駅頭は小さなドラマの連続だ!
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(当選から14年間毎日続ける駅頭は、2600回を超えた。私のツィッターのつぶやきから、転載したものを含め、駅前での様々な市民との出会いのエピソード集)

  じゃまだ じゃまだ じゃまだ !?  

 今日の朝駅頭は、北越谷東口で、午前6時から開始。
 週明けとあって次々と通勤客が駅に向かって来る。いつもの様に市政レポートの配布を続けたが、午前6時40分頃、30代のポロシャツ姿の男性が真っ直ぐ足速に歩いて来て、私に向かって「じゃまだ じゃまだ じゅまだ」と迫って来た。
 当然だが後ろに下がってスペースを空けた。
しかし、この男性は、歩道の端(店側)を歩いていて、ほんの少し(30センチほど)方向を変えれば十分歩行は可能だ。
 しかも、14年間も朝駅頭を毎日やっていると、市政レポートを受け取る市民は固定化されており、通勤客の手元に無差別に市政レポートを差し出しているわけではない。
また、出来うる限り進行を妨害しないように立つ位置や状況を判断して実施している。
 むしろ、馴染みの市民の多くは、自ら手を出して頂く市民が圧倒的であり、歩行の障害には全くなっていない。
 何故ほんの少し方向を変えて改札口に向かえないのだろうか。
 こちらがよけるまで、ぶつかる様に歩行していく姿に、僅かでも回りや相手のことを考えることすら出来ない程、気持ちに余裕がないのだろう。このような攻撃的な姿勢に、むしろこの男性の弱さを感じてしまう。
              (9月5日)
自転車置き場のルールが守れない

 昨日の夜の駅立ちは、大袋駅東口で午後7時から午前0時まで実施した。
依然として蒸し暑い中での活動だったが、午後9時頃馴染みの30代のサラリーマンが、こんな夜遅くまでやっているんですか、と笑顔であいさつを交わした。
しかし10分位して戻って来て、ペットボトルの差し入れに。キンキンに冷えたお茶の効果と共に、こんな心配りに支えられている事を実感する。(コンビニは80m以上も先にある)
この駅には、有料の自転車置き場が設置されているが、規定の自転車止めの外の通路に10台前後の自転車が駐輪されていた。中には「こどもの見守りステッカー」を貼付したママチャリもあり、持ち主は一体子どもたちに、どの様に説明するのだろうか。
もしかすると、台数には限りがあり、たまたま満車状態のため、道路に駐輪するより自転車置き場内に放置した方がいいと、判断したのかもしれないが。
ただ、そんな理由でも違法駐輪すれば、キチンと駐輪している市民はどう思うのか。
事実通路に駐輪している自転車が妨害して、自転車止めから出そうとする市民がスムーズに移動出来ない事態を何回も目撃した。
そんな中、20代の男性が、放置された自転車を一台一台移動させ、空いた規定の置き場に次々と駐輪させていた(エライ!)。なるほど、空いた規定の場所に移動させればいいのかと、感心してみていた。そこで、私も同じ様に行動したため、通路には一台の自転車もなくなった。
午後8時40分頃私が移動させて規定の位置に駐輪した自転車を、駅から降りて来た20代前後の女性が少しけげんな顔つきで探していた。
6時間100円の有料のお金が惜しかったのか、規定の場所がなかったのかは、不明だが。
市政レポートの配布には何の反応はなかったが、(この女性の自由だが)税金を使って整備した施設を使用・受益している市民の側に、ほんの少しの公共心が欠けている。
誰でも便利に使用出来ることの実現には、自分以外の人も便利に使える状態を市民自身が心がける意識がなければ維持できない。
今日も5時間の市政レポート配布が、12時過ぎの最終の上り電車の通過で終了した。
           (9月6日)(裏へ)
会話の作法を学んでからにして下さい

一昨日の夜の駅頭は、せんげん台駅東口で午後7時から午前0時まで5時間を実施。
夜になっても気温が下がらず、蒸し暑い。
午後11過ぎ団塊の男性から、階段を降りて来るなり、いきなり私を指差し、何を言っているのか分からない、と例の様に捨て台詞。
「大変遅くまでお仕事ご苦労様です。市政レポートを配布しています。気を付けてお帰り下さい」と、呼びかけ市政レポートを配布。
このどこが何を言っているのか、わからない、となるのだろう。そもそも、何の挨拶もなく、人を指さし無表情でクレームを言う姿勢そのものに対話をする意思が全く感じられない。
私は即座に、そうですか、と笑顔で応じている。しかし、それ以上の会話はなくそそくさと去っていった。
この人もまた、政治家への不信と自分には到底出来ない、コツコツとした地道な活動への怨嗟なのか。(まず、よく知らない他人に話し掛ける作法や礼儀を、学んでから話したら、との言葉を飲み込んだ)      (9月7日)

今日は救急の日(9月9日)

今朝の駅頭は、越谷駅西口で実施。
台風一過の秋晴れだが、気温は高い。午前7時前、いつもの様に大型犬と散歩中の30代前半の男性と挨拶。
その後1時間程して戻って来られて1000円をカンパ箱に。
この駅での駅頭では必ず同額を頂いている。心に沁みる。大切に使わせて頂きます、と心で手をあわせる。
市内の6駅何処でもそうだが、必ず差し入れやカンパを頂く市民がおられる。
そして、何百人もの市民から挨拶や声が掛かる。
更に、市政レポートも受け取らず、挨拶もしない市民の中にも、人知れず応援して頂いている市民がいることを、私は承知している。
常に一人一人の市民にまず向きあうことが原点であり、例えクレームの捨て台詞の市民からも学ぶべきことは多い。
今日は救急の日のため、越谷市職員がポケットティッシュを通勤客に駅前で配布していた。
午前8時過ぎに越谷市の担当部長が職員と話した後、近づいて来て、このティッシュを差し出し、救急の日を教えて頂いた。
本日午前10時から本会議で一般質問の3日目を迎える。         (9月9日)

   いきなり バーカとは、何ですか?

昨夜の夜の駅頭は、大袋駅西口で、午後7時から午前0時までの5時間を実施。
時折激しく雨が降りつけたり、すぐに止んだりの天気。
午後11時過ぎに階段から、多くに乗降客とともに降りて来た30代前半のサラリーマンが、自分の時計を見て、私に向かって、いきなり怒鳴った。
「何時だと思っているんだ。バーカ」と。
ちょっと、バカとは何ですか、バカとは、とこちらが対応すると、逃げるようにそそくさと足早に去っていった。
このため、更に追いかけたが振り向かない。
最近この手の市民に駅頭でよく出会う。
共通しているのは、私と正面から話そうとしない。
常に捨て台詞だ。文句があるなら、私はキチンと聞くつもりなのだが、一度もない。
日本社会が営々と築いてきた寛容の精神や自分とは違う他者への包摂が急速に崩壊しようとしていることに危機感がある。
それほど、先行きの不安と目先の刺激以外に気持ちを満たせることがない、市民が大量に生み出されている現実に向き合いしかない。
(9月9日)


駅頭は小さなドラマの連続だ!
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(当選から14年間毎日続ける駅頭は、2600回を超えた。私のツィッターのつぶやきから、転載したものを含め、駅前での様々な市民との出会いのエピソード集)

