メルマガ♯がんばろう、日本!         №239(18.7.2)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

□ 「安倍政治」の検証を

   民主主義と公共性のバージョンアップの媒介とする議論の波を

●安倍政治の検証を民主主義のバージョンアップへ  

 ~ゆっくり、いそげ

●国会の合理化? 議論による統治? 

 平成デモクラシーの総括から、国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへの転換を

●ファシスト的公共性? 閉鎖性と同質性を求めない共同性? 

 公共性のバージョンアップへ

□「囲む会」「総会」のご案内

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「安倍政治」の検証を

民主主義と公共性のバージョンアップの媒介とする議論の波を

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●安倍政治の検証を民主主義のバージョンアップへ  

 ~ゆっくり、いそげ

 7月22日まで延長されることになった通常国会。働き方改革(働かせ放題)、カジノ法案、参院定数増などの「重要」法案を可決するためとのことだが、世論調査ではいずれも「ノー」が多数を占めている。〔「働き方」改革:今国会での成立が「必要」25%、「必要ない」60%(読売5/18-20) カジノ法案:「成立させるべき」17%、「必要ない」73% 参院定数増:「成立させるべき」27%、「必要ない」49%(朝日6/16-17)〕

 「働き方」改革は前提となるデータの杜撰さが、野党の追及で再三発覚し紛糾した。参院に審議が移ってからも、「働く側のニーズ」とされていたヒアリングが12人にしか行われていないなど、制度の必要性の前提(立法事実)が崩れているにもかかわらず、成立が強行されようとしている。

 カジノ法案も、審議に約50時間を費やした介護保険法(1997)以来となる200条を超える新規立法だが、与党は18時間で衆院での審議を打ち切っている。国会の定数は与野党が協議を重ねて合意すべき事項であるはずだが、参院定数増は与党が数の力で党利党略を押し通すものだと言わざるをえない。参院選挙制度協議会の座長を務めた自民党の元参院幹事長・脇雅史氏は「恥の上塗り」と批判している(東京6/18)。

 

 国民が「必要ない」と思っている(「必要だ」と納得できるだけの議論を封じたまま)法案を、「丁寧な審議」とはほど遠いやり方で成立させることで、秋の総裁選での3選への道すじをつけたいという「首相主演の〝やってる感〟満載の安倍劇場」(自民長老) (泉宏 東洋経済オンライン6/22)。国政の私物化とは、まさにこのことだろう。

 「森友・加計」問題でも、公文書を改ざんしたと公式に認めているにもかかわらず、誰も何の刑事責任も問われず、ウソをついて新学部を開設し多額の補助金を得たと堂々と認めているにもかかわらず、誰も何の刑事責任も問われない。今通常国会で明らかにされたのは、日本社会のタガが完全に外れきった姿だ。

 問題はここからだ。「不起訴処分はおかしい」、「誰も罪に問われないのは不当だ」というのはまったく「正論」だが、そこにとどまったままでは議論―民主主義のバージョンアップのための議論―を、ミスリードしかねない。

 森友問題で関与を問われ「自分や妻が関与していたら総理大臣も議員も辞する」と答弁した安倍総理は、決裁後文書の改ざんが明らかになった後に「金銭の授受があれば」と責任の範囲を限定した。贈収賄という罪に該当しなければ責任はない、ということだ。民主主義の根幹に関わるという当事者責任は、完全にスルーされている。

 あるいはセクハラ問題で責任を問われた麻生大臣は、「セクハラ罪という罪はない」と開き直った。セクハラ罪という罪があろうとなかろうと、ことは人権、個人の尊厳にかかわる当事者責任の問題ではないのか。民主主義や人権といった普遍的価値は憲法に謳われている。その憲法に罰則が書かれていないからといって、それを守ろうとしないということでいいのか。私たちの社会がどこで底を打つのかが問われている。

 年金記録の紛失(2007)や薬害エイズ問題資料の放置(1997)などのように、わが国の公文書管理はずさんであるばかりか、終戦時に陸軍が都合の悪い資料を燃やした「伝統」を引き継いでいる。ようやく公文書管理法ができたのは2011年。制定にあたった福田元総理は、こう述べている。

