メルマガ♯がんばろう、日本!         №244(18.11.30)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

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Index 

□ 「2020後」にむけて、立憲民主主義を深めていくために

  ~民主主義のイノベーションと自治の当事者性の涵養

●「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」? 

  多数決民主主義の白紙委任か、立憲民主主義への深化か

●「民主主義の死は選挙によってもたらされる」?

  分断統治ではなく、課題を共有した連帯を

● 人口減少時代の民主主義―住民自治の当事者性を涵養する 

統一地方選をどう構えるか

□第九回大会のご案内 ほか

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「2020後」にむけて、立憲民主主義を深めていくために

~民主主義のイノベーションと自治の当事者性の涵養

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【「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」? 

多数決民主主義の白紙委任か、立憲民主主義への深化か】

 与党理事(平沢勝栄議員)が「議論したらきりがない。いくらでも問題点が出てくる」という入管法改正が、与党の強行採決によって衆院で可決された。問題点を議論するのが国会のはずだが、「中身は後から決める」という白紙委任、すでに一二八万人いる外国人労働者の現状に関するデータもデタラメ、野党の追及で開示するも「コピー不可、書き写しのみ」(国会に開示されたデータは国民のものではないか)など、これまで繰り返されてきた強行採決に比べても酷い。

 衆議院の委員会審議時間も、安保法制(2015)116時間、TPP関連法(2016)70時間、データがデタラメだった働き方改革(2018)33時間に比しても、わずか17時間という異例の短時間で、政府・与党側の「審議しない」姿勢はあからさまだ。

 衆院通過を巡っては、大島衆院議長が与党の国対委員長に対して、来年4月予定の法施行の前に、関連政省令が整った段階で衆院法務委員会での質疑を求めるという、異例の議長あっせんを行った。与党の議事強行に危機感を持ったとされるが、「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」という政府・与党の姿勢は、ますます強まっている。

 民主主義は多数決だ、という以上の民主主義観を持っていなければ、「安倍政治」の六年間は、「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」という立憲的独裁への白紙委任を進めてきた六年間ということになる。他方で「安倍政治」の六年間は、「民主主義は選挙だけではない」→「民主主義は合意形成のプロセスだ」という民主主義観へ転換する主体的な条件を準備してきたともいえる。言い換えれば、「民主主義は多数決だ」という民主主義観しか持っていなかったところから、多数決民主主義を通じて立憲的独裁への白紙委任に向かうのか、それとも多様な民意を前提とした合意形成プロセスとしての立憲民主主義へ向かうのか、「安倍政治」のたたみ方は、そのせめぎあいの渦中にあるということだ。

 たとえば以下で述べられているような民主主義の「設計思想」は、多数決民主主義観では「教科書」の話にしかならないだろう。しかし「民主主義は合意形成のプロセスだ」という民主主義観が腑に落ちるようになると、「国民主権で統治機構を作りこんでいく」うえでの重要な論点、問題提起として受けとめられるようになるのではないか。

 「投票重視の点で見ると、その反対側にあるのが『投票以外の要素もあるんだ』という考え方で、立憲主義はその例です。議会で多数を得ても、それを拒絶する憲法裁判所などの制度が整えられている。選挙で選ばれたわけではない人が政策決定に強くかかわるという面では、ある種のエリート主義の面を持っています。一方で、多数決だけでは侵害し得ない領域をしっかりと確保することによって、少数者の保護が可能になる。『憲法裁判所で否決されるような法案はそもそもつくらない』となって、議会の好き勝手な活動を抑止することにもなる」(古賀光生・中央大学准教授

 https://globe.asahi.com/article/11882947)

 「選挙は、小選挙区制であれ比例代表制であれ、どこかで意見集約をしなければなりません。ヨーロッパ大陸型の比例代表制は、投票した後で様々な意見を議会の場に出して、交渉して多数意見を練り上げていきます。逆に、選挙をするまえに意見を集約して投票にかけるのが、イギリスに見られる小選挙区制です。ただ、イギリスのように歴史に厚みがあり、明文化されていないルールも尊重するシステムが確立されていればいいのですが、同じ小選挙区制を新興民主主義国で導入すると、『小選挙区で勝てばいいでしょ』『3分の2を取ったら、憲法を変えていいでしょ』『変えたら、憲法裁判所を停止していいでしょ』と、際限なく物事が決められていく。『決められればいい』というポピュリズムの論理に引きずられかねません。もちろん、民主主義の定着度によっても、その国がどのような制度を持っているかによっても、状況は異なります」 (同前)

 「安倍打倒」「反安倍」では、「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」という「安倍政治」の土台は変わらない。多数決民主主義にとどまらない民主主義観への転換、立憲民主主義を深めるために国民主権で統治機構を作りこむプロセス(狭義の「システム」のみならず「政治文化」も含めた)への踏み込み、それらの深まりと広がりの度合いに応じてこそ、「安倍政治」をたたむことができる。

 逆にそれが弱ければ弱いほど、たとえば以下の問題提起のように、民主的な合意形成の基盤は毀損されていくのではないか。

 「このような現状(憲法について共通の土台がないまま議論がかみあわない/引用者)のもとでの改憲は、現行憲法に対する社会のなかの共通感覚がないままに、さらに変わっていくことを意味しますから、日本がどのような社会を目指すのかという理想に対するコンセンサスや正統性が失われてしまう懸念があると思います。

 つまり、大半の人が、『どっちでもいいから好きにやって』という感じで憲法が変わってしまいかねず、憲法の正統性への疑義は残り続けることになるのではないでしょうか。これまでの日本社会は、経済的にそれなりに成功してきたので、憲法に対する疑義や矛盾もうまい具合に覆い隠されてきましたが、『ポスト平成』はどう考えても右下がりの時代になりますから、それらがむき出しになってしまいかねません」(西田亮介「憲法改正には関心なし? 若者たちの事情」WEBRONZA 11/25

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018111300001.html)

 「安倍政治」をどうたたんでいくか。それはポスト平成―2020後の次世代に、どういう民主主義を手渡していくかということでもある。多数決民主主義を超えた立憲民主主義への糸口をつくれるか、むきだしの分断や対立を「数で決着つける」という民主主義か。

【「民主主義の死は選挙によってもたらされる」?

分断統治ではなく、課題を共有した連帯を】

 

 今、世界中で民主主義が危機に直面しているといわれる。全米でベストセラーとなった「民主主義の死に方」(レビツキー/ジブラット 新潮社)のカバーに書かれている「司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える――。『合法的な独裁化』が世界中で静かに進む」は、こうした状況を端的に示しているといえるだろう。

 著者はインタビューでこう述べている。(読売 11/22)

「――民主主義はどのように『死』に至るのか。

レビツキー氏  現代においては、銃で権力を掌握するのは困難だ。これは良いニュースで、私たちは民主主義は安全だと当然のように思っているが、実はそうではない。民主主義は別の方法で死ぬのだ。怒れる市民には、民主主義的な制度を民主主義に反して使う指導者を選ぶ余地がある。こうした『内部からの死』に対して、民主主義は本質的に脆弱だ」

 「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」という民主主義が、「司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える」。「民主主義の死」はクーデターや銃によってではなく、選挙によってもたらされる。「怒れる」一票と「どっちでもいいから決めて」は、コインの表裏にほかならない。

 憲法はこうした多数決民主主義の暴走を抑える存在だが、それだけでは頼りない。

「ジブラット氏  合衆国憲法は重要だが、それほど多くのことは書かれていない。我々は憲法と同時に、明文化されていないが数世紀の間に築き上げられた、政治家はいかに振舞うべきかという規範を重要視してきた。我々が『柔らかいガードレール』と呼んでいるもので~『相互的寛容』~『自制心』」。

 誰もが一票だからこそ、『柔らかいガードレール』としての規範もまた、「選ばれた人」だけに求められるものではない。一九四八年から五三年まで使われていた中学・高校の社会科教科書には、このような記述がある。「民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。~中略~すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である」(「民主主義」西田亮介・編 文部省・著 幻冬舎新書)

 こうした民主主義観―『柔らかいガードレール』をどう継承し、次世代とともに21世紀にふさわしくアップグレードしていくか。それが問われている。民主主義という〝共有地〟は、耕す人がいなければ簡単に荒れ果て「内部からの死」に至る。「選ばれた人」だけではなく、普通の人たちがそれぞれの力量に応じて耕してはじめて、〝共有地〟は持続可能になる。民主主義は「内部からの死」に脆弱だが、その崩壊を食い止めるのは「偉大なリーダー」よりも普通の人々の一歩だ。

 残念ながら、消費者民主主義の爛熟で私たちの〝共有地〟は荒れ果てており、民主主義や憲法についての共通感覚も失われている。このなかで『柔らかいガードレール』を築くことは、世代間や社会階層間の分断を克服していくことでもある。選挙で多数を取ることは大事だが、そのために「敵」を作り分断を煽れば、〝共有地〟は荒れて『柔らかいガードレール』はさらに脆弱になってしまう。

 アメリカで存在感を増す「反トランプ」の草の根運動に、「インディヴィジブル」という運動がある。「インディヴィジブル」とは、「分割することができない」という意味で、「忠誠の誓い」で唱えられる一文に入っているという。この言葉が政治運動として使われるようになったのは、トランプ政権がアメリカ社会の分断をさらに深刻なものにするとの懸念から。連邦議会の元スタッフ4名が、分断の対義語である「インディヴィジブル」をタイトルにした、草の根活動のハンドブックを作り、ネットで公開、オバマケア見直しを頓挫させる草の根運動の原動力になったと言われている。

 選挙で当選したい議員心理をつかんで、地元の議員にどうアプローチして話を聞いてもらうかなど、書かれていることは特別なことではないという。草の根保守の運動であるティーパーティーとの違いは「彼らがアメリカの分断を望んでいたのとは逆に、我々は共生社会としてのアメリカの再建を目指しているのです」(https://hbol.jp/179848/3)とのことだ。

 分断統治ではなく、課題を共有した連帯を。来年は統一地方選、参院選が予定されているが、各種の「共闘」もこうした土台の上に構築されることが重要だ。

 「安倍官邸の『勝利の方程式』は、低投票率・与党の組織票固め、そして『こんな人たち』というように『賛成・反対』に分断するということです。選挙を通じて意見の対立がさらに深まるようなやり方は、トランプにも通じます。『民主主義は多数決だ』という民主主義観では、意見の違いを多数決で決着つける、ということになる。そのためにむしろ分断を煽る。これでは選挙の結果、選挙前よりも対立が深まることになる。

 そうではなく、有権者の関与によって意見の違いを新たなステージでまとめあげる、ということ。来年の統一地方選は構え方としては、選挙を通じて新しい自治のあり方を生み出すことに挑戦する、ということです。選挙の争点も、対立を明らかにするためではなく、地域の課題を共有するための問題提起ということになる。選挙後にも選挙で提起された問題を解決するための、新しい会話の糸口になるような構え方をしなければならない」(4面京都「囲む会」)。こうした試みは、地域の現場から始まっている。

 政権を争う国政選挙では「勝ち・負け」は避けられないが、「有権者の関与によって意見の違いを新たなステージでまとめあげる」という自治の政治文化が基礎にあっての政権選択なのか、「意見の違いを数で決着つける」という政権選択なのかは、民主主義にとって大きな違いである。

【人口減少時代の民主主義―住民自治の当事者性を涵養する 

 統一地方選をどう構えるか】

 「2020後」という問題設定は、これまでは漠然とした不安だった人口減少社会の到来に向き合わざるをえないなかで、その当事者性をどう準備できるのかということにほかならない。人口減少時代は突然やってくる危機ではなく予見しうる問題であり、だからこそ「あれか、これか」を自分たちで決める自治の当事者性を涵養できれば、チャンスに転じることもできる。

 自治の当事者性を涵養できなければ、「あれか、これか」をトップダウンで決める、そこに白紙委任することになる。「その先」をいささかグロテスクに描けば、映画「十年」のなかの、生産性の低い高齢者に安楽死を推奨する国の事業とそれに身を委ねる高齢者、ということになろうか。民主主義と同様に当事者性も、不断に涵養し続けなければ「内部からの死」に脆弱だ。

 人口減少時代に直面する課題は多数あり、どれも優先順位の高い重要な課題だが、何よりも問われるのは、課題を共有し向き合うための当事者性の涵養にほかならない。来年の統一地方選をはじめ各種の選挙―とりわけ地方選挙では、こうした当事者性の涵養にどう結びつけられるかが最重要の課題だろう。

 人口減少時代にはこれまでの「拡大」基調から「縮小・縮退」基調への転換が不可欠だとされる。そのとおりであるが、問題はその転換を経済効率や合理性、選択と集中といった市場の論理、行財政改革の論理で行うのか、あるいは民主主義・自治の論理で行うのか、ということでもある。課題を共有する当事者性は、後者から涵養されるのは言うまでもない。

 節約至上主義ではなく、何のために何をカットするのか、絶対に譲れない領域は何か、あるいは何を守るためには負担増もあえて選ぶのか、こうした議論を市民とともにどれだけ深めることができるか。

 「あれか、これか」と言っても優先順位は多様だ。企業経営なら経済効率や合理性で判断すればいいが、「地域経営」はそうはいかない。議会には、地域の多様な利害を表出させつつ、上記のような議論のなかから優先順位を決めていく役割がある。その役割を果たすうえで、「自分は財政の切り口から判断する」「自分は子育ての切り口から判断する」「自分は産業自治の切り口から判断する」というような「審判としてのモノサシ」を、議員候補者の公約として提示してはどうか。

 何のために何をカットするのか、絶対に譲れない領域は何か、あるいは何を守るためには負担増もあえて選ぶのか、こうした議論からは、立憲民主主義の基礎である「われら主権者がつくった政府(自治体政府)」というオーナー感覚―当事者性が育まれるはずだ。そういう〝共有地〟を耕していかなければならない。

 「選挙で勝てば、後は何を決めてもいい」のトップダウンでは、人口減少時代の政策はこれまで以上に地域の現場に丸投げになる。

 入管法改正は、人手不足→安価な外国人労働力という発想で、「生活者として受け入れる」という視点は欠落している。しかしすでに研修生や留学生という形の外国人労働者なしに、私たちの生活は回らない状態だ。その彼らを生活者として受け入れようと試行錯誤しているのは、地域であり自治体である。入管法改正が成立すれば、さらに自治体に丸投げになることを懸念して、外国人住民が多く暮らす自治体で組織する「外国人集住都市会議」(座長都市・太田市)は、共生施策の整備に国が深く関わるよう求めている。

 人手不足解消という経済の論理だけでは、地域は回せない。地域には、生身の人間として、生活者として受け入れる自治や共生の論理が不可欠だ。

 昨年の総選挙で与党の公約として掲げられた幼児教育の無償化。政府が来年10月からの実施としていることに対して、全国市長会は「確実な財源の保障及び子どもたちの安全を確保するための質の担保手法が国から示されない限り、円滑な施行は困難である」として政府に要請を行った。「保育園を考える親の会」の自治体へのアンケートでは、自治体負担が発生して財政が圧迫されることで、「保育の質確保策に悪影響」「公立保育所の予算確保が難しくなる」などが上がっている。

 待機児童対策として政府肝いりの「企業主導型保育所」も倒産や補助金詐欺などの問題が出ている。これも「自治体を関与させずにスピーディーに」と言いながら、その後始末のツケは自治体に回されている。

 待機児童解消や幼児教育無償化は、待機児童の「頭数」や保育所の「数」の問題ではない。曲がりなりにも、子どもの保育の質をどう確保するか、ということで取り組んできた自治体の関与を排したトップダウンでは、現場は回らない。

 人口減少時代をトップダウンではなく、地域から住民自治の当事者性で乗り切っていく力量を備えていく。その一歩として2019年統一地方選を。「2020後」に向けた民主主義のイノベーションへ。(3―6面「囲む会」も合わせて参照を。)

(「日本再生」475号一面より。紙幅の関係で、紙面では一部割愛しています。)

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「がんばろう、日本!」国民協議会 第九回大会

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2020後にむけて 

立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か

~国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ

日時  2019年1月6日(日)1300から1700

場所  TKP市ヶ谷カンファレンスセンター

概要  第一部 講演(問題提起)

    第二部 パネルディスカッション

参加費 2000円

(懇親会 事務所(徒歩5分)へ移動  1730くらいから 参加費1500円)

【第一部 講演(問題提起)】

吉田徹 北海道大学教授 

諸富徹 京都大学教授 

【第二部 パネルディスカッション】

吉田先生 諸富先生 

松本武洋・和光市長 廣瀬克哉・法政大学教授 山本龍彦・慶應大学教授

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望年会のお知らせ

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■東京

12月15日(土) 1600から1900

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

会費 1500円

■京都

12月6日(木) コープイン京都
第一部・講演 1800-1900 中西寛・京都大学教授  参加費 1000円
第二部・懇親会  参加費 3500円


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


PDFファイル⇒18年11月天秤棒No54

両ひざの痛みは、職業病だ?
今朝の駅立ちは越谷駅西口で、午前7時から開始したが、通常通り駅前の吸い殻やごみの清掃の後、市政レポートの配布とともに、9月議会が9月27日に閉会したので、9月議会の焦点や争点をスピカーから報告した。
そして、午後7時から午前0時までの5時間にわたり大袋駅西口で、市政レポートを配布した。一日都合6時間30分の駅立ちを実施した。
すでに夜の駅立ちも開始して4年が過ぎており、当初はこんな遅くまで駅頭をやっていいのか、と質問してくる市民や朝だけでなく、夜もやっているのですか、と驚いた顔で帰宅して行く市民も多くいた。
しかし、4年間も続けると、驚いた様子の市民はへり、むしろご苦労様と優しく声を掛けて行く市民や、ほろ酔い気分でゆっくりと話して行く市民も増えて来ている。
通勤で利用する駅が大袋駅以外でも、職場の飲み会が大袋駅周辺であった後、帰宅途中に私の駅立ちで出会ったりするので、そんな時は“へー夜も、しかもこんな遅くまでやってるの=”と驚かれることもある。
また、朝と同様に差し入れやカンパを頂くことも普通の風景となっている。
問題は、私の体力と夜の日程が空かないと実施出来ないのだが、最近両ひざの痛みに悩まされている。
通常歩行するときは、さほど痛みはないのだが、階段ののぼりや特に下りの場合に筋肉痛の様な痛みが起こる。
そのため、これまで健康のためにエスカレイターやエレベーターの使用は控えて階段を利用していたものの、ひざの痛みが始って以来階段利用はぐっと減ってしまった。
余りに長く痛みが続くため、腕の肘の痛みでお世話になった越谷市花田にあるやざわ整形外科クリニックに診察、治療のため出向いたのだが、診察待ちの患者さんが何時も多く、最低1時間30分後や2時間後になりますと、看護師さんから言われため、2回、日にちをずらして出向いたが、2回とも診察が出来ずにいた。
3回目は時間の余裕をつくり、約1時間30分を病院のロビーの椅子で待機して診察をして頂いた。直ぐに両ひざのレントゲン写真の撮影が行われたが、様々な角度から何枚もの写真撮影となった。
なんでこんなに多く撮るんですか、と担当した看護師さんに尋ねたら、それは後ほど先生から説明があります、と笑顔で返事をされた。
そこで、いよいよ診察室で先生からの問診とレントゲン写真を見ての診断が行われた。
「安心して下さい、ガン発症にともない骨に前立腺ガンの様なガン細胞が転移して異常をきたす場合がありますが、あなたの骨は曲がってもいないし、ガンによる影響は全くありません」と告げられた。
 がん細胞の増殖?!先生それでは痛みの原因は加齢による膝関節の摩耗による異常ですか、と尋ねたら、「いいえ、違います。要するに足の使いすぎによる筋肉疲労です。両側に小さなぐりぐりが出来ていますが、(該当の場所を押さらえたら小さな音がした)これは水が溜まっている証拠です」
えー水が溜まっているー?!「これも安心して下さい。水を注射器で抜くまでの症状ではありません。足を使い過ぎると痛みによる警告を体が発信している状態です」との事だった。
結局、治療としては肘の時と同様に、湿布薬の塗布で行うと言うことだった。
足の使い過ぎとの診断だったが、毎日3時間近く15年間駅に立ち続けているのだから、納得はしたのだが、これは職業病ではないのか、と頭をよぎったが、流石に先生には話さず病院を後にした。        (10月1日)

