メルマガ♯がんばろう、日本!         №208(15.1.31)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

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Index 

□「選びたいのに選べない」と言うのは、もうやめよう。

分断やあきらめを超えて未来を共有する、民主主義のための努力を。

●市民自治・地域自治の涵養につながる 

 立憲民主主義の、よりいっそうの深化を

 ~宜野湾市長選から考える

●「民主主義ってなんだ」という路上からの問いを、

 民主主義のための不断の努力へ 

 ~参院選にむけて

□「囲む会」のご案内 

 引き続き「凡庸の善で考え続けるために」

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「選びたいのに選べない」と言うのは、もうやめよう。

分断やあきらめを超えて未来を共有する、民主主義のための努力を。

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●市民自治・地域自治の涵養につながる 立憲民主主義の、よりいっそうの深化を

~宜野湾市長選から考える

 接戦が予想された沖縄県宜野湾市の市長選挙は、政権与党が全面的に支援する現職・佐喜真氏が、翁長知事が推す志村氏 に六千票近い差をつけて、再選を果たした。

 だがこの選挙結果を、辺野古移設が支持されたかのように曲解することは許されない。志村氏が「辺野古新基地建設反対」を打ち出したのに対し、佐喜真氏は移設先の是非にはふれず、「普天間飛行場の固定化は許さない」とのみ訴えた。出口調査の結果でも、辺野古への移設には約六割が反対と答え、そのうちの24%は佐喜真氏に投票している。むしろこの選挙結果は、佐喜真氏が公約した普天間飛行場の5年以内の運用停止を、市民が国に突き付けたということであり、佐喜真氏を支援した安倍政権には、これを実現する責任がある。

 一方で出口調査からは、辺野古新基地建設をめ ぐる政権と県知事との対決、という構図だけでは見えてこない「争点」が伺われる。例えば朝日新聞デジタル版(1/24深夜)は、次のように報じている。

 志村氏は高齢層に強く、60代の56%、70歳以上の59%から得票。佐喜真氏は20~40代でリードし、特に30代では67%から得票した。50代では五分五分だった。

 投票する際に最も重視したことは「普天間飛行場の移設問題」(48%)、「経歴や実績」(19%)、「経済や福祉政策」(19%)の順で、普天間問題が半数を占めた。普天間問題と答えた人の70%が志村氏に、30%が佐喜真氏に投票。佐喜真氏は経歴・ 実績と答えた人の90%、経済・福祉政策と答えた人の71%の票を集めた。

 70歳以上では60%が普天間問題を最も重視し、経済・福祉政策は13%にとどまった。20代は普天間問題(35%)と経済・福祉政策(30%)が拮抗(きっこう)し、30代も同様だった。若年層は普天間問題に こだわらない投票行動を示したようだ。本社が期日前投票の投票者を対象に別途実施した出口調査でも、似たような傾向を示している。【引用終わり】

 ここから見えてくるのは、「基地」か「福祉」かという争点化ではない。

 沖縄は、基地をめぐる対立をうんざりす るほど抱え込まされてきた。「政府は沖縄を分断し、苦渋の判断をさせ続けている」。琉球放送の元アナウンサー川平朝清(かびらちょうせ い)さん(88)の言葉だ(東京新聞1/25)。

 確かに市民の日常生活を脅かし続けている米軍基地は、市長選の最大の争点とならざるをえない。ここでの課題は、政権 と知事の代理戦争という様相を脱して、「分断」や「あきらめ」「苦渋の判断」を超える、「経済・福祉」も「基地」 も含めた地域の未来に関わる市民自治の論戦をどこまで展開できるのか、ではないか。

 例えば、仲村清司氏(作家・沖縄大学客員教授)はこう指摘している。(沖縄タイムスクロス1/22 http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=366)

「両候補者も基本政策や重点政策に『普天間飛行場の返還』を掲げていることから、本来なら、『返還』に向けた取り組みや手法について、白熱 した議論が展開されるはずだった。しかし、実際はそうはならず、争点は宙に浮いたままである。~中略~

 市民にとってわかりにくい選挙になった のではないか。わかりにくいといえば、政府と前知事が約束した5年以内の普天間基地の運用停止の実現に向けてどう取り組むのか、これも曖 昧模糊としている。
 政府からこの言質を引き出したのは大きい。辺野古の新基地工事は完成まで10年か ら15年かかるとみられるが、普天間の危険性を除去する方法は『移設』によらなくても早急に実現できると認め たからだ。
 したがって、今回の市長選では政府の約束を確実に履行させるための政治環境の整備 と跡地利用の構想について、両者は沸騰するような議論を戦わせ、その本気度を政府に提示すべきであった」

 「繰り返すようだが、この選挙を通して本 気で考えるべきは、米軍によって奪い取られた土地の跡地利用として、最もふさわしい将来構想は何かということである。ところが、両陣営と も跡地利用については聞こえのいい施設の建設や整備ばかりで、目新しいものはない。
 あらためて問うのだが、ディズニーを誘致したり、高層タワーを建設したりしたとこ ろで、宜野湾市の豊かな未来を引き寄せる選択肢が生まれるのだろうか」