早朝からサリマーマン同士のいさかいが

一昨日の朝駅頭は、せんげん台駅東口で、いつもの様に午前5時30分から開始した。
前夜からの曇り空のため、今にも雨が降ってきそうだったが、案の定午前6時過ぎには雨が降り始め街宣用の看板や机が濡れたため、直ぐに撤去。
幟だけはタクシー乗り場の屋根付き施設の中に設置した。
通勤客も傘をさして来る人、傘を持ってくる人など様々だ。
するとエスカレーターを利用していた40代前半の男性が、大きな声で「あやまれ」と傍にいた20代の男性に言い寄った。
しかし、その20代の男性は何も言わずエスカレーターの右端を急いで登っていった。
すると再度「あやまれ」との声。
朝から嫌な空気が、周辺を覆ってしまった。
何があったのかは想像の域だ。恐らく傘が原因で雨滴が飛び散ったのか、傘があたったのか。近年特にサラリーマン同士の小さないさかいをよく見かける。
双方に一寸した気持ちの余裕があれば何も起こらない位の出来事だろうに。
こんな風に精神が分断されている。
(8月30日)
朝の通勤時間帯は、あまり大きな声ではない
今日の朝駅頭は、越谷駅東口で午前6時から開始。すると元市会議員が夫婦で山登りの服装で6時30分過ぎに話し掛けられた。
「元気がないんじゃーないのー、うーん元気がないよ」と。
私の体調は良好だし、全くいつもと変わらない。そのため挨拶を交わす市民の誰一人からもそんな言葉は出ていない。
恐らく、この元議員は市役所前で朝街宣を時々実施していたが、マイクを使っての演説スタイルだったため、それに比べて”元気がない”と感じたのだろう。
しかし私のスタイルは、朝6時から大きなマイクを使うのは、逆効果で、静かにしかも自然体で通勤客と接することに、14年間徹して来た。
注意をして頂いたのだろうが、そもそもこの元議員とは在任中から全く姿勢も思考も性格も相容れない関係が最後まで続き、ことごとく意見が対立した。
それでも関心を持って頂いたのだから一つの意見として受け止め、通常通り市政レポートの配布を続けた。
すると、午前7時過ぎにタクシー乗り場に集まっていた高校生の一人から尋ねられた。
越谷市の総合グランド場のバス停は何処ですか、と。
世田谷区にある松原高校の野球部の部員達で、草加市の高校と練習試合に向かうとの事。
へー、都内の野球部が越谷市で試合をするのかー、がんばれ来年の甲子園に向けて、と励ました。
更に午前8時頃、馴染みの40台後半のサラリーマンが。
一旦挨拶をして通り過ぎて戻って来て、ペットボトルの差し入れに。この間毎回越谷駅東口の駅頭では、同じ様にして頂いている。
本当に心に沁みる。更に馴染みの同じ様に礼儀正しい40代後半のサラリーマンから、5000円のカンパを。
半年に一回必ず同額のカンパを頂いて、10年になるだろうか。いつも沁みいっている。
(8月31日)

駅付のタクシー運転手と客のやり取り

今朝の朝駅頭の越谷駅前での、タクシー乗り場での出来事。午前7時30分過ぎ最寄りの派出所の警官が走って来て、客待ちの運転手に話し掛けた。            (裏へ)
隣の大きなもう一つのロータリーにタクシーを回して欲しい、利用客がいるので、と。
10分後遠くで様子を見ていると20代の若い女性と10代の男性が、回って来てドアを開けたタクシーに、乗り込もうとしていた。
しかし、何か警官と3人話をしていたが結局乗らずに、電車の改札に歩いて来た。
気分が悪くなったのか、行き先が変更になったのかは、知る由もないが警官が付き添うからにはそれなりの事情があったはずだ。
ただ件の運転手は車を回しても客がつかないことに。
駅待ちのタクシーにはキチンとしたルールがあり順番で先頭のタクシーだけが乗り場に一台で待機が出来る。
つまり件の運転手は戻って来て最後列に並ぶ事になり時間のロスで、稼ぎに影響が出る事になる。
小さな稼ぎの積み重ねで、生計を立てるタクシー運転手。
元タクシー運転手の私は複雑な心境に。
午前8時30分前、30代前半の酩酊状態の二人の男性が、タクシー運転手に話し掛けたが、直ぐに乗車を断られた。
すると、次のタクシー運転手に、更に断られてその次と、何と4台ものタクシーにふらふらしながら交渉しているが、断り続けられる。
そこで、私から最初の運転手さんに事情を聞いてみた。すると、その男性二人は3000円を限度に、ある所を指定。
しかし、その場所はとても3000円では乗車賃には不足する、とのこと。
だから、次々とタクシー運転手をつかまえて交渉したが、全て断られていたと分かった。
結局、諦めたのか一人の男性だけがタクシーで姿を消した。白タクではない実証例。
             (8月31日)

久しぶりですね。元気ですか?

今朝の駅頭は大袋駅西口で、午前6時前から開始。1時間程の間に中年の2人の女性から、久しぶりですね。元気ですか?と声を掛けられた。
この駅での駅頭は確かに1か月ぶりだろうか。
毎日市内6駅の東西口を順次に駅頭を続けているため、通常は1駅、月最低2回のペースで実施して来た。
だが、先月は私が代表の会派自治みらいの市政報告の駅頭に続き、行政調査や、配布するチラシの内容で駅が重複したり、台風や雨のため中断もあった。
すでに14年間も駅頭を実施していると、市民にとって1か月の空白は、久しぶりという感覚なのだろう。日常の見慣れた風景になっているのかも。
また、市政レポートを受け取った高齢の女性から勉強します、と丁寧な挨拶が。
こんな早朝から仕事か用事なのかは、分からないが高齢者の方からよく声を掛けて頂く。
(9月1日)

午後11時まで活動するのは、気にいらない

昨日の夜の駅頭は、せんげん台西口で午後7時から午前0時まで実施した。
いつもの様に、電車の到着と共に、市民が階段を下りて来る中、自ら手を差し出しご苦労様と挨拶する市民が目立つ。
だが、午後11時過ぎに眉間にしわを寄せ、顔を横に振りながら、私の横を通過して行った30代前後の女性が。   
丁度午後11時きっかりの時間で、「時計は午後11時になりました。気を付けてお帰り下さい」と通勤客に呼びかけて市政レポートを配布していた。
すると、「午後11時なんだから、おかしいよ」と、件の女性から捨て台詞が。
勿論、私と顔を合わせるわけでない。
何がおかしいのか?こんなに夜遅くまで活動することなのか、選挙中でないからか。
市政の報告に時間の制限はない。ただ市民の迷惑や不快感がないように、常に配慮している。
時折団塊の男性から、同じ様な捨て台詞を吐かれるが、こんな若い女性は初めてだった。
恐らく行き場のないささくれた気持ちや政治家への不信感なのだろう。仕事や生活に追い詰められているのだろうか。
(9月3日)


メルマガ♯がんばろう、日本!         №216(16.9.29)

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Index 

□ 暮らしのなか、自治の現場から、多様な政治的有用感を生み出し、

 「未来への責任」を分かち合う民主主義を育てていこう

  ~「時間かせぎ」の政治に向き合う主権者運動の役割とは

 ●あなたの民主主義はどんな民主主義ですか 

  反・非立憲空間を広げる「時間かせぎ」の政治に対抗するカウンターデモクラシー

 ●「未来への責任」を分かち合う生活者を主権者へ 

立憲民主主義の共有地・公共空間を暮らしのなかから

□「囲む会」のご案内 

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 暮らしのなか、自治の現場から、多様な政治的有用感を生み出し、

 「未来への責任」を分かち合う民主主義を育てていこう

  ~「時間かせぎ」の政治に向き合う主権者運動の役割とは

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【あなたの民主主義はどんな民主主義ですか 

 反・非立憲空間を広げる「時間かせぎ」の政治に対抗するカウンターデモクラシー】

 それは異様な光景だった。

 9月26日の衆院本会議。安倍総理は所信表明演説で、「現場では夜を徹し、今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている」、「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけ、これに呼応して自民党議員がいっせいに立ち上がって拍手、安倍総理も壇上で拍手をした。

 民主党政権が誕生した際も、鳩山総理の演説で民主党議員が起立、拍手したとの指摘もあるが、安倍総理は、自衛隊など国家機関への「感謝」を要求して起立を促した。鳩山総理の場合は演説終了後、政治改革への賛同を訴えたことに賛同する意味で民主党議員が起立した。前者は北朝鮮型、後者はアメリカ型。この違いが分からないと、立憲主義も民主主義も分かっていないことになる。

 さらにいえば、海上保安庁、警察、自衛隊が対峙しているのは、中国の挑発行為だけではない。辺野古や高江では沖縄の民意に対峙して、「銃剣とブルドーザー」といわれた時代と変わらないような自治権圧殺の最前線に立っている(日本国政府の命令の下)。

 立憲主義とは国家の権力行使を法で制約し、規律化することである。究極の国家権力というべき自衛隊をはじめとする国家機関は、こうした規律・制約をもっとも厳しく課されるべき存在であることは、立憲民主主義においては当然のことだ。このような国家権力の規律化、制約こそ、立法府である議会が担うべき機能と役割にほかならない。

 9月26日の衆院本会議の異様な光景は、立法府・議会がこうした役割を放棄した姿といえる。そこでは国会の「外」の民意は「ないもの」とされ、投票箱に収まった民意(投票率55%)でさえ、その一部(沖縄の民意)は切り捨てられている。「この道しかない」といって選挙で勝てば何でもできる―選挙だけの民主主義、多数決主義だけの民主主義、立法府が行政権力に追従する姿。これは民主主義といえるのか。

