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相馬市の避難所に、本を届ける

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一部で復興・生活再建への動きが始まりつつあるものの、まだまだ緊急救援フェーズが続く大震災。先週の日曜日(27日)に、同人の村田信之さんが、教え子(早稲田大学)に呼びかけて集めた本を、相馬市の避難所に届けてきました。

以下は、そのレポートです。(村田さんのメルマガより転載)

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━━━ メグマガ ALIVE! ━━━━━━━

村田信之のメルマガ
「メグマガ ALIVE!」

2011/3/29(Tue) No.006

http://muratanobuyuki.jp/

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3月24日(木)
早稲田大学らしいことで支援活動してみよう、
と大隈塾の学生に呼びかけて、文庫本100冊を運ぶ「本をおくるよ 100冊プロジェクト」が始まる。

https://sites.google.com/site/honokuru2011/home/dai-ni-bin

福島民報で記者をしている大隈塾ゼミOBのKに、文庫本ニーズがある避難所を探してもらう。

3月25日(金)
Kから連絡が来た。
相馬市総合福祉センター「はまなす館」が候補に。
避難している磯部小学校のS先生と連絡を取る。

ニーズは、「時代小説」と「学習ドリル」の低学年用、とノート類。
子ども向けの絵本や遊び道具は、小学校や幼稚園から運び込んできた。
だが、大人が気を紛らわすための読み物がない。
普段は、テレビで時代劇を見ていた人たちが、時代劇を見られないでいる。

おそるべし、髷(まげ)物

学生たちは、自分が感動した本、生きる力がわきそうな本、国内外の名作、古典、そんな本を選んだ。私がそう指示したからだ。

「自分が要らなくなった本は、被災者の人たちも要らない。
自分が手放したくない文庫本を、新品で買って贈ろう」

私の目線は、なに不自由ない日常生活からの目線、思考だった。
上からの目線だった。
感動じゃない、まずは娯楽が必要だった。
節電しているからって、偉そうにしていた自分がくだらなく感じた。

3月27日(日)
●出発
9:30 元祖「がんばろう 日本」のIさんと自宅を出て、クルマで福島県相馬市へ。
都内で満タンにして、10リットルの予備のガソリンを積んで。

首都高から東北道へ。
ガソリンメーターの目盛りがひとつ減ったので、とりあえず上高地SAで給油。20分並んで、10リットル。
これしか入れちゃダメなんじゃなくて、10リットルしか実際に入らなかった。
店員に聞けば、5~10リットルの給油がほとんどらしい。
「北に行けば行くほどきびしくなりますから、予防給油ですよ」と。
みんな不安なんだ。

福島県にはいると、とたんに雪が降り、道がガタガタになった。
アスファルトで不格好に補修してある。側道が割れている。
お昼ご飯も、水が出ないためにサービス停止のSAもあって食べられない。

●到着 福祉センター「はまなす館」
15:10 到着。
救援物資は避難所の外まで積まれていた。
だけど、それを仕分けるボランティアの人数が足りていない。

避難所には、およそ500名の被災者が。
そのうち、磯部小学校全生徒118名、市内避難61(うち、避難所16) 県内(22)県外(24)不明(2)

「はまなす館」の入り口ホールに、2時から4時まで、長テーブルを並べて小学1年生から中学生までが勉強。2時なると中学生がテーブルを出し、4時になると片付ける。
入り口ホールは朝食昼食夕食の場所でもあり、その隙間の時間をつかって、子どもたちに勉強をさせている。
勉強が「現実」から逃れられる唯一の手段・時間かもしれない、と。

先生方も生徒たちも、曜日の感覚がなくなっている。
規則正しい生活リズムを保つため、2週間休みなく働いている。
校長先生は、ずっと避難所の「小学校」スペースに詰めている。
ほぼ24時間、床で仮眠を取りながら、マスコミの対応もこなす。

取材疲れもある。
各社、同じことを質問してくる。答えたくない、思い出したくないことを。
津波が来たとき、バキバキバキと人工物も自然物もへし折り押し流す音がしたこと。
高台にあった小学校だが、すぐそこまで水が上がってきたこと。
真っ暗で寒くて怖くて、体育館で一夜を過ごしたこと。

同じ新聞社で同じ支局に勤めている別々の記者が、別々の日に取材に来て同じ質問をしてくる。
「先日の記者さんにも同じお答えをしたんですけど……」というと、
「もう一度お聞きしますが……」と一応恐縮するが、おかまいなし。

先生たちは、学校で通知表をつけている。
3月31日、6年生の「お別れの会」がある。
卒業式とは呼ばないそうだ。
「全員が出席できるわけではないですから」

●相馬の海側の町
S先生に、海に近い場所を案内してもらった。
テレビで見ていた風景が、そこにはあった。
あったはずの建物がすべてなくなっている、あの……。

舗装された道路が、途中から土の道路に変わる。
もともとこんな道だったんですか、と聞くと、
いいえ、と。
アスファルトを、津波がはがしていった。
地表にアスファルトをかぶせた筋が、舗装道路なんだと初めて認識する。

田んぼだったところが、湖になっている。
水が引いていない、というレベルではない。
保水力がある田んぼが地盤沈下し、海水を豊かに抱え込んで海水湖になっている。

S先生も、ここまでは降りてきたことがなかったらしい。
「ここには道があって、あそこにも道路があって、ああ……」
「こんなに……」
絶句していた。
湖にぼっかり浮かぶように工場があった。
「ああ……、あの工場の人たちは、まだあそこにいるんだろうか……」

●避難所の「町会」
避難所には学校の先生よりも、市役所の職員よりも、町会長たちが仕切り役になる。
町会長たちは、みんなの顔を知っている、名前が一致する。
消防団も商店街の店主たちも。
もちろん、学校の先生は町会長たちと顔なじみだから、いろんなことをお願いしやすい。

地域の活動が生きた。
避難所にいつものコミュニティが移動しただけだった。

東京では、どうなるだろう。

●任務完了
17:00 帰路につく
23:32 帰宅。任務完了。

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運転手として村田さんに同行した、事務局・石井が撮影してきた写真を、ホームページ

「サンチョパンサの日記」に掲載します。

「湖」となってしまった、まち。そこに当たり前の暮らしがあったこと、それが一瞬にして奪われてしまった人々が大勢いることを思うと、言葉もありません。

復興、生活再建は、これから長い道のりです。一時的な支援だけではなく、長期にわたって寄り添い、ともに新しい日本を創っていくようなかかわりが求められてくるのではないでしょうか。電力の問題ひとつとっても、東北の復興は、日本全体のあり方、私たちの生活のあり方をも、変えるものにならざるをえないでしょう。

ちなみに、村田さんは蓮舫参院議員の夫。統一地方選後半の目黒区議選への立候補を予定しています。

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

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