妻の不満に応えきれない現実が
昨朝の駅立ちは、大袋駅西口で何時もの様に午前6時から開始して、午前8時30分過ぎまで行った。
この日は夜の駅立ちをせんげん台駅東口で、午後7時から午前0時まで実施した。
やっと猛暑の夏から季節が秋へと移行しつつあるので、暑くもなく寒くもない中での駅立ちとなったため、一日7時間30分に及ぶ駅立ちも何とかこなすことが出来ている。
 しかし、毎日、毎朝の駅立ちの送り迎えは、妻が運転する自家用車(事実上は自営業車となっているが)を使用している。毎日の朝の起床時間は午前4時30分頃となり、夜は午前0時過ぎの帰宅となり、それから風呂に入って次の朝の駅立ちの準備をすることもあり、午前2時過ぎに就寝することになる。そのため妻も同様に起床や就寝となってしまっている状態が長く続いている。
「あなたも大変かもしれないけど、私も夜駅立ちの日は特に寝不足になっているのよー」と妻の不満が溜まっていることがある。
 確かにその通りだろうが、議員活動は夫婦で営む小さな自営業者の様なものだから、何とか持続して欲しい、との言葉を飲み込んで、何時もお世話になっていますねー、と声を掛けている。しかし妻への労いにはなっていないかもしれない。明日も朝、夜の駅立ちを実施する予定だ。            (10月10日)

一心太助の記事「直」の文字を巡って
今朝の駅立ちは、午前6時から新越谷駅東口で実施して、夜は午後7時から大袋駅東口で午前0時まで、市政レポートの配布を実施した。
配布を続ける市政レポートや一心太助の天秤棒への市民の様々な反応が現場の駅頭で日々起きている。
その出来事は「駅頭は小さなドラマの連続だ」とのエピソード集を発行して来ている。
しかし、今日は発行された「駅頭は小さなドラマの連続だ」NO52号の中の記事タイトル「差し入れは、直ぐに胃袋の中へ」のこの「直」の文字への質問がメールであった。
それは、通常は「直」と表記するのだが何故一が抜けた「直」となっているのか丁寧なお尋ねがあった。
メールによると「私の苗字“直○”の“直”は縦の棒が無い字で戸籍登録されていて、関心を持っているからです。
 なお、最近、戸籍には通常使われていない文字を使うことが認められている(通達)関係で、国がそのような文字(漢字)を統一・開発・データーベース化したことは認識しています。」との事だった。
直ぐに回答したが、明朝の「直」を変換するとき「MingLiU」で変換して表示しており、これが「直」となっている以上のことは分からないと返事をした。
 すると、また丁寧に返信が来て「新大字典の“直”の項には、同字と俗字として戸籍上の字も含めて記載があります。(添付)
 また、井伊直虎の花押も縦の棒がありません(添付、花押であり文字とは言えないかもしれませんが)
 その他、いくつか資料があり、昔は結構使われていたのでないかと想像しています。」との事だった。
思わぬやり取りとなったが、何時も市政レポートを読んで頂いている市民との交流がまたこの様な形で実現している事に嬉しさがこみ上げた。         (10月11日)


PDFファイル⇒18年 10月天秤棒駅頭53

仕事に人が合わせるのでなく、人に仕事を合わせる
今朝の駅立ちは、午前8時過ぎから開催された、がんばろう越谷主催の第52回グラウンドゴルフ大会の開会式のあいさつ出席のため、中止した。
会場となった越谷市小曽川にあるしらこばと公園運動場は、良く手入れされた緑の芝生のグランドや、好天に恵まれて約120名の選手の皆さんの好プレーが続出した。
このグランウンドゴルフ大会は、市内の各グラウンドゴルフクラブの皆さんが自主的に実行委員会をつくり、大会の準備や参加選手の呼び掛けを始め当日の運営など全てフラットな話しあいの中で、継続的に大会を開催して来た。
このため、時には運営を巡って意見が対立することもあったものの、納得がゆくまで話し合い、権威主義的な習慣を最も忌避して来たことが、常に和気藹々の雰囲気を醸し出している。
 この日私のあいさつは、障がい者の法定雇用率の水増し問題が、中央省庁で発覚し、残念ながら越谷市でも同様の問題が発生した。
民間企業や中央省庁や自治体では、障がい者の雇用は、法律によってその雇用率が決定されているにも拘わらず、大幅な水増しが日常的に行われていた事に衝撃が走った。
当然のことだが法律を遵守することは最低の責務なのだが、同時に法律を遵守すれば問題が解決するわけでもない。それは障がい者が働き続けることは職場環境の整備とともに仕事のやり方の全面的な見直しが必要とされる。
そこで次の様な例を紹介した。「障がい者が働く場所に植木が5鉢あり、水やり作業に関して健常者に管理者がオーダーする場合、通常“水をやっといて”と言っても作業に支障は起こらない。
しかし、障がい者に同じ様にオーダーしても作業は進まない。そこでオーダーの仕方を大きく変えて、“5つの鉢の内右から3番目の鉢の根本に今から1時間後に水を1リットル上げて下さい。葉っぱにはかけないように”と話すことによって作業は順調に遂行されて行く。
これは障がい者にとって理解しやすいようにオーダーすることに留まらず、全ての作業員にとって植物に水をやる意味やチームとしての作業の平準化をもたらすことに繋がって行く。これまで仕事に人が合わせてきた職場慣行を、人に仕事を合わせていく作業の切り分けと言う意識改革になって行く。多様な働き方は実は、障がい者の問題ではなく、私たち一人一人の問題です」と。
そのせいか、プレー中にルールや作法など不慣れな選手に教えるベテラン選手が極めて丁寧に説明する光景が多く見られたそうだ。
(9月12日)