 「土地にはそこを耕して生きてきた先人の 苦楽の歴史や伝統的な風景、物語や言葉、習俗・習慣、信仰の場があったはずである。それが軍事基地に取って代わられために、その土地本来 の『風土』が失われてしまった。あるいは『故郷』を喪失したといっていいかもしれない。
 ために、共同体の自意識や目的が希薄化し、自らの土地を自らが乱開発していくとい う現象が生まれ、いまや返還地のほとんどが生産の場ではなく、巨大商業資本だけが大手を振って歩く消費の場に取って代わられてしまってい る。
 『基地を返還してもどうせまたショッピングモールでしょ』とは、国交省の役人の言葉である。しか しこのことはいいかえれば、沖縄に将来を構想する土着の力や本気度が足りないことを示している。
 だからこそ、基地の跡地利用においては、『この土地はこう活用したいから、基地を 撤去してほしい』と、強く主張していかなければならないのだ。そのためには、自立的な共同体や経済圏の樹立に必要なリソース(資源や資 産)の構築と、それを支えるマンパワーの養成が求められる」

 オール沖縄は、政権への対抗だけで支えられるものではないはずだ。辺野古新基地建設反対が「島ぐるみ」といわれるの は、米軍政下での「銃剣とブルドーザー」といわれる苛烈な土地強制収用への「島ぐるみ」の抵抗の歴史からだ。当時、未だ戦火の傷跡が残り 「芋と裸足」といわれるような生活のなかで、多くの人々が目先の金が必要であるにも関わらず、土地の買い上げに応じず、軍用地料という形 で自分たちの所有権を残した。土地は単なる不動産ではなく、自治を育む共同体の基盤だったはずだ。

 辺野古新基地は海を埋め立てることによって、沖縄で唯一、県民の所有権が及ばない「国有地」に基地が建設されること になる。これは、「安全保障に関わることは国全体で決め る。一地域の選挙で決定するものではない」という中央集権政治を体現するものでもあ る。 

 これに「オール沖縄」で対抗するのみならず、移設阻止の先に地域の未来、沖縄の将来像をどう見いだしていくか。その ために「オール沖縄」に距離を感じている人々とも、どう対話し協力しあっていけるか。自治に基盤を置いた関係性が、より求められるのでは ないか。

 異なる利害や立場の人がともに地域の課題を話し合い、合意形成を積み重ねていく、これは地域自治の基本であり、民主 主義の原点でもある。基地は確かにきわめて重いテーマではあるが、地域における自治をその基盤から豊かなものにしていくことこそ、分断や あきらめ、苦渋の判断を超えて、未来を共有する道すじにつながるはずだ。

 かつて名護市では岸本市長が「苦渋の選択」で、15年の期限など条件付きで辺野古移設を容認した(99年)。しかし基地再編交 付金に頼らないまちづくりを進めてきた稲嶺市長(2期目)は、「もう〝苦渋の選択〟はしなくていい」と語っている(「日 本再生」432号)。

 立憲民主主義が、多くの人々にとって教科書の言葉から生活の実感になった。安保法制の議論や辺野古新基地建設のよう に、民主主義が多数決という独裁主義になれば、国民の民意も一地方の民意も、ないがしろにされると。こうした「多数決という独裁主義」に 対して、人々の声が響きあい、そのなかから多様な〝声なき声〟が〝私たちの声〟となっていく。そんな市民自治・地域自治の涵養につながる 立憲民主主義の、よりいっそうの深化を目指していこう。

 

●「民主主義ってなんだ」という路上からの問いを、民主主義のための不断の努力へ 

~参院選にむけて

 1月16日に行われた台湾の総統および立法院(国会)の選挙では、野党民進党が歴史的勝利を収めた。国民党政権下で 進められてきた中国との関係緊密化を、さらに進めるのか、慎重にするのかが最大の争点であった。一昨年、中国とのサービス貿易協定に反対 して立法院を占拠したひまわり学生運動に関わった若者たちも、民進党だけでなく新興政党やミニ政党に参加して立法院選挙をたたかった。ひ まわり運動は「協定撤回」はできなかったが、彼らの「民主主義とは何か」という問いが、さまざまな形で深められていることを伺わせる選挙 だったことが、いろいろな形で報じられている。

「印象的だったエピソードを最後にあげた い。それは投票所でのこと。一人の女性がスマートフォンを片手にじっと開票作業を見守っていた。話を聞くと、NGO『監票者連盟』のボランティアスタッフだという。台湾 全土で4000人以上がボランティアスタッフとして従事しており、開票作業に不正がないかチェックしているという。

 まだ20代前半だというその女性は、ひまわり学生運動で民主主義の重要性を強く意識したと話す。ただ彼女の行き先は 民進党でも新興政党でもなく、民主主義の枠組みを守るNGOだった。

 政治の成熟に伴い投票率が低下するのは当然だ。だがその先にあるのはたんなる無関心ではない。成熟した政治意識に基 づく新たな動きが根付いていることを感じた」(高口康太 ニューズウィーク日本版1/18 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/01 /post-4383.php)

