メルマガ♯がんばろう、日本!         №202(15.7.30)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

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Index 

□反立憲・非立憲にストップを。

当事者性で考え続ける―凡庸の善の「共有地」を耕そう。

●反立憲・非立憲の政権運営を止める

●『凡庸の善』と『凡庸の悪』の言論空間が始まった

●当事者性で考え続ける―凡庸の善の公共空間を強化し続けるために

□お知らせ

◆シンポジウム(10月「外交」、11月「地域経済」)

◆沖縄、安保法制に、主権者として向き合うために(参考)

◆都市と田舎・第一次産業をつなぐ「食べる通信」

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反立憲・非立憲にストップを。

当事者性で考え続ける―凡庸の善の「共有地」を耕そう。

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●反立憲・非立憲の政権運営を止める

 安保法案は7月15日、衆議院特別委員会で採決が強行され、16日には本会議で可決、参議院へ送られた。手続き上は 60日ルールによって、衆議院の三分の二をもって再議決が可能となる。しかし再議決のハードルは一段と高くなっている。

 政府与党は「採決を強行しても、連休をはさめば空気は和らぐ」としていたが、15日から17日の国会前抗議行動は 10万人、6万人、11万人(主催者)にのぼり、三連休中も全国各地で多彩な抗議行動が繰り広げられた。7月26日にはママと子どもたち が、31日には学者の会と学生団体(SEALDs)の共同行動が、8月2日には高校生のデモが予定されるなど、世論は「和らぐ」どころ か、むしろ世論(セロン)から輿論(ヨロン)へと確実に深化しつつある。

 潮目が変わった契機のひとつは、六月四日の衆議院憲法審査会。与党が推薦した憲法学者も含め、三人の憲法学者全員 が、この法案について「違憲だ」と述べた。これに与党政治家が、「学者に何が分かる」「憲法九条の字面に拘泥して、安全保障ができるの か」と「反論」、論点は「非立憲」「反立憲」政権の是非へと、その質を大きく転換した。

 「(憲法の字面に拘泥云々に対して)ふざけんな、と。条文というのは、憲法であれ法律であれ、不完全な人間が将来に向かって間違いを犯さないように話し 合って書いた約束なんですね。字面に拘泥しないということは、こう書いてあるけど、俺は違ったようにやりたいから四の五の言うな、という ことでしょ。独裁政治の始まりなんですね。…」(小林節・慶応大学名誉教授 週刊朝日 6/26号)

 「今はまだ配線するだけで、誰もスイッチ なんか押しませんからと。説得されて配線を許すと。必ず未来にスイッチを押すバカが現れる。だから配線工事をやめさせなければならないの だ。今はそのための配線図の書き換えが行われようとしている」(ラサール石井 http://abe-no.net/approval/より)

 石川健治・東大教授は、以下のように指摘する(『世界』8月号)。

「佐々木先生(故佐々木惣一・京都大学名誉教授)は、一九一八年の著書『立憲非立憲』のなかで『違憲とは憲法に違反す ることをいうにすぎないが、非立憲とは立憲主義の精神に違反することをいう。違憲はもとより非立憲であるが、しかしながら、違憲ではなく とも非立憲であるという場合があり得るのである。しかればいやしくも政治家たる者は違憲と非立憲との区別を心得て、その行動の、ただに違 憲たらざるのみならず、非立憲ならざるようにせねばならない』と述べて、『立憲的政治家たらんとする者は、実にこの点を注意せねばなら ぬ』と警告しておられます。

 この指摘をうけていえば、現政権の全体的な政権運営の特徴として、ナチュラルに非立憲的な振る舞いをしてしまう傾向 をあげることができます」

「安倍政権は選挙で大勝して、その『地位』は磐石ですが、『地位』は重層的な統治システムの一部でしかないのです。統 治システムは、一般に、『権限』『責任』『地位』『コントロール』と四層くらいの層をなしています。『民主的に選ばれた』というのは地位 の問題であって、地位が磐石でも、あらゆる権限が与えられるわけではありませんし、国会や国民に対する責任を免除されるわけでもありませ ん。コントロールの要否も別次元の論点です」