カンパが今日も続いている
今朝の駅立ちは、北越谷駅東口で通常通り午前6時前に駅に到着して、車から街宣用具を運び出して設置の後、駅前清掃からスタートした。
午前6時30分頃、旧知の高齢男性と散歩の途中で良くお会いするのだが、今日も何時もの様におはようございます。お元気ですね、とご挨拶をした。  
すると、白いジャージのポケットから1000円札を出して、これ少ないけど、と話されてカンパを頂いた。
更に午前7時30分過ぎに馴染みの中年女性から、何時も楽しみに市政レポートを読ませて貰っています、と笑顔で話し掛けられ、1000円のカンパを頂いた。       
 午前8時30分過ぎに駅立ちは終了したが、この駅の朝は特に足速に改札に向かう市民が次々と目の前を通り過ぎて行くため、通行の邪魔にならない様に良く気を付けて市政レポートを配布している。
勿論馴染みの市民は常に100人を超えているものの、全く関心を寄せない(その様に見えるだけかも)市民や怪訝そうに傍を通過していく市民も多い。
だからこそ、そんな市民の方にこそ15年間毎日、毎朝継続されている2時間30分に渡る駅立ちの姿勢から、何かを感じて貰いたい、と
思いながら、魔法瓶の麦茶でのどを潤した。
              (9月19日)

東海第二原発の20年間運転延長に反対続出
今朝の駅立ちは、現在開会されている9月議会の中で教育、環境経済常任委員会が午前10時から開かれ、市民請願「政府に対して老朽化した東海第二原発の20年間の延長運転に反対する意見書提出を求める件」が審議されるため傍聴するため中止した。
3,11東日本大震災の折、東京電力福島第一原発の事故によって未曾有の被害が起こった。これによって原発の安全神話は崩壊した。
そのため政府は、全国全ての原発を40年間で廃炉にする法律を成立させた。当該の東海第二原発も危うく福島原発と同様に大事故寸前の状況に追い込まれたが、かろうじて危機一髪で回避した経緯があり、その後7年間にわたり運転を停止していた。
ところが、突然稼働に向け20年間の運転延長のため、原子力規制委員会にその承認を求める姿勢に転じたため、立地県の茨城県内の周辺自治体や議会で延長反対の決議が次々と上がっていた。
越谷市も僅か90キ㎞しか離れておらす、福島原発事故による多大な被害を現在でも受けている状態の中、反対の意見書を政府に提出して欲しいとの市民からの請願が出され、所管の教育、環境経済常任委員会に、この日請願した市民3人も出席して審査と採決が行われた。
この市民請願に反対したのは、自民党の議員だけで賛成多数で請願は採択された。
議会最終日の9月27日に本会場で、全議員によって採決されることになる。(9月19日)
(議会最終日、請願の賛否が行われ、自民党と保守無所属の会と無所属1人が、反対したが、賛成多数で採択された。
私の自治みらいは、当然全員賛成したが、公明党も賛成した。公明党はこれまで越谷市議会での議案の賛否は、自民党とほぼ同一歩調を取り続けて来た経緯があり、今回姿勢が変わったのは何故なのだろうか。沖縄県知知事選挙でも創価学会員の2割強の県民が当選した玉城デニー氏に投票したと出口調査で明らかにされている。学会内部に何らかの異変が起こりつつあるのではないだろうか?)

放水された水の勢いは、思った以上の威力
今朝の駅立ちは、大袋駅西口で通常通り午前6時から開始して、午前8時30分過ぎまで実施した。
この日は、越谷市議会が主催する平成30年度の災害時対応訓練が午前10時から越谷市谷中にある新設された谷中消防分署で開催されるので、駅立ち終了後直ちに会場に向かった。
ただ、朝食は何時もの様に取っていなので、消防署付近のコンビニで暖かい肉まんとおにぎり1個を駐車した車の座席で胃袋に流し込んで参加した。また防災服着用が義務化されており、これも車の中で着替えた。
 2階の教室で消火栓の種類等の講義を受けたのち、実際の消化訓練や煙が蔓延する建物の中での移動訓練など消防署員から丁寧に指導を受けた。
高さ5メートル近いビルの上から、緊急脱出のため避難訓練も実施され地上に向けトンネルを落ちる様に体をくねらせながら滑り落ちる事や、また消火器の放水用具から水を噴出して消火を体験した。      (9月25日)




メルマガ♯がんばろう、日本!         №243(18.10.31)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

□ 2020後にむけて 

立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か

~国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ

●〝2020後〟の課題に向きあう転換へとつながるように、

「安倍政治」をどうたたんでいくか 

●人口減少社会の問題設定 

 民主主義の論理か、行財政改革の論理か

□第九回大会のご案内 ほか

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2020後にむけて 

立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か

~国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ

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【〝2020後〟の課題に向きあう転換へとつながるように、

 「安倍政治」をどうたたんでいくか】

 自民党総裁選で安倍総理圧勝のシナリオを崩したのは、地方票だった。「安倍一強」の地方での足元の危うさを示すように、沖縄県知事選挙では政権側が全力で支援した佐喜真・前宜野湾市長が、翁長前知事の後継である玉城デニー氏に大差で敗れた。出口調査では自民支持層の二割、公明支持層の三割が玉城氏に投票している。

