メルマガ♯がんばろう、日本!         号外(16.11.24)

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

==================================

Index 

□12/1 囲む会 日程変更

==================================

12月1日に予定していた「囲む会」は、ゲストスピーカーの都合で

11月30日に変更します。時間、場所は同じです。

◆第167回 東京・戸田代表を囲む会

 「パリ協定とCOP22」(仮)

 ゲストスピーカー 明日香壽川・東北大学教授

 11月30日(木)午後6時45分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円  購読会員2000円


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


メルマガ♯がんばろう、日本!         号外(16.11.11)

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

==================================

Index 

□「囲む会」「望年会」「総会」のご案内 

 ~「凡庸の善」で考え続けるために

==================================

◆第八回大会 第三回総会

「『時間かせぎ』の政治に対抗しうる『未来への責任』をどう語るか

 ~立憲民主主義と主権者運動の役割」(仮)

 11月13日(日)午前10時より午後6時

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

*昨年来の立憲民主主義のうねりを、内発的持続性として集積し、主権者運動の

新しいステージと役割へ、どのようにつないでいくか。

Brexitやトランプ現象などの世界的な「民主主義」、安倍政権の下での憲法論議、

All for Allなど、「次の課題」にどう向き合うか。

==================================

【会員限定】東京・戸田代表を囲む会

「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

◆第167回 東京・戸田代表を囲む会

 「パリ協定とCOP22」(仮)

 ゲストスピーカー 明日香壽川・東北大学教授

 12月1日(木)午後6時45分より

 *温暖化防止の新たな国際条約、パリ協定が発効した。批准に出遅れた日本は今年のCOPに

締約国として参加できず。すでに批准を終えた米中印の後塵を拝するというありさま。

国連の核兵器禁止条約にも反対。こちらも条約が発効すれば「唯一の被爆国」とは何なのか

が厳しく問われることになる。日本の国際的な立場はどうなっているのかを考えるために。

◆第168回 東京・戸田代表を囲む会

 「民進党がめざすもの」(仮)

 ゲストスピーカー 大島敦・衆議院議員

 12月6日(火)午後6時30分より(いつもより15分早くなっています)

 *民進党代表選挙で前原氏の選対事務局長を務めた大島議員に、「民進党のこれから」について

  お話しいただくとともに、民主主義における野党の役割、機能について考えたいと思います。

◆第169回 東京・戸田代表を囲む会

 「環境・平和・自治・人権~反公害運動からの社会運動の歴史と《今》そして《これから》」

 2017年1月5日(木) 午後6時45分より

 ゲストスピーカー 寺西俊一・日本環境会議理事長 一橋大学名誉教授

 *社会運動が途絶えたといわれるなか、日本環境会議は三十五年以上にわたって

  公害、環境問題を軸に活動してきました。その歴史的な歩みと集積、そのなかで闘いとられた

  「環境・平和・自治・人権」という視点、またこれからの課題などについて、

  同理事長の寺西先生にお話しいただきます。

==================================

◆2016年望年会・東京

 「『時間かせぎ』の政治に対抗しうる『未来への責任』を語り合おう」

 12月23日(金・祝) 午後4時から

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 1500円

◆関西政経セミナー特別講演&望年会

 12月7日(水) コープイン京都

 ・特別講演会 午後6時より

 「地球環境×エネルギー×民主主義~私たちはどこまで来て、どこへ向かおうとしているか」

 諸富徹・京都大学教授

 会費 1000円

 ・望年会 午後7時より 

 会費 3500円


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp



メルマガ♯がんばろう、日本!         №217(16.10.29)

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

==================================

Index 

□民主主義は単なる政治のやり方ではない。

 すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、

 それが民主主義の根本精神である。

 ●衰退途上国か、課題先進国か

 ●「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」

  を当たり前に

□「囲む会」のご案内 

==================================

民主主義は単なる政治のやり方ではない。

すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、

それが民主主義の根本精神である。

==================================

【衰退途上国か、課題先進国か】

 10月26日に公表された2015年国勢調査の確定値は、われわれの社会がどうなっているかを否応なく示している。人口減少は前提として、75歳以上の人口が初めて14歳以下の子ども(1588万人)を上回り、外国人労働者は前回(2010年)より10万人増の175万人と過去最高を更新。

 85年から30年間で75歳以上の人口は3・4倍に増加、14歳以下は4割減と少子高齢化に歯止めがかかっていない。14歳以下は人口の12・6%、世界最低の水準まで低下している。

 ひとり暮らしの増加で、世帯数は5344万と過去最高を更新。単独世帯は34・6%を占め、男性では25~29歳、女性では80~84歳が最も多い。65歳以上の6人に1人がひとり暮らしだ。

 少子化や単独世帯の増加に端的に現れているのは、生活保障や福祉を「家族」と「企業」に委ねてきた社会が、もはや成り立たなくなっている現実だ。それはまた、こうした社会の変容に対応してこなかった「失われた20年」の帰結でもある。

 「失われた20年」がもたらす「衰退」の本質は、GDPの多寡よりもむしろ社会の変質(ぶ厚い中間層→格差社会)にある。その様相を、小熊英二氏はこう描く。

 「平均所得が減り、教育費が高騰するなかで、教育においても格差の再生産(≒世襲化)が目立つようになった。

 75年に比べて、国立大授業料は約15倍、私大授業料は約5倍となった。渡辺寛人によると、子供1人を大学まで通わせた場合の教育費の家計負担は、すべて公立でも総額1千万円以上、すべて私立だと2千万円以上となる(渡辺寛人「教育費負担の困難とファイナンシャルプランナー」 POSSE32号)。

 一方で子育て世帯の平均年収は、97年から12年に94万円減った。後藤道夫によれば、年収400万円で公立小中学生の子供2人がいる4人世帯では、年収から税金・保険料・教育費を除いた生活費が、生活保護基準を下回る。大都市の世帯で子供2人が大学に進学すると、年収600万円でも下回ってしまう(後藤道夫「『下流化』の諸相と社会保障制度のスキマ」 POSSE30号)。

 そのため少子化や「子供の貧困」が広がる一方、約半数の大学生が奨学金を借りている。その多くは返済が必要な貸与型で、学部卒の平均貸与金額は295万円だ。これだけの金額が、卒業時に借金としてのしかかる。在学中から就職活動やアルバイトで必死な者も多い。

 ~中略~教育の負担だけでも、年収600万円以下の世帯はぎりぎりだ。さらに家族が病気になったり、介護が生じたりすれば、家計が破綻(はたん)しかねない。00年から14年に、生活が「大変苦しい」と回答する世帯は21%から30%に増え、「やや苦しい」とあわせて64%となった(渡辺寛人 前出)。

 ではどうするか。経済成長は一つの回答ではある。だが経済が成長しても、年功賃金が復活することはない。教育や介護の負担が増える時期に、年功賃金が増えるのが過去の前提だったのだ。となれば、公的援助の充実は不可欠である。

     *

 しかし政府の方針は、それとは逆行さえしている。坂口一樹によると、この15年間の医療政策は、医療需要から介護需要へ、介護施設から在宅介護へ、負担を移転させるものだったという(坂口一樹「“自助”へと誘導されてきた医療・介護」 世界4月号)。つまり政府や事業主の医療費負担を、家族の在宅介護に転嫁してきたのだ。その代償は、年間約10万人の介護離職だ。目先の財政負担削減のために、家族と社会に重圧を強いた政策ともいえる。

 恐ろしいのは、こうした政策の原因が意図的な悪意というより、ヴィジョンの不在であることだ。「社会保障と税の一体改革」に関わった駒村康平は、「年金、医療、介護、子育ての各制度『ごと』に議論が行われ、制度横断的な議論は行われなかった」と述べている(駒村康平「政府は『一体改革』というダイエットをやめ『副作用のある健康法』に飛びつくのか」 Journalism10月号)。