 「時間かせぎ」の政治(448号一面参照)は、こうした反・非立憲主義の空間を拡大させる。これに対抗する立憲民主主義の空間を、どのように創出し拡大していくか。

 そこで必要なのは、「公共性とは、閉鎖性と同一性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である」(448号「囲む会」参照)という視点だろう。「この道しかない」に対抗しうるのは、「この道はダメだ」という決め打ち、思考停止ではなく、〝凡庸の善〟で考え続けることであり、多様性の共存のなかで鍛えられる民主主義の胆力だ。

 「国家・国民が、個別的現象に対する情動的反応から徒に『力』や『支配』を求めて狂奔することなく、広い長期的な視野に立って地道に課題に取り組んでいく必要がある。その際求められるのは、多様な人間の共生を可能とする基礎的条件である『寛容』と『知恵の交換』である。われわれは、立憲主義を侮蔑し、『力』への信仰に走った国々(日本もそのひとつ/引用者)によってあの第二次世界大戦という未曾有の悲劇が引き起こされたことを決して忘れてはならない」(佐藤幸治「立憲主義について」放送大学叢書)。

 「中国の脅威」「抑止力」「アベノミクスの成果が出ないのは、アベノミクスが足りないから」等は、思考停止のマジックワードだ。「原発を動かさないと電気が足りない」というのも同じこと。こうした近視眼的な執着や、個別的現象に対する情動的反応から離れてみれば、まったく別の「新しい現実」や多元的な視点が見える。例えばこうだ。

 「普天間・辺野古問題には、二一世紀の日本にとって、『抑止力』の虚実や政治による外交の統制、中国を筆頭とするアジアとの向き合い方、中央と地方との関係、そして何よりも民主主義とはいかなるものであるべきかといった重要問題が凝縮されている。~中略~後世、『なぜあのような愚策を』と指弾されることが避けがたい辺野古での『現行案』に対するあまりに近視眼的な執着から離れ、『辺野古新基地なき普天間問題の解決』を実現できるか否か。それは日本が二一世紀中葉に向けて、前途を切り開くに足りるだけの『政治』を持つことができるか否か、その『試金石』なのである」(「普天間・辺野古 歪められた二〇年」宮城大蔵・渡辺豪 集英社新書)

あなたの民主主義は、どんな民主主義ですか。選挙さえすれば民主主義? 民主主義の決め方は多数決だけ? 「憲法改正は最後は国民投票で決めるんだから、国会での議論が煮詰まっていなくても三分の二で発議すればいいんだ」という民主主義?

「これまでは、民主主義というのは選挙に行くかどうかだけだったんです。四十年間、デモや社会運動、カウンターデモクラシーがほとんどありませんでしたから。そうなると『選挙に行って、俺らの気持ちを反映する政党があるのか』、こう返って来ますね。『永田町の政党なんか、私欲でやっているんだ』とか、『政権交代したってダメだったじゃないか』とか。こういうところから民主主義は投票だけではない、民主主義観にはいろいろある、そういうふうにフォロワーシップのほうが変わりつつあるわけです」(戸田代表 7-11面「囲む会in京都」)

【「未来への責任」を分かち合う生活者を主権者へ 

 立憲民主主義の共有地・公共空間を暮らしのなかから】

野党とは議会制民主主義と普通選挙権に並ぶ、民主主義の三大発明の一つ(吉田徹「『野党』論」ちくま新書)と言われる。「野党には期待しない」ということは、民主主義が機能しなくてもいい、選択肢を持たなくてもいい、ということを意味する(前出「囲む会in京都」)。野党あるいは反対党、あるいはカウンターデモクラシー、こうしたものなしに民主主義は機能しない。これは既存の野党を支持する、しないとは別の次元の話だ。このような民主主義の空間、場をつくり、共有地として手入れしていくことが主権者運動の役割だろう。

 そのために、どのようなコミュニケーションをしていけばいいのか。例えばこのように。

 「『野党に期待しない』というのは禁句だというと、『じゃ、どう聞けばいいのか』となりますね。そういう時は、『野党、反対党の機能と役割をどう理解していますか』と聞くわけです。

 反対党は与党、政権党に対して異議申し立てをすることが第一です。それが目先のチェックだけの異議申し立てか、それとも『三十年後の産業構造を考えたら、原発じゃなくて再エネでしょう』と、未来をどう変えるかというところからチェックする場合では、違ってきますね。だから『チェックしている』というなら、『目先のチェックだけじゃないですか、次の、未来の展望はどうなんですか』ということと、『争点を明確にできていますか』と。

 『補正予算でわれわれは子ども手当を二億増やす、安倍はそうでない』というだけの争点なら、子どもでもわかります。『私の争点の明確化は、必ず背景に立憲主義ということがある。その観点から、たとえば象徴天皇制はこう、緊急事態条項はこう、子ども手当はこう』と。そういう展開ができるかどうか。

三点目に、選挙の投票率が五割ということは、簡単にいえば『民意の残余』が五割程度残っているわけです。いわば投票箱の外の、既存の制度の恩恵を受けていない人たちの民意を、どのように吸い上げて政策化するのか、そこはどうですか? という会話になりますね。

『野党に期待しない』と言わない代わりに、今言ったような会話をしていくということです」(前出「囲む会in京都」)

「アベノミクスの成果が出ないのは、アベノミクスが足りないからだ」という「時間かせぎ」の政治に対して、「成果がでていない、国民の生活は苦しくなった」というだけでは、目先の異議申し立てにしかならない。政権党をチェックする野党の機能、役割は、近視眼的な執着や、個別的現象に対する情動的反応から離れた、まったく別の「新しい現実」や多元的な視点を提示すること―政策思想の軸の転換―だろう。

「次世代を意識してアベノミクスへの対立軸を打ち立てようとすれば、おのずと地道な結論にたどりつくはずだ。自民、公明、旧民主による『税と社会保障の一体改革』の3党合意は、少なくとも未来を見据えていた。民進党は原点に立ち返り、野心的なアベノミクスに対抗するのでなく、増税も視野に入れた財政再建と、家計に安心感をもたらす社会保障の充実を両立できる将来像を描いてほしい」(毎日7/28 「記者の目」)

 「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」(「分断された社会は乗り越えられるのか」今井貴子 世界9月号)という分断社会の到来を前に、「成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない」(井手英策 世界9月号)という合意形成の可能性は、暮らしの現場のなかに拡がりつつある。救済すべき弱者を選別するのではなく、みんなを底上げするためにみんなで負担する、そういう民主主義へ。

 自分(たち)の意見や行動が社会や政治に反映されているという実感を、政治的有用感という。暮らしのなかの困りごとや生きづらさ、不安について語り合い、政治に対して要求していくなかからうまれる政治的有用感を、「時間かせぎ」の政治に対抗しうる「未来への責任」を分かち合う民主主義へと育てていくことは、主権者運動の役割にほかならない。

(「日本再生」449号より)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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◆第165回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「民進党がめざすもの―民主主義における野党の機能と役割を考える」(仮)

 ゲストスピーカー 小川淳也・衆議院議員

 10月13日(木)午後6時45分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

◆第八回大会 第三回総会

「『時間かせぎ』の政治に対抗しうる『未来への責任』をどう語るか

 ~立憲民主主義と主権者運動の役割」(仮)

 11月13日(日)午前10時より午後6時

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)


石津美知子
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メルマガ♯がんばろう、日本!         号外(16.9.6)

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Index

 

◇ご案内

日本環境会議沖縄大会

環境・平和・自治・人権―沖縄から未来を拓く

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(大会案内より)

第33回日本環境会議沖縄大会は、環境・平和・自治・人権の問題が最も先鋭的に現れている沖縄から日本本土、米国、そして世界の人々へ問題提起を行い、そこでの世代間交流を含む人々の交流、意見交換を通じて未来を切り拓いていきたいとの趣旨で開催されます。ぜひ、多数の皆さまのご参加を期待いたします。

10月20日から23日

沖縄国際大学

詳細は下記より

http://www.einap.org/jec/article/jec/33/50

「囲む会」で話をしてくれた元山君(SEALDs RYUKYU)も登壇します。


石津美知子
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メルマガ♯がんばろう、日本!         №215(16.8.30)

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Index 

□「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という

 〝未来の記憶〟を持つ生活者を、自ら未来を変えうる主権者へ

 ●さしせまる破局、それとどう向き合うか ~「時間かせぎの政治」に対抗する

□「囲む会」のご案内 

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「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という

