今年の4月24日は市会議員選挙が実施されます。今日選挙でマニフェストを掲げることは標準装備となり、32名の市議会の改選のためのマニフェストが大きな判断基準となっていきます。
しかし何を約束するかだけではなく、問題はその実行や評価、また説明責任をどうするのかが課題であり、現職の議員は特にそのことが問われています。勿論1昨年当選した高橋市長さんも市長選挙でのマニフェストも同じです。
越谷市長選挙では達成期限を明示した選挙公約は初めてのことであり画期的でした。当選後1昨年の12月議会で「期限は明示したが、その見積もりや行程表は時間がなく作成できていない」との答弁の不十分さを差っぴいても評価できるものでした。
しかし1年たっても公約が精査されていない問題となれば全く次元をことにします。マニフェストは、選挙を通して市長と市民との約束(契約)であり全ての施策の根幹をなすもので、この公約を起点とすることは当然のことです。
だから市長が選挙前新人でさらに時間が不足した事情は十分理解できるものの権力のトップに立って1年余、20数項目の公約の見積もりも財源も行程表も発表できないのは理解し難いことです。
しかも昨年9月議会では集約できていると前言を撤回してまで答弁したにも拘らず、実際は本年2月までに集約するというものです。
さらに集約は「マニフュスト」でなく「所信表明演説等」についてやるとのこと。すでに第4次総合振興計画や前期基本計画が決定しているなかで、基軸となる市長マニフェスト実現への基礎作業さえ出来ていなくて、どうして10年ものまちづくりの最上位に位置する長期計画の策定が出来たのでしょうか。議会基本条例を最初に制定した栗山町では首長任期を基本に8年間の長期計画策定と見直しを条例で制定しており、市長マニフェストをまちづくりの基軸としています。
それは選挙での公約こそが長期振興計画であるとして民意の反映を議会の使命としているからです。
市長と議会の対立を超える“熟議”
勿論河村市長の例に見られるようにマニフェストは絶対的な政策ではなく、議会や市民との“熟議”を通してその正当性をもつものであり、その過程では修正や断念も十分あり得ることです。
しかし栗山町議会の問題意識は勿論、河村市長のこだわりさえも到達しないのが高橋マニフェストと言わざるを得ません。
さらにマニフェトは市民との約束と言うレベルから市民とのコミニィケーションのツールとして使いこなすことが求められています。
今日の高橋市政の最大の問題点は、この間民主党政権でも大きな課題となっている「官僚主導」から「政治主導」へという政治のリーダーシップが発揮されていないことです。
このリーダーシップの源泉となるものがマニフェストなのですが、市長自身がマニフェトを全ての政策体系の起点としていないため、市政全体の中で曖昧な位置に追いやってしまっています。第3次総合振興計画の延長線上にマニフェストのいくつかを散らした結果となり、選択と集中により政策の優先順位の決定など全く視野にはいらないことになっています。
 また市長の補助機関たる幹部職員の把握や指揮体制は旧態依然であり、官僚の振り付けで踊らされてきた前板川市長の「失われた12年」のツケが一挙に噴出しているようです。
 さらに深刻なのは市長も幹部職員も全くこの事態に疑問をもっていないと思われることです。

市民参加は行政と議会そして直接に

 これらの事態の解決はそう簡単ではないでしょうが、政策の決定機関である議会の機能化とその基盤である主権者の民意による点検、検証以外の手法は見当たりません。急がば回れ、困難であっても王道を歩むしかありません。
市民参加を通して常に民意の反映とその動向を冷静に判断し議会での熟議による決定に責任をもつことであり、その最大の舞台となるのが市会議員選挙です。