 これでは、医療費を削減すれば介護費が増え、介護費を削減すれば離職が増え、年金を削減すれば生活保護が増えるといった連関は論じられない。結果として、社会の再設計という総合的ヴィジョンは欠落し、個別の制度をどう延命するかという目先の議論が多くなる。こうして無自覚のうちに、家族と社会に負担を転嫁する政策が実現してしまう。それは結果として、格差の再生産や世襲化、介護離職や税収低下を招いている」(小熊英二「論壇時評」朝日10/27)。

 少子化や、グローバル化の下での「やせ細る中間層」→格差社会といった課題は先進各国に共通したものだ。問題はそれと向き合って「課題先進国」への道を開こうとするのか、それとも目先の「時間かせぎ」に明け暮れて「衰退途上国」への道を、このまま進んでいくのか。2015年国勢調査の確定値は改めて、私たちがその岐路に立っていることを示している。

【「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」を当たり前に】

 衰退途上国と課題先進国、その分岐はなにか。社会を再設計するビジョンや理念は確かに必要だろう。「家族」と「企業」によって支えられることを基本に、そこから「こぼれ落ちた」人を救済するという、旧来の制度設計と政策思想―選別主義―に代わる、普遍主義の政策思想は構築されつつある(本号「囲む会」小川衆院議員、449号藤田氏インタビューを参照)。

「これからの時代は、社会に助けられるべき人と助けるべき人がいるんじゃなくて、みんなが一定の生活保障―最低限の尊厳ある生活保障―を求めているという前提に立ちます。したがって最低限の尊厳ある暮らしを成り立たせる教育、保育、子育て、そして医療、介護、年金については、全ての人々に対して、現物を中心に普遍的な給付を行っていく。そのための負担については、全ての国民が合意形成のもとに負担を拠出していく。そういう社会像を目指すべきである。これが経済社会の変化をとらえた時の唯一の道筋である、という考え方を、これから訴え、浸透させていきたいと思います」(「囲む会」小川衆院議員)。

 「みんなで支えるみんなの社会」という普遍主義的な制度設計のキモは、負担についての国民的合意形成である。そのためには、税は「とられるもの」ではなく、自分たちで社会を作るためだ、という当事者性の回復または創出が不可欠となる。

 税の歴史は立憲主義の歴史とパラレルであり、財政民主主義の主体性は、民主主義や自治の当事者性、主権者性と密接にかかわる。言い換えれば、「税はとられるもの」という感覚は、民主主義や自治に対する消費者的態度と一体のものといえる。ここをどう越えるのか。昨年来語られてきた立憲主義という感性を、憲法や安全保障だけではなく、地べたでの暮らしや自治、身の回りのあんなこと、こんなことからも話し合い、考え続けていく持続的なうねりにする、ということでもある。

 民主主義は出来がいいとはいえない仕組みだが、それでも最悪を避けるためには、今のところ唯一の知恵である。すべてを変える〝魔法の杖〟ではないが(そんなものはない)、現実を少しでもましなものに近づける努力はできる。そんな民主主義を高めるために必要なのは「物申す」行動であり、低めるのは「忖度」だ。

 忖度がはびこれば、「国策に反対するなら国から出て行くべき」、「俺は国のやることに反対しない。だから国が俺の人権を守るのは当たり前だ。だが国に反対している奴らの人権を、なぜ国が守らなければならないんだ」ということが「当たり前」になってしまう。

 面倒を避け、忖度でやり過ごす。そうした消費者民主主義的態度は、今や習慣ともなっている。だからこそ、「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」「民主主義のためには、質のよい悪口を言う人が必要だ」(「デモクラシーは仁義である」岡田憲治 角川新書)ということを、暮らしの現場、自治の現場でこそ「当たり前」のものにしていかなければならない。

 そんな民主主義のための立ち振る舞いは、例えばこういうことだろう。

 「通販生活」という買物雑誌がある。この夏号で表紙に「今回ばかりは野党に一票、考えていただけませんか」と掲載した。これに対する読者からの批判に、冬号でこう答えている。批判は大きく「買物カタログに政治を持ち込むな」「両論併記すべき」「左翼になったのか」という三点。

 一点目について、日々の暮らしは政治に直接、影響を受ける。お金儲けだけ考えて政治には口をつむぐ企業にはなりたくない。二点目について、両論併記はこれまでもやってきたが、安倍政権の決め方は両論併記以前の問題と考える。

 三点目。「戦争、まっぴら御免。原発、まっぴら御免。言論圧力、まっぴら御免。沖縄差別、まっぴら御免。通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな『まっぴら御免』を左翼だとおっしゃるなら、左翼でけっこうです」。そして最後に「『良質の商品を買いたいだけなのに、政治信条の違いで買えなくなるのが残念』と今後の購読を中止された方には、心からおわびいたします。永年のお買い物、本当にありがとうございました」と。

 忖度と、意見の異なる相手を尊重することとは全く違う。忖度では「強いもの」や「巨大な流れ」を増幅し、同調圧力をさらに強めることになる。その行き着く先は、例えばこういうことだ。
 「~困窮者の生活相談ボランティアに参加した。まるで支払い能力(税金、家賃、食費、ショッピング)のない人間は尊厳を認められていないのかのように力なく折れてしまった困窮者たちを目の前にし、日本の人権とは、払えない人間には認められない特殊な概念ではないかと思った。

 日本の教育の人権課題が知りたくて、法務省の「人権教育・啓発に関する基本計画」の「第4章 人権教育・啓発の推進方策」を読んでみると、ジェンダーや人種差別、高齢者、障害者などのいわゆる「アイデンティティ」課題は組み込まれていても、「貧困」という大項目が抜け落ちていた」(ブレイディみかこ シノドス 2016.9.17)。

 「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」という状態が奪われたところでは、「人権」は普遍的な尊厳ではなく、ある人には与えられ、ある人には与えられなくて当然というものになってしまう。ブラックバイトの現場では、ひどい扱いを受けても、自分に責任があると追い込まれた若者が、声を上げられずに泣き寝入りさせられる。過労死した新入社員に対して「残業100時間で過労死とは情けない」というバッシングが浴びせられる。消費者民主主義の忖度が生み出したのは、こういう社会ではないのか。私たちは、こんな社会を次世代に残すのか。

 1948年から53年に中学・高校の教科書として使われた「民主主義」(文部省)はこう述べている。「民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。~略~すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である」(西田亮介・編 幻冬舎新書)。

「自分の人生や生活に影響を及ぼす問題について、誰にでも発言する権利が平等にある」ということが当たり前―そんな日常を暮らしの現場、自治の現場で作り出していこう。

(「日本再生」450号)

==================================

囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

==================================

◆第166回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「《2020年後》にむけて、小池都政とどう向き合うか」

 ゲストスピーカー 酒井大史・都議会議員、中村ひろし・都議会議員

 11月1日(火)午後6時45分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

◆第167回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「パリ協定とCOP22」(仮)

 ゲストスピーカー 明日香壽川・東北大学教授

 12月1日(木)午後6時45分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

 *温暖化防止の新たな国際条約、パリ協定が発効した。批准に出遅れた日本は今年のCOPに

締約国として参加できず。オブザーバーとして出られるかどうか…というありさま。

国連の核兵器禁止条約にも反対。こちらも条約が発効すれば「唯一の被爆国」とは何なのか

が厳しく問われることになる。日本の国際的な立場はどうなっているのかを考えるために。

◆第168回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「民進党がめざすもの」(仮)

 ゲストスピーカー 大島敦・衆議院議員

 12月6日(火)午後6時30分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

 *民進党代表選挙で前原氏の選対事務局長を務めた大島議員に、「民進党のこれから」について

  お話しいただく。

◆第八回大会 第三回総会

「『時間かせぎ』の政治に対抗しうる『未来への責任』をどう語るか

 ~立憲民主主義と主権者運動の役割」(仮)

 11月13日(日)午前10時より午後6時

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

==================================

◆2016年望年会・東京

 12月23日(金・祝) 午後4時から

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 1500円(予定)

◆関西政経セミナー特別講演&望年会

 12月7日(水) コープイン京都

 ・特別講演会 午後6時より

 「地球環境×エネルギー×民主主義~私たちはどこまで来て、どこへ向かおうとしているか」

 諸富徹・京都大学教授

 会費 1000円

 ・望年会 午後7時より 

 会費 3500円


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


駅頭は小さなドラマの連続だ!
PDFファイル⇒%ef%bc%91%ef%bc%96%e5%b9%b4%ef%bc%91%ef%bc%90%e6%9c%88%e5%a4%a9%e7%a7%a4%e6%a3%92%e9%a7%85%e9%a0%ad%ef%bc%91%ef%bc%91

(当選から14年間毎日続ける駅頭は、2600回を超えた。私のツィッターのつぶやきから、転載したものを含め、駅前での様々な市民との出会いのエピソード集)

  じゃまだ じゃまだ じゃまだ !?  

 今日の朝駅頭は、北越谷東口で、午前6時から開始。
 週明けとあって次々と通勤客が駅に向かって来る。いつもの様に市政レポートの配布を続けたが、午前6時40分頃、30代のポロシャツ姿の男性が真っ直ぐ足速に歩いて来て、私に向かって「じゃまだ じゃまだ じゅまだ」と迫って来た。
 当然だが後ろに下がってスペースを空けた。
しかし、この男性は、歩道の端(店側)を歩いていて、ほんの少し(30センチほど)方向を変えれば十分歩行は可能だ。
 しかも、14年間も朝駅頭を毎日やっていると、市政レポートを受け取る市民は固定化されており、通勤客の手元に無差別に市政レポートを差し出しているわけではない。
また、出来うる限り進行を妨害しないように立つ位置や状況を判断して実施している。
 むしろ、馴染みの市民の多くは、自ら手を出して頂く市民が圧倒的であり、歩行の障害には全くなっていない。
 何故ほんの少し方向を変えて改札口に向かえないのだろうか。
 こちらがよけるまで、ぶつかる様に歩行していく姿に、僅かでも回りや相手のことを考えることすら出来ない程、気持ちに余裕がないのだろう。このような攻撃的な姿勢に、むしろこの男性の弱さを感じてしまう。
              (9月5日)
自転車置き場のルールが守れない

 昨日の夜の駅立ちは、大袋駅東口で午後7時から午前0時まで実施した。
依然として蒸し暑い中での活動だったが、午後9時頃馴染みの30代のサラリーマンが、こんな夜遅くまでやっているんですか、と笑顔であいさつを交わした。
しかし10分位して戻って来て、ペットボトルの差し入れに。キンキンに冷えたお茶の効果と共に、こんな心配りに支えられている事を実感する。(コンビニは80m以上も先にある)
この駅には、有料の自転車置き場が設置されているが、規定の自転車止めの外の通路に10台前後の自転車が駐輪されていた。中には「こどもの見守りステッカー」を貼付したママチャリもあり、持ち主は一体子どもたちに、どの様に説明するのだろうか。
もしかすると、台数には限りがあり、たまたま満車状態のため、道路に駐輪するより自転車置き場内に放置した方がいいと、判断したのかもしれないが。
ただ、そんな理由でも違法駐輪すれば、キチンと駐輪している市民はどう思うのか。
事実通路に駐輪している自転車が妨害して、自転車止めから出そうとする市民がスムーズに移動出来ない事態を何回も目撃した。
そんな中、20代の男性が、放置された自転車を一台一台移動させ、空いた規定の置き場に次々と駐輪させていた(エライ!)。なるほど、空いた規定の場所に移動させればいいのかと、感心してみていた。そこで、私も同じ様に行動したため、通路には一台の自転車もなくなった。
午後8時40分頃私が移動させて規定の位置に駐輪した自転車を、駅から降りて来た20代前後の女性が少しけげんな顔つきで探していた。
6時間100円の有料のお金が惜しかったのか、規定の場所がなかったのかは、不明だが。
市政レポートの配布には何の反応はなかったが、(この女性の自由だが)税金を使って整備した施設を使用・受益している市民の側に、ほんの少しの公共心が欠けている。
誰でも便利に使用出来ることの実現には、自分以外の人も便利に使える状態を市民自身が心がける意識がなければ維持できない。
今日も5時間の市政レポート配布が、12時過ぎの最終の上り電車の通過で終了した。
           (9月6日)(裏へ)
会話の作法を学んでからにして下さい

一昨日の夜の駅頭は、せんげん台駅東口で午後7時から午前0時まで5時間を実施。
夜になっても気温が下がらず、蒸し暑い。
午後11過ぎ団塊の男性から、階段を降りて来るなり、いきなり私を指差し、何を言っているのか分からない、と例の様に捨て台詞。
「大変遅くまでお仕事ご苦労様です。市政レポートを配布しています。気を付けてお帰り下さい」と、呼びかけ市政レポートを配布。
このどこが何を言っているのか、わからない、となるのだろう。そもそも、何の挨拶もなく、人を指さし無表情でクレームを言う姿勢そのものに対話をする意思が全く感じられない。
私は即座に、そうですか、と笑顔で応じている。しかし、それ以上の会話はなくそそくさと去っていった。
この人もまた、政治家への不信と自分には到底出来ない、コツコツとした地道な活動への怨嗟なのか。(まず、よく知らない他人に話し掛ける作法や礼儀を、学んでから話したら、との言葉を飲み込んだ)      (9月7日)

今日は救急の日(9月9日)

今朝の駅頭は、越谷駅西口で実施。
台風一過の秋晴れだが、気温は高い。午前7時前、いつもの様に大型犬と散歩中の30代前半の男性と挨拶。
その後1時間程して戻って来られて1000円をカンパ箱に。
この駅での駅頭では必ず同額を頂いている。心に沁みる。大切に使わせて頂きます、と心で手をあわせる。
市内の6駅何処でもそうだが、必ず差し入れやカンパを頂く市民がおられる。
そして、何百人もの市民から挨拶や声が掛かる。
更に、市政レポートも受け取らず、挨拶もしない市民の中にも、人知れず応援して頂いている市民がいることを、私は承知している。
常に一人一人の市民にまず向きあうことが原点であり、例えクレームの捨て台詞の市民からも学ぶべきことは多い。
今日は救急の日のため、越谷市職員がポケットティッシュを通勤客に駅前で配布していた。
午前8時過ぎに越谷市の担当部長が職員と話した後、近づいて来て、このティッシュを差し出し、救急の日を教えて頂いた。
本日午前10時から本会議で一般質問の3日目を迎える。         (9月9日)

   いきなり バーカとは、何ですか?

昨夜の夜の駅頭は、大袋駅西口で、午後7時から午前0時までの5時間を実施。
時折激しく雨が降りつけたり、すぐに止んだりの天気。
午後11時過ぎに階段から、多くに乗降客とともに降りて来た30代前半のサラリーマンが、自分の時計を見て、私に向かって、いきなり怒鳴った。
「何時だと思っているんだ。バーカ」と。
ちょっと、バカとは何ですか、バカとは、とこちらが対応すると、逃げるようにそそくさと足早に去っていった。
このため、更に追いかけたが振り向かない。
最近この手の市民に駅頭でよく出会う。
共通しているのは、私と正面から話そうとしない。
常に捨て台詞だ。文句があるなら、私はキチンと聞くつもりなのだが、一度もない。
日本社会が営々と築いてきた寛容の精神や自分とは違う他者への包摂が急速に崩壊しようとしていることに危機感がある。
それほど、先行きの不安と目先の刺激以外に気持ちを満たせることがない、市民が大量に生み出されている現実に向き合いしかない。
(9月9日)


駅頭は小さなドラマの連続だ!
PDFファイル⇒%ef%bc%91%ef%bc%96%e5%b9%b4%ef%bc%91%ef%bc%90%e6%9c%88%e5%a4%a9%e7%a7%a4%e6%a3%92%e9%a7%85%e9%a0%ad%ef%bc%91%ef%bc%90

(当選から14年間毎日続ける駅頭は、2600回を超えた。私のツィッターのつぶやきから、転載したものを含め、駅前での様々な市民との出会いのエピソード集)

早朝からサリマーマン同士のいさかいが

一昨日の朝駅頭は、せんげん台駅東口で、いつもの様に午前5時30分から開始した。
前夜からの曇り空のため、今にも雨が降ってきそうだったが、案の定午前6時過ぎには雨が降り始め街宣用の看板や机が濡れたため、直ぐに撤去。
幟だけはタクシー乗り場の屋根付き施設の中に設置した。
通勤客も傘をさして来る人、傘を持ってくる人など様々だ。
するとエスカレーターを利用していた40代前半の男性が、大きな声で「あやまれ」と傍にいた20代の男性に言い寄った。
しかし、その20代の男性は何も言わずエスカレーターの右端を急いで登っていった。
すると再度「あやまれ」との声。
朝から嫌な空気が、周辺を覆ってしまった。
何があったのかは想像の域だ。恐らく傘が原因で雨滴が飛び散ったのか、傘があたったのか。近年特にサラリーマン同士の小さないさかいをよく見かける。
双方に一寸した気持ちの余裕があれば何も起こらない位の出来事だろうに。
こんな風に精神が分断されている。
(8月30日)
朝の通勤時間帯は、あまり大きな声ではない
今日の朝駅頭は、越谷駅東口で午前6時から開始。すると元市会議員が夫婦で山登りの服装で6時30分過ぎに話し掛けられた。
「元気がないんじゃーないのー、うーん元気がないよ」と。
私の体調は良好だし、全くいつもと変わらない。そのため挨拶を交わす市民の誰一人からもそんな言葉は出ていない。
恐らく、この元議員は市役所前で朝街宣を時々実施していたが、マイクを使っての演説スタイルだったため、それに比べて”元気がない”と感じたのだろう。
しかし私のスタイルは、朝6時から大きなマイクを使うのは、逆効果で、静かにしかも自然体で通勤客と接することに、14年間徹して来た。
注意をして頂いたのだろうが、そもそもこの元議員とは在任中から全く姿勢も思考も性格も相容れない関係が最後まで続き、ことごとく意見が対立した。
それでも関心を持って頂いたのだから一つの意見として受け止め、通常通り市政レポートの配布を続けた。
すると、午前7時過ぎにタクシー乗り場に集まっていた高校生の一人から尋ねられた。
越谷市の総合グランド場のバス停は何処ですか、と。
世田谷区にある松原高校の野球部の部員達で、草加市の高校と練習試合に向かうとの事。
へー、都内の野球部が越谷市で試合をするのかー、がんばれ来年の甲子園に向けて、と励ました。
更に午前8時頃、馴染みの40台後半のサラリーマンが。
一旦挨拶をして通り過ぎて戻って来て、ペットボトルの差し入れに。この間毎回越谷駅東口の駅頭では、同じ様にして頂いている。
本当に心に沁みる。更に馴染みの同じ様に礼儀正しい40代後半のサラリーマンから、5000円のカンパを。
半年に一回必ず同額のカンパを頂いて、10年になるだろうか。いつも沁みいっている。
(8月31日)

駅付のタクシー運転手と客のやり取り

今朝の朝駅頭の越谷駅前での、タクシー乗り場での出来事。午前7時30分過ぎ最寄りの派出所の警官が走って来て、客待ちの運転手に話し掛けた。            (裏へ)
隣の大きなもう一つのロータリーにタクシーを回して欲しい、利用客がいるので、と。
10分後遠くで様子を見ていると20代の若い女性と10代の男性が、回って来てドアを開けたタクシーに、乗り込もうとしていた。
しかし、何か警官と3人話をしていたが結局乗らずに、電車の改札に歩いて来た。
気分が悪くなったのか、行き先が変更になったのかは、知る由もないが警官が付き添うからにはそれなりの事情があったはずだ。
ただ件の運転手は車を回しても客がつかないことに。
駅待ちのタクシーにはキチンとしたルールがあり順番で先頭のタクシーだけが乗り場に一台で待機が出来る。
つまり件の運転手は戻って来て最後列に並ぶ事になり時間のロスで、稼ぎに影響が出る事になる。
小さな稼ぎの積み重ねで、生計を立てるタクシー運転手。
元タクシー運転手の私は複雑な心境に。
午前8時30分前、30代前半の酩酊状態の二人の男性が、タクシー運転手に話し掛けたが、直ぐに乗車を断られた。
すると、次のタクシー運転手に、更に断られてその次と、何と4台ものタクシーにふらふらしながら交渉しているが、断り続けられる。
そこで、私から最初の運転手さんに事情を聞いてみた。すると、その男性二人は3000円を限度に、ある所を指定。
しかし、その場所はとても3000円では乗車賃には不足する、とのこと。
だから、次々とタクシー運転手をつかまえて交渉したが、全て断られていたと分かった。
結局、諦めたのか一人の男性だけがタクシーで姿を消した。白タクではない実証例。
             (8月31日)

久しぶりですね。元気ですか?

今朝の駅頭は大袋駅西口で、午前6時前から開始。1時間程の間に中年の2人の女性から、久しぶりですね。元気ですか?と声を掛けられた。
この駅での駅頭は確かに1か月ぶりだろうか。
毎日市内6駅の東西口を順次に駅頭を続けているため、通常は1駅、月最低2回のペースで実施して来た。
だが、先月は私が代表の会派自治みらいの市政報告の駅頭に続き、行政調査や、配布するチラシの内容で駅が重複したり、台風や雨のため中断もあった。
すでに14年間も駅頭を実施していると、市民にとって1か月の空白は、久しぶりという感覚なのだろう。日常の見慣れた風景になっているのかも。
また、市政レポートを受け取った高齢の女性から勉強します、と丁寧な挨拶が。
こんな早朝から仕事か用事なのかは、分からないが高齢者の方からよく声を掛けて頂く。
(9月1日)

午後11時まで活動するのは、気にいらない

昨日の夜の駅頭は、せんげん台西口で午後7時から午前0時まで実施した。
いつもの様に、電車の到着と共に、市民が階段を下りて来る中、自ら手を差し出しご苦労様と挨拶する市民が目立つ。
だが、午後11時過ぎに眉間にしわを寄せ、顔を横に振りながら、私の横を通過して行った30代前後の女性が。   
丁度午後11時きっかりの時間で、「時計は午後11時になりました。気を付けてお帰り下さい」と通勤客に呼びかけて市政レポートを配布していた。
すると、「午後11時なんだから、おかしいよ」と、件の女性から捨て台詞が。
勿論、私と顔を合わせるわけでない。
何がおかしいのか?こんなに夜遅くまで活動することなのか、選挙中でないからか。
市政の報告に時間の制限はない。ただ市民の迷惑や不快感がないように、常に配慮している。
時折団塊の男性から、同じ様な捨て台詞を吐かれるが、こんな若い女性は初めてだった。
恐らく行き場のないささくれた気持ちや政治家への不信感なのだろう。仕事や生活に追い詰められているのだろうか。
(9月3日)


メルマガ♯がんばろう、日本!         №216(16.9.29)

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

==================================

Index 

□ 暮らしのなか、自治の現場から、多様な政治的有用感を生み出し、

 「未来への責任」を分かち合う民主主義を育てていこう

  ~「時間かせぎ」の政治に向き合う主権者運動の役割とは

 ●あなたの民主主義はどんな民主主義ですか 

  反・非立憲空間を広げる「時間かせぎ」の政治に対抗するカウンターデモクラシー

 ●「未来への責任」を分かち合う生活者を主権者へ 

立憲民主主義の共有地・公共空間を暮らしのなかから

□「囲む会」のご案内 

==================================

 暮らしのなか、自治の現場から、多様な政治的有用感を生み出し、

 「未来への責任」を分かち合う民主主義を育てていこう

  ~「時間かせぎ」の政治に向き合う主権者運動の役割とは

==================================

【あなたの民主主義はどんな民主主義ですか 

 反・非立憲空間を広げる「時間かせぎ」の政治に対抗するカウンターデモクラシー】

 それは異様な光景だった。

 9月26日の衆院本会議。安倍総理は所信表明演説で、「現場では夜を徹し、今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている」、「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけ、これに呼応して自民党議員がいっせいに立ち上がって拍手、安倍総理も壇上で拍手をした。

 民主党政権が誕生した際も、鳩山総理の演説で民主党議員が起立、拍手したとの指摘もあるが、安倍総理は、自衛隊など国家機関への「感謝」を要求して起立を促した。鳩山総理の場合は演説終了後、政治改革への賛同を訴えたことに賛同する意味で民主党議員が起立した。前者は北朝鮮型、後者はアメリカ型。この違いが分からないと、立憲主義も民主主義も分かっていないことになる。

 さらにいえば、海上保安庁、警察、自衛隊が対峙しているのは、中国の挑発行為だけではない。辺野古や高江では沖縄の民意に対峙して、「銃剣とブルドーザー」といわれた時代と変わらないような自治権圧殺の最前線に立っている(日本国政府の命令の下)。

 立憲主義とは国家の権力行使を法で制約し、規律化することである。究極の国家権力というべき自衛隊をはじめとする国家機関は、こうした規律・制約をもっとも厳しく課されるべき存在であることは、立憲民主主義においては当然のことだ。このような国家権力の規律化、制約こそ、立法府である議会が担うべき機能と役割にほかならない。

 9月26日の衆院本会議の異様な光景は、立法府・議会がこうした役割を放棄した姿といえる。そこでは国会の「外」の民意は「ないもの」とされ、投票箱に収まった民意(投票率55%)でさえ、その一部(沖縄の民意)は切り捨てられている。「この道しかない」といって選挙で勝てば何でもできる―選挙だけの民主主義、多数決主義だけの民主主義、立法府が行政権力に追従する姿。これは民主主義といえるのか。

 「時間かせぎ」の政治(448号一面参照)は、こうした反・非立憲主義の空間を拡大させる。これに対抗する立憲民主主義の空間を、どのように創出し拡大していくか。

 そこで必要なのは、「公共性とは、閉鎖性と同一性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である」(448号「囲む会」参照)という視点だろう。「この道しかない」に対抗しうるのは、「この道はダメだ」という決め打ち、思考停止ではなく、〝凡庸の善〟で考え続けることであり、多様性の共存のなかで鍛えられる民主主義の胆力だ。

 「国家・国民が、個別的現象に対する情動的反応から徒に『力』や『支配』を求めて狂奔することなく、広い長期的な視野に立って地道に課題に取り組んでいく必要がある。その際求められるのは、多様な人間の共生を可能とする基礎的条件である『寛容』と『知恵の交換』である。われわれは、立憲主義を侮蔑し、『力』への信仰に走った国々(日本もそのひとつ/引用者)によってあの第二次世界大戦という未曾有の悲劇が引き起こされたことを決して忘れてはならない」(佐藤幸治「立憲主義について」放送大学叢書)。

 「中国の脅威」「抑止力」「アベノミクスの成果が出ないのは、アベノミクスが足りないから」等は、思考停止のマジックワードだ。「原発を動かさないと電気が足りない」というのも同じこと。こうした近視眼的な執着や、個別的現象に対する情動的反応から離れてみれば、まったく別の「新しい現実」や多元的な視点が見える。例えばこうだ。

 「普天間・辺野古問題には、二一世紀の日本にとって、『抑止力』の虚実や政治による外交の統制、中国を筆頭とするアジアとの向き合い方、中央と地方との関係、そして何よりも民主主義とはいかなるものであるべきかといった重要問題が凝縮されている。~中略~後世、『なぜあのような愚策を』と指弾されることが避けがたい辺野古での『現行案』に対するあまりに近視眼的な執着から離れ、『辺野古新基地なき普天間問題の解決』を実現できるか否か。それは日本が二一世紀中葉に向けて、前途を切り開くに足りるだけの『政治』を持つことができるか否か、その『試金石』なのである」(「普天間・辺野古 歪められた二〇年」宮城大蔵・渡辺豪 集英社新書)

あなたの民主主義は、どんな民主主義ですか。選挙さえすれば民主主義? 民主主義の決め方は多数決だけ? 「憲法改正は最後は国民投票で決めるんだから、国会での議論が煮詰まっていなくても三分の二で発議すればいいんだ」という民主主義?

「これまでは、民主主義というのは選挙に行くかどうかだけだったんです。四十年間、デモや社会運動、カウンターデモクラシーがほとんどありませんでしたから。そうなると『選挙に行って、俺らの気持ちを反映する政党があるのか』、こう返って来ますね。『永田町の政党なんか、私欲でやっているんだ』とか、『政権交代したってダメだったじゃないか』とか。こういうところから民主主義は投票だけではない、民主主義観にはいろいろある、そういうふうにフォロワーシップのほうが変わりつつあるわけです」(戸田代表 7-11面「囲む会in京都」)

【「未来への責任」を分かち合う生活者を主権者へ 

 立憲民主主義の共有地・公共空間を暮らしのなかから】

野党とは議会制民主主義と普通選挙権に並ぶ、民主主義の三大発明の一つ(吉田徹「『野党』論」ちくま新書)と言われる。「野党には期待しない」ということは、民主主義が機能しなくてもいい、選択肢を持たなくてもいい、ということを意味する(前出「囲む会in京都」)。野党あるいは反対党、あるいはカウンターデモクラシー、こうしたものなしに民主主義は機能しない。これは既存の野党を支持する、しないとは別の次元の話だ。このような民主主義の空間、場をつくり、共有地として手入れしていくことが主権者運動の役割だろう。

 そのために、どのようなコミュニケーションをしていけばいいのか。例えばこのように。

 「『野党に期待しない』というのは禁句だというと、『じゃ、どう聞けばいいのか』となりますね。そういう時は、『野党、反対党の機能と役割をどう理解していますか』と聞くわけです。

 反対党は与党、政権党に対して異議申し立てをすることが第一です。それが目先のチェックだけの異議申し立てか、それとも『三十年後の産業構造を考えたら、原発じゃなくて再エネでしょう』と、未来をどう変えるかというところからチェックする場合では、違ってきますね。だから『チェックしている』というなら、『目先のチェックだけじゃないですか、次の、未来の展望はどうなんですか』ということと、『争点を明確にできていますか』と。

 『補正予算でわれわれは子ども手当を二億増やす、安倍はそうでない』というだけの争点なら、子どもでもわかります。『私の争点の明確化は、必ず背景に立憲主義ということがある。その観点から、たとえば象徴天皇制はこう、緊急事態条項はこう、子ども手当はこう』と。そういう展開ができるかどうか。

三点目に、選挙の投票率が五割ということは、簡単にいえば『民意の残余』が五割程度残っているわけです。いわば投票箱の外の、既存の制度の恩恵を受けていない人たちの民意を、どのように吸い上げて政策化するのか、そこはどうですか? という会話になりますね。

『野党に期待しない』と言わない代わりに、今言ったような会話をしていくということです」(前出「囲む会in京都」)

「アベノミクスの成果が出ないのは、アベノミクスが足りないからだ」という「時間かせぎ」の政治に対して、「成果がでていない、国民の生活は苦しくなった」というだけでは、目先の異議申し立てにしかならない。政権党をチェックする野党の機能、役割は、近視眼的な執着や、個別的現象に対する情動的反応から離れた、まったく別の「新しい現実」や多元的な視点を提示すること―政策思想の軸の転換―だろう。

「次世代を意識してアベノミクスへの対立軸を打ち立てようとすれば、おのずと地道な結論にたどりつくはずだ。自民、公明、旧民主による『税と社会保障の一体改革』の3党合意は、少なくとも未来を見据えていた。民進党は原点に立ち返り、野心的なアベノミクスに対抗するのでなく、増税も視野に入れた財政再建と、家計に安心感をもたらす社会保障の充実を両立できる将来像を描いてほしい」(毎日7/28 「記者の目」)

 「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」(「分断された社会は乗り越えられるのか」今井貴子 世界9月号)という分断社会の到来を前に、「成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない」(井手英策 世界9月号)という合意形成の可能性は、暮らしの現場のなかに拡がりつつある。救済すべき弱者を選別するのではなく、みんなを底上げするためにみんなで負担する、そういう民主主義へ。

 自分(たち)の意見や行動が社会や政治に反映されているという実感を、政治的有用感という。暮らしのなかの困りごとや生きづらさ、不安について語り合い、政治に対して要求していくなかからうまれる政治的有用感を、「時間かせぎ」の政治に対抗しうる「未来への責任」を分かち合う民主主義へと育てていくことは、主権者運動の役割にほかならない。

(「日本再生」449号より)

==================================

囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

==================================

◆第165回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】

 「民進党がめざすもの―民主主義における野党の機能と役割を考える」(仮)

 ゲストスピーカー 小川淳也・衆議院議員

 10月13日(木)午後6時45分より

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)

 参加費 同人会員1000円/購読会員2000円

◆第八回大会 第三回総会

「『時間かせぎ』の政治に対抗しうる『未来への責任』をどう語るか

 ~立憲民主主義と主権者運動の役割」(仮)

 11月13日(日)午前10時より午後6時

 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


メルマガ♯がんばろう、日本!         号外(16.9.6)

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

==================================

Index

 

◇ご案内

日本環境会議沖縄大会

環境・平和・自治・人権―沖縄から未来を拓く

==================================

(大会案内より)

第33回日本環境会議沖縄大会は、環境・平和・自治・人権の問題が最も先鋭的に現れている沖縄から日本本土、米国、そして世界の人々へ問題提起を行い、そこでの世代間交流を含む人々の交流、意見交換を通じて未来を切り拓いていきたいとの趣旨で開催されます。ぜひ、多数の皆さまのご参加を期待いたします。

10月20日から23日

沖縄国際大学

詳細は下記より

http://www.einap.org/jec/article/jec/33/50

「囲む会」で話をしてくれた元山君(SEALDs RYUKYU)も登壇します。


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


メルマガ♯がんばろう、日本!         №215(16.8.30)

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp

==================================

Index 

□「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という

 〝未来の記憶〟を持つ生活者を、自ら未来を変えうる主権者へ

 ●さしせまる破局、それとどう向き合うか ~「時間かせぎの政治」に対抗する

□「囲む会」のご案内 

==================================

「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という

〝未来の記憶〟を持つ生活者を、自ら未来を変えうる主権者へ

==================================

【さしせまる破局、それとどう向き合うか 「時間かせぎの政治」に対抗する】

 「2050 近未来シミュレーション日本復活」(クライド・プレストウィッツ著 東洋経済新報社)という本が話題になっているらしい。イノベーション大国として台頭した2050年の日本のお話だ。

 「訪ねた企業では、ここは北欧かと見紛うばかり、女性が取締役会の過半を占めている。日本は、世界でも有数の女性が活躍する社会に生まれ変わったのだ。

 もっとも大きな変化は、人口動態だ。人口減少は2025年に上昇に転じ~中略~日本経済は年率4・5%で力強い拡大を続けるようになった。いったい2016年と2050年の間、日本に何が起きたのか。これこそが、本書の主題だ。

 2017年、危機が勃発する。アベノミクスは失敗、膨大な公債残高の償還可能性に不安を抱いた投資家が円建て資産を売却、資本逃避が始まる。窮した日本は、IMF管理下に入る。衝撃的なのは、サムスンによるソニーの吸収合併だ。~中略~国家の存立危機を前に、国会は『特命日本再生委員会』の創設を決める。(女性の就業率向上や計画的な移民の導入、再エネによるエネルギー独立、連邦制導入による徹底した分権など、同委員会の提言を実行に移すことにより)日本は明治、終戦後に続く3度目の経済的奇跡を自ら実現することに成功する」(朝日新聞8/28 書評/諸富徹・京都大学教授)

 著者は1980年代の日米貿易交渉にもあたった日本通。日本の経済社会システムの本質を突くような指摘も、多々ある。あの敗戦によってもなお生き延びた「1941年体制」(野口悠紀雄)が、IMFショック程度で改革できるのかとか、「特命委員会」の提言を「誰が」「どうやって」実現するのかなど、突っ込みどころもあるが、むしろそれらはわれわれの「宿題」と言うべきものだろう。

 この本に描かれる2050年の日本社会の姿は、「一億総活躍社会」や「同一労働同一賃金」、「働き方改革」などアベノミクスが掲げる目標とも、かなり重なるところがある。興味深いのは、このシミュレーションがアベノミクスの失敗→実質的デフォルトから始まっている点だ。

 アベノミクスとは何か。それは一言で言えば、破局に向かう「時間かせぎ」の政治だ。

「アベノミクスは三本の矢を矢継ぎ早に放つものの、それはリボルバー拳銃のように回転し続けるものである限り終わりはみえず、だから検証に晒されることもない。アベノミクスが成功しないのは、アベノミクスが不足しているからだという『リボルビング・アベノミクス』の論法がとられることになる。~中略~『道半ば』である限り、とりわけ景気上向きの実感が薄いとされる地方に、『いつかは』アベノミクスの波及が及ぶはず、という期待の操作ができるからだ。そして、その期待値は、政権持続と政策支持となって現れる。三期連続のマイナス成長、実質賃金の低下、消費水準指数の落ち込みといったマイナスの実感があってこそ、それらは期待値へと転換される」(吉田徹 世界9月号)

「そう考えたとき、アベノミクスを批判する野党が、景気回復への国民の『実感のなさ』を持ち出しても、その『実感』が待たれているものである以上、説得力を欠くのは当然である」(同前)

こうしたリボルビング・アベノミクスの「弱点」は、財政の持続可能性だ。アベノミクスの「三本の矢」は、金融政策、財政政策、構造改革というオーソドックスな経済政策を言い換えたにすぎない。特徴があるとすれば、金融政策を「ふかす」ことに特化した点だろう。

「1990年代初頭、バブル崩壊後の日本では、財政出動と減税で景気を刺激しさえすれば不況を脱出できる、と皆が信じ、巨額の財政政策を毎年繰り返した。90年代も今とまったく同じ議論をしていたのだ。違いといえば、当時は国の借金は少なく、高齢化も進んでいなかったことである」(小林慶一郎 日経6/20「経済教室」)

90年代の財政出動は、企業の過剰債務を国家が肩代わりする「徳政令」にも似た不良債権処理に費やされ、景気は回復せず国の借金だけが増えた。そこで今度は金融緩和を極限までやったが、これもうまくいかない。そこで再び「財政と金融の同時実施という昔と同じ話が『ヘリコプターマネー』政策として、まるで新しいことのように議論されている」(小林 同前)というわけだ。

二十年前と違うのは高齢化の進行と、GDP比250%まで積みあがった政府債務だ。あの竹中平蔵氏をしてさえ、「財政の健全化はどうしても必要です。~明日にも深刻な事態に陥るわけではありませんが、私は『日本経済全治何年』というより『余命何年』というくらいの危機意識は持たないといけない」(日経8/7)と言わしめるほど。

〝ゆでガエル〟は、すっかりゆで上がりつつある。アベノミクスとは「実現しないことが政権の選挙での強さと権力を担保している限り、それは少しずつ破局に向かう政治の『時間かせぎ』にしかならない」(吉田 同前)ということだ。

 私たちは問題設定を変えるべきだ(以下、5―7面「戸田代表を囲む会」より)。

 アベノミクスに効果があるかどうか、という話ではなく「さしせまる破局、それとどう向き合うか」という問題設定が必要になるんです。破局というと、「何とか避けられるのではないか」と対策を講じる、と発想しがちですが、そういうことではありません。若い世代は「このままでも明日は来るけれど、その先にあるのは超高齢化社会だ、リストラだ、社会保障の破綻だ…明日は来るけれどその先に未来はない」という感覚でしょう。

 「未来は明るい」と思っていない。そこに「希望」があるんです。破局の先に生き続ける何かを、どう準備するのか。年寄りは「逃げ切り」を考えますが、「逃げ切り」ができない世代は、「その先をどう生きるか」を考えるんです。その破局の時に立ち上がる、むしろチャンスだと思って立ち上がる、そのための新たな社会関係資本をどこまで作るか。これが「さしせまる破局、それとどう向き合うか」という問題設定です。(引用終わり)

「アベノミクスのように、期待値を操作して恣意的に『終り』をみせずに『破局』はないと証明しようとする政治の時間軸に対抗して、『破局』はあるものとすることで、未来を変えることのできる投企的な政治を可能にするのが『破局論』の時間軸である。そして、来るべき『破局』を読み取ることのできる・・・(のは)政策の専門家などではなく、・・・『未来の記憶』を持つ『事情に疎い者』、つまりは生活者でしかあり得ないだろう」(吉田徹「世界」9月号)。

このままでも明日は来るけれど、その先に未来はないという「未来の記憶」から、その未来に向かって自ら「かくあろうとする」、そういう生活者を主権者として登場させることだ。

【「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」という

 分断社会の克服に向けて】

破局を先送りする「時間かせぎの政治」は、アベノミクスに特有なものではない。

「政治経済学者シュトレークは、一九七〇年代の資本主義の構造的なショックをインフレで克服したことが新自由主義を生み、これが金融市場の自由化を進めたことで一九九〇年代の不況を招き、今度はそれを民間部門への債務付け替えで乗り切ろうとしたためにリーマンショックが起きた連鎖を検証し、これらは後期資本主義が破局に向かっている間の『時間かせぎ』にすぎないと喝破した」(吉田 同前)。

このプロセスは、次のようにも描かれる

「市民によって統治され、租税国家として市民によって財政的に支えられている国家が、その財政的基盤をもはや市民の出資によって賄えなくなり、その大きな部分を債権者の信用に依存するようになれば、それは民主的な債務国家へと姿を変える」(シュトレーク「時間かせぎの資本主義」 みすず書房)

この「民主的な債務国家」は「市場」によって、政治的行動を制約される(緊縮財政など)。他方、「国家はつぶれそうな銀行を救済し、この同じ銀行団によって破産寸前に追い込まれる――結果として、金融による支配体制が、当該国家の国民を保護監督下に置くことになる。(「デモクラシーか、資本主義か?」ユルゲン・ハーバーマス 三島憲一訳 「世界」9月号)。

民主主義が定着したのはその理念によってではなく、平等で豊かな中間層を生み出すことができたからである。「市場」によって監督される「民主的な債務国家」の下では、(適切な再分配を行うべき)政治は必然的に劣化し、社会は分断される。経済のグローバル化、とりわけマネー資本主義の拡大と民主主義との矛盾が深まるなか、「時間かせぎ」の政治はいつまで危機を先送りできるのか。

「第2次世界大戦後、英国では基幹産業の国有化と医療・教育の無料化が実現した。戦前のグローバリズム、言い換えれば行き過ぎた資本主義が、ファシズムと共産主義の諸国家を生んだ反省から、国家が資本主義を統御し、民主主義を安定させることが狙いだった。

このような国家のあり方は、他の先進国でも見られた『戦後合意』だった。だが、米国のトランプ旋風やサンダース旋風、欧州の極右や極左政党の台頭は、『戦後合意』が過去のものとなったことを示している」(吉田徹 読売8/12「論点」)

いまや先進国リスクの時代だ。「民主的な債務国家」はグローバル経済を統御できず、社会的分断と民主政治の機能不全に直面している。「戦後合意」を支えた中間層はやせ細る一方だ。

「ダニ・ロドリック米ハーバード大教授は主著『グローバリゼーション・パラドクス』で、『グローバル化―国家主権―民主主義』はトリレンマ状態にあると論じた。

国家主権と民主主義の連結により、グローバル市場に背を向けることはできる。また国家主権がグローバル化と結びつき、民主主義を犠牲にすることも可能だ。あるいは国家主権を犠牲にして、グローバル化と民主主義を選び、グローバルガバナンス(統治)と世界民主主義の組み合わせを構想することもできる。けれども、3つを同時に成立させることはできないという。

これは現代の先進国リスクを暗示しており、ほぼ例外なく民主主義的である先進国の悩みを言い当てている。つまり中国のような一党独裁国やシンガポールのような権威主義国は、主権とグローバル化の組み合わせで前進できるのに対し、先進国は自国の民主主義に敏感にならざるを得ない分、グローバル化が一層深化すると、トリレンマに陥る。

規制緩和と自由化を軸とする単純なグローバル化主義者は、統治権力=国家主権と結び、この民主主義的側面、ならびにそれを行使する中間層以下の人びとを、えてして『非合理』と軽視してきた。EUもまた、複数の統治権力=国家主権を束ねるところまではよかったが、民衆と民主主義を軽んじた。今起きているのは、やせ細る中間層以下からのしっぺ返しである」(遠藤乾 日経7/28「経済教室」)

「グローバル化―国家主権―民主主義」のトリレンマを解消する〝魔法の杖〟はない。だがトリレンマを深刻化させないことはできる。鍵を握るのは社会的な分断状況の克服である。その際に必要となるのは、幅広い生活保障にほかならない。

グローバル経済の下では社会保障制度はまかなえない、というのは本当だろうか。

ここで想起すべきは、「戦後合意」につながる社会保障制度は19世紀末からのグローバル化に起源を持つ、ということだ。「第一次世界大戦前のグローバル化時代にこそ現代の社会保障制度の起源があるという点は強調しておくべきだ。~中略~このタイミングを強調するのは、ヨーロッパでの社会保障制度プログラム導入が経済目標の実現と競合するものとは見なされず、むしろそれを補うものと考えられていたからだ」(「21世紀の不平等」アンソニー・B・アトキンソン 東洋経済新報社)

 21世紀の社会的分断は貧富の差や、出自や宗教による差別によるものだけではない。グローバル化の下、国境を超えた形で「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」(「分断された社会は乗り越えられるのか」今井貴子 世界9月号)というように分断され、さらに「リスクの多様化ゆえにそれぞれのグループ内でも連帯が生まれない」(同前)という分断構造になっている。だからこそ、より包括的な生活保障が不可欠になる。

 国家を介して市場経済と民主主義を両立させるという「戦後合意」を、それを可能とした歴史的条件―戦争と革命―なしに改めて履行させるうえで、政治の責務はきわめて重い。

【「時間稼ぎの政治」に対抗する「未来への責任」をどう語るか】

参議院選挙前の世論調査では、アベノミクスを「見直すべき」が61%と、「さらに進めるべきだ」の23%を上回った。消費増税の再延期についても、「社会保障の充実が難しくなったと思う」との懸念が53%に上った(毎日6/22)。それでもなお、「期待値を操作して恣意的に『終り』を見せずに、『破局』はないと証明しようとする」アベノミクスの手法が、選挙で一定の効果をあげられるのはなぜか。

 「『若者は保守寄りで、自民党支持が多い』とニュースが言っていた。たしかにそうだろうと感じる。だっていまの生活を格別変えてほしい、変えたいと思っている若者はそんなにいないはずだ。変わらなくても明日はくるのだから。

 しかし、その明日が来続けた先にあるのは、高齢化社会だ、年金だ、リストラだ、社会保障だ……明日は来るけれど、その先にはなにもない。

 どの党の公約を見ても、この不安や不満は解消されない。解決策が示されてないわけじゃないのに、しっくりこない。物足りないのはなぜか。

 きっと、未来なのだと思う」

(Yamato 19歳 ポリタスhttp://politas.jp/features/10/article/517より)

 時間かせぎの政治に対して、未来への責任をいかに語るのか。そのことが問われている。

 「選挙戦で気になったのは、自民党が『成長と分配の好循環』を掲げたのに対し、民進党も『分配と成長の両立』を打ち出し、経済成長が共通点になったことだ。~有権者には『どちらが先か』の議論にしか映らなかったのではないか」(毎日7/28「記者の目」小山由宇)。「私はキーワードとなるのは『次世代への責任』ではないかと考える。有権者が求めるのは経済成長の方策よりも、人口減少社会の中で、持続可能な財政や社会保障をどう構築するかという重いテーマだと思うからだ」(同前)。

 求められているのは、対象を選別して「救済する」選別主義から、中間層全体を底上げする普遍主義へという空間軸の転換、そして「時間かせぎ」の政治から「未来への責任」という時間軸の転換だ。ヨーロッパではEUレベルでも各国レベルでも、この転換をめぐる試行錯誤の政治的経験はかなり集積されている。では私たちは、この観点から政権交代の経験をどう語るのか。

「前原 (井手・慶應大学教授の著書を読んで)自分は大きな間違いをしていたと気付かされた。それは、『歳出削減イコール改革』と考えていたということです。本当に必要なところまで削ってしまっては、井手さんのご指摘のどおり、社会の分断をいっそう深めてしまう。

井手 まことしやかに語られる『支出の削減イコール財政再建』は本当か、ということですね。実は、低所得者へのいわゆる『弱者救済』ではなくて、中間層も含めて広くサービスを提供できている国のほうが、統計的に見て税収が大きい。政治的多数が受益者となって、自分の必要を満たしてくれる安心から、税金への抵抗が弱まる。こういう経路があります」(世界9月号 対談 前原誠司・井手英策)

「井手 日本では、これまで『分配か、成長か』という議論になりがちでしたが、今回の参院選では、むしろ『分配と成長の関係』が論点になった。~その課題設定からの変化じたいは評価したいのですが、結局は成長論議の枠にとどまり、そこで議論は止まったままでした。なぜ野党は思い切った生活保障策を打ち出せないのでしょう。

前原 それは、民進党がもっとも反省すべき点です。~方向性、キャッチフレーズは正しかったと思います。ただ~(それぞれの政策は)非常に重要ですが、政策全体の大きな柱、理念自体は打ち出せなかった。~中略~

 振り返ると二〇〇九年政権交代選挙の際には~目玉の政策がありました。しかしこのときも、強力な商品を並べていながら、目指すべき社会像をふまえた、奥行きのある政策にはなっていなかった。~きわめて生煮えの政策でした。

 もう、こうした失敗を繰り返すことは許されません。あらためて訴えていくべきは、財源論から目を背けない生活保障システムの構築です。消費税引き上げ分の残る2%も、もっと納税者の受益を増やす方向で使途を考え直したい。今回、野党は富裕者増税、企業増税しか打ち出せなかった。所得税、相続税、また配偶者控除、特別控除などもあわせて再検討しながら、『将来不安の払拭』『閉塞からの反転』という大きな柱を掲げる必要があると思います。

 ~中略~民主党政権は子ども手当の額、またその期間を~拡大しました。高校授業料の無償化も実現した。しかし、これはまだ完成ではないのです。〇歳から五歳までの就学前教育を無償化し、高等教育も無償化に近づける~これらふたつを実現するには、消費税一%でよいのです。この一%で、すべての子どもに、チャンスが与えられる。演説会で、『消費税の一%を子どもの未来に使うことに反対ですか』と尋ねると、異を唱える人はほとんどいません」(同前)

「井手 成長に頼るのか。あるいは規制緩和と財政再建を進めるのか。そうではなくて、成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない~脱「成長」とも異なる脱「成長依存」。新たな選択肢が見え始めています。

 だからこそ、あえてお聞きしたいことがあります。~野党共闘の枠組みの中で、このような社会のビジョンはそもそも受け入れられるのでしょうか。(野党の公約では富裕層・大企業を狙い撃ちにするが、それだけでは財源は足りない。)」(同前)

 このままでも明日はくるが、その先に未来はない―この不安や不満に正面から向き合うためには、人々の生活の必要―受益を徹底的に議論するとともに、財源論から逃げないという姿勢が必要だ。税と社会保障の一体改革がやろうとしたのは、そういう転換だったはずだ。

 「次世代を意識してアベノミクスへの対立軸を打ち立てようとすれば、おのずと地道な結論にたどりつくはずだ。自民、公明、旧民主による『税と社会保障の一体改革』の3党合意は、少なくとも未来を見据えていた。民進党は原点に立ち返り、野心的なアベノミクスに対抗するのでなく、増税も視野に入れた財政再建と、家計に安心感をもたらす社会保障の充実を両立できる将来像を描いてほしい」(前出 「記者の目」)

民進党をはじめとする野党、そして野党共闘に問われているのはここだろう。安全保障なら「情勢論」で「とりあえず合意」することもできる(旧社会党がそうしたように)。しかし財源論は、どういう社会をめざすのかという社会のあり方とともに、民主主義のあり方をめぐる本質的なハードルだ。ここをあいまいにした「よい再分配」論は、「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という〝生活者〟には、すでに見透かされている。増税反対だけでは、「経済成長依存」というアベノミクスと同じ土俵だ。それなら、50%の投票率で安倍政権が勝つに決まっている。

 「成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない」(井手 前出)という議論―ガチンコの議論―を、国民の前でどこまでできるか。一度失われた信頼関係を立憲民主主義のフォロワーシップの転換という新たなステージで、もう一度紡ぎ直すことができるか。

このままでも明日は来るけれど、その先に未来はないという「未来の記憶」から、その未来に向かって自ら「かくあろうとする」、そういう生活者を主権者として登場させるための舞台の幕が上がりつつある。

(「日本再生」448号より)

==================================

囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」

==================================

◆第27回 戸田代表を囲む会in京都

 「安倍政権の今後と、民進党のめざすもの―立憲民主主義のフォロワーシップの視点から」

 9月21日(水)午後6時30分より9時まで

 コープイン京都 202会議室

 参加費 1000円(学生500円)

 ゲストスピーカー 福山哲郎・参議院議員 泉健太・衆議院議員 隠塚功・京都市会議員


石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会

http://www.ganbarou-nippon.ne.jp


怒れる女子会
怒れる女子会 
PDFファイル⇒怒れる女子会 
子ども食堂から見えてくる女性と子供の貧困
〈日時〉9月3日(土)13:30~16:00
(受付13:15~)
〈会場〉ほっと越谷セミナールームA・B
越谷市大沢3丁目6番1号  パルテきたこし3階 ※北越谷駅東口徒歩1分