〝未来の記憶〟を持つ生活者を、自ら未来を変えうる主権者へ

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【さしせまる破局、それとどう向き合うか 「時間かせぎの政治」に対抗する】

 「2050 近未来シミュレーション日本復活」(クライド・プレストウィッツ著 東洋経済新報社)という本が話題になっているらしい。イノベーション大国として台頭した2050年の日本のお話だ。

 「訪ねた企業では、ここは北欧かと見紛うばかり、女性が取締役会の過半を占めている。日本は、世界でも有数の女性が活躍する社会に生まれ変わったのだ。

 もっとも大きな変化は、人口動態だ。人口減少は2025年に上昇に転じ~中略~日本経済は年率4・5%で力強い拡大を続けるようになった。いったい2016年と2050年の間、日本に何が起きたのか。これこそが、本書の主題だ。

 2017年、危機が勃発する。アベノミクスは失敗、膨大な公債残高の償還可能性に不安を抱いた投資家が円建て資産を売却、資本逃避が始まる。窮した日本は、IMF管理下に入る。衝撃的なのは、サムスンによるソニーの吸収合併だ。~中略~国家の存立危機を前に、国会は『特命日本再生委員会』の創設を決める。(女性の就業率向上や計画的な移民の導入、再エネによるエネルギー独立、連邦制導入による徹底した分権など、同委員会の提言を実行に移すことにより)日本は明治、終戦後に続く3度目の経済的奇跡を自ら実現することに成功する」(朝日新聞8/28 書評/諸富徹・京都大学教授)

 著者は1980年代の日米貿易交渉にもあたった日本通。日本の経済社会システムの本質を突くような指摘も、多々ある。あの敗戦によってもなお生き延びた「1941年体制」(野口悠紀雄)が、IMFショック程度で改革できるのかとか、「特命委員会」の提言を「誰が」「どうやって」実現するのかなど、突っ込みどころもあるが、むしろそれらはわれわれの「宿題」と言うべきものだろう。

 この本に描かれる2050年の日本社会の姿は、「一億総活躍社会」や「同一労働同一賃金」、「働き方改革」などアベノミクスが掲げる目標とも、かなり重なるところがある。興味深いのは、このシミュレーションがアベノミクスの失敗→実質的デフォルトから始まっている点だ。

 アベノミクスとは何か。それは一言で言えば、破局に向かう「時間かせぎ」の政治だ。

「アベノミクスは三本の矢を矢継ぎ早に放つものの、それはリボルバー拳銃のように回転し続けるものである限り終わりはみえず、だから検証に晒されることもない。アベノミクスが成功しないのは、アベノミクスが不足しているからだという『リボルビング・アベノミクス』の論法がとられることになる。~中略~『道半ば』である限り、とりわけ景気上向きの実感が薄いとされる地方に、『いつかは』アベノミクスの波及が及ぶはず、という期待の操作ができるからだ。そして、その期待値は、政権持続と政策支持となって現れる。三期連続のマイナス成長、実質賃金の低下、消費水準指数の落ち込みといったマイナスの実感があってこそ、それらは期待値へと転換される」(吉田徹 世界9月号)

「そう考えたとき、アベノミクスを批判する野党が、景気回復への国民の『実感のなさ』を持ち出しても、その『実感』が待たれているものである以上、説得力を欠くのは当然である」(同前)

こうしたリボルビング・アベノミクスの「弱点」は、財政の持続可能性だ。アベノミクスの「三本の矢」は、金融政策、財政政策、構造改革というオーソドックスな経済政策を言い換えたにすぎない。特徴があるとすれば、金融政策を「ふかす」ことに特化した点だろう。

「1990年代初頭、バブル崩壊後の日本では、財政出動と減税で景気を刺激しさえすれば不況を脱出できる、と皆が信じ、巨額の財政政策を毎年繰り返した。90年代も今とまったく同じ議論をしていたのだ。違いといえば、当時は国の借金は少なく、高齢化も進んでいなかったことである」(小林慶一郎 日経6/20「経済教室」)

90年代の財政出動は、企業の過剰債務を国家が肩代わりする「徳政令」にも似た不良債権処理に費やされ、景気は回復せず国の借金だけが増えた。そこで今度は金融緩和を極限までやったが、これもうまくいかない。そこで再び「財政と金融の同時実施という昔と同じ話が『ヘリコプターマネー』政策として、まるで新しいことのように議論されている」(小林 同前)というわけだ。

二十年前と違うのは高齢化の進行と、GDP比250%まで積みあがった政府債務だ。あの竹中平蔵氏をしてさえ、「財政の健全化はどうしても必要です。~明日にも深刻な事態に陥るわけではありませんが、私は『日本経済全治何年』というより『余命何年』というくらいの危機意識は持たないといけない」(日経8/7)と言わしめるほど。

〝ゆでガエル〟は、すっかりゆで上がりつつある。アベノミクスとは「実現しないことが政権の選挙での強さと権力を担保している限り、それは少しずつ破局に向かう政治の『時間かせぎ』にしかならない」(吉田 同前)ということだ。

 私たちは問題設定を変えるべきだ(以下、5―7面「戸田代表を囲む会」より)。

 アベノミクスに効果があるかどうか、という話ではなく「さしせまる破局、それとどう向き合うか」という問題設定が必要になるんです。破局というと、「何とか避けられるのではないか」と対策を講じる、と発想しがちですが、そういうことではありません。若い世代は「このままでも明日は来るけれど、その先にあるのは超高齢化社会だ、リストラだ、社会保障の破綻だ…明日は来るけれどその先に未来はない」という感覚でしょう。

 「未来は明るい」と思っていない。そこに「希望」があるんです。破局の先に生き続ける何かを、どう準備するのか。年寄りは「逃げ切り」を考えますが、「逃げ切り」ができない世代は、「その先をどう生きるか」を考えるんです。その破局の時に立ち上がる、むしろチャンスだと思って立ち上がる、そのための新たな社会関係資本をどこまで作るか。これが「さしせまる破局、それとどう向き合うか」という問題設定です。(引用終わり)

「アベノミクスのように、期待値を操作して恣意的に『終り』をみせずに『破局』はないと証明しようとする政治の時間軸に対抗して、『破局』はあるものとすることで、未来を変えることのできる投企的な政治を可能にするのが『破局論』の時間軸である。そして、来るべき『破局』を読み取ることのできる・・・(のは)政策の専門家などではなく、・・・『未来の記憶』を持つ『事情に疎い者』、つまりは生活者でしかあり得ないだろう」(吉田徹「世界」9月号)。

このままでも明日は来るけれど、その先に未来はないという「未来の記憶」から、その未来に向かって自ら「かくあろうとする」、そういう生活者を主権者として登場させることだ。

【「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」という

 分断社会の克服に向けて】

破局を先送りする「時間かせぎの政治」は、アベノミクスに特有なものではない。

「政治経済学者シュトレークは、一九七〇年代の資本主義の構造的なショックをインフレで克服したことが新自由主義を生み、これが金融市場の自由化を進めたことで一九九〇年代の不況を招き、今度はそれを民間部門への債務付け替えで乗り切ろうとしたためにリーマンショックが起きた連鎖を検証し、これらは後期資本主義が破局に向かっている間の『時間かせぎ』にすぎないと喝破した」(吉田 同前)。

このプロセスは、次のようにも描かれる

「市民によって統治され、租税国家として市民によって財政的に支えられている国家が、その財政的基盤をもはや市民の出資によって賄えなくなり、その大きな部分を債権者の信用に依存するようになれば、それは民主的な債務国家へと姿を変える」(シュトレーク「時間かせぎの資本主義」 みすず書房)

この「民主的な債務国家」は「市場」によって、政治的行動を制約される(緊縮財政など)。他方、「国家はつぶれそうな銀行を救済し、この同じ銀行団によって破産寸前に追い込まれる――結果として、金融による支配体制が、当該国家の国民を保護監督下に置くことになる。(「デモクラシーか、資本主義か?」ユルゲン・ハーバーマス 三島憲一訳 「世界」9月号)。

民主主義が定着したのはその理念によってではなく、平等で豊かな中間層を生み出すことができたからである。「市場」によって監督される「民主的な債務国家」の下では、(適切な再分配を行うべき)政治は必然的に劣化し、社会は分断される。経済のグローバル化、とりわけマネー資本主義の拡大と民主主義との矛盾が深まるなか、「時間かせぎ」の政治はいつまで危機を先送りできるのか。

「第2次世界大戦後、英国では基幹産業の国有化と医療・教育の無料化が実現した。戦前のグローバリズム、言い換えれば行き過ぎた資本主義が、ファシズムと共産主義の諸国家を生んだ反省から、国家が資本主義を統御し、民主主義を安定させることが狙いだった。

このような国家のあり方は、他の先進国でも見られた『戦後合意』だった。だが、米国のトランプ旋風やサンダース旋風、欧州の極右や極左政党の台頭は、『戦後合意』が過去のものとなったことを示している」(吉田徹 読売8/12「論点」)

いまや先進国リスクの時代だ。「民主的な債務国家」はグローバル経済を統御できず、社会的分断と民主政治の機能不全に直面している。「戦後合意」を支えた中間層はやせ細る一方だ。

「ダニ・ロドリック米ハーバード大教授は主著『グローバリゼーション・パラドクス』で、『グローバル化―国家主権―民主主義』はトリレンマ状態にあると論じた。

国家主権と民主主義の連結により、グローバル市場に背を向けることはできる。また国家主権がグローバル化と結びつき、民主主義を犠牲にすることも可能だ。あるいは国家主権を犠牲にして、グローバル化と民主主義を選び、グローバルガバナンス(統治)と世界民主主義の組み合わせを構想することもできる。けれども、3つを同時に成立させることはできないという。

これは現代の先進国リスクを暗示しており、ほぼ例外なく民主主義的である先進国の悩みを言い当てている。つまり中国のような一党独裁国やシンガポールのような権威主義国は、主権とグローバル化の組み合わせで前進できるのに対し、先進国は自国の民主主義に敏感にならざるを得ない分、グローバル化が一層深化すると、トリレンマに陥る。

規制緩和と自由化を軸とする単純なグローバル化主義者は、統治権力=国家主権と結び、この民主主義的側面、ならびにそれを行使する中間層以下の人びとを、えてして『非合理』と軽視してきた。EUもまた、複数の統治権力=国家主権を束ねるところまではよかったが、民衆と民主主義を軽んじた。今起きているのは、やせ細る中間層以下からのしっぺ返しである」(遠藤乾 日経7/28「経済教室」)

「グローバル化―国家主権―民主主義」のトリレンマを解消する〝魔法の杖〟はない。だがトリレンマを深刻化させないことはできる。鍵を握るのは社会的な分断状況の克服である。その際に必要となるのは、幅広い生活保障にほかならない。

グローバル経済の下では社会保障制度はまかなえない、というのは本当だろうか。

ここで想起すべきは、「戦後合意」につながる社会保障制度は19世紀末からのグローバル化に起源を持つ、ということだ。「第一次世界大戦前のグローバル化時代にこそ現代の社会保障制度の起源があるという点は強調しておくべきだ。~中略~このタイミングを強調するのは、ヨーロッパでの社会保障制度プログラム導入が経済目標の実現と競合するものとは見なされず、むしろそれを補うものと考えられていたからだ」(「21世紀の不平等」アンソニー・B・アトキンソン 東洋経済新報社)

 21世紀の社会的分断は貧富の差や、出自や宗教による差別によるものだけではない。グローバル化の下、国境を超えた形で「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」(「分断された社会は乗り越えられるのか」今井貴子 世界9月号)というように分断され、さらに「リスクの多様化ゆえにそれぞれのグループ内でも連帯が生まれない」(同前)という分断構造になっている。だからこそ、より包括的な生活保障が不可欠になる。

 国家を介して市場経済と民主主義を両立させるという「戦後合意」を、それを可能とした歴史的条件―戦争と革命―なしに改めて履行させるうえで、政治の責務はきわめて重い。

【「時間稼ぎの政治」に対抗する「未来への責任」をどう語るか】

参議院選挙前の世論調査では、アベノミクスを「見直すべき」が61%と、「さらに進めるべきだ」の23%を上回った。消費増税の再延期についても、「社会保障の充実が難しくなったと思う」との懸念が53%に上った(毎日6/22)。それでもなお、「期待値を操作して恣意的に『終り』を見せずに、『破局』はないと証明しようとする」アベノミクスの手法が、選挙で一定の効果をあげられるのはなぜか。

 「『若者は保守寄りで、自民党支持が多い』とニュースが言っていた。たしかにそうだろうと感じる。だっていまの生活を格別変えてほしい、変えたいと思っている若者はそんなにいないはずだ。変わらなくても明日はくるのだから。

 しかし、その明日が来続けた先にあるのは、高齢化社会だ、年金だ、リストラだ、社会保障だ……明日は来るけれど、その先にはなにもない。

 どの党の公約を見ても、この不安や不満は解消されない。解決策が示されてないわけじゃないのに、しっくりこない。物足りないのはなぜか。

 きっと、未来なのだと思う」

(Yamato 19歳 ポリタスhttp://politas.jp/features/10/article/517より)

 時間かせぎの政治に対して、未来への責任をいかに語るのか。そのことが問われている。

 「選挙戦で気になったのは、自民党が『成長と分配の好循環』を掲げたのに対し、民進党も『分配と成長の両立』を打ち出し、経済成長が共通点になったことだ。~有権者には『どちらが先か』の議論にしか映らなかったのではないか」(毎日7/28「記者の目」小山由宇)。「私はキーワードとなるのは『次世代への責任』ではないかと考える。有権者が求めるのは経済成長の方策よりも、人口減少社会の中で、持続可能な財政や社会保障をどう構築するかという重いテーマだと思うからだ」(同前)。

 求められているのは、対象を選別して「救済する」選別主義から、中間層全体を底上げする普遍主義へという空間軸の転換、そして「時間かせぎ」の政治から「未来への責任」という時間軸の転換だ。ヨーロッパではEUレベルでも各国レベルでも、この転換をめぐる試行錯誤の政治的経験はかなり集積されている。では私たちは、この観点から政権交代の経験をどう語るのか。

「前原 (井手・慶應大学教授の著書を読んで)自分は大きな間違いをしていたと気付かされた。それは、『歳出削減イコール改革』と考えていたということです。本当に必要なところまで削ってしまっては、井手さんのご指摘のどおり、社会の分断をいっそう深めてしまう。

井手 まことしやかに語られる『支出の削減イコール財政再建』は本当か、ということですね。実は、低所得者へのいわゆる『弱者救済』ではなくて、中間層も含めて広くサービスを提供できている国のほうが、統計的に見て税収が大きい。政治的多数が受益者となって、自分の必要を満たしてくれる安心から、税金への抵抗が弱まる。こういう経路があります」(世界9月号 対談 前原誠司・井手英策)

「井手 日本では、これまで『分配か、成長か』という議論になりがちでしたが、今回の参院選では、むしろ『分配と成長の関係』が論点になった。~その課題設定からの変化じたいは評価したいのですが、結局は成長論議の枠にとどまり、そこで議論は止まったままでした。なぜ野党は思い切った生活保障策を打ち出せないのでしょう。

前原 それは、民進党がもっとも反省すべき点です。~方向性、キャッチフレーズは正しかったと思います。ただ~(それぞれの政策は)非常に重要ですが、政策全体の大きな柱、理念自体は打ち出せなかった。~中略~

 振り返ると二〇〇九年政権交代選挙の際には~目玉の政策がありました。しかしこのときも、強力な商品を並べていながら、目指すべき社会像をふまえた、奥行きのある政策にはなっていなかった。~きわめて生煮えの政策でした。

 もう、こうした失敗を繰り返すことは許されません。あらためて訴えていくべきは、財源論から目を背けない生活保障システムの構築です。消費税引き上げ分の残る2%も、もっと納税者の受益を増やす方向で使途を考え直したい。今回、野党は富裕者増税、企業増税しか打ち出せなかった。所得税、相続税、また配偶者控除、特別控除などもあわせて再検討しながら、『将来不安の払拭』『閉塞からの反転』という大きな柱を掲げる必要があると思います。

 ~中略~民主党政権は子ども手当の額、またその期間を~拡大しました。高校授業料の無償化も実現した。しかし、これはまだ完成ではないのです。〇歳から五歳までの就学前教育を無償化し、高等教育も無償化に近づける~これらふたつを実現するには、消費税一%でよいのです。この一%で、すべての子どもに、チャンスが与えられる。演説会で、『消費税の一%を子どもの未来に使うことに反対ですか』と尋ねると、異を唱える人はほとんどいません」(同前)

