「がんばろう、日本!」国民協議会

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受益者市民から嫌われる決断を恐れず、

未来の視点からの多数派形成を加速化しよう

□ご案内

◆7月の「囲む会」

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受益者市民から嫌われる決断を恐れず、

未来の視点からの多数派形成を加速化しよう

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●民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖に、未来圏からの風が入り始めた●

 消費増税法案が衆議院で可決された。増税法案としてははじめて、与野党の圧倒的多数による可決だ。ここまでのプロセスや手順は決してベストでもベターでもないが、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖のコアの一角に、ようやく亀裂が入り始めた意味は小さくない。

 お任せ民主主義では、税は「取られる」あるいは「よこせ、よこせ」だが、本来民主主義とは、社会に必要な費用はどれだけか、それをどのように負担しあうのかを、(誰かに決めてもらうのではなく)自分たちで決めるということではないのか。税には権力の発動という側面もあるからこそ、説明責任と合意形成のプロセスが問われる。増税の議論の際にこそ、民主主義の真価が試される。

 GDPの二倍にも及ぶ公的債務の山は、財源の議論を先送りし続けてきた民主主義の負債構造が、可視化されたものにほかならない。例えば〇四年の年金改革(「百年安心」!)の際に、〇九年から基礎年金の国庫負担を三分の一から二分の一に引き上げることが決定されたが、その財源(二・六兆円)については先送りされた。実施時期になっても決まらず、当時の麻生政権は埋蔵金で対応。政権交代した民主党政権も埋蔵金で対応したが、ついに今年度はそれも尽き、「将来の増税」を担保にした国債(交付国債)発行という奇策で凌ごうという状態だ。

かつての土木事業なら「橋や道路は将来にわたる資産だから、将来世代も負担を」と強弁できたかもしれないが、今や現在世代が使い切るために借金し、それを将来世代に丸ごと肩代わりさせている状態だ。この負債構造をいつまで続けるのか。現行の社会保障制度を維持するためだけでも、すでに将来世代にこれだけのつけ回しをしているときに、「社会保障の将来像を示してから財源(増税)を議論すべき」というのは、先送りのための屁理屈にしかならない。

今回の消費増税の議論に流れているのは、民主主義の負債を次世代につけ回し続けるのか、それを断つための一歩を踏み出すのか、ということである。「増税の前にやるべきことがある」とか「増税は必要だが、今はやるべきではない」という理屈はいくらでも言えるが、次世代への負債のつけ回しを断つことが伴わなければ、先送りの正当化にしかならない。

「二十歳になるまで、子どもや孫は自分達の未来を選ぶための選挙権がありません。あなた方大人には子どもや孫のため、未来を今の自分の利益のためだけに作ってはならない、責任があります」(チーム白川・マラソン演説会での二十代の訴え)という声に、どう答えるのか。こうした未来圏からの問いに向き合わざるをえない、ということからの多数派形成が、永田町でもようやく可能になったということだ。

ねじれ国会だから「決められない」のではない。郵政選挙で圧勝し衆参で多数を取った小泉政権でさえ、社会保障費増加を抑える簡便策はとったものの、財政の長期見通し―増税の方向性は決められなかった。

右肩上がりの時代なら、政治も利益の再分配をしていればよかったが、今は負担の分かち合い、その合意形成こそが政治の役割だ。選挙に不利な決定を先送りする議員・政治家、「増税不要」「増税反対」を叫んで次々に登場する政権外のアウトサイダーに、期待と失望を繰り返す有権者。民主主義の負債を次世代につけ回す、こうした無責任連鎖をいかに飲み込んでいくのか。これは「彼ら」の問題ではなく、「私たち」の問題だ。

「永田町にはウンザリだ、だから主権者ががんばらなければ」とか、「お任せではダメなんだ」という自覚一般にとどまったままでは、(アウトサイダーへの)期待と失望の繰り返しから脱却することはできない。「(間違っていない)誰かについていけばいい(自分はフォロワーなんだから)」では、フォロワーとしての責任と役割からも大きく遅れをとる。それがはっきり分かるのは、(「引き受ける」が具体的に問われる)自治の現場だ。

一方で、アウトサイダーへの期待と失望の繰り返しが行き着く先も、永田町から地方政治に移りつつある。しかし受益と負担が可視化できる自治の現場では、制度論の「打ち上げ花火」や「犯人探し」だけでは続かない。国政では地に落ちた感のあるマニフェストも、ローカルでは着実に(バッジをつけた主権者とバッジをつけない主権者の協働として)集積されている。

未来圏からの風を受けて、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を呑み込む、より多様な組織戦を自治の現場から!