 沖縄県内では知事選以降、豊見城市長選で二十年続いた保守市政をオール沖縄候補が破り、那覇市長選では翁長市政を受け継ぐ現職が再選された。全国的にも兵庫県川西市長選、千葉県君津市長選、京都府大山崎町長選で、自民系候補が敗れている。「安倍一強」の終焉は、地方から告げられつつある。

 内閣改造も政権の求心力とは、ほど遠い。産経新聞の調査でも、内閣改造以前と比べて支持は2.0ポイント減、不支持は0.5ポイント増というありさま。内閣改造と自民党役員人事を「評価する」は24・9%、「評価しない」は58・6%に上り、改造内閣に期待しないという回答も51・9%。

 消費税率引き上げ、外国人人材受け入れ(実質的な移民政策)など、憲法改正以上に今国会で議論されるべき課題は多い。どの問題も根底にあるのは急激な人口減少と高齢化であり、弥縫策の積み重ねには限界がある。だが、この内閣の顔ぶれでまともな議論ができると思う人は、ほとんどいないだろう。しかもデータの改ざんや隠蔽、統計のごまかしが横行した前国会のケジメは、何ひとつついてはいない。

 世論の政権からの遠心化が、今後の基本的な方向性となる。いいかえれば、「安倍政治のたたみ方」―どうたためば〝2020後〟の課題に向きあう転換につながるのか、どうたためば〝2020後〟の課題に向きあうためのリソースをさらに毀損することになるのか―が、問われることになる。

 政権と官邸は、憲法改正を求心力回復の突破口にしようとするかもしれない。しかし憲法改正では一貫して官邸が世論と乖離している。自民党の船田元氏は、衆院憲法審査会の党人事で野党との協議を重視する船田氏ら「協調派」が幹事を外され、「代わって、いわゆる『強硬派』と呼ばれる安倍総理に近い方々が、(新しい幹事として)野党との交渉の前面に立つことになった」と指摘する。「安倍一強」の手法を今後も押し通すのか。2019年統一地方選をはじめとして、政権与党は世論の厳しい目にさらされる。

 「国内で遠心力が働き続けるとすれば、政権は万難を排して引き締めに入ろうとするのではないか。良識ある国民ならば、眉をひそめるような無理筋の国会審議、法解釈を曲げてでも支持層に利益配分を行ったり、なりふり構わず反対派に報復したりということも考えられる。政権の終末時、断末魔の叫びのように」(牧原出 WEBRONA 10/15)

 2019年統一地方選をはじめとする地方選挙は、こうした「無理筋」を防ぎつつ、「安倍政治」を賢くたたむための攻防になる。それは国政の代理戦争などでは断じてない。争点設定はあくまでも地域の課題を共有するためであり、住民・市民が学習と討論を通じて練り上げた公約(マニフェスト)を基に行われる選挙をめざすべきだ。政党のかかわりは、市民が設定した土俵に乗れるかどうかで決まる。

 もうひとつの場は国会だ。先の通常国会終了後、大島衆院議長は、政府による公文書の改ざんや隠蔽、誤ったデータの提供などが相次いだことについて「民主的な行政監視、国民の負託を受けた行政執行といった点から、民主主義の根幹を揺るがす問題」という異例の所感を公表した。一方、衆院議院運営委員長となった高市氏は10月25日、自民党の小泉進次郎氏ら国会改革を求める超党派議員と面会し、「議運委員長として実現を目指す事柄」と題した私案を提示。この中で政府提出法案の審議を優先し、議員立法や一般質疑は「会期末前に残った時間」を充てることなどを掲げた。これでは国会は「安倍一強」の追認機関と化す。

 国会が安倍一強の無理筋に追従するのか、振り回されないようにするのか、与党内の常識派が問われる。先の総裁選でも可視化されたように、その常識派を後押しするのは国民世論だ。

 〝2020後〟の課題に向きあう転換へつながるように、「安倍政治」をどうたたんでいくか。地域からの輿論の迫り上げを。

【人口減少社会の問題設定 

 民主主義の論理か、行財政改革の論理か】

 自公・官邸の「必勝パターン」を崩した沖縄県知事選以降、各地の首長選挙で自民系候補が敗れている。兵庫県川西市長選では、半年にわたる市民との対話を通じて政策マニフェストを磨いてきた越田謙治郎氏が、前市長による後継指名と自民党の推薦を受けた候補に圧勝。「ハマコー王国」といわれていた保守地盤の強い君津市の市長選挙では、三代にわたって首長を務めた家系の前市長の基盤を受け継いだ自公推薦候補を、連合千葉の推薦を受けた無所属新人の女性候補が破った。

 京都府大山崎町長選では、与野党相乗りの現職を共産支持の新人(大山崎町議を5期務めた元自民党の前川氏)が破った。公立保育所の民営化をめぐる一万一千名の署名を無視するなど、前町長の町政運営への反発が高まるなか、「市民派」を掲げる新人候補は「住民委員会」の設置など、住民主体のまちづくりを公約に掲げたという。

 これらに共通するのは「野党共闘」という国政での枠組みではなく、住民・市民が地域の課題を共有し、地域のこれからを自ら選択する、その自治のための争点設定、土俵づくりという点にある。政党のかかわりは、その土俵に乗れるかどうかで決まってくる。「野党共闘ありき」ではない。参院選一人区での野党の候補者調整もこうしたプロセスにできるか、政党以上に有権者の力が試される。

 別の角度から言えば、「人口減少社会に向けてということがリアルになって、拡大要求型ではなく縮小型の政策が問われるときに、その決定を中央集権的に、立憲独裁的に、行財政改革の論理でやるのか、それとも立憲民主主義的に、議論による統治や住民自治の論理でやるのか。そういうステージに入るということです。

 住民自治の涵養になる選挙ということは、選挙を通じて分断や対立を深めるのではなく、有権者の関与によって分断や対立を収めるということです。『どっちの側につくんだ』という選挙のやり方ではなく、たとえば総合計画を共通の土台にして、それぞれの視点や方向性を議論するというような。住民自治の涵養とつながるように、というところから、いろいろな知恵も出てくるわけです」(13面「囲む会」戸田代表)。

 2019年統一地方選をはじめとして各種選挙では、人口減少社会の到来という「不都合な真実」にどう向き合うかが問われる。厳しい選択が問われることもあるが、そこでの本質的な軸は、行財政改革の論理か民主主義の論理かということだろう。

 その場しのぎの取り繕いや、破綻が明らかな「計画」でごまかしていれば、人口減少社会の到来は「突然の破綻」と受けとめられ、そこでの決断の厳しさは「手の爪をはぐか、足の爪をはぐか、どちらか決めなければならない」(473号一面参照)という類のものと受けとめられることになる。行財政改革の論理とはこれだ。

だが「人口減少は、ある日突然やって来る危機ではなく、かなり正確に予測できるものです。したがって準備することができる。予測できるにもかかわらず準備できていないことが、最大の問題」(諸富徹・京都大学教授 471号「総会」)であるからこそ、人々がきちんとした情報に基づいて議論し、自己決定していくためのプロセスを支えることこそが政治の役割となる。人口減少社会に向き合う民主主義の論理や作法が問われる。

さらに言えば、「人口減・少子高齢化というのは、単なる自然現象ですか。違いますね。政策の失敗でしょう。人口減・少子高齢化は、すでに七十年代には分かっていた。それに対応すべき時間と政策資源を、行財政改革の名の下に犠牲にしたのではないのか。

同じように出生率の低下に直面していたフランスは、政策によってそれを回復しました。日本は端的に言えば、団塊ジュニア世代のところで社会の持続可能性を犠牲にしたんです。行財政改革や効率性の論理の前に、デモクラシーの論理(民主政の基盤づくり)が太刀打ちできなかった。その弱さなのです」(14面 戸田代表)

 行財政改革の論理で推し進められた平成の合併は、「『団体自治』を侵害するとともに、『民主主義(住民自治)』を侵害するものであった」(幸田・神奈川大学教授 9面)。そしてその先に見えてきているのは、総務省の「自治体戦略2040構想研究会」の報告に見られるような、住民自治はおろか団体自治さえも否定する中央集権派による、人口減少時代の問題設定である。

 民主主義は単なる多数決ではない。「あれか、これか」「何かをあきらめる」という厳しい選択が求められるからこそ、「これだけ話し合ったんだから」ということも含めた〝納得〟のプロセスが不可欠だ。それなしには、多数決民主主義は対立と分断を深める結果にしかならない。話し合いを通じて課題を共有するからこそ、問題を解決するための自治の当事者性も生まれてくる。それなしに、民主政の基盤は鍛えられない。

 ヨーロッパやアメリカでの社会的分断は、われわれにとっても対岸の火事ではない。ますますグローバル化する経済や情報、社会の変化に「取り残された」と感じる人々、将来が見えないと感じる人々は、潜在的にも増えている。そのなかで行財政改革の論理でさらなる分断を煽るのか、民主主義の論理で自治の当事者性を涵養していくのか。〝2020後〟を見すえて、住民自治の涵養の場としての選挙をつくりだそう。

 〝2020後〟の課題に立憲民主主義で向き合うために。第九回大会(1月6日)「2020後にむけて 立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か~国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ」に、多くのみなさんのご参加を。

(「日本再生」474号一面より)

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「がんばろう、日本!」国民協議会 第九回大会

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2020後にむけて 

立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か

~国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ

日時  2019年1月6日(日)1300から1700

場所  TKP市ヶ谷カンファレンスセンター

概要  第一部 講演(問題提起)

    第二部 パネルディスカッション

参加費 2000円

(懇親会 事務所(徒歩5分)へ移動  1730くらいから 参加費1500円)

【第一部 講演(問題提起)】

吉田徹 北海道大学教授 

諸富徹 京都大学教授 

【第二部 パネルディスカッション】

吉田先生 諸富先生 

松本武洋・和光市長 廣瀬克哉・法政大学教授 山本龍彦・慶應大学教授

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望年会のお知らせ

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■東京

12月15日(土) 1600から1900

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

会費 1500円

■京都

12月6日(木) コープイン京都
第一部・講演 1800-1900 中西寛・京都大学教授  参加費 1000円
第二部・懇親会  参加費 3500円

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「囲む会」のご案内@京都

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●第36回 戸田代表を囲む会in京都

11月17日(土) 1830から

「『安倍政治』の検証から、選挙をどう構えるか

 ~戸田代表の提起と自治体議員の討議を軸に」

コープイン京都 


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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