「井手 成長に頼るのか。あるいは規制緩和と財政再建を進めるのか。そうではなくて、成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない~脱「成長」とも異なる脱「成長依存」。新たな選択肢が見え始めています。

 だからこそ、あえてお聞きしたいことがあります。~野党共闘の枠組みの中で、このような社会のビジョンはそもそも受け入れられるのでしょうか。(野党の公約では富裕層・大企業を狙い撃ちにするが、それだけでは財源は足りない。)」(同前)

 このままでも明日はくるが、その先に未来はない―この不安や不満に正面から向き合うためには、人々の生活の必要―受益を徹底的に議論するとともに、財源論から逃げないという姿勢が必要だ。税と社会保障の一体改革がやろうとしたのは、そういう転換だったはずだ。

 「次世代を意識してアベノミクスへの対立軸を打ち立てようとすれば、おのずと地道な結論にたどりつくはずだ。自民、公明、旧民主による『税と社会保障の一体改革』の3党合意は、少なくとも未来を見据えていた。民進党は原点に立ち返り、野心的なアベノミクスに対抗するのでなく、増税も視野に入れた財政再建と、家計に安心感をもたらす社会保障の充実を両立できる将来像を描いてほしい」(前出 「記者の目」)

民進党をはじめとする野党、そして野党共闘に問われているのはここだろう。安全保障なら「情勢論」で「とりあえず合意」することもできる(旧社会党がそうしたように)。しかし財源論は、どういう社会をめざすのかという社会のあり方とともに、民主主義のあり方をめぐる本質的なハードルだ。ここをあいまいにした「よい再分配」論は、「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という〝生活者〟には、すでに見透かされている。増税反対だけでは、「経済成長依存」というアベノミクスと同じ土俵だ。それなら、50%の投票率で安倍政権が勝つに決まっている。

 「成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない」(井手 前出)という議論―ガチンコの議論―を、国民の前でどこまでできるか。一度失われた信頼関係を立憲民主主義のフォロワーシップの転換という新たなステージで、もう一度紡ぎ直すことができるか。

このままでも明日は来るけれど、その先に未来はないという「未来の記憶」から、その未来に向かって自ら「かくあろうとする」、そういう生活者を主権者として登場させるための舞台の幕が上がりつつある。

(「日本再生」448号より)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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◆第27回 戸田代表を囲む会in京都

 「安倍政権の今後と、民進党のめざすもの―立憲民主主義のフォロワーシップの視点から」

 9月21日(水)午後6時30分より9時まで

 コープイン京都 202会議室

 参加費 1000円(学生500円)

 ゲストスピーカー 福山哲郎・参議院議員 泉健太・衆議院議員 隠塚功・京都市会議員


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


怒れる女子会
怒れる女子会 
PDFファイル⇒怒れる女子会 
子ども食堂から見えてくる女性と子供の貧困
〈日時〉9月3日(土)13:30~16:00
(受付13:15~)
〈会場〉ほっと越谷セミナールームA・B
越谷市大沢3丁目6番1号  パルテきたこし3階 ※北越谷駅東口徒歩1分 



メルマガ♯がんばろう、日本!         №214(16.8.2)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

□私たちの民主主義を、さらに鍛える―国民主権の発現としての憲法改正

 「主権者として憲法を立てる」を身近に創りだし、実感するために

 ●望む未来がありますか?

  選挙は政治家のものではなく、自分の未来の話~主体は私たちだ

□「囲む会」のご案内 

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私たちの民主主義を、さらに鍛える―国民主権の発現としての憲法改正

 「主権者として憲法を立てる」を身近に創りだし、実感するために

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【望む未来がありますか?

選挙は政治家のものではなく、自分の未来の話~主体は私たちだ】

参議院選挙は、「改憲勢力、三分の二議席に」という当初の予想どおりの結果となった。イギリスの国民投票でも、アメリカの大統領候補選びでも、韓国や台湾の選挙でも、既存政治の枠の外の変化が事前の想定を覆す、既存政治のインサイダー、制度の枠内にいる者ほどが事態を見誤る、ということになっている。当初の想定どおりの結果、という選挙は主要国では日本くらいだろう。

では日本の有権者には、無関心や政治不信がさらに増大しているのか。〇五年郵政選挙、〇九年政権交代選挙では七割近かった投票率は、この間50%台前半という低投票率が続いている。投票に行かなくなった人々は、政治をあきらめて思考停止しているのか。

既存の政治、既存の制度の枠内から見ているかぎり、生まれつつある立憲民主主義のフォロワーシップの静かなる芽生えをとらえることも、そこに近づくこともできない。そういうステージが始まっている。

選挙は政治家や政党、候補者のものではなく、自分(たち)の未来の話。そんな感覚が当たり前のものとして共有されつつある。このままでも「明日」は来るけれど、その先に「未来」は見えない、そんななかで、少なくとも自分自身の「未来」には主体者であろうとする人々のなかから、それは始まっている。

「…だが自分は、これは自分たちの選挙で、○○さんの選挙ではないと思っています。候補者が主体ではなく、選挙民が主体だからです。○○さんは私たちの選挙に候補者として選ばれる客体なのです。私たちが○○さんのサポーターではなく、○○さんが私たちのサポーターなんです。候補者がどんな政策を訴えようとも、私たちに望む世界がなくては、選びようがありません。『選べない』とか『選択肢がない』とか耳にします。その前に望む世界がありますか。もしなければ誰も望まない世界になります。世界は望む力が大きいように形成されていきます。多くの人々が、目先の面倒事を知らないふりをすることを望めば、望まなかった世界ができてしまいます」。(ある会員のFacebookより)

 「『若者は保守寄りで、自民党支持が多い』とニュースが言っていた。たしかにそうだろうと感じる。だっていまの生活を格別変えてほしい、変えたいと思っている若者はそんなにいないはずだ。変わらなくても明日はくるのだから。

 しかし、その明日が来続けた先にあるのは、高齢化社会だ、年金だ、リストラだ、社会保障だ……明日は来るけれど、その先にはなにもない。

 どの党の公約を見ても、この不安や不満は解消されない。解決策が示されてないわけじゃないのに、しっくりこない。物足りないのはなぜか。

 きっと、未来なのだと思う。

 僕が託したいのは——僕たちの不満を理解し、正義を示し、理想を政策で実現しようとする存在への一票なのだと思う。僕は、これから生きていく道に希望を感じさせてくれる誰かに、未来を託したいのだ。

 ~中略~それは『9条を守るための選挙』だとか、『アベ政治を許さない』としか言わない人たちではないんじゃないか、少なくとも僕はそう思ってしまう。僕は、選挙で問われるべき本来の論点を政策でどう解決するのかを聞きたい。僕たちが一票を入れるべき選挙は『誰かにNOをつきつけるための選挙』ではないはずだ。

 だけど……自民党に手放しで賛成もできない。いまの政治に納得のいかないことはたくさんある。

 きっとどんな人でも漠然とした不安は抱えているのだと思う。大事なのは、日本をどうしたいか、どんな国であってほしいか、どんな未来を目指すのかを考えることだ。その意志表示が投票だ。というか、そもそも『良識の府』って、そういうところじゃなかっただろうか。

 19歳になった僕は明日初めて投票にいく。若者の意志表示のために、僕たちの未来を託すために。突きつけられた現実に屈するためでも、理想論に踊らされるためでもない。未来のために、だからこそ選挙にいこうと思う」

(Yamato 19歳 ポリタスhttp://politas.jp/features/10/article/517より)

 選挙は政治家や政党、候補者のものではなく、未来を生きる自分の話。与えられた選択肢を選ぶしかない、のではなく、自分の一票は自分の未来のために。国民は「統治される」のではなく、統治の主体であるという国民主権の当事者性の感覚は、こうしたところから芽生えているのではないか。ここからさらに、権力を制約するだけではなく、主権者として権力を構成するという立憲主義へ。「選んで終わり」ではなく、参院選後の社会をさらに自分たちの手に引き寄せるために。

【「主権者として憲法を立てる」を身近に創りだし、実感するために】

開票で圧勝が判明した途端、安倍総理は選挙中には憲法改正の是非を問うていなかったことを認めたうえで、「今後はどの条文をどのように変えるのかという議論に移るので、憲法審査会を動かしていきたい」と述べた。好むと好まざるとにかかわらず、護憲vs改憲という神学論争の世界から、戦前回帰の亡霊を封じ込めつつ、国民主権の発現として憲法改正を議論する、その転換の入り口を開けられるかという攻防のステージに移る。戦前回帰の亡霊は、国民主権の発現としての憲法改正の力が弱い度合いによって彷徨うのであって、逆ではない。

「自民党は『憲法は押しつけ』『占領下で作られた』と言い続けているが、権力を持っている人が憲法に疑義を唱えるのは、社会にとっていいことではない。今の憲法が主権のない時に作られたのは事実だが、主権を回復した後、我々は憲法を破棄せず、認めてきている。憲法が無効なら、今までの法律も国会議員も全部否定されてしまう。

最初の改正は、憲法に対して国民が意思表示をし、承認する機会にすればいい。いろいろな条文を変えたい自民党にとっては都合が悪いかもしれないが、それによって『押しつけ論』は消える。今の憲法を認めた上で、それと一体を成すものとしての改正案も認める、と国民が意思表示をすることに意味があると思う」(井上武史・九州大学准教授 読売7/25)

戦前回帰の改憲論、二度と戦争はゴメンだという護憲論は、憲法を「不磨の大典」に祭り上げてしまい、逆に社会の変化に対応して憲法を変える―三原則を発展させる―ことによって暮らしや社会がこう変わったという、主権者としての実感を私たちは持てないままでいる。その結果、広がるのは憲法への無関心、それと表裏一体となった「憲法については何を言ってもいい」(何でもアリ)の歪んだ世界。「主権者として憲法を立てる」という実感を持てる世界へと、転換していく一歩を踏み出すときだ。

「改正論議は、70年間、社会の変化に応答しなかった憲法を今後も持ち続け、解釈変更や法律の制定で対応していきますか、という点を問うことになる。~中略~海外でも憲法改正のハードルは高い。エネルギーがいる。政治家には、憲法改正は社会の変化に対応する政治を作るチャンスだという視点を持ってほしい」(井上准教授 前出)

 戦前回帰の改憲論を封じるのは、日本国憲法の三原則―基本的人権、平和主義、国民主権を、時代や社会の変化に対応してどう深化・発展させるか、という問題設定からの憲法改正論だ。この点、自民党の憲法草案の基軸は、基本的人権の制限、平和主義の放棄、国民主権の縮小だ。また「政府の規定がない」ということは、主権者国民が権力を構成する、という国民主権の原則とは別のものに拠っているということにほかならない。

 憲法の三原則を時代の変化に即して発展させ、社会の変化に対応する政治を作るチャンスとするためには、憲法論議の土台を常識の線に持っていくことも必要になる。

 「憲法には①前文に代表される国の基本的な性格やその象徴に関わるような規定②平和主義や人権保障の基本原則など国の政治のあり方の基本原理を定めるような規定③統治機構に関する専門技術的な色彩の強い規定――など様々な内容の規定が混在する。

 ~こうした規定の性格により改正プロセスのあり方も相違があるべきである。①や②については、国民的な熟議が求められる。ある事項を憲法に規定するということは、国会による法律の制定に帰結する通常の民主政プロセスでは手の届かないところにその事項を置くということだ。通常の民主政プロセスで激しく対立している争点について、一時的な多数を頼んで憲法化することはあってはならない。

 ~中略~他方、③の専門技術的な色彩の強い規定については、議論の段階では専門家の関与が不可欠だろう。~最終的には国民が憲法改正を決定するとしても、検討過程まで国民の代表である国会に独占させるべきではない。~なお、60回の改正を経験したドイツをはじめ、諸外国では頻繁に憲法が改正されていることが指摘されるが、多くの場合、専門技術的色彩の強い規定に関するものであることに留意すべきだろう」(曽我部真裕・京都大学教授 日経6/9)

 こうした憲法改正の常識に立てば、自ずと「今の憲法を認めた上で、それと一体を成すものとしての改正案も認める、と国民が意思表示をすること」(井上准教授 前出)となる憲法改正のテーマも、常識の範囲に絞られてくるはずだ。当然それは、特定政党の党是や草案に基づくものではなく、主要な与野党間で合意がとれる項目、論点となるべきであることは、言うまでもない。

 大切なことは、こうした問題設定を「憲法改正の話」としてだけではなく、時代や社会の変化に対応する政治を作るための議論を起点に、国民的な議論にしていくことだ。あえて言えば、それは憲法の話ではなく、私たちがどんな未来を望むのか、という話なのだから。

 「反立憲政治を止める」は、単なる選挙のスローガンではない。国民がこれほど憲法を意識した選挙は、おそらく初めてだろう。憲法が、教科書のなかの知識だけでなく、自分がどんな未来を望むのかに関わるものとして、意識され始めている。「主権者として憲法を立てる」という実感を持てる世界へと、転換していく一歩を踏み出すときだ。

 

【身の丈に合った卑近な要求を通じて、政治を身近に】

 「主権者として憲法を立てる」ために憲法を論じることは、私たちの民主主義を鍛えることにほかならない。例えば未来に対する責任、将来世代も含めた公平・公正を、民主主義にビルドインできるのか。

 「財政をめぐる政策論議は、この20年で、ぐるりと一周して元に戻ってきたかのようだ。

 1990年代初頭、バブル崩壊後の日本では、財政出動と減税で景気を刺激しさえすれば不況を脱出できる、と皆が信じ、巨額の財政政策を毎年繰り返した。90年代も今とまったく同じ議論をしていたのだ。違いといえば、当時は国の借金は少なく、高齢化も進んでいなかったことである」(小林慶一郎 日経6/20)

 「消費税増税延期に象徴されるような『世代を越えたコストの先送り』は、産業社会に過去100年あまりで出現した新しい問題である。有限な化石燃料資源、環境問題、原子力発電とその放射性廃棄物の超長期的管理の問題、そして政府債務によって支えられた社会保障制度の持続性の問題。これらはすべて『コストを後世に先送りする』誘因とどう戦うかという問題だが、近代民主主義の初期の設定には入っていなかったことばかりである。いま日本が直面している財政の持続可能性という問題も、従来の民主主義で解決できるとは限らないし、実際に解決不可能であることを、我々日本人が現在進行形で証明しつつある。

 こうした問題を解決するためにこそ、憲法改正は必要なのかもしれない」(同前)

 財政規律条項を持つ憲法は少なくないし、EUは加盟国に財政規律を課している。与野党合意によって(党派的駆け引きも含め)縛っている国もある。日本では「税と社会保障の一体改革」(三党合意)がその糸口になるはずだったが、今や完全に反故にされている。

 「このままでも明日はくるが、その先に未来は見えない」と感じている人々に提示すべき選択肢は、「未来への責任」や「持続可能な社会」ではないか。憲法論議はこうした視点から出発すべきだろう。

 主権者として、望む未来を思い描くことができるための主権者教育も重要だ。初めての18歳選挙権ということで、今回の参議院選挙では主権者教育の成果が投票率として表れたと思われるケースが散見される。しかし主権者教育が必要なのは、大人も同様だろう。それは、民主主義の作法ともいうべきものだ。例えばこんなふうに。

(以下は finalvent  http://politas.jp/features/10/article/510 より)

 ドイツでは1972年に選挙権年齢が18歳に引き下げられ、教師などが議論を重ねた結果、学生と政治活動についての指針「ボイテルスバッハ・コンセンサス」ができた。

提示されているのは次の三つの原則。

①学生に威圧をかけることの禁止

②異論が多い課題は異論が多いままにしておけ

③学生の個人的な利害を考えさせよ

 日本の現状に即して考えるなら

① 政治活動の届け出など、生徒への威圧そのものだろう。これは即刻、止めさせるべきだ。

② 「ヘイトスピーチ」や「歴史修正主義」などは論外だが、安保法改正が「戦争法」なのかという点には異論があるので、各教師が思うまま各種の異論をそのまま生徒に語ればよい。

③ 18歳・19歳の若者の生活上の利害を考慮すべきだ。バイト代を上げてくれでもいいし、授業料を下げてくれでもいいし、市役所で合コンパーティーをやってくれでもいい。政治なんて高尚なもんじゃない。身の丈に合った卑近な要求をがんがんぶつけていけばいい。

日本の「18歳選挙権」はこうした、民主主義の根幹的な議論がなされることなく、諸外国の「18歳選挙権」風潮に流されるように実現した。しかし、今からでも遅くない。日本版「ボイテルスバッハ・コンセンサス」を確立し、高校を改革すべきだ。【引用終わり】

