平成24年8月11日
106回タウンミーティング報告(7月21日)

第101回タウンミーティングのディベートで、3.11被災地の「がれき」を越谷で受け入れるのかどうかを議論した。原発事故を自分の問題として捉えられているかを基準として考え、ごみを燃やす前に、ごみを減らす・再利用する・リサイクルするように生活習慣を変えることが出来るかどうかという自らの責任を伴う意見が出された。今回は越谷のごみ処理問題を通じて、共同体としての未来への負担と責任を参加者が共有するために、どのようにしていくべきかを考えたい。
★ 越谷のごみ問題
―越谷のごみ処理の現状と、3.11以降に起きた最終処分場問題―
● 越谷のごみ処理の現状:チーム白川
・ 越谷市で出された燃えるごみは、5市1町(越谷市、草加市、八潮市、三郷市、吉川市、松伏町)により設立された『東埼玉資源環境組合』(以降「組合」と称する)で焼却処理され、処理物の一部(スラグ)は再生利用、そして、缶、ビン等は『越谷市リサイクルプラザ』に搬入され、大半が再生利用され残りが最終処分されている。問題は大半の焼却灰・飛灰が県外で最終処分されており、5市1町の枠組みを超えている。
・ ごみの排出量は、「総量」、「一人当りの排出量」ともに減少傾向にあるが、現時点で越谷市の家庭形ごみは1人1日当たり645gとまだまだ高い値である。
・ ごみ処理の「経費総額」(約33億円)、「1人当たり経費」(約1万円)共に横這い状態である。
・ 越谷市の「ゴミ処理の基本理念」として、『参加と協働による循環型社会*を目指して』と書かれているが、ここでの『循環型社会』は、今回私たちがディベートで取り組む、“焼却処理物を域内で最終処分する”という意味ではなく、“現状の焼却・最終処分方式で、資源化可能なものを適正に循環処理し、ごみ処理による環境への負荷が低減されるような社会”という定義であり、最終処分後の責任や現地の思いが含まれていない。
・ 現状で年間6億円をかけて飛灰を県外で最終処分しているが、最終処分が必要な他の処理物(焼却灰、可燃残渣、不燃残渣)を含めて自区内で最終処分を行った場合の費用は、運転維持管理費を除いて年間約2億円となったので、参考にしてもらいたい。

● 3.11以降に起きた最終処分場問題:白川議員
・ 「組合」の飛灰:40t/日を秋田県大館市で最終処分していたが、他市からの飛灰に放射能値が高いものがあり、搬入が停止されたため、飛灰が焼却場にストックされたままの状態であった問題は、県外の数ヶ所の引き取り先が見つかり対応ができるようになった。ストックの2,400tは2~3年かけて順次減らしていく。
・ 「組合」の主灰を最終処分している長野県小諸市の民間会社(フジコーポレーション)を行政調査した。これまでの廃棄処分処理と異なり、コンクリートブロック状に成形した再生処分製品をきちんと積み上げていき、その上に建物が建設できる基礎材として使われているものである。放射能を含んだ焼却灰等にその10倍の溶媒を注入して放射能を溶出させ、製品の放射能を基準値以下で処理することが出来る方法である。
・ 会社の会長の話では、このような事業は地域や住民の信頼が無ければ出来ない仕事であり、健康被害等の安全性を検証するためには30年というスパンで確認することが必要である。市民益・社会貢献なき企業はダメと言われ、その観点で事業が行われている。
・組合議会の一般質問で、の管理者である高橋市長は、以下の回答を行った。
*「がれき」の受け入れについて、従来は飛灰の問題に目途がつかないので受け入れられないとの見解だったが、現在は条件が整えば受け入れるとの回答に変わった。
*5市1町での「域内最終処分」については、①住民の説得と工程が必要であり、②費用面で障害があるため、現状では難しいとの見解だった。
★ ディベート ごみ処理は、A班:『現状のやり方(焼却・域外最終処分)を続けるか』、B班:『自己完結型(域内最終処分)に変えるか』
● A班の主張
・ 最終処分する場所を見つけ、合意形成することが難しい。
・ 越谷での処分地としては農地が考えられるが、ブランド化しようとする農業商品に悪影響を及ぼすことが懸念される。
・ 既存のシステムは5市1町より広い広域という枠で、住民との合意形成が出来ているので、現状のやり方の方が持続可能性の観点で好ましい。
● B班の主張
・ 自己完結型を考える前提として、越谷市を単位とするのではなく、5市1町をベースとする。
・ 自己完結型のシステムに転換する時期は、3.11以降自分達が出したゴミは自分達で処理するという機運が高まった今が最適である。
・ 現状のやり方の処理費用6億円/年を財源とすれば、新たな処分場を作った方が財政的にペイする。
・ 「水と緑を守る」という市の方針を徹底するためには、自己完結型に転換する必要がある。
● 討議事項とディベートの集約
・ 既存のシステムに対し「組合」は長年の間に改善策を取ってきている。原発問題で明らかになったように都市部は核のゴミを過疎地に押し付けていることは事実であるが、産業がなく高齢化が進んだ地域で医療や介護の費用を捻出するためには原発の補助金に頼るしかなかったことも事実である。ならばごみ問題も相互のWin-Win関係が作れれば、自己完結型に変える必要はないのではないか。
・ 地産地消が求められるのは、市民に見える所で事業を行い、市民が事業に対する責任を取るためである。しかし、現状では原発もごみ問題も責任を取ることが抜けていることが問題である。例えば、国会に参考人として招致された双葉町長が、市民の安全を守る立場の町長としてその責任が果たせなかったことを慚愧の念を込めて語られたが、原発を4基も誘致したことの責任については何も言及がなく、“スピーディー”を通じて的確な情報を流さなかったこと等、国の不始末という責任を盾にして、為政者としての責任(補助金が欲しいためリスクがある原発誘致の選択をしたこと)を回避している。また、原発のリスクを地方に押し付けて、電力利用の受益だけを享受してきた都市部の市民は、このような地方の事情には無関心で、原発事故に対する都市部市民の責任を感じている者は少ない。市民が責任を取れる範囲のシステムに変えて、自ら運営に参加して当事者としての責任が取れるようにしなければ、市民の中に責任感は生まれない。
・ 議論では越谷市や5市1町の都合に偏りがちになるが、循環型の社会の先には他市、他県との関係性も忘れてはならないので、ごみの最終処分を通して、負担や責任についてもう一度考え直し、原発問題と同じような構図を繰り返さないようにしなくてはならない。
★ 全体のまとめ
・ これまで私達は日本の20世紀的な価値観、即ち経済が大きくなり物質的に豊かになることが幸せであると考え、それは実現した。自民党はそのような幸せを実現した政党であったので国民が支持して長期間政権を担ってきたが、21世紀になり、ブータンが示しているような幸せ観、即ち非物質的な創造力・マネージメント力という人が人であるための価値観に世界が転換してきている。価値観が転換する時に、社会のシステムを価値観に合わせて改変していくことが政治である。政治は0か100かではないので、選択肢を出して、それを賢人が選ぶのではなく主権者が自覚して選ぶことが民主主義政治の根幹にある。今の日本の政治はこの形成過程である。一方で、社会の中で政治が扱う部分はわずかであり、圧倒的な部分はその社会に生きている人間が、自らの生活を通じて役割を自覚して選択することであり、そのことが無くて価値観の転換を図ることはできない。

以上