「ところが、安倍政権は本来コントロールを受ける立場にありながら、自分から対抗的存在に圧力をかけたり、つぶしにか かったりしています。例えば目障りなメディアに対して、政治的圧力とも言える動きを繰り返していますね。

 党利党略的には正解でも、目的・タイミングに疑問が残った昨年秋の衆議院解散権の行使、『憲法改正を国民に一度味 わってもらう』(礒崎陽輔・首相補佐官)ための改憲論など、権力の目的外使用も目立ちます。本来の目的以外の他事考慮あるいは不正な動機 による権力行使を、権力の『濫用』と呼びますが、それが違憲・違法であることは公法学の常識。これもまた『非立憲』と評価される所以で す」

 それまで多くの人が漠然と不安に感じていたことが、言葉と論理として表出され始めた。だからこそ、「なんか自民党、 感じ悪いよね」という感性の共有をベースに、立憲主義とか国民主権、民主主義のイノベーションといった理屈が、教科書風の暗記ものではな く、実生活の行動原理として実体化されつつある。たとえ法案が成立したとしても、もはやこのうねりは止められない。

●『凡庸の善』と『凡庸の悪』の言論空間が始まった

「これは、『凡庸の善』と『凡庸の悪』との立体的な言論空間が初めて日本で始まった、ということです。これが今まで一度もなかったんだか ら、立憲主義ということも、言葉としても知らなかったのも不思議 ではないんです。

『凡庸の悪』というのは、ハンナ・アー レントがユダヤ人虐殺の罪に問われたナチス幹部・アイヒマンの裁判を総括して言ったことです。彼は『世紀の大悪人』ではなく、『命令に 従っただけ』の凡庸な小役人にすぎない、『自ら考えようとしない』思考停止の凡庸の悪こそが、彼の罪だと。

今国会前で抗議行動をしている若者が 口々に言っているのは、一言で言えば、思考停止したくない、ということでしょう。憲法上からもまともに説明できない政治家に、自分たちの 生活や未来を勝手に決められたくない、屁理屈言うなと。普通の人の生活空間のなかに、凡庸の悪で思考停止になるのか、凡庸の善で自分の頭 で考え続けるのか、をめぐる言論空間が生まれているんです。こうした空間があってはじめて立憲主義、つまり自分たちが主権者だという当事 者意識が可能になるんです」(総会 戸田代表)

 「自分がちっぽけな存在だから社会なんて変えられないと思うかもしれません。しかし、自分で考えることは自分でしか できません。私が私たりうるために自分の言葉を紡ぎましょう」。国会前抗議行動を行っている学生団体(SEALDs)のメンバーの訴え だ。

「私が私たりうる」ために、社会と向き 合って考え続ける、たとえ未熟で「足りない」頭であっても。意思を持った「私」が、そこから始まる。

依存と分配の経済社会構造は、意思を持 たないユーレイを大量生産するシステムでもあった。そこに構築されるのは、新国立競技場や原発に象徴される、だれがどこでどう責任を負っ ているのかが、まったくわからない壮大な無責任の構造であり、それを支える大量の「凡庸の悪」(「指示に従っただけ」という思考停止) だ。

3.11は、その行き着く先を否応なく 見せつけたはずだ。そして、それまでの小さな伏流水が次第に可視化されてきた。あるいは「空虚な選挙」といわれた昨年末の総選挙では、 「政治不信」というある種のキャンペーンで無力さを刷り込まれた「私たち」のなかで、「私」が変わることで「私たち」が変わる、という小 さな羽音が確実に始まった。(いとうせいこう「一羽の鳥について(あらゆる選挙によせて)」http://politas.jp /features/3/article/213)