 ①も②も、民主主義の重要な作法だが、とくに③の個人的な利害(個人的な、と思われている困り事も)を考えることは重要だ。「個人的」なことが、じつは社会と大きく関わっていることを知り、他者との合意形成のプロセスを身につけることは、市民性という点でも主権者教育の重要な視点だ。

 身の丈に合った卑近な要求を通じて、政治を身近に感じていく機会を、若者だけではなくさまざまな人々がもっと普通に実感できる社会。それこそが、主権者として憲法を立てる、憲法が機能している実感をもてる社会だろう。(その最も重要かつ身近なフィールドこそ、住民自治の現場、まちづくりの現場であることは、言うまでもない。)

 ここから、多数決だけが唯一の決め方ではない、民意を集約するよりよい方法を検討しようとか、一人一票だけではなく人口とは別の理念での代表制(地域代表など)もありうるのではないかなど、各国の知恵も学びながら、民主主義をより豊かにするための議論も可能になる。そういうステージを開いていこう。

(11―12面「囲む会」も合わせて参照を)

(「日本再生」447号一面より)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

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●第164回・東京・戸田代表を囲む会

「立憲民主主義のフォロワーシップの転換と、主権者運動の前史から本史へ」

戸田代表の提起と討議

8月11日(木・祝) 1330から1800まで

「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

参加費 なし(この回に限り)


第5回 自治みらいタウンミーティング
第5回自治みらい市政報告会チラシ (1)
PDFファイル⇒第5回自治みらい市政報告会チラシ (1)
日時 8月9日(火) 18:30~20:30
場所 越谷市中央市民会館5階 第2・3会議室
越谷市越ケ谷4-1-1 ☎048-966-6622

テーマ:6月議会報告
★楽しくわかる!!私たちの税金の使い道!~オープニング・クイズ~
★市長の姿勢、二転三転!本庁舎耐震化・建て替え問題 財源の目途は?
★1年交代で議会改革できるのか?!今年も波乱の議長選挙!
★小中学校エアコン整備に55億円 優先すべきは何だろう?
★その他 フリートーク


駅頭は小さなドラマの連続だ!
PDFファイル⇒16年7月天秤棒駅頭9
(当選から14年間毎日続ける駅頭は、2600回を超えた。私のツィッターのつぶやきから、転載したものを含め、駅前での様々な市民とのエピソード集)

熊本地震への支援を呼びかけた生徒会長が、今度は星選手を激励
本日午後2時から、本年リオデジャネイロオリンピックの日本代表で、越谷市栄進中学出身のバタフライ選手 星奈津美さんの激励会が、越谷市の主催で開催された。星選手の激励のため栄進中の女子生徒会長がお祝いと3枚の檄文を手渡した。星選手は同中学校の出身のため。
この生徒会長は、5月2日の朝、北越谷駅で熊本地震の被災者のために募金活動をしていた生徒だった。しかも原稿なしで即興で通勤客に呼びかけていた。
キチンとした激励の挨拶であり、一切物怖じしない態度だった。
即興で募金の呼びかけが出来るのだから、300人の市民の前でも平気なのだろう。
(5月11日)

本庁舎の耐震化の必要性は、熊本地震からも当然、との市民の声
今朝の駅頭は、北越谷駅西口で実施したが、午前8時前に馴染みの高齢男性から、熊本地震の事があり高橋市長さんも、本庁舎問題では何とか考えざるを得ませんね、と話し掛けられた。
 先週北越谷駅東口で配布した、同じ市政レポートを読んでの話だった。
先生(この呼び方は苦手だが)の日ごろの主張の通りになりましたね、と付け加えられた。
また議会で問題にするんですよね、とも。
6月1日から市議会の予定だが、当然本庁舎の耐震化対策は最優先課題であることは自明だが、熊本地震とは関係なく着手すべきなのに、市長は昨年9月に一旦平成32年度までに完成する、と公言したものを撤回している。
(5月13日)

若者が近づいて来て、握手を求められた
今朝の朝駅頭は、新越谷駅東口だった。午前8時過ぎに20代のティーシャツ姿の男性が、近づいて来たので、市政レポートを渡そうとしたら、握手を求めて来た。
当然応じてしっかり握手したが、舛添さんにはならないで下さい(公私混同の政治家と言う意味か)、と言ってすぐに、白川さんだからならないか、と付け加えて笑顔で去って行った。
             (6月14日)

ゴミがいつも散乱している、新越谷駅で
昨日の朝駅頭は、新越谷駅西口で実施。午前6時前に到着して何時も様に、駅周辺の掃除に取り掛ったが、タバコや缶コーヒーを始め、ゴミが散乱。
やっと集めきたゴミをカラスが菓子袋をついばみ、また散らかしてしまった。更に、この周辺は条例で規定されているタバコのポイ捨て禁止地区だが、守られていない。
他の市民からタバコの吸い殻を、何とかして欲しいと良く陳情されるが、個人の習慣まで条例では縛れないし、市民の意識の向上を待つしかないのは、悩ましい。(6月14日)

蒲生駅での駅頭を、しばらく実施していないことに心配の声が
昨日の朝駅頭は、蒲生駅東口だった。前日の雨が上がり真っ青な空と強い陽射しの中次第に汗が額に流れ出した午前8時10分頃。
40代前半のサラリーマンから、暑いでしょう、と冷たいペットボトルを頂いた。既に2時間の活動の為涼風に。
その後直ぐに、馴染みのサラリーマンから、舛添知事の辞任に関して話し掛けられた。
自民党や公明党は、舛添知事を推進しておきながら無責任。越谷市議会でも第三庁舎問題にみる体質と同じ。マスコミもイジメを地で行っている、と話しが続いていた。
すると60代の知り合いの男性が通り過ぎに
暑いから、体に気をつけて頑張って、と笑顔での励ましの言葉が。
その途中馴染みの60代の女性が、通り過ぎたので背中から声を掛けて市政レポートを手渡した。この女性は何時も紙代にと1000円をカンパ箱に入れて頂いている。その後確認したら、今日も1000円札があった。何時もありがとうございます。
午前8時30分頃、60代の女性から市政レポートを受け取りながら、駅頭が久しぶりではないですか、と話し掛けられた。
そうですね、議会中と雨のため蒲生駅での駅頭が前回から長くなっています、と説明した。
心配して頂いて感謝です。市内6駅での毎日の駅頭は、1駅に平均1ヶ月に2回のペースだ。
     (6月17日)

一旦通り過ぎてから、コンビニで買ったペットボトルの差し入れに戻って来られて
週明けの今朝の駅頭は、越谷駅東口で午前6時から開始。午前7時過ぎに、一旦通り過ぎた、馴染みのサラリーマンが戻って来られて。
先生、少しですが、とスポーツ飲料を差し入れて頂いた。
先生との呼び方は、苦手だが、心遣いありがとうございます。
(6月20日)

降り出した雨のため、開始10分で撤退
今朝の駅頭は、北越谷西口だったが、午前7時からマイクで市政報告会を始めたが、東口では共産党の街宣が同時刻に始まった。
直ぐに公明党市議団が西口に来て近くの公園前で、同じ様に街宣活動を実施。しかし、雨がポツポツと降り出した為、私は僅か10分程の活動で、撤収した。梅雨の駅頭の特徴だ。
(6月21日)

10年来の付き合いの中、心遣いに感謝
昨朝の駅頭は、せんげん台駅東口だった。
猛烈な暑が続く中での市政レポートの配布となった。
午前6時30分頃から8時まで毎日、駅前広場の掃除をボランティアで行う馴染みの高齢男性から、お茶を頂いた。
もう10年来の知り合いだが、初めての事だ。(7月5日)

夏本番は、暑さと体力との勝負
昨朝の駅頭は、越谷駅東口で午前6時から開始。7月26日に開催する第25回桜井地区市政報告会の案内チラシを配布した。午前7時過ぎ馴染みのサラリーマンから、暑いので、とお茶の差し入れ。
気温がどんどん上昇するが、おニューの真っ白な麦わら帽子で熱射に対応。それでもやはり暑い。すると、通勤中の20代後半のサラリーマンや高齢の馴染みの市民から、良く似合いますね、ステキです、と誉めて頂いた。
多少気はずかしかったが、お茶の差し入れやこんな小さなやり取りが元気の素になる。
更にこれからの夏本番との闘いだ。
今年の夏は、猛暑との予想だが、継続しかない。 
(7月21日)