 多数決の独裁に転じる民主主義の危うさを未然に封じるのは、民主主義のための多様な努力だ(繰り返しになるが、自治 はその重要なフィールド)。民主主義のための努力をしていない度合いに応じて、選挙独裁になり、反立憲的になり、民主主義のための努力が 足りない度合いに応じて、原理主義的になったり、シングルイシューになったりする。

「日本でも大半はこれまで、民主主義ということを政治権力を取る、議席を獲得するための道具として理解していたんで す。しかし今日の話にでてきたクルギはどうですか。自分たちは政治家になることには興味はない、みんなが政治や社会に参加しやすい環境を つくるのが自分たちの役割だと。政治権力に近づいたり、バッジをつけたりするための道具ではない民主主義ですね。政権が反・非立憲であっ たとしても、その政権批判のために民主主義を語るようなことは、卒業せなあかんということです」(戸田代表 今号14面)

 民主主義のための多様な努力。選挙はその重要なひとつだが全てではない。むしろ投票に限定されない参加民主主義の豊 かさが、選挙をより有意義なものにするのであって、逆ではない。選挙の争点や選択肢も、投票に限定されない参加民主主義のなかから焦点化 されていく。逆に、民主主義のための努力が欠如すれば、それらは選挙を有利にするための道具や、観客として消費するネタになってしまう。

 民主主義のための努力の欠如は、選挙そのものの正当性も疑わしいものにする。「多数決は51%を押さえれば勝てる制 度です。ところが過去3回の衆院選で政権を担った自民、民主両党は、半分以下の得票率で小選挙区の70%の議席を獲得した。いずれも多数 派の支持を得たとは言えない。それなのに多数決は疑われないまま使われてきた『文化的奇習』なのです」

「民意ではなく、選挙結果と言うべきです。政策課題が『財政』『外交』『環境』とあるとします。政策別ならB党支持が 多くても、選挙になるとA党が勝つことがある。オストロゴルスキーのパラドックスと言います。選挙は、各政策への多数意思を反映するもの ではないのです」(坂井豊貴・慶應大学教授 朝日1/9)。付け加えれば、政党が社会の変化に対応できなければ、政策においても「投票箱 に収まらない民意」が広範に存在することになり、選ぶ側と選ばれる側はますます乖離する。

 2014年の総選挙は、何が争点かも分からない「選びたくても選べない」選挙だった。そして参院選を控えた今も、 「アベノミクスを評価しない」(42%)「安倍政権の改憲に反対」(46%)という声が、投票先を失ったままだ。(日経新聞1/25 参 院選の投票先について2013年1月→今回の比較では、与党計45%→39%、野党計33%→20%、態度未定21%→41%)。

 「安倍政権は反立憲だ」というだけでは、立憲主義の問題設定の主導性は生まれない。安倍政権がいかに反立憲的かを立 証しても、民主主義のための努力の主体性は生まれない。民主主義は多数決ではなく多元的な意思決定、合意形成のプロセスだ。ならば、今は 投票箱に収まっていない社会のさまざまな問題や声を、政治の選択肢へと迫り上げていくこと、そのなかで憲法を自分たちの問題を考える指針 として共有していくこと(立憲主義とは、異なる利害や立場の人々がともに社会を形成していくためのルールでもある)、そうした民主主義の ための努力なしに、「新しい受け皿」はありえない。こうした努力が足りない度合いが、反立憲主義を培養し、非立憲の「心地よい=思考停 止」空間を広げることになる―このように問題設定しよう。

 「国政選挙では、大きな声で叫ばれる問題がどうしても選択肢の主役になりがちです。次は安保法制に賛成か反対かが焦 点だと言われる。私も大事な問題だと思う。でも、そうやっていったん選択肢がつくられると、その裏で声の出せない人たちの問題が切り捨て られてしまわないでしょうか。~中略~メディアで大きく取り上げられて、多くの人に『問題だ』と共有されないと『問題』にならない。でも 当事者たちは、自分から声を発するのが難しい立場にあることがほとんどです。政治とは、小さな声を置き去りにしないことが役割ではなかっ たでしょうか。まずそこから正さないと選択肢が偏ってしまい、選択する機能自体がマヒしてしまう気がします」(安田菜津記 朝日1/1)

 「民主主義ってなんだ」という路上からの問いを、民主主義のための多様な努力として持続し、立憲民主主義をさらに鍛 えよう。その土俵のひとつとして参院選をたたかおう。

(「日本再生」441号 一面より)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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《東京・戸田代表を囲む会》

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

参加費 同人会員1000円/購読会員 2000円

●第157回

「抑止力とはなにか」

2月19日(金)1845から2100

ゲストスピーカー 植村秀樹・流通経済大学教授 

《第27回関西政経セミナー》

「‘16参議院選挙を立憲民主主義の政治 攻防戦としてたたかうために」

パネリスト:前田武志・参議院議員、福山哲郎・参議院議員、尾立源幸・参議院議員、

      隠塚 功・京都市会議員

2月21日(日)午後5時開場 5時半開始

コープイン京都 2階201会議室

参加費:1,000円


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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