●自治分権の多数派形成と、新しい「私たち」の創造●

 負担の分かち合い、その合意形成に必要な民主主義に不可欠なものは何か。ひとつは未来の視点だ。そこから社会的な責任性の度合いが測られる。受益者市民(部分最適・現状最適)、負担者市民(全体最適・将来最適)、経営者市民(持続可能性)という区分(「日本再生」398号10-11面参照)は、賛成、反対、中間派といった区分とはまったく次元の違うものだ。

負担を分かち合う民主主義にもうひとつ不可欠なのは、結果における満足感よりも、プロセスにおける納得感をどこまでつくりだせるかだ。右肩上がりなら賛否も利益分配で調整できたが、負担以外に分配するものがなくなった今は、賛否を決めるだけではどこまでいっても平行線になり、妥協の結果にはどちらからも不満が残ることになる。プロセスをオープンにし、多数が参加することで、ある人は「納得」し、ある人は「信頼」し、ある人は「反省」し、ある人は「仕方ない」となる。そういうプロセスをどこまで展開できるか、ということだろう。

つまり多数派形成、そのための「説得」という意味が、大きく変わることになる。未来の視点、次世代にツケを回さないという視点、そこから不断に「責任と役割」を問い、適正な負担を求め続ける、そのなかから新しい「私たち」を創りだしていく持続性こそが「説得」のカギになる。

 これは「受益者市民には~」、「負担者市民には~」「経営者市民になってもらうには~」というような傾向と対策ではないし、まずは受益者市民にケジメをつけて負担者市民へ、という段階論でもない。受益者市民をゼロにすることはできないが、そこにも最低限の納得感をつくりだす、そういう多数派形成のプロセスを展開するためには何が必要か、ということだ。

 例えば自治体首長にとって、タウンミーティングは「標準装備」となりつつあるが、「何かありますか」と聞くだけなら、市民からあれこれの要望しか出てこないのは当然だ。これでは、「あれも、これも」という受益者市民しか登場しない。しかし「○○について、現状はこうなっており、それについてA案、B案はこうなっています。市としてはA案でいこうと思いますが、どうですか」と問えば、単なる賛否だけではなく、「こういうやり方もあるのでは」とか「むしろ、○○をやめて△△にすべき」という意見が出てくるようになる。「あれか、これか」という負担者市民が登場してくるにつれて、受益者市民のなかにも「将来のことも考えよう」という分岐が始まる。

さらに「必要なサービスですが、借金して、将来世代にツケを回してまでやりますか」と問えば、経営者市民が登場してくる。持続可能な地域経営という視点から公共の領域をどう担うか、そのビジネスモデルが提示されるようになると、多様なパートナー市民が登場するようになる。受益者市民の中からも「腑に落ちた」とか、「納得はできないが、そこまでやるなら仕方ない」という部分もでてくるだろう。それは、未来の視点から新しい「私たち」(共同性)を紡ぎだすプロセスだ。こうして最後に残るのは、依存と分配の本丸になる。

こういう多数派形成ができるなら、選挙で不利になるからといって「適正な負担」を求める政策を先送りする必要はなくなる。むしろ「適正な負担」を積極的に争点にすることで、負担者市民や経営者市民がさらに登場してくるような選挙戦が展開できる。これは、着実に改革を進めている首長の選挙が、それゆえに低投票率になるという新しい「お任せ」構造を断つことにもつながるだろう。

 否定してもポピュリズムがなくならないように、受益者市民もゼロにはならない。政治に必要なことは、不満を吸い上げるだけではなく「昇華」すること、受益者市民を代表するだけではなく、負担を「納得」できるプロセスを作り出すことだ。そのためには未来の視点から、新しい「私たち」という共同性を創りだすことが求められている。その現場こそ、自治分権の領域にほかならない。

「~ポピュリズムを『怖い』と感じるのは、人々の欲望や欲求を固定的なものだと考えるからです。でも本当はそうではない。人々の欲望や欲求は社会的に作り上げられるものであり、それを密なコミュニケーションと想像力を共有する力によって導いていくのが、政治の本来の役割です。~中略~『私たち』という共同意識を作り上げるのは、政治にしかできない役割です。~中略~そうした政治空間では、人の負の情念や恐怖心というのは、徐々に和らいでいくものです。この濃密な空間をイデオロギーではなく人為的に作り上げるためには、世論調査に依存するよりもずっと手間がかかります」(吉田徹・北海道大学准教授 日経ビジネスオンライン5/15)

 「市民社会は民主的政府に代わる選択肢ではない。むしろ民主的な態度が養われ、民主的な行動が用意される自由な空間である。それは民間市場の同義語ではなく、営利的な自分本位と市場の無作法を防ぐものである。~市民の復活は、ゆえに民主主義の復活を意味する」(「<私たち>の場所 消費社会から市民社会をとりもどす」バーバー著・山口晃訳 慶応大学出版会)

 消費増税をめぐって永田町にもようやく、未来の視点からの分岐が走り始めた。同時に依存と分配―期待と失望の構造も、「地方」に逃げ込むようになってくる。自治分権の多数派形成から、民主主義の負債構造を飲み込む組織戦のダイナミズムを加速化しよう。

受益者市民から嫌われる決断を恐れず、次世代へのツケ回しを断つ一歩は永田町からも始まった。さらに未来の視点からの多数派形成を加速化する、これが次の総選挙への土俵づくりである。ようやく踏み出した新しい一歩を逆戻りさせることなく、「どうなっており、どうなりうるか」をさらに共有し、未来に向かって帆を上げよう。

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7月の「囲む会」のご案内

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◆第115回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)

「“夢”ではなく“未来”を語るマニフェスト、その実行プロセス~八尾市の市政運営」

7月19日(火)18時45分より

ゲストスピーカー 田中誠太・八尾市長

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

会費 同人 1000円  購読会員 2000円

田中・八尾市長:396号「関西政経セミナー」、397号インタビュー 参照

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

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