「私が私たりうるために」社会と向き合 い考え続け、そうやって意思を持った「私」たちが、「私たち」を再構築する。地域やコミュニティーもまた、そうした「私たち」によって再 発見され、または新たに紡ぎだされていく。このような当事者性と関係性の相互連関のうねりが、右肩上がりの制度の外側に、多様な形態で加 速的に広がり始めている。

●当事者性で考え続ける―凡庸の善の公共空間を強化し続けるために

 当事者性で考え続ける―凡庸の善と、依存と分配のユーレイ・思考停止の凡庸の悪とのせめぎあいが見えてくるところか ら、「公共空間」も再定義される。

 例えば言論の自由も、好き勝手なことを言う、賛成・反対をワーワー言い合う「自由」ではなく、多様な意見・言論が行 きかう場、その場づくりに対する敬意や信認を外してはない、ということが分かる。第八回大会記念シンポジウムの場もまた、そのような多様 な言論が行きかう場として、主催者・登壇者・フロアの参加者の協働によって創りだされたものである。それは一朝一夕にできるものではな く、住民自治や地域づくりの活動を通じた信頼の集積と共有によって、はじめて可能になる。そうした共有地を耕すこと抜きに、公共空間はあ りえない。

 それはまた「言論の自由」が普遍的価値であると同時に、その社会の歴史的文脈を共有することで強化され、受け継がれ るものである、ということでもある。

 「戦前も『公』の空間でこそ神道式の儀礼と天皇崇拝を求められたものの、『私』の空間では、ひとまず臣民の権利が保 障されていました。治安維持法に触れない限り、何を信じ、何を考えてもよかったわけです。しかし、一九三五年前後に、『公』と『私』の境 界線が決壊しました。決定的な事件が八〇年前の天皇機関説事件と国体明徴運動です」「中国大陸での危機を理由に『私』の自由が奪われる、 生命や生活も奪われる――。ここから『亡国』までの展開は、たった一〇年のことでした」(石川教授 前出)

「(戦後)公共の空間を維持し演出してきたのが、憲法二一条の『表現の自由』なのです。戦前は国旗や国歌、天皇家の祭 祀や神道式の儀礼で公共を演出し、強い公共と強い軍隊をつくったのに対し、日本国憲法は、もっぱら表現の自由によって支えられる、公共言 論の力によって、『公共』空間を維持するという体制を堅持してきました」(同前)

「ただし現在の憲法や憲法学が支えようとするリベラル・デモクラシーあるいは立憲デモクラシーには、『公共』が『公 共』として強くなりにくいという弱点があります。よほど頑張って、たくましい公共言論を維持していかねば(引用者/凡庸の悪と凡庸の善の せめぎあいを創出していかないと)、おのずから『公共』はやせ細り、脆弱化するわけです。やはり何らかの基本的な価値を注入したり、国 旗・国歌などの儀礼によって演出したりした方が『公共』は強くなります」(同前)

 依存と分配に明け暮れたユーレイによって脆弱化した公共空間を、何によって維持し強くしていくのか。復古主義的な価 値観やナショナリズムによってか、それとも戦後日本の自由と民主主義、平和憲法の理念という「未完のプロジェクト」(SEALDs)を受け継ぎ、次の世代に引き継いでい くことによってか。

 あるいは、東京一極集中システムにさらに地方を従属させ、地域を喪失した愛国心を高めることによってか。それとも生 活領域としての地域と、そこにおける自治・コミュニティーの再構築を起点に、郷土愛―国益―地球益を再構築することによってか。

 例えば、沖縄出身の記者はこう述べる(毎日7/12「記者の目」)。

「(新人記者として青森支局に着任し、三沢の取材を続けてきた。)戦後、米軍進駐による基地建設ラッシュの人口増で栄 えた三沢と、『銃剣とブルドーザー』と呼ばれる土地強制接収があった沖縄では出発点が異なる。だが一方で、『基地は国策』『基地と共存共 栄』という先入観が一種の『思考停止』状態を生み、三沢の将来を語ることを妨げている。そんな気もしてならないのだ」「集団的自衛権を含 む安保関連法案が審議されているが、その『現場』を担うのは、大半が基地を抱える地方だ。国会だけではなく、地方でも基地問題を議論す る。なぜ基地が必要なのか。基地の存在に左右される自治でよいのか。跡地の将来像は――。その議論は間違いなく、日本が直面する安保論議 を深めることにつながる」

