メルマガ♯がんばろう、日本!         №223(17.5.1)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

□〝忘れられた〟人びとの感情が渦巻く乱気流のなか、

「議論による統治」=民主主義のバージョンアップに向かって進んでいこう

 ●乱気流に突入するなかで、分断と対立を増幅するのか、

  民主主義のバージョンアップか

 

 ●民主主義の底力 日本ではいかに試されようとしているか

□「囲む会」のご案内 

  

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〝忘れられた〟人びとの感情が渦巻く乱気流のなか、

「議論による統治」=民主主義のバージョンアップに向かって進んでいこう

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【乱気流に突入するなかで、分断と対立を増幅するのか、民主主義のバージョンアップか】

 世界中から注目されたフランス大統領選。第1回投票の結果、無所属のマクロン氏と、極右「国民戦線」党首ルペン氏が、決選投票へ進出することになった。5月7日に行われる決選投票でルペン氏が当選する可能性は低いが、フランス社会の分断状況は、六月の国民議会選挙にも大きな影響を及ぼすだろう。

 右派の共和党と左派の社会党が、いずれも決戦投票に候補者を出すことができなかったのは、1958年に成立した第五共和政史上初めてだ。オランド政権で経済相を務めたものの、主要政党からの支援を一切受けず、一年前に立ち上げた自らの政治運動を率いて立候補したマクロン氏は「長年フランスを支配してきた二大政党制は拒絶された」と演説した。

 二大政党による政治構造は、「豊かな中間層」と「政権交代のある民主主義」という「戦後合意」を体現するものともいえるが、こうした時代が過去となる一方で新しい時代の方向性は未だ見えない、乱気流ともいえる状況に突入しつつあることが、いよいよ明らかになった。

 ルペン氏の国民戦線は、前回の大統領選では南仏の1県を制しただけだったが、今回は失業率の高い北部と南部の一帯を制した。ルペン氏の得票率が最も高かったのは、北部エーヌ県で約34%。次点のマクロン氏をダブルスコアで引き離した。同県を含む北部の工業地帯は炭鉱業などで栄えたが斜陽化した地域で、移民の割合は必ずしも高くないが、高失業率に直面する(トランプを支持したラストベルトを彷彿とさせる)。南部の地中海沿いの地域でも、高失業率上位10県のうち9県を押さえたという。

 1972年に創設された国民戦線は、共産主義や移民、EUなどの「敵」を設定して攻撃する政治手法で知られてきた。その支持層は高齢者やブルジョワ、カトリック強硬派が中心で、地域的にも工業化が進んで移民が多いフランスの東部や南部に集中していたが、近年は、かつて社会党や共産党を支持していた労働者層が国民戦線支持に回っている。少なくない労組や社会党、共産党の活動家が今や国民戦線で活動しており、かつて左派の牙城だった北東部の工業地帯や北部の旧炭鉱地帯が、国民戦線の票田へと変化した。国民戦線が市政を担うところでは、今回の大統領選でもルペン支持が高く、40%を超える市もあるという。

 

 有権者の多様な感情―不安や怒り―は、「誰かを支持する」投票としてではなく、「何かに抗議する」投票として、既成政党に懲罰を与えている。有権者をますます極端に走らせる社会的、経済的な問題に対処することができなければ、ポピュリスト政党は今後もその政策が検証されないまま、反対勢力として台頭し、成長し続けるかもしれない。

 今や既存の制度の外側に大きく広がっている切実な問題提起を、いかにして民主政治の土俵のうえにのせていくか、そのための新たな共有地、公共空間をつくりだすことができるか。既存の民主主義制度の外側にいる(と感じざるをえない)人々、「自ら行動を起こすことで政策に影響を及ぼせるという希望」を失い、あるいは「自分たちは忘れ去られた」と感じている人々を、「内側の一員」「当事者」として包摂、再統合することができる民主主義のバージョンアップこそが、国境を超えて問われている。

 「AfD(ドイツのための選択)は、数年前にできた新党で極右、反ユダヤ主義者、反ユーロのリベラル、反欧州、そして国粋主義者もいる。現時点では、投票する人の多くはこの党への支持ではなく、既存政党に移民政策などで政策的な変更を求めるシグナルとして投じています。~中略~この状況にドイツの主流政党、中道政党がどう対応するか。60年代の極右政党NPD(ドイツ国家民主党)が台頭した時のように、SPD(社会民主党)は左の、CDU(キリスト教民主同盟)は右の、疎外感を持つ有権者の支持を吸収できるかにかかっています。それによって過激な政党の支持は干上がる。中道が議会の7~8割を占め、安定化できます。この点が20~30年代のドイツ(ナチス台頭の時代/引用者)との非常に大きな違いです」(マグヌス・ブレヒトケン 朝日4/6)

 ドイツでは欧州議会で長年活動してきたシュルツ氏がSPD党首となり、社会保障による再分配の強化を打ち出して、支持を伸ばしている。二大政党が社会政策をめぐって競い合う構造を作り出すにしたがって、AfDの支持率は低下。9月の連邦議会選挙を占うとされる地方選挙でも、有権者はこれまでになく、CDUとSPDの二大政党間の政策論議に期待する結果となっている。

 民主主義を憎悪と対立を増幅するツールにしないための、立憲民主主義の土台や枠組みを担保する責務は、政党だけに帰せられるものではない。

 「こういう時代だからこそ、議会や法治主義といった安定的なシステムによって揺れを吸収していくことが重要です」「(ドイツの反イスラム運動)ペギーダは、『我々こそが人民の声だ』と叫びますが、そうではありません。彼らの票は抗議の票であって、有権者は極右、極左が志向する社会を望んでいるわけではない。AfDの政治家も時に人種差別的なコメントを投げかけ、社会の反応を試そうとします。そういう試みを成功させないようにするのが我々の責務です」(同前)

 民主主義は単なる多数決ではない。議会(議論による統治)や法治主義、人権など、立憲民主主義を支える規範や制度の全体によってこそ、民主主義は連帯とリスペクトのためのツールとして機能する。そうした規範や制度を最終的に担保するのは、「われわれ」なのだ。

【民主主義の底力 日本ではいかに試されようとしているか】

 グローバル化、EU、移民などをめぐって社会の対立が深まるヨーロッパや、社会が二極化して分裂するアメリカに比べ、日本での対立や分断はその様相を異にしている。また既存政党への忌避感も、ポピュリズムというよりは無党派層の増大や低投票率(大量の棄権)という形で現れている。ここにどう向き合うか。

「分断社会というのは、いろんな立場の人が両極に引っ張られていく状態ですから、例えば野球で言うと、レフトのファールグラウンドとライトのファールグラウンドに引っ張られて、センターがどんどん空いていく、そういうイメージです。

極端な意見でないと注目されない、真ん中の意見は『面白くない』、まずそもそも『面白いかどうか』で評価されるみたいな。ただ私は、日本という国というか国民性では、それでも今でもまだ真ん中に大勢の人がいるんじゃないかと思っています、意見としては。~ただ何よりもその人たちが、『それでは面白くない』と言われ、『お前、どっちなんだ』と言われ、どんどん自信を失っている。それが今の状況ではないかと思っています」(湯浅誠氏 10―14面「囲む会」)。

「そういうふうに両極化してくると、『どっちかに振れた方がみんな喜んでくれる』という誘惑に駆られます。それが分断社会の持つベクトルなんだと思うんです。そういう中で何ができるか。それが、タイトルにもつけていただいた『目線を合わせる』ということだと思っています。~中略~ちょっと迂遠かもしれませんが、今の分断状況を何とかしようと思うと、やはり右中間から左中間にいる人々に自信を持ってもらわないといけないし、自信をつけるために何ができるかを考えないといけない。

『面白くない』と言われてスルーされるような意見を、いかに面白く関心を持ってもらえるように言えるか。いかにそこを強化できるか。両極に振れたくなる誘惑に抗するためにも、目線を合わせる作業をどれだけ積み重ねられるか。それが大事だし、中長期的に政治的にも効いてくるはずだと思っています。

それがおそらく、『民主主義のバージョンアップ』ということにもつながるのではないか。私としてはそういう問題として理解しています。

 そう考えると、先ほど言ったような格差の固定化や貧困の連鎖の中で目線が合わなくなってしまっている人たち、その両方の人たちのいわば通訳が必要だろうと。『あなたからはこう見えるでしょう、だけどこの人たちからはこう見えるんです』とか、『それはあなたが見えていることと、実はそんなに変わらないんですよ』というようなことを伝えられるということです。~中略~『説得できるか』という以前に『耳を傾けてもらえるか』。そこが勝負だろうと」(同前)

 民主主義は単なる多数決ではない。意見の違いや利害の対立があるからこそ、そこに政治―議論と合意形成のプロセス―が必要になる。その基礎には、こうした「目線を合わせる」こと、「説得」以前に「耳を傾けてもらう」ための豊かな実践をどれだけ集積できているか、ということがある。その決定的な舞台は自治の現場だ。

 自治の現場では、「地域や社会をこうしたい」という思いが起点だ。それがなければ、議論をしようという意欲も湧いてこない。思いや感情のないところに、意思は生まれない。そしてその思いは、誰かの「強いリーダーシップ」によってではなく、ふつうの人々のフォロワーシップの転換・集積によってこそ実現される―市長や議員が代わっても変わらない地域の方向性は、市民によってこそ正当化される―からこそ、始まりは私的な思いからであっても、議論の過程で社会的に共有される質のもの、「みんなの意思」へと深化してゆく。「議論による統治」とは、こういうプロセスだろう。

 「絶対的なリーダーの即断による迅速な行動ではなく、結論を導き出すための長時間にわたる議論を許容する多数で多様な人々の『受動性』をより重要なもの」(三谷太一郎「日本の近代とは何であったか」岩波新書)とする「議論による統治」は、「熟議デモクラシー」にも通じる。

 同書によれば、「議論による統治」に対置されるのは「立憲的独裁」である。この概念を提唱した蝋山政道は、デモクラシーなき立憲主義である「立憲的独裁」を、ドイツにおける緊急令(ワイマール憲法48条)による統治、イギリスの挙国一致内閣、ニューディール政策を進めるアメリカなど、欧米先進国共通の現象として見る。5・15事件後、蝋山が唯一の道として提言したのは、天皇によって正当性を付与された行政権に直結する専門家組織による「立憲的独裁」であった。そこには明治憲法下の「立憲主義」に対する危機感はあったが、もはやそれは議会から離れた、「議論による統治」を否定した「立憲主義」にほかならない。

 三谷太一郎氏は、こう問う。「今後の日本の権力形態はかつて一九三〇年代に蝋山政道が提唱した『立憲的独裁』の傾向~を強めていくのではないかと考えています。これに対して『立憲デモクラシー』がいかに対抗するのかが問われているのです」(同前)。

 ドイツは、「議会や法治主義といった安定的なシステムによって揺れを吸収していく」ことで、ナチスの台頭を許した20~30年代とは違う地平を開こうとしている。われわれは、どうだろうか。

 自治の現場でようやく見えてきつつある「議論による統治」の実感を、どのようにしてガバメントに接続させていくかも、大きな課題になる。

 「合併で大きくなったガバメントのなかで、地域がいかに政治的有用感をもちうるか、ということです。自分の意見がいかに政治や行政に反映されているか、という感覚のことを政治的有用感と一般的に言い、たしかにその通りなんですが、農山村の場合にはむしろ自分たちの力や、コミュニティの共同力がいかにまちに役に立っているか、あるいは信頼されて活用されているか、そこが一番大事だと思うんです。

 冠婚葬祭で鍛えられたような自治力、いざ困ったときには自分たちで生き抜いていく力、そういったものが行政や政治のなかにきちんと認められる、尊敬をもって位置づけられる。そういうことが大事で、これは『お金をあげるから自分たちで好きなように地域づくりをしてください』というのとは、似て非なるものです。

 なぜコミュニティとガバメントの接続が大事かというと、いくら小さな自治と言っても、やはり市全体の方向性に関わるような、例えば災害復興とか、人口減少に対応していくまちづくりなど、大きな方向は自治体レベルの議論であり、そこに有用感がなければ人は社会に信頼や生きがいを見出せません。合併はそこをすごく薄めてしまいました。地域のなかで顔が見える、そのなかで小さな単位の合意形成ができる、それを自治体レベルの政策決定やまちづくりの大きな方向性などに、どう結び付けていくか。それがいかに大切か、私たちは震災復興の過程で改めて知ったはずです」(役重眞喜子氏 四四九号)

 社会の分断状況、民主主義の試練は、日本にとっても対岸の火事ではない。谷口将紀「二重の政治的疎外をいかに乗り越えるか」(中央公論5月号)は、「人びとと政治家の二重の政治的疎外、即ち第四次産業革命やグローバル化を受けて中間層に広がる動揺と、これに対して主体的・効果的に取り組みを欠く政治は、諸外国に限られた現象ではない。彼我の差は、難民問題や国民投票あるいはトランプという発火点の有無にすぎない」として、この「二重の政治的疎外」への処方箋として、「中核層」の育成を提起する。

 ここで言う「中核層」とは、戦後合意の下での社会的成熟を体現する社会層であり、従来のような所得階層としての「中間層」に代わって、「自らの生き方を主体的に選択した上で、社会の在り方を考えようとする人びと、さらには積極的に社会を支えようとする自負と責任を持つ人びと」を指す。「思い」を起点に、議論を通じて「みんなの意思」をつくりだしている人びと、目線を合わせようとしている人びとには、中核層として想定される人びとの顔が容易に思い浮かぶはずだ。

「議論による統治」の実感や民主主義のための社会関係資本の集積、目線を合わせるための豊富な実践的教訓、それらが民主主義の底力として試されるときは、遠からずやってくるだろう。

「オリンピック後にみんなの目がちょっと向き始めた時は、チャンスかもしれないが、より大きなピンチかもしれない。~その時に『極端には極端で対抗』みたいなことではない形で、向き合えることが大事なんじゃないか」(湯浅氏 同前)。

「議論による統治」を否定する「立憲的独裁」に対抗しうる民主主義の底力を、自治の現場に根をはって鍛えていこう。

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「凡庸の善」で考え続けるために

「囲む会」のご案内 

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■第176回 戸田代表を囲む会

都議選をどう戦うか~2020年後を見すえて

5月8日(月)1845より

ゲストスピーカー 中村ひろし、中山ひろゆき、今村るか、浅野克彦(現職都議)

         増子博樹、もり愛(予定候補) ほか

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

同人1000円  購読会員2000円

■第177回 戸田代表を囲む会

「『国家戦略特区』を検証する~〝暮らし〟と〝なりわい〟を地域の手で」

6月3日(土) 1330より

ゲストスピーカー 岡田知弘・京都大学教授

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

同人1000円  購読会員2000円

「第二の森友」といわれる加計学園(愛媛)問題は、国家戦略特区の産物でもある。

アベノミクスの下で進められている国家戦略特区が何を生み出しているのか。

その検証とともに、いわばその対極にめざすべき地域再生―地域経済の活性化

について、またそこでの自治体の役割について、お話しいただく。

*「囲む会」終了後、少人数での懇親を予定(会費2000円程度)

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第105回 シンポジウム

制度の外からの問題提起を、新しい〝共有地〟の糸口として受けとめる

民主主義の底力を鍛えよう

~民主主義のバージョンアップとフォロワーシップの転換~

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6月18日 1230から

TKP市ヶ谷カンファレンスセンター7階ホールA

参加費 2000円

講演とディスカッション

吉田徹・北海道大学教授

小川淳也・衆議院議員 ほか


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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