 「実は法制化を進める段階ではあえて罰則をつくらないことにしたんです。あまり厳しくやりすぎると、最初からそうした文書を作らなくなってしまうことを心配した。まずは教育をしっかりすること、それが一番です」(朝日 6/9)。

 足元が底なしの状態で罰則を作っても、「記録は民主主義の原点」(同前)という公文書管理法の主旨を、どれだけ機能させられるのかという問題だ。セクハラ罪がなくても、曲りなりにも財務事務次官および財務省の責任が問われたのは、伊藤詩織さんの勇気ある訴えに始まる#MeToo運動が、日本社会の「底」を築き始めたからではないか。

 福田元総理はこうも述べている。

 「『記録を残す』とはどういうことか。新しい法律ができたとします。それはどんな社会情勢の中で、どんな議論を経てできあがったのか。国民がその時々の政治や行政を評価するためには、後々まで残る正確な記録が必要になる。それが選挙では投票行動につながり、政治家が選ばれ、政策が決まっていく。正しい情報なくして正しい民主主義は行われない。記録というのは民主主義の原点で、日々刻々と生産され続けるのです」(同前)。

 お任せ民主主義や多数決主義から民主主義をバージョンアップさせるためには、このような民主主義の原点としての記録の使いこなし方に、われわれ自身が習熟する必要があるだろう。食品に成分表示やトレーサビリティーを求めるなら、一年ごとに変わる政府の政策にもきちんとした検証を求めるべきだろう。あるいは五年たっても目標実現のメドすら立たないアベノミクスの看板政策―異次元の金融緩和について、厳しい検証を求めるべきではないか。

 「底」を築くという点では、自治の領域も重要だ。北川正恭三重県知事は就任冒頭に、「県議会議員と公務に関わる接触があった場合は公文書(情報公開対象)を必ず残す」と文書管理規則を改革した(1995)。その効果は県政の透明化とともに(議員への「忖度」から)県職員を守ることにもなり、さらには県議会の改革にもつながった。すなわち「口利き」に代表される旧来型の議員の「仕事の方法」を結果的に封じ、世代交代を促すことを伴って議会基本条例(2006)に象徴される政策型の議会へとつながったという(廣瀬克哉・法政大学教授 6/24@越谷)。

 今や食品表示のトレーサビリティーが日常のくらしで当たり前であるように、公文書や検証可能な公的な記録も民主主義に不可欠なインフラとして使いこなそう。働き方改革(働かせ放題)がここまで紛糾したのも、厚労省の資料を過労死遺族や専門家が事実とエビデンスに基づいて検証し続けてきたからこそだろう。どんな社会情勢の中、どんな議論を経てできた法律なのかが後々も検証される―その歴史の検証に耐えうるような「今」を、足元から一歩ずつ積み重ねていこう。

 

●国会の合理化? 議論による統治? 

 平成デモクラシーの総括から、国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへの転換を

「安倍一強」下での国会の惨状を見れば、国会改革が急務であることには多くの同意がえられるだろう。問題はそこに、民主主義のバージョンアップにむけた論点や展望はあるのか、ということだ。

 「安倍一強」は、90年代の一連の統治機構改革の産物でもある。〝安倍政治の終わりの始まり〟とは、この90年代の統治機構改革(平成デモクラシー)の教訓と総括の上に立って、「権力を構成する」=国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへと転換することにほかならない。

 「与野党の権力を巡る競争から、有権者の選択を経て、選ばれた首相に一定期間、権力を集中させる。政権選択と首相主導の組み合わせ。これが『平成デモクラシー』のガバナンスの両輪だ」(「平成デモクラシー史」清水真人 ちくま新書)

 「政権選択と首相主導という『平成デモクラシー』の両輪のバランスを揺るがすのが『安倍一強』だ。衆院任期を半分以上残した一四年の『小刻み解散』。憲法に基づく臨時国会の召集要求を逆手にとった一七年の『冒頭解散』。どちらも自公連立政権の継続以外の政権の選択肢は示されなかった。野党陣営に『政権の受け皿』を提示する責任があるのは当然だが、そもそも、衆院選を有権者による政権選択の機会にさせない思惑が先に立った解散権の行使が続く。

 首相主導の統治への権力集中はあくまで『期間限定』であり、合理的な時間軸で政権選択という権力競争が機能することが大前提だ。首相主導が強まった結果、政権選択を実質的に封じ込める狙いで解散権を行使するなら『平成デモクラシー』への過剰適応とも言える」(同前)。

 平成デモクラシーの教訓と総括に立つなら、まず「首相主導」の仕組みを政権延命のために私物化している安倍政治の検証から始めるべきだろう。小泉進次郎議員を中心とする自民党若手議員による国会改革案は、国会論戦の場を政策論議(委員会)、疑惑追及(特別委員会)、国家ビジョン(党首討論)という3レーンに分けることを提案している。しかし、今国会で明らかになった文書改ざん、隠蔽、データ偽装、官僚・大臣による虚偽答弁の数々は「疑惑」「スキャンダル」という次元の問題なのか。民主主義の根幹を揺るがす問題ではないのか。この認識が共有されない国会改革案は、言論の府である国会の合理化=政策決定の効率化にすぎないだろう。

 「モリ・カケ」でまともに国会審議ができない責任は、与党の国会運営にある。自民党筆頭副幹事長がまず取り組むべき国会改革は、政府・与党の責任を明らかにすることだろう。

 90年代の統治機構改革の議論では、政権交代可能な二大政党化、国対政治などのインフォーマルな決定過程の制度化といった統治システムの転換も、「主権者が権力を構成する」「国民主権で統治機構を作りこんでいく」という視点から論じられたとは、残念ながらいえない。「首相主導」の仕組みを政権延命のために私物化するという安倍政治は、その帰結であるともいえる。

 首相主導と政権交代を両輪とする統治システムを維持するのであれば、「主権者が権力を構成する」「国民主権で統治機構を作りこんでいく」という視点から、平成デモクラシーの教訓のうえに国会改革を考えることになる。それは国会の合理化ではなく、議論による統治をどう促進するか、ということだ。例えばこうだ。

「『国会に期待される役割』を三つあげてみました。立法機能、政府統制機能、多様な民意の反映機能です。もちろん他にもあるのですが、これらはいずれも現在のところ、大きく欠けていると言わざるを得ません。

まず立法ですが、現在は法案が提出され、議員が質問して、『○○時間たったから採決する』ということをやっているわけですが、これは立法手続きとして非常に不十分です。例えば逐条審議を行い、順番に体系的に問題点を明らかにしていくとか、あるいは委員会報告の担当議員を決めて、その議員が専門家のヒアリングをしたり官僚に事情を聞いてこの法案について報告書を出し、それで議論をするということは、日本では一切やりません。

予算も同様で、予算委員会というのは予算審議をしない、別なことをいろいろやっているというようなこともあるわけです。

二つ目の政府統制機能の中で目玉となっているのは、国政調査権です。国政調査権というのは、スキャンダルを追及するための権限ではありません。現在の証人喚問は政治的パフォーマンスとして行われますが、不祥事の調査であれば本来、その事実関係を調査した上で問題点を指摘し、必要に応じて制度改革の提案を行うなどの報告書を作成し、公表する必要がある。誰か呼びつけて吊るし上げてお終い、というようなものでは決してないわけです。

三つ目の多様な民意の反映機能ですが、これは先ほどのホワイトハウスの請願と同じで、国会の中でも多様な民意を反映する必要があるだろうと思います。これは二院制関係でいろいろな可能性があるかなと思います」(曽我部真裕・京都大学教授 469号)

 平成デモクラシーの教訓のうえで「国民主権で統治機構を作りこんでいく」ための国会改革は、政策決定の効率化や国会の合理化といった「速度による政治」や集権化に対するある種のブレーキとしての、議論による統治を促進するものであるべきだろう。

●ファシスト的公共性? 閉鎖性と同質性を求めない共同性? 

 公共性のバージョンアップへ

 安倍政治の検証を民主主義のバージョンアップへの糸口とともに、公共性のバージョンアップへとつないでいくことができるだろうか。

 佐藤・京都大学教授は、「ファシスト的公共性」という問題提起をしている。

 「公共圏とは世論ないし輿論を生み出す社会空間であると考えるなら、ハーバーマス的な市民的公共圏の理想的な枠内にとどまっているのは、私に言わせれば知的怠慢としか思えない。そこであえて、ファシスト的公共性という言葉を使って現実の世論と向き合うべきなのです。

そもそも、日本で市民的公共性と訳されているものは、ブルジョア的公共性です。これは財産と教養を入場条件とした、つまり格差を前提にした公共性なのです。格差のある公共性を市民的公共性、格差のない公共性をファシスト的公共性と定義したとして、どちらを選びますか。多くの人がファシスト的公共性の方を選ぶのではないか。その危険性を忘れてはいけません」(4―6面)。

格差社会と言われて久しい。社会調査データに基づいて①資本家(経営者、役員)、②新中間階級(被雇用者管理職、専門職、上級事務職)、③労働者、④旧中間階級(自営業)のほかに、アンダークラス(非正規労働者)をひとつの階級とみなす必要があるとの研究もある(「新・日本の階級社会」橋本健二 講談社現代新書)。現制度の内側で安泰を求める人々と、制度の外側に置き去りにされた人々へと社会を分断するのか。あるいは他者を排除しない、閉鎖性と同質性を求めない共同性へとバージョンアップできるか。

「いまあるのは、いわば『追い込まれた』私生活志向である。日々の勤めをはたし、暮らしをまもっていくだけで精一杯で、働き方や暮らしを左右する政策について熟慮したり、自らの判断を行動に移していく余力はなかなか得られない。それでも、重要な政策については人任せにしないという政治的関心が、近年、たとえばエネルギー政策や安全保障政策、あるいはまた待機児童問題などをめぐって表明されてきた。

~中略~社会統合の再建が、再び異質とされるものを排除する内向きのものに傾いていくのか。中間層が現に経験している生活条件の悪化が、ポピュリズムの政治の繰り返しを招き、不安定化を加速させていくのか。

それとも、格差の拡大に歯止めをかけ~中略~『われわれ』のまとまりを排他的につくりだすのではなく、異なった文化や価値観が多元的に共存できるような統合のあり方を築いていくのか」(「不平等を考える」齊藤純一 ちくま新書)。

 諸富徹・京都大学教授は、「新・日本の階級社会」の書評(朝日2/25)でこう述べている。

 「気になるのは、アンダークラスで平等化への要求が、排外主義と強く結びつくようになっていることだ。日本でも、イギリスのEU離脱やトランプ米大統領誕生の要因となったポピュリズムと同様の芽が現れ始めているのだろうか。

 著者は、社会分断を乗り越えていく希望はあると強調する。格差縮小を志向し、排外主義・軍国主義化に批判的な、リベラルな価値観を持った人々が階級を超えて広範に存在することも浮かび上がってきたからだ」。

 平成という時代の特徴は、多様性だろう。「一億総中流」も「一枚岩」も幻想だ。そればかりではない。外国人労働者はすでに128万人、留学生も含めて彼らなしにはもはや成り立たない社会になっている。公立学校に通う外国人の子どもは8万人にのぼる。日本国籍を持つ日本人の「見た目」も多様だ。暮らしや仕事、学校などの地域において、こうした多様性を前提にした共同性、課題を共有したところにうまれる公共性をどう創りだしていけるか。

(7/14総会および第九回大会にむけた議論として。)

(「日本再生」470号 一面より)

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総会

7月14日(土) 1000から1800

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学教授

         「人口減少時代の都市と自治」

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□第35回 戸田代表を囲む会in京都
8月23日(木) 1830から
会場 コープイン京都

会費 1000円(学生500円)

「保守化?する若者たち」

ゲストスピーカー 山田昌弘・中央大学教授

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映画「ゲッペルスと私」

https://www.sunny-film.com/a-german-life

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ナチスの宣伝相・ゲッペルスの秘書として働いていた女性(103歳)の独白。

当時のことを振り返って「何も知らなかった。私に罪はない。自分のことを考えていただけ。

職場での義務をはたしていただけ」という。

エンターテイメントの要素は一切なし。

彼女の独白の合間に当時の映像が挟まれ、見るものは「これから登場するかもしれないファシズムと

自分はどう向き合うのか」を考えさせられる。

2016年アメリカ大統領選をテレビで見た彼女は、「トランプの演説、叫び方や言葉選びが

あの(ナチスの)時代を思わせ、とても不快だった」と感想を述べたという。

今号(470号)掲載の佐藤卓己・京都大学教授インタビュー「ファシスト的公共」にも関連。

岩波ホール(東京・神保町)で8/3まで

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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