 辺野古の商工会長は、持続可能な地域づくりとしてこう訴える。

 「私はウチナーンチュであると同時に日本人としての自意識も持っています。国防や国益論を前面に打ち出して『辺野古 に基地が必要だ』と言われたら、それを全否定することはできないです。とはいえ、基地が来るなら来るで、土足で来られるのは困ります。珊 瑚をつぶして海を埋め立てる。騒音被害を撒き散らすオスプレイを配備する。誰が見たって、心情からいうとそれは来てほしくありません。~ そのうえで私は辺野古の商工会長としての立場から『どうせ基地が来るのなら、若い世代が定着して、末代までここで暮らしていけるようなま ちづくりを目指してほしい。そこはちゃんとしてくれよ』と言いたい。それだけの話なんです」

「われわれ地元の人間が『条件付きで』基地を受け入れる―それは当然『条件』(引用者/持続可能なまちづくりのための 条件)の方に重きが置かれているのですが、なかなかそうは受け取ってもらえないんです。『辺野古の町をこうしたいんです』と声を挙げた途 端に『じゃあ移設はOKってことですね?』と、条件の話がうやむやになってしまう。そういうことの繰り返しで今日に至ります。~いま本当に私たちが望んでいる のは、オール・オア・ナッシングにとらわれない、辺野古の未来につながる議論です」(飯田昭弘・辺野古商工社交業組合会長 http://politas.jp/features/7 /article/407)

 戦後日本の自由と民主主義という「未完のプロジェ クト」の諸問題―安全保障、アジア外交、地域づくり、持続可能な経済、エネルギーetcを当事者性で考え続ける―凡庸の善の関係性、場づくりをさらに進めよう。対立と分断ではなく、自治と連帯による未来を。

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凡庸の善で考え続けるために ~シンポジウムの企画

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□シンポジウムin東京 

テーマ「外交、安全保障、国際関係」

10月18日(日)1330より1700

TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 9階 9Aホール

http://tkpichigaya.net/access/

パネルディスカッション 中西寛・京都大学教授、李鍾元・早稲田大学教授

            川島真・東京大学教授 ほか

参加費 調整中

□シンポジウムin京都

「地域経済を起点に持続可能な経済を展望する」(仮)

 11月14日(土)午後

 会場 参加費(調整中)

 パネラー/岡田知弘・京都大学教授 佐無田光・金沢大学教授

      鋤柄修・中小企業家同友会全国協議会会長

      藤井正・京電協相談役、高岡裕司・吉田ふるさと村社長 ほか

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沖縄、安保法制に、主権者として向き合うために(参考)

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□ポリタス特集 「沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基 地問題」

http://politas.jp/features/7/article/393 より

●「オール沖縄」が忘れていること、こぼ れ落ちていること

島袋寛之 フリーライター

●辺野古に暮らす私たちの願い

飯田昭弘 辺野古商工社交業組合会長

●「つぶしてやる」と言われた側の論理

藤井誠二 ノンフィクションライター

□安保法案に反対する学生と学者の共同行動 7/31

http://anti-security-related-bill.jp/images/chirashi0724.pdf

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都市と田舎・第一次産業をつなぐ「食べる通信」が続々と

http://taberu.me/

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●漁協が創る「食べる通信」~浜を育み、海を守る

2015/9 創刊

http://taberu.me/ryouri/

●そうま 食べる通信

八回大会に来ていただいた立谷市長の相馬でも、食べる通信が。

https://www.facebook.com/soma.taberu


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp