうした道に入り込んでしまい、後戻りが出来なくなってしまうのではないかということを強く危惧をいたしております」。

(https://note.mu/jun21101016/n/n2782bfee0c0より 同演説の全文はブックレットとして8月9日に出版される予定)

 安倍政権は、「二度と野党に政権を渡さない」(政権交代を封じる)という目先の権力闘争が全てだ。戦後国際秩序の流動化などの時代の変化、人口減・少子高齢化への対応、あるいはエネルギー転換といった長期的な政策課題は、いっさい視野に入っていない。解散も「二度と野党に政権を渡さない」というところから判断(2014年、2017年)するため、政権選択の機会を国民から奪う「自己都合解散」となる。国会運営や災害対応において旧来の自民党とは異質なのも、政権の使命が「二度と野党に政権を渡さない」ところにあるからだ。二度と政権交代をしないというのは、民主主義の後退にほかならないが、自民党内からそういう声も出ないところまで、党内の多様性―疑似政権交代の主体基盤―は失われている。

 これが現代の立憲的独裁の姿だろう。問題はその主体的基盤がどこから形成され、どのように広がるのか。ヨーロッパでもアメリカでも、あるいは一部アジアでも、強権的な統治や排外主義、「○○ファースト」のような反立憲的な動きに対して、立憲的なカウンターが登場し、その論戦・攻防を媒介に「非立憲」的な社会空間にも主体分岐が走っていく。しかし日本の場合、「非立憲」の主体分岐はほとんど見えない。不支持の理由がダントツで「人格が信用できない」という一方で、「他にいないから」(野党がだらしないから)という理由で「安倍一強」が続く状況は、それを端的に表している。民主主義や立憲主義についての共通の参照点が見当たらず、ここまでは集積された、次の段階へのハードルはこう、という問題設定にならない。非立憲というより「無立憲」ともいうべき主体状況。

 たとえば。若者に人気のロックバンドRADWIMPSの「HⅠNOMARU」という曲の歌詞が、軍歌を髣髴させるとして批判された。それに対して作者(30代前半 帰国子女)は、「何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたい」とその意図を表明した。じつはこの曲は、サッカーワールドカップの民放テレビ局のテーマ曲とのカップリングで、平成における「スポーツ特番のお祭り化&感動をありがとう路線」のなかで「みんながひとつになれるようなアツイ歌詞を」とマーケティングした結果ではないかと指摘されている。

(プチ鹿島 現代ビジネス7/2 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56343?page=4)

 「何の思想的な意味もない」「右でも左でもない」からこその、純粋な消費者民主主義のマーケティングの産物。反立憲でも非立憲でもない「無立憲」の主体基盤が見え隠れしている。自由や民主主義、人権といった普遍的価値を、消費者民主主義、私生活主義として享受してきた〝私〟は、いとも簡単に「ここではない理想の『日本』への憧れ」という「大きな物語」に回収される。資本主義の粋を集めたマーケティングによって。

 一方で7月27日の自民党本部前。杉田水脈議員の「LGBTは生産性が低い」という荒唐無稽な差別寄稿と、それに対して二階幹事長が「政治的立場、人生観はいろいろ」と、容認ともとれる発言をしたことに抗議して五千人が集まった。きっかけは個人のツイッターでの呼びかけ。おりしも障がい者施設で入所者19人が、「生産性が低い」として殺された事件から二年。「生産性」で人間を選別する〝思想〟に、LGBT当事者はもとより幅広い人々が、「人間の尊厳」(憲法13条)を訴え抗議した。

 そこで繰り返された「私の生きかた、私が決める」「私の価値は私が決める」というコール。まさに個人主義。でもそれは「私の勝手」ではなく、私とあなたとあの人とあの人…のなかで共有される価値であり、その関係性のなかで課題が共有される状況にこそ公共がうまれる、ということだ。この公共は「ここではない理想」の「大きな物語」ではなく、私とあなたとあの人とあの人…との「小さな物語」、その無数のつながりというべきだろう。

 自民党本部前の抗議行動でも「自分は右とか左とか、どーでもいいと思っている。でもこの発言を見過ごすことはできない」とのスピーチがあった。右とか左、思想的立場に関係なくという個人主義や私生活主義、消費者民主主義の「岩盤」に、人間の尊厳という根本的な価値から亀裂が入りつつあるのか。欧米ほどの波及ではないにしろ、#Me Too運動にもみられるように性暴力、性差別に対する意識は変わりつつある。その根幹にあるのは「人間の尊厳」であり、それこそが立憲民主主義の核心にほかならない。

 「人間が人間として自分自身を尊重し、互いに他人を尊重しあうということは、政治上の問題や議員の候補者について賛成や反対の投票をするよりも、はるかにたいせつな民主主義の心構えである」(「民主主義 1948-53中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版」西田亮介・編 幻冬舎新書)。

 「~現代の民主主義社会に暮らす私たちにとっても、ファシズムはけっして遠い過去の話ではなく、民主主義が『多数派の支配』と理解されているような社会では、その危険性はむしろ高まっているというべきだろう。~権威に服従する人びとは一見従属的な立場におかれているように見えるが、実は上からの命令に従うことで(多数派に埋没している安心感から/引用者)自分の欲求を充足できる治外法権的な自由を享受して」(「私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由」田野大輔 現代ビジネス7/6)いるとも言える。

 ファシズムの担い手ははじめから「大きな物語」を語ったのではない。むしろ「自分のことしか考えてなかった」(映画「ゲッペルスと私」)。そんな〝私〟が「大きな物語」に回収されない「小さな物語」を紡ぎ続けるためには、小さくても自分事として考える、当事者性を涵養する関係性、場、機会をさまざまなところに作り出すことが不可欠だ。

【課題を共有しているという状況そのものに、公共が存在している】

 異質でバラバラで、生まれながらには何も共有していない個人の集合である現代社会のなかで、自分が政策や制度の消費者・受益者であるだけでなく、当事者でもあることを意識するのは、問題が課題として共有されたときだろう。

 「(地域に限定されず)いろいろなところで公共性がうまれうるなかで、公共性のあるところに共通して存在しているものは、課題を共有しているという状況だと思います。このときの課題は、現状の問題という意味だけではなくて、未来の目標を含むとお考えいただくと良いでしょう。

 つながりが薄くなったと言いますが、それは『地域』の課題を共有する強さということではないでしょうか。つながりだけでいえばむしろ、多様な層のつながりを持ちうるし持っていると。

 ですから、市民や公共ということを考えるとき、公共というのはもちろんオカミでもなく物理的な区画でもなく、課題を共有しているという『状況』に公共が内在していると理解できるのではないでしょうか。まさに『共通の関心事』があるところ、課題を共有する人びとの関係性のなかに公共がうまれ、あらわれてくるのではないでしょうか」(土山希美枝・龍谷大学教授 3-5面インタビュー参照)。

 課題を共有する関係性=公共性は地域に限定されないが、地域がその重要なフィールドのひとつであることは間違いない。「地域というのはアプリオリな公共圏ではありませんが、そこに住んでいるという物理的な状況がありますから、公共圏を形成しやすいとは言えます。大事なことは、自明でないからこそ、異質で立場や利害の違う構成メンバーで課題を可視化して共有する、その積み重ねです。逆に問題設定、課題設定がなくて地域だから協力しなさいというのは、一番共感を形成しにくいのではないでしょうか」(土山教授 同前)

 来年に予定される統一地方選は、課題を共有する関係性としての地域の自治力が問われることになる。安倍政権は、一年ごとに政策の看板を架け替えて「やっている感」を演出するが、看板政策のひとつであった「地方創生」を検証するのは、まさに地域にほかならない。それは人口減少時代を国からのトップダウンではなく、ボトムアップで乗り切っていく力量をどう備えていくかということにほかならない。(6-18面 京都・囲む会ならびに総会の問題提起&討議を参照)

 平成デモクラシーの一環でもある分権改革によって、自治体は中央政府と対等の地方政府―市民の信託を受け、その地域に必要不可欠な政策・制度を整備する機構として位置づけられた。その力を自治体、議会、住民・市民がどう発揮していくか。課題を共有する関係性=公共性をつくりだす「小さな物語」を、多様かつ重層的に紡いでいけるかが問われる。

 人口減少時代には、生活の質は究極的には住民自治の力量に依存する。「そもそも住民自治を人工的(政策的)に涵養することができるのか、という疑問が生じるかもしれない。本書はこの問いに対して、あえて『可能だ』と回答しておきたい。住民に予算と権限を配分し、人的資本と社会関係資本への投資が促される環境を整備すること、他方で、市役所は『黒子』役に徹し、住民が議論し、自己決定していくプロセスを支えること。これらが~住民自治を涵養するうえでの決定的に重要な要素である。

 逆に、こうした住民自治の基盤整備が、近い将来に予想される人口減少の本格化までに間に合うのであれば、私たちはパニックに陥る必要はない。『成長型都市』から『成熟型都市』への歴史的転換期を、トップダウンではなく、ボトムアップで乗り切っていく力量が、都市の側に備わるからである」(「人口減少時代の都市」諸富徹 中公新書)。

 災害対策もそっちのけで総裁選の地方票固めに奔走する安倍総理。2012年は地方票で石破氏が上回ったが、今回はそれを封じる圧勝で三選後、臨時国会を召集、憲法審査会の議論を進めて、来夏の参院選前の通常国会終盤に改憲発議を可能にしようとの思惑が隠せないという。「来夏の参院選で『3分の2』を失っても、その前に発議にこぎつけておけば2019年の秋口にも国民投票で改憲を実現できる」、さらには「一気呵成に年内発議に持ち込めれば、来夏の参院選と同時の国民投票や、衆参同日選と国民投票のトリプル選挙の可能性すら出てくる」との憶測も出始めているという。立憲的独裁のタイムテーブルは、まさに目先の権力闘争からのみ組み立てられている。

 目先の権力闘争に明け暮れたあげく、国民生活を奈落の底に突き落とし、国策を誤った歴史の教訓に学び、立憲民主主義の基盤整備のタイムテーブルは「ゆっくり、いそげ」で。衆参同日選と国民投票のトリプル選挙の可能性という奇襲攻撃に浮き足立つことなく、住民自治の涵養に基盤を置くところから、参院選(場合によれば国民投票)を準備するのであって、逆ではない。第九回大会(1月6日)では、こうした方向性、問題設定をより実践的に共有したい。

(「日本再生」471号 8/1 一面より 紙幅の関係で紙面では一部を割愛しています)

*タイトルについて

「奴らを通すな」は、スペインの反ファシズム・反フランコ独裁のスローガン

「民主主義を…」は 「民主主義 1948-53中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版」西田亮介・編 幻冬舎新書より

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8月の東京・囲む会

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第192回

8月3日(金) 1845から

「2019統一地方選にどう臨むか 立憲民主主義を深めるローカルマニフェストへ」(仮)

ゲストスピーカー 廣瀬克哉・法政大学教授

第193回

8月6日(月) 1845から

「立憲民主党 これからどう育てる?」(仮)

ゲストスピーカー 福山哲郎・参議院議員 立憲民主党幹事長

第194回

8月30日(木) 1845から

「住民自治の根幹としての議会 そのローカルマニフェストとは」(仮)

ゲストスピーカー 江藤俊昭・山梨学院大学教授

いずれも

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

同人 1000円  購読会員 2000円

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京都・囲む会

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第35回

8月23日(木) 1830から

「保守化する? 若者たち」

ゲストスピーカー 山田昌弘・中央大学教授

コープイン京都2階 201会議室

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第九回大会(予定)

2019年1月6日(日) 午後

TKP市ヶ谷

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緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」

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7月20日の衆院本会議で行われた、立憲民主党・枝野代表の内閣不信任案提出の趣旨説明。

3時間弱の演説は、直後からSNS上で「ぜひ出版を」との声があがり、8月9日に発刊

されることになった。

演説文に加えて、上西充子氏、田中信一郎氏の解説つき。

745円。扶桑社より。

早く手元に欲しい方はアマゾンで予約を。

できれば、まちの本屋さんでお取り寄せを(予約が多いと平積みになるかも)。


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp